20話「左の怒り」
ひび割れた声を合図に、獣達が襲い掛かって来た。こちらは合図等何もなくとも、二匹の狂犬が反応している。レイルが一人前に飛び出し、ロックがライフルの照準を定める。サクは、真っ直ぐ自分に向かって飛び掛かって来た“男二人”から距離を取るべく後ろに飛び退る。
翼を捥がれた大鷲が、代わりに“繋ぎ合わされた”脚部――まるで四つ足の化け物だ――をレイルに向かって振り下ろす。それをひらりと避けたレイルは、その衝撃で床を割った脚に剣を突き立てる。そのまま狂気の笑みを浮かべながら肩口まで切り裂くと、大鷲の口から甲高い悲鳴が上がった。そのまるで魔女の断末魔のような声は、“内側”だけでも人間と混ざり合ったモノ達の悲鳴に他ならない。
脚の一本が血に染まり、それでも大鷲は三本の脚でのたうち回るようにしてレイルへと反撃を行おうとする。合成獣セブンスハートは大型の魔獣だ。その部品となる元の生物達も、人以外は大型の魔獣である。
この大鷲も三メートルはある体躯で、その身体の大きさはそれだけでも室内戦では脅威となる。死に際の暴走は生物の常だが、それをこの天井が高いだけの空間で行われるのは問題だった。
獣の習性から主こそ巻き込まないように動いてはいるようだが、周りの部品達のことは二の次らしい。ジタバタと暴れ回る巨体から残りの部品達が距離を取った。一心不乱に追われているレイルは、ひらりひらりと、挑発するようにわざとギリギリの距離で引き付けていた。
サクはレイルのことを、獲物に対しては一直線に飛び込むような女だと思っていた。それはきっと、間違いではない。任務中だろうがプライベートだろうが彼女は短気な性格だろう。
しかし、裏の世界で何年も生き延びるには、ただ武器の扱いに長けているだけでは無理だ。狂気に染まった笑みの奥で、頭のどこか一部はきっと、冷静に相手の隙を窺っている。命を奪う手順を、ゾクリとする程冷静に、その機会を窺っているのだ。獣の目を、彼女はしている。
大鷲がその逞しい脚部で飛び掛かった。翼を無くした哀しき鳥の見事な跳躍を見、美しいエメラルドグリーンの瞳が閃く。いや、閃いたのは彼女が両手に持つ双剣だった。
飛び掛かる体躯に対して彼女も飛んだ。両手に構えた剣からバチバチと雷撃が迸り、切れ味を増したその剣ですれ違い様に数度切りつける。
脚部の付け根を残らず切り刻まれ、大鷲が遂に動きを止めた。元の生物のままの巨大な嘴から、悍ましい悲鳴を垂れ流したまま。切断面から零れる朱は、“首なしの身体”から流れるそれと同じくどろりとしていて歪だった。
傷一つない彼女が返り血を拭いながらこちらを見た。彼女の白い肌と燃えるような赤髪に、歪な朱は似合わない。
その目に視線だけで返事をして、サクは目の前まで迫った男の剣を槍で弾き返した。レイルに距離を取っていた胴体だけの獣が、その巨体を引き摺るようにして迫っていくのが見えた。
二人の男はまるで気配のない亡霊のようだった。生命と魔力の源である心臓を取られているのだから当たり前だが、だとしたらこの抜け殻は何で動いているのだろうか。答えどころか“虚無”しか映していない男の瞳から目を離し、上手く距離を取りながら戦況の確認を行う。
男二人は剣を手に追ってくるが、そもそもが魔力のための人材だったのだろう。そこまで強敵ということはない。獣の頭は頭らしく、戦況の全てを把握することを優先する。
雷のような音と共に獲物に接近したレイルの気配を感じながら、サクの目はロックを捉える。
彼は首のない大蛇の腹にライフル弾を叩き込み、すぐさま照準を隣の、首から直接四肢の生えた山羊に移すと、その首回りよりは幾分細い脚の付け根も撃ち抜いていた。レイルに目をやっていた間に豪快に響く発砲音は聞こえていた。なんの躊躇いもなく、そして安心すら感じさせるその発砲音に、サクはロックのことを心配することを止めていた。
彼は、天才だった。超遠距離狙撃のプロでもあるロックが、極めて近距離での銃撃を外すこと等有り得ない。素早く動く獣達の身体を撃ち抜くその視線は、普段の彼からは想像も出来ない程に冷たい光を宿している。命を奪うその行為が、一種の儀式のように錯覚させられる。金色の瞳が、こちらを向いた。
その瞬間、大蛇の腹から、歪な朱――ではないものが飛び出てきた。それは、首のない大蛇だった。口の代わりに開いたその隙間から、素早く脱皮を行ったその巨体が、表皮も整わないうちにロックの銃器に向かってぶち当たる。
ロックの目は冷たい光を宿したまま。彼は銃器を振り回すようにして大蛇に“銃身”だけを引き渡すと、その手に握られた――普段は銃身にそのまま組み込まれている――剣で同じく向かってきていた山羊の蹴りを、その刃でしっかりと受け止める。
体勢を立て直した大蛇が背後から迫るが、彼はそれを振り向きもせずに反応している。二体の巨体を相手に、彼は押されることもなく。
銃身から引き抜かれた長剣は極めてオーソドックスな見た目をしており、そこに何か特別な力が働いているようには見えない。彼の剣術の型だって、軍での教練と南部の型が混ざってこそいるが独自のものということでもない。
彼は天才なのだ。全ての能力が高い基準であるが故に、基本に忠実に動くだけで、彼の目の前には屍が転がる。彼の剣先が大蛇の巨体を捉えた。
脱皮直後の薄いピンク色の柔らかい肉に、長剣が無慈悲に突き立てられた。そのまま一刀両断すると、大蛇は今度こそ動かなくなった。振り向きながら山羊の頭に長剣を叩き込み、確実に息の根を止める。
「あーあ、本当は殺したくなかったんだけどなー」
確実に命を奪いながらそんなことを言っている。仕方がない。脚を狙うことで機動力を削いでしまう狂犬達の作戦は見事だ。特にこちらが指示するまでもなく“戦利品”のことまで考えて動けるのは、やはり彼等が凄腕であるが故。立案だけでなくそれを実行に移してしまえるのもだ。しかし、今回の相手は多少削いだぐらいでは抵抗を――止められない相手だった。
サクは獣達の無事を確認して、漸く目の前の男二人に集中した。視界の端でレイルが、胴体だけの肉食獣――あれはいったい何なんだろうか――の胸部に剣を突き立てたのが見えた。
男二人は声すら上げず、相変わらず虚無を映した瞳でこちらの隙を窺っている。魔力の気配が一切無い為、逆にその動きを読み辛い。
――心臓を取られた獣……
サクは、心臓を取られた肉体がどう動いているのかを考える。この邸宅の地下に繋がれていた時――その“身体”にこの頭が納まっていた頃の話だ――には、この男達の姿は見たことがなかった。七つの心臓があることから、この二人の心臓が抜き取られたことは知っていたが、その心臓の持ち主が人間であるということすら知らされていなかった。
脆弱なる人間の身体では主の求めるレベルには至らない。魔力のみを搾取するために取り除かれたその心臓は、本当の意味でポンプの役割のみしか果たせない。
二人の男の瞳には、虚無しか映っていない。しかし、それは哀しみすらも感じることの出来ない哀しい獣の姿なのだ。きっと、この二人に比べたら自分はまだマシだ。生きることへの希望が、この身体のおかげで見つけられた。この身体を生かす。そのために獣の頭は存在している。
男二人が剣を振るう。一人の手を槍で貫く。男は堪らず剣を取り落とす。痛みはあるのだろうが相変わらず表情も変わらず、悲鳴すら上げない。ロックが、大蛇の腹から脈動する血の塊を抜き出している。
残った一人が剣を突き出してくる。切るのではなく突くのは、サクとの間合いが異なるためだ。室内といっても得物を振り回すには充分なスペースがある空間だ。槍を持つサクへの有効打を放つため、男は剣を突き出し、そしてその横から素手となった男も拳を振るう。歪な朱に塗れた拳は、妙にどろりと光って見えた。
己の身体のダメージ等気にもしていないその動きに、サクは“諦めて”得物を振るった。流れるように剣を持った男の首を突き、声すら上げずに拳を振るう男の胸に引き抜いた血塗れの刃を続けて叩き込む。ざっくりと肉が裂ける音がして、歪な朱が混ざり合って――しかしそれは元からそうであったように混ざり合う。
大袈裟な音を引き連れて、その獣達は倒れた。磨き上げられた床は、もう朱に汚れていない部分の方が少ないように感じる。倒れた男の瞳は、虚無を映したままだ。
一つの生命体だった。倒れた“同胞”の身体を獣の頭は静かに見詰め、胸を突かれた方の男の身体の隣に屈みこむ。獣の鼻が敏感に血肉の匂いに反応する。小柄なメス犬が危険な笑みを浮かべながら、脈動する血の塊をその手に握っている。滴る血は、歪にぬるりと糸を引いた。
「許せ……」
獣の頭は一言そう言い、胸の傷へと手を伸ばす。ぐちりと滑った感触が、妙に生暖かい命の脈動に取って代わる。どくんどくんと、この身体は脈打っていた。本来ならば心臓があるはずのその場所に、脈動する血の塊が鎮座している。
その塊を一気に引き千切る。途端、男の身体がびくりと震えた。その震えは小刻みな痙攣に変わっていき、命の灯が消える瞬間が近付く。男の瞳には、虚無しか映らない。
「……これは、いったい何なんだ?」
自らの口から零れた言葉が、これ程までに低くなるとは、サク自身思ってもいないことだった。
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