所謂ざまあな展開に思うこと。
さて、今回の題材はざまあです。
私はざまあがあまり好きではないです。
理由は良作に出会う確率が他のジャンルと比べ極端に低いからです。
なぜ確率が低くなってしまうのかそれについて考察していきます。
私がネット小説を読み始めたのは個人が経営するホームページで二次創作のSSが全盛期だったころです。
SSというより、個人が経営するホームページが衰退するのと前後してなろう、カクヨムが流行ってネット小説はさらに発展しました。
小説家になろうでは主人公最強系の話が絶頂期を迎え、その潮流はネット小説界を席巻し、ネット小説といえば主人公最強なんて時代は今は昔。
ざまあが流行り、今は何の波が来ているのやら。
ランキングを見るとざまあが相変わらず強いですが徐々にその数を減らしているような気もしています。
本題に戻りましょう。
ざまあはなぜあたりが少なく感じてしまうのか、そこは物語の構成にあるのではないかと私は考えます。
ざまあというのは展開の都合上必ずと言っていいほど主人公がけなされたり、誰かと比較されたりするところから始まります。
比較された結果無能もしくは不適合という烙印を押され追放されます。
黎明期の作品ではボロボロに搾り取られてポイっと捨てられ、最近は不必要になったから捨てられるという展開が多い様な気がします。(ここはあくまで私の主観です。)
この時、主人公はかわいそうで追放する人は権力を持った人という構図は鉄板であり、ある意味外せない要素かと思います。
そして、主人公が何らかの形で覚醒し、一方で主人公が抜けた追放した側の陣営は衰退していく、ここまでがお約束です。
追放する側の人間というのはとりあえず悪という印象を植え付けることが一般的ですがこの人間の設定を薄くすればするほど物語の質が落ちます。
理由は追放というのが物語の根幹にあるのにそれにかかわる人間が薄っぺらいと物語の根幹が揺らぎやすいからです。
多くの作品はまず個々の設定が甘いことがとても多い印象を受けます。
また、新たな主人公の仲間とのかかわり方も物語を薄っぺらくする要素として大きなポイントになりえると考えます。
強力な力を得たり、その力を認める仲間がいなければ主人公がどんなにすばらしいのかはわかりません。
ところがその塩梅を間違えれば主人公のイエスマンに成り下がったり、知能指数が低く見えてしまい物語が薄っぺらくなりかねません。
あともう一つ。
これは主人公が目立たない力で追放する陣営を支えていたパターンの話になります。
大抵の場合追放した側が急速に衰退するのですが、これって現実には起こりうる可能性は極めて低いと思いませんか?
500年続いた国家がたった一人いなくなっただけで崩壊しますか?
それの答えは否。
たった一人いなくなるだけでつぶれるような組織というのは主人公が追放されるとっくの昔に崩壊してます。
大国であったり大きな組織がこうもたやすく潰れるなんて都合が良すぎるんです。
代替手段なんていくらでもあるはずですから。
仮にそこまで残っていたとしても原因は主人公以外にもあることは間違いないです。
そこを端折ると歴史も伝統も薄っぺらく見えます。
以上が私が私の考えるざまあ小説の問題点です。
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