四⑪

(綺麗……)


 里帆は日に透かせながら羽を眺める。そうしていると不思議と心が落ち着いてくるように感じるのだった。そしてすっと今まで感じていた疲れが少しずつ取れていくのが感じられた。


「終わったよ、里帆」


 羽に見とれているとドライヤーの音がやみ、ラファエルから声をかけられた。


「いつもありがとう、ラファエル」

「どういたしまして、里帆。僕は里帆の髪が好きだからね」


 ラファエルはそう言うとにっこりと微笑む。里帆はその笑顔を直視できず、


「私、寝るわ」

「はーい! おやすみ、里帆!」


 早口で言う里帆をラファエルは笑顔で見送る。

 里帆はラファエルから受け取った羽を胸に抱き、ベッドの中に入った。するとすぐに泥のように眠ってしまう。

 それから数時間後。

 里帆は夢を見ることもなくぐっすりと眠り、スッキリとした頭で目覚めることが出来た。時計を見ると十六時を少し回っている。

 身体を起こし、ベッドから抜け出そうとしたときだった。


(あれ? 羽の色が……)


 里帆の胸からこぼれ落ちた、ラファエルから貰った天使の羽の色が変わっていることに気付く。その色は夜空を溶かしたような深い黒色で、星を散りばめたようにキラキラと輝いているようにも見える。


「おはよう! 里帆!」

「あ、おはよう、ラファエル」


 ベッドの上に落ちた羽を眺めていた里帆に、元気な声が降ってくる。ラファエルだ。


「どうしたの? 里帆」


 ラファエルが不思議そうに里帆へ声をかける。


「あ、ラファエルの羽がね……」

「あぁ、これはもう、使えないねぇ」


 ラファエルは里帆の視線を追うと、ベッドの上の黒い羽をつまみ上げた。


「ちょっと、外に行ってくるね」


 ラファエルは里帆にそう言うと、ベランダに続く大きな窓を開けて外へと出た。それからしばらく後、ラファエルが戻ってくるともう、その手元には黒い羽の姿はなかった。


「里帆はもう、元気?」

「え、えぇ。元気よ。それよりラファエルの羽はどうして黒くなっていたの?」

「それは……」


 ラファエルは里帆から視線を外し、目を泳がせている。


「言えないこと?」

「そうじゃないんだけど……」


 ラファエルは言いにくそうに、しかしはっきりと里帆の目を見て説明を始めてくれる。


「里帆は今回の仕事、本当に疲れていたみたいだね」

「え?」

「実はね……」


 ラファエルが言うには、天使の祈りは人を救うことが出来るのだという。しかし、タダで救うことは出来ない。


「代償が必要になるんだ」


 今回は里帆の疲れを癒やすという祈りだった。その代償が真っ白な天使の羽であり、その羽が里帆の疲れを吸うことで色を黒く変えたのだという。


「ラファエルは、それで平気なの?」

「僕? うん、今回は僕じゃなくて、僕の羽が吸い取ったからね。僕には全く何もないよ」

「今回『は』?」


 里帆の言葉にラファエルがしまった、と言う顔をした。その顔を見た里帆がラファエルに詰め寄る。


「他に何があったの?」

「それは……」


 再び視線を彷徨わせるラファエルの両頬を里帆が挟み込むと、


「ちゃんと説明して」


 里帆の真っ直ぐな視線を受けたラファエルは里帆の目を見つめると、怖ず怖ずと口を開いた。


「以前、里帆が高熱を出したことがあったでしょう?」


 ラファエルの言葉に里帆はしばし逡巡した後、


「私がインフルエンザで倒れたときのこと?」

「うん」


 その時、熱でうなされる里帆を楽にするために、里帆の高熱をラファエルがその身で引き受けたのだという。


「でもあのとき、ラファエルに発熱の症状は見られなかったような……?」

「元来、僕たち天使の体温は人間に比べるととても低いんだよ」


 ほら、と言ってラファエルが自分の両頬を挟んでいる里帆の手の甲に、自分の手のひらを重ねる。その体温はひんやりしていて心地が良い。


「ね?」


 ラファエルの言葉を受けた里帆は妙に納得した。腑に落ちるという感覚はこういうものなのか、と思うほど、それはしっくりきたのだった。里帆は、はぁ~っと息を吐き出すと、


「ラファエル……。もう、私のために無茶はしないで?」


 そう言って全身の力を脱力させる。

 この天使はきっと、自分のためになるのならどんなことでもしてくれるのだろう。しかし里帆は、そのためにラファエルに無理はして欲しくはないのだった。

 そんな里帆の気持ちがラファエルにも届いたのだろう。ラファエルは笑顔を浮かべると、


「里帆、大好き!」


 そう言って立っている里帆をぎゅーっと抱きしめる。驚いたのは里帆の方だ。里帆は慌ててジタバタする。


「ラファエルっ?」

「んー?」

「んー? じゃなくてっ! 離して!」

「やだ」


 ラファエルは抱きしめている腕に力を込める。


「も、もう! ラファエル!」

「ぎゅーっ!」


 ラファエルは笑顔で里帆を抱きしめ続ける。その嬉しそうなラファエルの笑顔を見て、里帆は諦めたように脱力した。


 きっともう、このラファエルに何を言っても無駄なのだろう。

 里帆はラファエルの腕の中でこっそり長嘆息をこぼした。それから里帆は顔を上げるとラファエルへ、


「私、顔を洗ってきたいのだけれど」


 そう言われたラファエルは里帆をぱっと離した。それから、


「あ! 里帆、顔を洗ったら外着に着替えてね!」

「え? どうして?」

「お出かけ、しよう!」


 笑顔のラファエルに里帆は小さく頷くのだった。

 顔を洗ってからラファエルに言われた通り、部屋着から外着へと着替えを済ませる。その頃になるともう日が沈みかけており、外は薄暗くなってきていた。


 里帆はスキニーデニムに白の長袖ロングTシャツと言うシンプルな格好だ。そしてまだ外が冷えることを考慮し、インナーには年末に買った肌着を一枚と、余っているカイロを貼る。最後にアウターとして茶色のチェック柄ダッフルコートを着て、里帆の外出用コーディネートが完成した。

 それから鏡の前で乱れたところがないかの確認を行い、軽く直してから簡単なメイクをしていく。最後に長い黒髪にくしを通した。


 里帆が外出の準備を行っている間、ラファエルは部屋の中でおとなしくしていた。おとなしく、ベランダへと通じる大きな窓から外をじっと見やっている。その表情は嬉しそうだ。


「ラファエル、出かける準備、出来たわよ」


 外を見やっていたため里帆に背中を向けている形となっているラファエルに、里帆が声をかける。その声に振り返ったラファエルは里帆の元へと近付くと、笑顔で里帆の手を取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る