13話「右と食事」
船は昼に、目的地である砂漠の街「デザキア」へと到着した。本部からの工作で問題なく港に入り込んだサク達は、船はそのまま捨て置いて、目的地である邸宅を目指して歩き出す。
南部特有の白を基調とした丸みのあるデザインの建物が並ぶ光景は幻想的ですらあったが、それも吹き荒ぶ砂嵐によって文字通り掻き消されるようだった。
砂漠の国全域で言えることだが、大陸南部を吹き荒ぶ砂嵐は、街の中でも健在である。唯一首都であるデザートローズではその砂嵐の排除に成功しているらしいが、現物を見たことがないサクからすれば、それは難しい問題ではないのかと問い質したくなるレベルだった。
大陸が近付くにつれて船上にもその砂嵐が届いた瞬間、サクは思わず呻き、そしてレイルの眉間には皺が寄った。デザキアは砂漠の国の玄関口というだけあり、大陸の端に面している。そのため、どうやらこれでもかなり砂嵐の勢いは弱いらしい。南部以外でこんな砂嵐が発生したら、おそらく外出規制が掛かるレベルだろうが、この街の人々は特に問題なく活動しているようだった。
顔に掛かる砂が鬱陶しいことこの上ない。勢い自体はないし、粒が細かいので痛いといったこともないのだが、とにかく鬱陶しいのだ。そしてこの粒達にはどういう訳か、魔力をシャットアウトする力――さすがに室内ではその効果はないようだが――が込められているという。原因不明のこの砂嵐は、もう何千年も前から吹き荒んでいるらしい。この地にはそれに伴う伝承もいくつか存在するようだが、サクはあまりそういったことには興味がなかった。ただ、自身の持つ愛槍が、その伝承から取った名前がついたものの模造品だということは知っている。
「くっそ、話すのも億劫になる砂嵐だな。さっさと邸宅、襲っちまおうぜ」
苛立ちからか物騒なことを口走っているレイルを静かにさせながら、サクはロックに目配せする。ここはもう本部の管轄ではない。南部の国である。どんな妨害が入るかわからないため、むやみに目立つ行動は避けるべきだ。
彼は金色の瞳を細めて力強く頷いた。さすがは天才だ。まだ即席と言えるこのチームだが、頭の良い彼は何も言わずともこちらの意図を理解してくれて――
「おうよリーダー。飯だろ? まだやってるかは賭けだが、この先に良い店があるぜ」
「もう辛いのは勘弁だぜ。戦の前くらいはしっかり食わせてくれよ色男」
間違った阿吽の呼吸を見せつけられたサクだった。
若干ふざけた勘の良さを発揮したロックだったが、彼はやはりあらゆる分野で天才だった。彼の記憶を頼りに訪れた定食屋は、それはそれはサクとレイルの要望に応えた最高と呼べるものだったのだ。
「ちょっと辛いだけで美味い。これこれ。こういうのを私は食いたかったんだよ。この甘いジュース最高だな」
「あまり辛くないのにしっかりスパイスは効いているんだな。こんな料理は初めてだ」
「そうだろ? 昨日のカレー、不評だったからさ。あんまりこいつ、腹ペコにするのもマズいし」
そう言いながらロックは、隣で見た目だけは赤い麺料理にかぶりついているレイルを小突いた。彼女の頼んだ料理は赤みはそのままに、国外の人間向けの辛さ控えめの味付けがされているものだ。
サクも同じものを頼んだので、美味しくいただけている。ロックの頼んだものは同じ料理だが、テーブルに置いてあった香辛料をこれでもかと上から振りかけていた。彼の味覚は本当に問題ないのか問いたい。
大通り沿いにある定食屋はそれなりに繁盛しているようで、昼の時間ということもあり客足が途絶える様子はなかった。店の外には順番待ちの人影すら見える。周りが見渡せる席を選んで座ったフェンリルの二人には、やはり暗殺者特有の思考を感じさせた。
小綺麗な店内は外観と同じく白を基調とした造りをしており、サク達が座ったテーブルや椅子も、同じようにデザインが統一されていた。
「この街には何度か来たことがあるのか?」
気になってサクがロックに問い掛けると、彼はなかなかに嬉しそうな表情をしながらその麺を啜って頷いた。
「ああ。任務で何度かな。最後に来たのが何年も前だったから心配だったけど、まだあって安心した。変わらない故郷の味って良いよな」
にやりと笑う彼に曖昧な返事しか出来ないサクに、食べ終わったレイルが口を挟んだ。
「なあ、決行は夜なんだろ? それまでどこか屋内で時間、潰さねえか? こう砂嵐が吹いてちゃ動きにくいったらありゃしねえ」
「あー、そこんとこの作戦なんだけどよ。リーダーに僕から提案が」
「どうした? 言ってみろ」
途端に暗殺者の顔をしたロックに、サクも最後の一口を流し込んで続きを促す。彼も既に食べ終わったようだった。器に残った赤色の山が気になる。
「どうせ昼間はやることがないんだろ? この砂嵐だ。外を出歩くのは気が進まない。それに宿も取ってる状況じゃない。なら……」
「なら……?」
ロックの隣でレイルの口元がニヤつくのが見えたが、それには気付かないふりをしてサクは続きを更に促した。
「昼間もやってるバーを知ってる。一杯ひっかけてから行かねえか?」
ロックという男は基本的に、この手の店には詳しい人間なのだろう。あまり『遊び』というものには興味のなかったサクでも、彼が男にも女にも『慣れている』ということはわかった。
「ふー、ここもまだやってて良かったよ」
そう言いながら彼は店の扉を開ける。そこは街の大通りから少し入ったところにあるバーだった。おそらく店の存在を知っている者でなければ辿り着けない、そんな隠れ家的な場所だ。
外観こそ周りと同じく白の丸みを帯びたシルエットをしたそのバーは、どういうわけか地下へと下る珍しい造りをしていた。
扉を開けて意味深な空間に隠されたもう一つの扉を、ロックが鼻歌混じりに開けた時には、思わず驚きの声を上げてしまった程だ。レイルも初めて見たからか目を丸くしていた。
石造りの階段を三人で下る。丁度一階分くらい下ったところで、先頭のロックが扉に手を掛けるのが見えた。扉ばかりが続くのは、防音以外の目的はないと信じたい。
カランカランと軽やかな音が鳴る中、ロックに続いてレイルとサクも店内に入る。店内は昼間だというのに薄暗く、タバコと酒の匂いをほのかなハーブのような香りが打ち消していた。
店内は見掛けは木造の、正しくバーと呼べる造りだった。石造りの階段から続いて現れた空間とは思えない、柔らかい木材の色調に目がいく。さすがにこの時間には客はなかなか来ないらしく、他に客の姿はなかった。
バーカウンターから若い男のバーテンダーが軽く会釈する。顔見知り、だろうか? 常連と呼べるまで通える程、フェンリルに所属する彼が暇とは思えない。だがまるで、この空気は初対面の空気ではない。
「さすがにお仕事の前に泥酔はマズいからよ。軽く一杯だけにしとこうぜ」
軽い口調でそう言いながら、ロックは手慣れた様子でバーテンダーに自分の注文を通した。酒に詳しくないサクでも知っている、度数の高い酒の名前に、サクだけでなくレイルも溜め息をついている。
「お前、いくら酔わないからって飛ばし過ぎだろ。照準ブレても知らねえぞ」
「大丈夫大丈夫。牢獄では禁酒してたから、さすがにそろそろ我慢の限界だ。ついでに、こっちも」
そう言って笑いながら、ロックは懐からタバコを取り出して、さっそく火をつける。カウンターは避けてテーブル席に座った彼の姿は、完全にこの空間に溶け込んでいる。
「あーうめえ。お前らは何飲むんだ?」
胸いっぱいに煙を吸い込みながら、ロックが白い歯を見せて笑った。そのあまりの良い笑顔に、サクは思わず吹き出してしまう。禁酒に喫煙が相当堪えたのだろう。彼の笑顔にしては爽やか過ぎる。
「私はあんたに任せる。甘いのが良い」
「了解。リーダーも、僕のオススメで良い?」
「ああ。だが、あまり――」
頭痛がするから強いのはよしてくれと言い掛けて、その言葉も聞かずに注文をするロックの後ろ姿に、サクはもう一度力なく笑った。
注文のために席を立ったロックは、ついでにと言わんばかりにバーテンダーと話し込み始めた。サクは彼と話すバーテンダーに目を向ける。
若い金髪の男だった。髪質が牢獄で見たクリスに似ている気がする。そう思って見ていると、どことなく顔立ちまで似て見えてくるから不思議だ。
二人の話し声は小さく、サクとレイルが座る席には、店内に響く音楽のせいもあるのか聞こえない。カウンターに項垂れるように身体を預けるロックの姿は、完全にマナーの悪い客そのものだ。
「ロックは、酒には強いのか?」
席に座って欠伸をしていたレイルに、サクはなんとなしに聞いた。聞いてから無意味な質問だったなと自分でも思った。先程のやり取りから答えは見えている。
「あー、あいつ多分、アルコールってもんを感じないんだぜ。そうとしか思えない。顔色が変わったところも見たことがねえよ」
「……そんなに、なのか?」
「私らは仕事柄、飲めるに越したことはないんだけどよ。それでもあいつは異常だよ。普通の人間なら泥酔してるような量飲んだ後でも、普通に狙撃を成功させるんだからな」
「……プロ、なんだろうな」
「良く言えばな」
レイルとそんなことを話していると、話を終えたロックが戻って来た。その手には注文した酒が握られている。サクのグラスには乳白色の柔らかさすら感じる液体が、レイルのグラスには淡いピンク色の液体が揺れている。
輝きを放つグラスを片手に、ロックは「この出会いに」と言ってにっと笑った。
それにサクも応えながら、そのグラスに注がれた液体を口に含み、あまりの度数のきつさに意識をすぐに失った。
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