21話「左の反抗」
「それは私の魔力そのものです。残った部品を動かすために仕込んだ、魔力によって動くポンプ。獣というものは信頼なりませんからね。文字通り命を握っておかなければならないものなのですよ」
「その考えには大いに共感するけどよ。そこにお前の魔力をぶち込む必要はないんじゃないか? こんな大掛かりな研究が出来るぐらいなんだ。それこそ機械で造られた模造品でも問題ないだろ?」
作品を自慢するような口ぶりのフリンに、ロックが目を細めながら言う。彼は血に汚れたその塊を床に叩き付けた。べちゃりと醜悪な音が響いて、赤黒いポンプが機能を停止する。フリンの表情に変化は見られない。涼しい顔でこちらを見ている。
「手足となる獣の枷を、私自身の魔力で繋ぐことに意味があるのです。それにより彼等は真に私に服従し、そして恐れる。恐怖に染まる狂暴なる瞳……貴方達ならわかるでしょう?」
ニタリと笑うその口は、もう石の魔獣そのもので。欲望と野心を燃やすその瞳が、ひび割れの中で浮かび上がるようだった。
「その考えはよくわかるぜ? これからあんたが私らに対してする表情だからな」
レイルも脈動する塊を足元に捨てると、それを一気に踏み潰した。軍用ブーツで強化された一撃は、ポンプの動きを止めるには充分で。ぶちゅっと破裂した醜い朱が、周りの床と彼女の足元を汚す。どろりとした粘液が、彼女のブーツに絡みつくようにかかった。
「お前は……どこまで俺達を愚弄するつもりだ?」
獣の頭は言葉を絞り出す。それは主への問いというよりは、人間に対する問いだった。
彼等の戦いに文句を言うつもりはない。同種族同士の戦いに生死の問題が関わることは、自然の摂理だからである。しかし、人間だけがその戦いに、他の生物を利用する。それは戦闘用の獣然り、装備然り、そして――合成獣然り。
サクの目の前でフリンが目を丸くする。まるでこの問いは、想定外。意図していなかったかのようだった。
「研究のために産まれた身が何を言っているのですか? 貴方は野生では存在し得ない生物なのですよ? 貴方の獅子の頭には、確かに元の生物がいましたが、それには貴方の意識はなかったのです。つまりセブンスハートとして貴方は産まれた。だったらこの世に命を与えたのは私だ。愚弄も何も、感謝して欲しい」
サクに突きつけられた言葉に、反応したのは二匹の狂犬だった。朱を撒き散らした塊を踏み越え、ロックとレイルがサクを守るように立つ。
「オッサン、悪いがリーダーにはサクっていう名前があるんだ。もうお前の家に居た頃の名前で、こいつを呼ばないでくれねえか?」
「本部から貰った大切な名前だ。それに……どうせ感謝するなら、こんな束縛岩野郎より、僕らにしといた方が気持ち良くなれるぜ?」
にやりと、本心からの笑みを向ける獣達に、サクは思わずそっと目を閉じた。この光景を本当に見なければならないのは“どちら”かと考える。
獣の頭が本部から貰ったのは、この男の身体だけだと思っていた。しかし違ったのだ。この身体と一緒になってから、この男は『サク』という名前を貰ったのだから。
特務部隊に配属される者には、暗がりに身を堕とす餞別として『名前』を贈られる。これまでの本名を捨て、暗躍する為のコードネームを得るのだ。それはフェンリルの狂犬達も変わらない。彼等の名乗っている名も、その名前に他ならない。
名付けが親から子への最初の贈り物であるように、本部から贈られるそれもまた、“意味を込めた”呼び名なのだ。その意味の説明を、サクは敢えて受けることはしなかった。獣の頭もそれに倣った。
その名前は『愚かなる影』の名前だった。古の神話――それこそ今手に持つ槍の本物が振るわれていた時代の人名だ。その『影』は強く、忠義に生き、そして人を愛せる人間だった。愛するが故に、愚か者。そんな男の名前を貰い、サクはその名の意味を心に刻んだ。
獣の頭は、たとえその裏に何か他の意味合いがあろうとも、この名に恥じない働きをすると誓った。愛することが出来る愚か者ということは、自分は人間として生きて良いという許しにすら思えていた。
「そうだ。俺はもう、鎖に繋がれたセブンスハートじゃない。特務部隊のサクだ」
「……そうですか。自ら作り出した傑作を叩き壊すのは胸が痛みますが、仕方ありません。狂犬諸共、ここで朽ち果てなさい!」
フリンがひび割れに埋もれ掛けた目を見開き、岩石の翼を力強く広げる。バキバキと岩が砕ける音を響かせながら、その翼により天井近くまで一気に飛翔する。重力を無視したようなその動きに、さすがのレイルも反応しきれなかったようだ。岩のような見た目――いや、おそらく組織も岩に近いはずだ――の翼で飛翔するなど、並大抵の筋力ではない。生命の理を犯したその身体は、力学すらも犯す力を得ていた。
岩の魔獣と化したフリンの口元が裂けるようにして開かれ、そこから金切声のような衝撃波が放たれた。高い位置にある窓が割れて、サク達に降り注ぐ。そこに外から砂嵐が吹き込み、一瞬の内に室内が外と変わらない状態になる。これではおそらく魔法の発動が出来ない。そして視界の制限も深刻だ。
「うざってーな! 大きい破片は僕が撃ち抜く。リーダー、僕の後ろに回れ!」
ロックが珍しく焦ったように声を上げ、ライフルの射撃体勢を取る。片膝を着いた射撃姿勢で、著しく悪い視界の中それでも怯むこともなく発砲する。その銃声に合わせて頭上では幾多もの光が輝き、この空間の上部を彩っていた飾りガラスが撃ち砕かれていることがわかった。
バラバラと容赦なく降り注ぐガラスに視線を向けていたレイルが舌打ち。
「敵さん、上から降りる気ねえみたいだな。ロック、援護を頼む!」
「オーケー、さっさとあの翼切り刻んじまえ!」
レイルがにやりと笑うと、その足に眩しい程の雷が迸り、そして一気に飛び上がった。帯電体質の彼女の体内で生み出された雷は、その刺激により彼女の運動機能を爆発的に増大させる。身体の組織に雷耐性を備えた異能者だからこそ可能なこの即席ドーピングは、刃物に這わせるだけでなくこういった奇襲にも大いに役立つ。
突然飛び上がってきたレイルにフリンは驚きを隠せない。唖然とした表情の彼の背中に飛び乗ると、レイルは双剣に雷を這わせ、そのままその翼に切り掛かった。だが、ガキンという硬い音が響く。
「帯電体質っ……その程度では私の翼は折れはしないっ!!」
「チッ、さすがに硬いな」
切れ味の増した斬撃は、しかしその岩石の翼を切断するには至らなかった。傷一つつかない翼にレイルはまたも舌打ち。振り払うために身体を反転させたフリンの背から、レイルはするりと飛び降りる。天井に至るまでにこれといった足場のない空間のため、彼女はそのまま床に落ちてくる。高所からの着地も危なげなく決め、彼女は苛立った表情で上空を見上げた。
「くっそ、これじゃ私のいる意味がないぜ」
「せっかくの砂嵐下での戦闘要員も、お相手が空を飛んでちゃな……僕が撃ち抜く。お前らは下がってろ」
「いや、俺がやる」
射撃姿勢を取ったままのロックの隣をサクはすり抜けると、主の――いや、今では頭の命を待つだけの獣の身体へと駆け寄る。飛散するガラスも直撃はしていないらしく、所々小さな切り傷は見えるが“運用”に問題はなさそうだ。
「……それ、動くのか?」
レイルが呆れたような声で問う。彼女の言いたいことはわかる。首の取れた獣の身体に、こちらは頭も首も繋がったままの人間だ。彼女の問いは『生きている』という意味ではなく、『この兵器はこちら側として運用が出来るのか』という意味だとサクも理解している。
「ああ。俺の魔力を繋げば、頭の魔力で身体は動く。心臓を各所に分けた、セブンスハート故の特性だ」
獣の身体の特性を告げる頭に、狂犬が問う。
「リーダー……辛くないのか?」
その言葉に思わずサクは振り返った。問い掛けというよりは呟きに近かったその言葉は、いったいどちらから発せられたのか。ロックはライフルのスコープから目を逸らさないまま、レイルは静かにこちらを見ている。
サクはその言葉を、二人からの情だと受け取ることにした。それが愛情なのか同情なのかはわからない。わからなくて良い。ただ、任務を遂行するために獲物に噛み付くだけの獣達にはない情を、確かに感じた気がしたのだ。だから、二人からの“声”だと受け取った。二匹の狂犬からではない、二人の同僚からの声だと。
獣の身体が気配を察知して、サクへ屈むようにその首元を寄せる。その動きに、どろりと粘性の朱が零れる。
「……問題ない。仲間を守るのはリーダーの務めだ」
サクはそう言って、手に持った槍をそのまま獣の剥き出しの首に突き立てた。露出した切断面の中心、脊椎の部分に突き込まれた槍は、ぬるりと溶け込むように同化していく。自身が持つ手の間際まで沈み込むのを確認し、サクは器用に獣の身体の背に飛び乗った。槍から手を放しても、その柄が沈み込むことはない。アンバランスなその姿に、歪な生命の末路が見えるようだった。
模造品の槍の柄には、地を這う竜の姿が刻まれている。まるでそれが小さな小さな頭のように主張する。その姿にサクは小さく笑い、そしてその身体に飛翔を告げる。
「飛ぶぞ! 愚かな主に、命を弄んだ罰を与える!!」
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