15話「右のいつか」
背後から響く爆音に背中を押されるようにして、サクとレイルは豪邸の中をひた走る。
時折慌てた様子で出てくる警備の人間を切り捨てて、二人の足は止まることがない。前方の警戒、奇襲を担当するレイルの小さな背が、この時ばかりはとても心強く感じた。普段の可憐な美しい笑顔も、妖艶なその悪い笑みも、今この時の――殺しの女神と化した彼女の表情に、勝るものではない。彼女は血に飢えた獣なのだ。
曲がり角からまた敵の兵士が二人出てきた。どちらも銃で武装している。兵士までの距離は近かったので、彼等がこちらに反応するよりも、レイルの双剣が閃く方が早かった。
レイルは敵の姿が曲がり角から現れたと同時に飛び込み、前転するようにして敵の照準からその身を外し、そのままの勢いで立ち上がりざまに一人の首元に剣を突き刺す。蹴り飛ばすようにしてその敵だった死体を引き抜くと、残ったもう一人も――あまりの早業に反応出来ないでいるようだ。無理もない。彼女の動きはプロの暗殺者だ。そこらの警備兵では住む世界が違う――胴を切りつけ絶命させる。
派手に返り血が飛ぶのも彼女は気にせず、寧ろ久しぶりの殺しを楽しんでいるようだった。濃厚な血の香りを嗅ぎ、そのエメラルドグリーンの美しい瞳が爛々と輝いている。
この瞳は、さっきも見た。
この豪邸の突入計画は、とても大雑把なものだった。それは本部から送られてきた書類然り、先程のバー――特務部隊南部支部でのロックが言った作戦も然りだ。
入口の豪華な門をロックのレーザーキャノンで吹き飛ばし、その爆発に紛れてサクとレイルが突入。ロックはそこからしばらく狙撃支援をしながら敵を引き付け、その後邸宅内にて二人と合流する手はずになっている。捜索域はまずは邸宅の地上部分。そしてその後は地下施設となるのだが、おそらく敵の警備は地上部分のみだろうという見解だった。
それは、警備の人間が外部の者であることから判断したことだった。地下施設に極秘裏に生成したバイオウェポンがいるとしたら、そこは子飼いの研究者達と、その研究成果達が守りを固めているはずだからだ。
なので地上部分で派手に暴れれば、その主力達も勝手に引き摺り出せるだろうと、ロックは簡単なことのように言ってのけた。まるで自分達の敗北等微塵も考えていない口ぶりだが、それこそが特務部隊フェンリルの自信ということだろうか。
その自信を裏付けるレイルの動きには溜め息しか出ない。
仮にもサクだって元陸戦隊の人間である。戦場で三年以上生き残るということは、それなりの腕がなければ成せることではない。初陣で無残に散った人間達を、サクは何人も見てきた。
『外の敵は大方片付いた。そろそろ僕も突入する』
耳元でロックの声が響く。ピアス型にカモフラージュされた無線機からの音声だ。フェンリルはいつも任務中はこのタイプの無線機をつけているらしく、サクの分も含めて南部支部にて支給されたのだった。赤い色合いのピアスは、つける人間を選ばないシンプルなデザインをしている。
ロックの声に潜む興奮にサクは気付かないふりをした。レイルと同じくロックも、久しぶりの流血の気配に喜んでいるようだ。突入した際、背後から聞こえた命を奪う弾丸の音を思い出し、周囲に飛び散る朱のカーテンの残り香に我を忘れそうになる。激しい頭痛の前兆を感じて、サクは己の額に手を当てた。
「……大丈夫か?」
血塗れの天使がこちらを心配そうに見やる。元からの赤髪が返り血により更に強く燃え上がったようだった。艶のある美しい髪に、べったりと悪意がこびりつく様は、サクの脳裏に彼女の二面性を強烈に焼き付ける。美しい、狂犬。
「……ああ。大丈夫だ」
頭痛は襲ってこなかった。まるでそれが当然かのように、すっと頭がクリアになる。煮え滾る憎悪が、感情をコントロールしている。
『僕の分、残ってるのか?』
サクの容態が見えないロックのみ、気楽な口調でそう言っている。彼は突入の際、数年前に流行った失恋ソングを歌いながらこの邸宅の門を吹き飛ばし、そして随分古いジャズのナンバーの鼻歌混じりに兵士の頭を撃ち抜いていた。砂嵐で決して視界は良好ではないはずだ。
大口径のライフル弾で吹き飛ばされた敵の頭の中身が飛び散る中、レイルの表情が歪むのを、サクは確かに見ていた。それは即ちロックの表情にリンクしているのだろう。間違いではないはずだ。
「さーな、気配はないけど。とにかくこれだけ騒いだんだ。そろそろ敵さんからの誘導なりなんなりがあるだろ」
『侵入者様はこちらのお部屋で待機して下さいってか』
確かにサクとレイルが突入して、もう五分は経っている。そろそろ敵のトップが何かしらの抵抗を見せる頃だろう。敵の対応の悪さからして、今出張っている警備の兵士達は使い捨てだろう。特に大事にされない命なのは、敵の慌てようから見て明らかだ。彼等に上から指示が飛んでいるようには見えない。
戦場にて上官からの指示がないことは、末端の兵士からしたら絶望的だ。それが本当に無能な上官ならばもう目も当てられないが、この邸宅の主は違う。この邸宅にはこれだけの血が流されながら、それでもまだ、邪悪なる香りが渦巻いているのだ。その地下から香る微かな悪意を、獣の鼻が嗅ぎ分ける。
物陰から飛び出してきた敵の残党を、サクは手に持った愛槍で返り討ちにする。その敵は剣を装備していたようで、そもそも得物のリーチが違うサクは、全く返り血すら浴びることがなかった。ここに来るまでの敵の大半をレイルが引き受けてくれたこともある。彼女曰く「せっかく来たんだから勿体ない」という理由だったが、それはもう聞かなかったことにした。
「……おそらく、あの奥の扉が怪しい」
サクが指差したのは廊下を曲がった先の大きな扉だった。兵士の守りが少しだけ強固だった気がする。レイルのせいであまりわからなかったが、それでもここに倒れている兵士の数が、ここまでの道のりの倍はある。
『目印つけといてくれ』
「死体を辿ればすぐ着くぜ」
『ひでえ道しるべだな』
軽口を叩き合う二人は放って、サクはその扉に近づく。一歩近づく度にまるで死に近づくような、そんな不安を煽る気配がある。ひやりと冷える空気は、殺気か。
その扉は美しい装飾のなされた邸内に相応しい豪華さを伴って、そこにあった。背丈よりも高い扉からは、何の物音も聞こえない。
「……開けない……いや、怖いのか?」
いつかも聞いたそのセリフを、彼女はもう一度口にした。その表情にはいつかのニヤニヤした笑みはなく、ただこちらを窺う瞳とぶつかった。考えの読めない美しい瞳が、サクを捉えて離さない。
「やっぱりあんたらは慣れてるのか?」
いつかの返事をそのまま返すと、レイルはふっと笑った。その瞳には優しい光が宿る。
「……私らは今までこんな危険な任務ばかりだったからな。あんたと違って、特務部隊は……使い捨て、だからよ」
彼女の表情は変わらない。変わらない“常識”として、彼女は定められた決まりを語る。それは軍に与えられた、彼女達が生きる条件であった。
「危険な猟奇殺人犯も、首輪を掛けちまえばただの人だ。歪な獣の感情は、“人の器”に入れちまえば良い。それが本当に容器である必要なんてないんだよ。ただそいつにとっての“必要な場所”っていう首輪を掛けて、人間という心を強く持たせるのさ」
「……獣に首輪、か……俺も、そうなのか?」
「……“あんた”は違うな。あんたはちゃんと“人の器”だよ。人間という心を持ってる。私らはどうにもそこが欠けちまってるらしい。姿形はしっかり人間なんだけどよ、世間様が言うにはどうにも、な。だから軍から貰った“名前”を大切にして、一応これでも違反せずに頑張ってるつもりだぜ?」
牢獄に繋がれた身でいったい何を言ってるんだと、サクは一瞬思ったが、彼女の目を見て口には出さなかった。笑うことが出来ない程に、彼女はしっかりとサクを見詰めている。そこには普段のおちゃらけた様子等どこにもなく、ただ、フェンリルとしてプロとして、命の奪い合いをする暗殺者の顔があった。
「リーダー……名前って、良いもんだな」
呟くように零れた彼女の言葉は、紛れもなく真実に感じた。本心から零れ落ちたその言葉を隠すように、彼女はサクに先を促す。
「……早く行かねえとロックに怒られるぜ? さあ」
促されるままに扉に手を掛けて、上手く力が入らないことに気付く。扉に掛けた手に目をやると、手の皮の一部がカサカサとまるでかぶれたようになっていた。レイルの瞳が一瞬サクを見やってから、彼女は横から強引に、扉を押し開けた。
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