拡大解釈が許されるのはどこまで?

タイトル通りです。

今回取り上げるのは拡大解釈の許される範囲について私なりの見解を述べていきたいと思います。


拡大解釈と言っても、それは人それぞれの感性に基づくことではないかと思います。

例えばですが、’’鑑定’’というスキルと聞いて何を思いますか?

私がパッと思いついたのは触れたものの名前がわかるという鑑定です。

人によってはゲームの世界のように見たものの名前がわかったり、それの効果がわかったり多少の差異はあるとは思いますが、こんなものではないでしょうか?


仮に鑑定というものにレベルを付けるのであれば

Lv.1 触れたものの名前がわかる(効果がわかる)

Lv.2 見たものの名前がわかる(効果がわかる)

Lv.3 見た人の名前がわかる

Lv.4 見た人のステータスがわかる

Lv.MAX たとえ目をつむっていても森羅万象すべてのことがわかる


こんな感じになるでしょうか?

私はゲーム等もよく触りますのでLv.4のステータスがわかるぐらいは許容できます。(物語にステータスという人間を測る物差しを持ち出すのはあまり好きではありませんが、、)


では、’’鑑定’’というもので見た人のステータスがわかり、その人のスキルをコピーできるというのはどうでしょうか?

私的にはなしです。

理由は単純で’’鑑定’’と聞いた時にパッと出るイメージではないからです。

私の思い浮かべる’’鑑定’’との差異が大きくなれば大きくなるほど物語に違和感が産まれ、折角考え抜かれた物語もご都合主義というレッテルを貼られてしまいます。

考えに考え抜いて執筆した作品がご都合主義なんて批判されるのは誰だって面白くありませんし、読者だっていい作品だと思って読んでいたのに急にご都合主義が出てきて萎えてしまうこともあります。


物語の展開の都合でそのようにせざるを得ないこともあるかもしれません。

しかし、そのようなことは事前の説明や適切な単語選び、作品の推敲を重ねることで回避できることもあります。

先ほど挙げた’’鑑定’’もどきのスキルは初めから鑑定なんて名前を付けずにそれらしい名前を創作してあげれば物語の途中でご都合展開にはならずに済みます。

(相手のスキルを見ただけでコピーできるのがご都合主義と言われてしまえばそこまでですが。)



結局のところ筆者と読者の意識のすり合わせが大切です。

書いている最中は素晴らしい表現だと思っても、読者がそう思うかはまた別の話です。

時には冒険して普段耳にしないような単語を使ったり、新たな単語を創作したりすることも物語には求められますが、そんなときこそ筆者と読者の意識のすり合わせを今一度確認されてはいかがでしょうか。


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