四⑩

(見るんじゃなかったわ)


 里帆は若干の後悔をしながらも、嬉しそうなラファエルの表情がまぶたの裏に焼き付いてしまい、その顔を思うと自分も嬉しくなるのだった。


「着いたよ」


 里帆がそんなことを考えていると、急に身体に重力を感じ、どこかに下ろされたことに気付いた。


「ここは?」

「屋根の上だよ」


 里帆の疑問の声にラファエルは下の方を指さしながら事もなげに答えた。里帆がラファエルの指の先を見ると、そこには年越しの瞬間を今か今かとすし詰めになって待っている人々の姿があった。どうやらここは、本殿の屋根の上のようだ。


(本当に飛んで来ちゃったのね、私)


 里帆が呆然と眼下を眺めていると、後ろにいるラファエルがすっと里帆の腰に手を回した。


「ラファエルっ?」


 里帆が驚いて反射的に背後のラファエルを振り仰ぐ。ラファエルはそんな里帆へ、


「落ちたら危ないでしょ?」


 そう言ってぎゅっと里帆を引き寄せる。それから真っ白な翼で里帆を包み込んだ。


「暖かい……」


 思わず呟いた里帆を離さないように、ラファエルの腕に力が込められる。そうしていると下から歓声が聞こえてきた。どうやら年が明けたようだ。


「明けましておめでとう、ラファエル」

「おめでとう、里帆」


 遠く響く除夜の鐘の音を聞きながら、二人は本殿の屋根の上で新年の挨拶を交わすのだった。

 しばしの時間、本殿の屋根の上にいた二人だったが里帆がまだ仕事中と言うこともあり、すぐに地上へと戻ってきていた。


(まさか、本殿の上で新年を迎えることになるなんて……)


 しかも自称だと思っていた天使には、本当にけがれのない真っ白な翼が生えており、その翼を使って空を自由に飛び回れると言うことを、里帆はこの時知ってしまったのだ。


(あんなものを見せられたら、ラファエルが天使なんだって、信じるしかないじゃない……)


 地上に戻ってきた里帆が考え込む。そうしていると、


「里帆?」


 不思議そうな声音でラファエルが声をかけてきた。里帆がはっとしてラファエルを見上げる。


「里帆に渡した羽、こっちに渡してくれる?」

「あ、うん」


 里帆は空を飛ぶ前にラファエルから渡されていたふわふわの真っ白な羽を、ラファエルへと返した。里帆から羽を受け取ったラファエルはその羽へ、ふーっと息を吹きかけた。するとラファエルの吐息を受けた羽は上からさらさらとした砂のような粒子となり、大気中にキラキラと流れ溶けていく。

 里帆はその様子を見ながら、


「その羽は一体、何だったの?」

「これは天使の羽だよ。持っている人間には色々な効果が現れるんだ。さっきの効果は、里帆が他の人間から認知されないって所かな」

「見えなくなるってこと?」


 ラファエルは再び羽に息を吹きかけながら里帆の問いかけに頷いた。里帆はなるほど、と内心で納得する。


「終わり!」


 里帆が一人納得しているうちに、ラファエルが羽の処理を終えたようだ。それから里帆へと向き直ると、


「今日から僕は、人が少なくなるまでさっきの場所にいるから。だから里帆は気にせずに自分の仕事を全うしてね」

「ありがとう」


 笑顔のラファエルにつられて、里帆も笑顔を返す。


「三浦さーん!」

「あ、呼ばれているわ。私、行くね」

「うん、いってらっしゃい」


 里帆はラファエルに一礼すると、そのまま呼ばれた声の方へと駆け出すのだった。

 それから三が日が過ぎるまで、夜の神社を里帆は駆け回り、せわしなく動き回っていた。境内から本殿の屋根の上を見上げると、ラファエルの淡い空色の髪が月明かりを受けて輝いているのだった。里帆はそれを見付けるとどこか安心し、落ち着いて業務に取りかかることが出来た。


 そうして一月三日の夜を迎えた。大晦日から元旦にかけての夜に比べると少しは落ち着いて業務を行うことが出来てきていた。里帆は社務所の外に特設されているテントで甘酒を配っている。落ち着いているとは言え、それでも平時よりは参拝客も多くこの日もラファエルは本殿の屋根の上に居るのだった。

 休憩を挟みつつ夜通し働いた里帆は、通常勤務の巫女への引き継ぎを終えると、日付の変わった四日の朝八時に最後の夜勤を終えて帰路に就く。

 あくびをかみ殺しながら歩く里帆の背後に、ラファエルがふわりと降り立ち、その後ろを歩く。


「お疲れ様、里帆」

「うん。ありがとう」


 二人は歩きながら短く言葉を交わす。まだどこの店も開いていないため、二人は真っ直ぐに寮へと向かう。

 里帆は帰宅後すぐにシャワーを浴びた。この正月の期間、神社の中で大きな混乱もなく、後輩の巫女たちも冷静に乗り切ることが出来たことに喜びを感じる。この様子なら次回から自分がいなくとも、うまくやっていけるだろう。

 シャワーを終えて部屋に戻ると、里帆の中でどっと疲れが襲ってきた。張っていた気が抜け、里帆自身が思っていた以上にこの数日間は疲れていたようだ。その様子を見ていたラファエルが近寄る。


「里帆、大丈夫?」

「大丈夫よ。少し疲れただけだから」


 里帆の言葉を聞いたラファエルが里帆に一枚の真っ白な羽を取り出した。それは大晦日から元旦にかけてのあの日見た、天使の羽のようだった。


「これは?」

「里帆の疲れが癒えるように祈った羽だよ。持っていてくれると嬉しいな」


 ラファエルの優しい笑顔につられて、里帆も自然と笑顔になる。


「ありがとう、ラファエル」

「どういたしまして、里帆。さぁ、早く髪を乾かして、ゆっくり横になろう!」


 ラファエルは里帆に羽を手渡してから里帆の背中を押す。それからいつものようにラファエルが里帆の髪をドライヤーで優しく乾かしてくれる。

 里帆は髪を乾かして貰いながら、手に持った天使の羽を眺めていた。朝の光を受けながら、手に持った羽はキラキラと輝いているように見える。

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