16話「右の戦い」
扉を開けると案の定、肌に突き刺さるような強烈な殺気が、目の前の男から放たれた。男――南部の富豪らしい白を基調とした、ゆったりとしたラインの服装に身を包んでいる。服装で隠されているがそれ程スタイルは悪くない。精悍な顔立ちも合わさり、想像よりも若いように思う。三十歳前後、といったところか。南部の人間に多い茶髪に、褐色の肌。そしてその瞳は危険な深紅に燃えている。
「あんたが、この邸宅の主か?」
レイルがさも興味もなさそうな声で、サクの隣から男にそう問い掛けた。高い天井にレイルの声が吸い込まれていくような錯覚を覚える。唸るような金をふんだんに使ったと思われる内装は、どこまでも煌びやかで圧倒される。
サクは手に持った槍の感触をもう一度確かめる。先程見た手のかぶれは、もう既に目に見えなくなっていた。見えなくなっていただけで、ほんの微かな違和感は残ったままだ。手に力は入るのに、なんだが肌がカサカサするような気がする。隣のレイルに伝えても、きっと「女子かよ」と笑われて終わるだろう。
頭痛は、どういうわけかしなかった。
「いかにも。私がここの主であるフリンです。家名の方はいいでしょう? これから死にゆく貴方達には、必要のない情報ですから」
「これから死んじまうお前の名前なんて聞いても、私らもメリットがねえからな。さっさと死ねよ」
「待てレイル。彼には聞かなければならないことがある」
今にも飛び掛からん勢いのレイルを窘め、サクはフリンに向き直った。
「うちの狂犬が失礼した。お前はこの邸宅の地下に、何を隠している?」
「やはり気付かれていますか。さすがは特務部隊と言ったところか」
「質問に答えろ」
開きっぱなしだった扉から、ロックが入ってくる気配があった。本当ならば彼には遠距離からの狙撃支援を期待するために、他の場所で待機して欲しかったのだが、この邸宅の間取り上、この室内に入るしか手が無かったので諦めた。彼はひょうひょうとした足取りで、あくまで気楽そうにサクの隣に立つ。
「地下に……少しばかり繁殖場を作っておりまして」
男の顔が歪んでいく。サクはその顔に恐怖を覚えた。両隣に控える狂犬とは異なる、また違ったタイプの狂人の笑みだった。命をなんとも思っていない。違う意味で、なんとも思っていないのだ。
「最強の獣を作り出そうとしているのです。その邪魔はどうか、遠慮願いたいですね」
「邪魔も何も、もう本部はだいたい掴んでるぞ? お前に逃げ場はねえよ」
「この国の地下には使用されずにうち捨てられた水路の名残が残っています。そこから逃げれば国外への逃亡も容易い。もちろん、護衛と移動手段として“お気に入り”達を連れての旅路となりますが」
「もう実験は成功していて、命令を聞く知能を得たって訳か」
ロックがつまらなさそうに吐き捨てる。彼の手は大型銃器を抱えたままで、少しもその重みを感じさせない。同じ褐色の肌だというのに、垂れ流す危険な香りの違いは何なのだろうか。
「もう、獣が人となる時代も近い」
男の言葉に、サクよりも先に二匹の狂犬が反応した。犬歯を剥き出しにして笑うその二匹は、血に飢えた気配を隠すことなく、獲物との距離を測っていく。
「私は“人”には興味がないのですよ。貴方達の死体を使って、この国の知り合い達には、私は狂犬達に噛み殺されたと、そう伝えておきましょう」
「国同士の争いにしようってか? やることがあくどいねえ」
「私が死ねばその瞬間、この邸宅の全てのセキュリティーが作動し、邸宅諸共地下に沈むように設定してあります。私以外が最高傑作を拝めるのは癪なので。もちろん私がここを離れてもそれは作動します」
「さすがのセキュリティーだな。警備の人間達もそれぐらい大事にしてやれば良かったのに」
「彼等は金で雇われた無能共です。この計画の素晴らしさを理解することは出来ない」
ふんと鼻で笑った男に、ロックは溜め息をついて応えた。
「獣と人は別モンなんだよ。混合なんて、その瞬間だけの“まやかし”だ。綻びはすぐに訪れる。僕は……あまりそういうモンを、何度も見たくはなかったんだがな」
呟きに近いその言葉は、どうやら目の前の男には聞こえていないようだった。
「これだけの筋書きが出来ているのです。私が消えたところで問題はないでしょう?」
そう優雅に言い切った彼は、自慢げな口調にはおよそ相応しくない瞳の色を宿している。硬い岩が裂けるように、その口元が歪む。
「確かにあんたの筋書きなら、逃亡計画までしっかり出来上がっている。まさかこの豪邸自体が罠だったとはな」
挑発とも取れる台詞を受け止めながら、先程から彼と対峙していた銀髪の男が淡々と答える。冷静な表情は全く変わることがない。
その男の傍には、二人の男女が控えていた。男よりもやや前方で、すぐにでも彼に飛び掛かりそうな小柄な女。二人とは少し距離を置いて、大型銃器のトリガーに指をかけている茶髪の男。
「おいおい“リーダー”! まさか逃がしてやるつもりじゃないだろうな?」
燃えるような赤髪を手で弄っていた女が、銀髪の男――この任務でのリーダーであるサクだ――に茶化すように尋ねる。少しウェーブのかかったセミロングの髪から手を離し、腰からぶら下げていた双振りの剣を両手にだらしなく持つ。その剣先からはまだ乾いていない血がダラダラと流れていた。
左右別の種類だとわかるデザインの異なった双振りを軽く構えながら、彼女はリーダーの返答を待つ。その顔には余裕の笑みが浮かんでおり、リーダーを見るエメラルドグリーンの瞳には、試すような光があった。
「……」
そんな彼女の問い掛けを無視して、サクは少し考えるような仕草をするのみ。
「あいつの殺しが今回の任務だぜ。逃がせばタダ働きになる」
サクからの返答がないためか、苛立った様子で彼女は更に続けた。
「レイル、お前は本当に短気だな。僕ならちゃんと、リーダーの意思を伺ってから犯すなり殺すなりするぜ?」
「短気なのはお前も一緒だろロック」
レイルと呼ばれた女はそう言って、軽口を飛ばしたロックに呆れた様子を見せる。
「……うちの仲間がすまないな。少しばかり考えていた……あんたが逃げない理由を」
あくまで“仲間”達を無視してサクは言葉を続ける。その瞳の鋭さに仲間達も表情こそ崩しているが、各々の得物を構え直す。
一触即発のピンと張り詰めた空気が漂う中、不意に彼は笑いだした。
「君は……サクと言いましたっけ? “あの”フェンリルを率いるだけはありますね! 私が逃げない理由? 君達がここで死ぬからです!」
彼がそう叫ぶと同時に、部屋の中に咆哮が響いた。ビリビリと地鳴りに似たような唸り声と共に、大きな足音が近付いてくる。
邸内の中でも最深部に位置するこの部屋は、一段と豪奢な造りを誇っている。大掛かりなシャンデリアが揺れに合わせて悲鳴を上げる度、小さな火花が舞い散った。
ミシミシと不吉な音を上げながらヒビの入る天井を見上げ、ロックは舌打ちしながら大型銃器を発砲する。天井に向かって放たれた弾丸は、狙い違わず防災用に設置されていたスプリンクラーを破壊した。土埃が舞う室内に、弱い雨が降り注ぐ。
水飛沫によってすぐに視界を回復させると、三人は自分達が突入してきた通路に視線を走らせる。あくまで標的は彼であり、これから自分達の後ろから来る“モノ”は突破する対象でしかない。水飛沫は役目を果たすと同時に止んでいる。
やがてそれは姿を現した。
天井の高いこの室内――普通の建物なら二、三階分程ある――をも圧迫する大型生物兵器。様々な生物の身体のパーツを混ぜ合わせたような合成獣だ。山羊のような大型の胴体から強靭な四肢が伸び、その指先には肉食獣のような爪がぎらりと光る。尻尾では大蛇の首が怪しく揺れ動き、その顔面は獅子を模す。その大きく発達した口元から伸びる牙だけでも、人間一人ぐらいの大きさだ。
「でっけえ番犬だな」
「おまけに躾が出来てない」
呆れたように目を丸くするレイルに、ロックが吐き捨てるように答える。
魔獣の口から人間の片足が出ていた。三人には事前の調査情報から、この屋敷の警備人数はある程度頭に入っている。そのほとんどを殺して来た自分達の後から来たこの獣が、“自分で”仕留めた死肉を貪れるとは思えない。
「人間の肉って死体でも美味いのか、今度“リーダー”に聞かないとな」
レイルがふざけた調子で笑うと、サクもお手上げのような仕草をして答える。
「今は俺がリーダーなんでな。俺にはカニバリズムの趣味はないから、その質問には答えられない。だが、さすがに丸呑みはないんじゃないか?」
今回の任務が“初めて”のリーダーの言葉に笑い合いながら、三人はすぐさま戦闘のために陣形を敷く。確かに感じる戦場の絆は、血生臭い汚れた絆だ。
三人は獣と対峙する。相手も三人の流す殺気に刺激されてか、大きく威嚇の体勢をとっている。
「あんた、あんな獣をけしかけただけじゃ、私らは止まんねぇよ?」
レイルが背後の男に向かって挑発するように言った。獣にいつでも飛び掛かれる体勢を維持したまま油断なく、しかし血に狂った笑みを浮かべるレイルは、まさにフェンリル――神すらも噛み殺す狂犬の名に相応しい。
「とにかくやってみなさいな。さぁ!」
レイルの言葉に男はそう言って鼻で笑うと、すっと片手を振り上げた。それを合図によく調教された猛獣が、一気に三人に向かって襲い掛かる。地鳴りと共に巨体を活かして倒れこもうとするのを、レイルとロックは左右に分かれるようにして飛び退いて避ける。
獣はただ一人残った目標――サクに向かって倒れ、こめない。
激突の一瞬前に構えられた槍によって、獣の破壊力は相殺されていた。獣の自慢の大きな牙が、サクの持つ愛槍によって難なく受け止められている。漆黒の闇を体現したようなその黒き槍には、まるで大地の脈動のような模様が走っていた。そしてその槍からもまた、夥しい量の血が流れている。
新たな血の臭いに興奮したのか、獣は体の大きさを活かして更にラッシュをかけようとする。しかし、三倍以上の差があるにも関わらず、やはりこの均衡が崩れることはなかった。
サクが受け止めた隙に、レイルが右方向から双剣による流れるような連撃を叩き込む。獣の肩口がざっくりと深く刻まれる。ラッシュのために前のめりになっていた体勢が崩され、一瞬の隙が大きな隙を更に生み出す。
「ロック! トドメを!」
「了解リーダー!」
飛び退りながら大型銃器――自身の前方に向かって広がる、大型ライフルとシールドをミックスしたような形状だ――を展開したロックが、弾倉にバチバチと激しく光る弾を込める。そして着地と同時にすぐさま片膝をついた狙撃姿勢をとり、爆音と共に弾丸を発砲した。
キィーンという独特の風切り音を発しながら、激しく瞬く弾丸が獣に命中する。途端に目を焼くような雷に似た稲光が部屋中に走る。
しかし眩しい光の中でも、三人は敵から目を逸らすことはしない。光の中で獣がブクブクと泡状になり消えていくのがわかる。だが三人にとって重要なことは、獣の最期などではない。
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