四⑤
翌日。結婚式での舞の当日を迎えた。
目が覚めた里帆は頭の中がスッキリしていることに気付いた。なんだかとても気分がいい。
里帆はベッドから出ると勢いよく自室のカーテンを開ける。外は少しずつ日が昇り始め、白々としていた。テレビを点けるとちょうど朝の情報番組で天気予報がやっていた。今日は十二月には珍しい、日差したっぷりの暖かな一日になるようだ。結婚式にはうってつけの、まさに大安吉日と言ったところだろうか。
洗濯機を回している間に朝食の準備を行う。簡単な朝食を摂り終わり片付けを終えてから顔を洗う。そうしていると洗濯機が洗濯の終了を告げた。
里帆は洗い立ての洗濯物を
「おはよう、里帆」
「ラファエル……、おはよう。顔、洗ってきて」
「はぁい」
里帆が洗濯物を干すために開けた窓から入ってきた冷気に、ラファエルが目を覚ました。里帆はそんなラファエルへ声をかけると、洗濯物を干す作業に戻る。
そうして洗濯が終わると、ラファエルも顔を洗い終わったようだ。里帆はそのまま自分の出勤準備に取りかかる。軽く化粧をしていると目が覚めた様子のラファエルがじーっと里帆を見つめていた。
その視線に気付いた里帆は、
「何? ラファエル」
「里帆はどうして毎朝自分の顔をいじるの?」
ラファエルの素朴な疑問だったが、里帆は思わず化粧をしていた手が止まる。そんな里帆へラファエルは言葉を続ける。
「里帆はそのままでも十分綺麗なのに。変なの」
「これは社会人女性の身だしなみ! 礼儀なの!」
「ふぅん。人間はやっぱり面白い生き物だね」
「面白いって……」
ラファエルの言葉に呆れながら里帆は手早く化粧を終えて、長い黒髪に
「じゃあ私、もう行くけど、ラファエルは家にいる?」
「まさか! 僕も一緒に行くよ!」
里帆の毎日の問いかけにラファエルもいつも通り返す。二人は揃って家を出ると、里帆の職場である神社を目指した。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい! 頑張ってね!」
神社の境内で毎日の挨拶を交わす。ラファエルは里帆に向かってガッツポーズをして今日の舞の激励をした。里帆はその激励に頷き返すと更衣室へと向かう。
更衣室では今日、一緒に舞を舞うことになっている後輩の巫女が緊張から震えていた。里帆は素早く自身の着付けを終えると、その後輩の元へと向かった。
「大丈夫?」
「三浦さぁん……」
里帆が声をかけると、後輩は今にも泣き出しそうな情けない声を上げた。その声を聞いた里帆は困ったように微笑む。
「身体が震えて……。止まらないんです……」
後輩の巫女はそう言って涙目で里帆を見つめる。里帆はそんな後輩の両肩に手を置くと、
「大丈夫。今まで練習してきた自分を信じて?」
「うぅ……。でも……」
自信なさげに言う後輩へ、里帆は続ける。
「私たちの務めは、新郎新婦の門出を見守ってくださった神様へ感謝することよ」
そして、今後の新郎新婦の生活がうまくいくよう、神に願うこと。
「だから、うまく舞おうとしないで。祈りを込めて舞ってみて」
「はい……。うん、なんだか、三浦さんのお陰で少し元気になりました!」
「そう? なら良かったわ」
「ありがとうございます!」
まだ少し硬い表情で、しかし笑顔でお礼を言う後輩に、里帆は笑顔を返す。
「こちらこそ、ありがとう」
「え?」
「私も、初心に返れた気がするから」
だから、と言って微笑む。
そうなのだ。
舞は感謝の体現だと里帆は考えていた。そこに実際にいるか分からない神の存在はどうでもよく、実りや今回の場合は婚儀を見届けてくれることに感謝をする。その感謝と共に祈るのだ。
二人の新たな門出が、幸多からんことを。
白無垢と綿帽子を身につけた新婦の横に、紋付き袴姿の新郎がしずしずと神楽の音色に合わせて神社の境内を抜け、本殿へと入ってくる。そうして始まった婚儀は滞りなく進み、いよいよ里帆たちの神楽奉納が始まった。
里帆は指先まで神経を研ぎ澄ませながら祈る。新郎新婦の新しい門出を。その未来が平穏で無事に過ぎていくことを。
そんな祈りを込めた里帆の舞は見る者を圧倒していく。
開け放たれた本殿の外から中の様子をうかがい見ていたラファエルは、その舞の美しさに息を飲む。
そもそもラファエルが里帆の前に姿を現したのは、この真摯な祈りと願いが届いたからだった。
こんなにもひたむきに他人の幸せを願える人間は、どういった人物なのだろう、と。
そして見た舞は今日と同じように美しく、
(これは天使として、救ってあげなくては!)
そうして里帆の前に現れたのだ。
ラファエルと出会ってからの里帆は変わっていく。肩の荷が下りたように身軽になり、
(何より、よく笑うようになったな)
ラファエルは里帆の、少し怒ったような表情や困ったような笑顔を思い浮かべては、ふっと笑顔になるのだった。
硬かった表情が少しずつ動き出している。
里帆は気付いているだろうか。
その動き出した表情が、ラファエル自身の感情を揺さぶっていることを。
あぁ、この子が愛しい。
(愛しい……?)
ふと湧き上がった感情に、ラファエルは一瞬驚く。
公平を司る天使の自分が、一人の人間を愛しいと思うとは考えも及ばなかった事実だった。
(これは、メタトロン辺りにまた叱られちゃうかな?)
ラファエルは苦笑いを浮かべると、里帆が舞う本殿の見える場所から、いつもの境内のベンチへと移動するのだった。
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