12話「右の夜」
結局銃器のセッティングのためにロックが寝ずの番を申し出てくれて、サクはレイルと夜を共にすることになった。
もちろんこの場合の夜とは性的な意味ではない。あくまで同じ部屋で一緒に眠るということだけだ。波に揺れる船室は、横になってもその揺れが伝わってくる。不愉快な揺れに、頭ごと揺れてしまいそうな錯覚を覚える。
「選んでくれて、ありがと」
潤んだ瞳でそんなことを言っているレイルを無視していると、彼女も悪ノリはそこで止めたようだった。今は二人、船室のベッドで横になっている。二つのベッドに分かれて寝そべり、部屋の中は薄暗い。せっかく部屋を男性陣と女性とで分けたのに、これでは意味がない。
「あんまり怒るなよ。悪かったって。でも感謝してるのは本当だぜ? 今夜は冷える。女の子は身体を冷やしちゃいけねえんだ」
「それもそうだな。寒くはないか?」
船室に備え付けてあった薄手の毛布を渡してはいるが、少しばかり不安な薄さだった。サクは寒さは感じないが、彼女の身体は女性の身体だ。無駄な肉のついていない細身の彼女では、寒さを凌ぐ術がないように思える。
「大丈夫だよ。ありがとう。私らフェンリルは熱さにも寒さにもある程度は耐える。もちろん文句は言うがな」
「弱点は辛さだけ、か」
「うるせえよ。文句は言うんだよ文句は」
ぷいっと寝返りを打ってしまった彼女にサクが笑うと、彼女も少し照れくさそうに、こちらにもう一度顔を向けてきた。ごそりと動く布の音が、やけに空間に響く。暗闇の中でも、その美しいエメラルドグリーンの瞳は輝いて見える。
「……眠れないのか?」
ふと、真面目な調子でレイルが聞いてきた。心配そうに揺れる瞳に捕まれば、生半可な言い訳では逃がしてもらえそうもなくなる。
「……笑うなよ?」
「……約束は出来ないけど」
そう言いながら彼女は頷く。彼女らしいその反応に、サクも素直に教えることにした。
「俺は……夜が怖いんだ。いや、違うな……夜が、怖くなった」
「……いつから?」
「陸戦隊での戦闘で怪我を負ってからだ。その当時の記憶だけはごっそり抜け落ちているんだが、どうやら医者が言うには怪我のショックで記憶が飛んでしまったんだろうと」
「それが……悪夢にでも出るのか?」
「ああ。眠ろうとすると、大きな蛇が身体に巻き付いてくる夢を見る。それからはロクに寝れないせいで、作戦中以外ではぼんやりすることが増えた。おまけにあの頭痛ときたものだ。今回の作戦も、もしかしたら上から見限られたんじゃないかって不安だったよ」
サクの言葉に、レイルは笑うことはしなかった。ただ憂いを帯びたその瞳が、サクを労わるように見詰めている。あの頭痛は、この部屋に二人になった途端にまた襲ってきていた。横になったら少し落ち着いたので、そのまま眠る流れになったのだ。
「確かに私らの上は傲慢で腐ってる。でもよ、あんたは大丈夫だ」
サクやレイルの言う“上”とは、軍の中枢である通称『本部』と呼ばれる機関だ。サクが以前席を置いていた陸戦隊も特務部隊も、この本部の管轄である。大陸全土を手中に収めるこの本部という存在は、各地方の軍隊を纏める文字通り上層部である。
作戦指揮や命令を下すこの機関の決定とは即ち、この大陸での神の意見に等しく、そこに反発する者達の末路をサクは何度も見てきたし、レイルに至っては手に掛けてきた立場であろう。歪なパワーバランスで各地方が纏まっているのも、この本部の影響が大きい。より強い抑止力で、各地方の暴走を抑えているのだ。
だからこそ、今回のように個人が強大な力を秘密裏に得ることを、この大陸の神は見過ごさないし、その粛清のために狂犬達が派遣された。そしてこの任務は、サクにとってきっと……きっと、大きな意味を持つと思えた。それはまるで天命のような、予感めいたものだった。
しかしそのサクの予感を、狂犬の一人は否定する。サクよりもよっぽど鼻の利く彼女は、獣の嗅覚で物事を推し量る。
「あんたは私らとは違う。獣の頭だ。使い捨てじゃねえよ」
物騒な言葉で安心させようとしてくる彼女。だが、きっとその言葉には本心しかないのだろう。それ程までに彼女は優しい瞳をしてサクを見ていた。
「……レイルも違うだろ」
「……私らは……」
そこでレイルは言葉を区切り、こちらに背を向けてしまった。
「……私らは、ただの狂犬だよ」
船室にサクとレイルを残し、ロックは一人甲板に出ていた。夜の海は漆黒の闇一色で、小型船から零れる微かな光源以外の光は見えない。闇夜に紛れて砂漠の国の玄関口に近づくこの船は、もちろん相手側には無許可である。
そのため姿を隠すために、外に漏れる光は最小限にして身を隠しているのだ。暗闇の中でも狂犬達の視界は良好だ。闇に溶け込むフェンリルは、全員夜目がきく。
海上故の強い風により、羽織っている漆黒のジャケットがバタバタと揺れる。だがそんなこと等無視して、ロックは黙々と愛銃のセッティングに勤しんでいた。足元には、自宅から持ち出した大量の銃弾が転がっている。
牢獄から出たその足で自宅へと戻ったロックは、まず自前の銃弾のチェックを行った。部屋を管理する自分が長期間投獄されたために、湿気ていたなんて笑い話にもならない。全てのコンディションを確認し、問題なさそうなものをひっつかんで持って来たのだ。
魔力を込めた特製弾は強力な反面その性質上、作成に大量の魔力を消費する。そのため一発も無駄にすることは出来ない。家に置いてきた“微妙”な弾達も、この任務が終わってからゆっくり確認するつもりだ。
特製弾だけでなく、ロックはライフル弾も自分で調達している。特務部隊から支給されるものや、クリスに発注してもらうもの、任務中に“拝借”してくるもの等、その全てをロックは自身で確認していた。
レイルには「お前、そういうところは細かいよな」と笑われるが、普段は大雑把な彼女だって、剣の研ぎ方に関しては難癖をつけるのだから同じだろう。命を預ける商売道具を、疎かにする人間は早死にする。
「いつかきっと、巡り合えるから~」
銃器を扱っている時に上機嫌なのは、ロックの趣味が機械いじりや火薬関係であるためだ。砂漠の国――今回の目的地ではない別の街だが――で育ったロックは、ある程度裕福な家庭の出で、その趣味の勉強をたくさんさせてもらった。まさか両親もその頃の教育が、こんな形で役に立っているとは思いもしなかっただろう。もう死んでいるので、これからも知ることはない。寧ろ知らないうちに殺しておいて正解というものだ。
鼻歌混じりに、長期間放置されていたライフル部分を分解していく。ロックが投獄される前に流行った別れの歌なので、きっともう世間では忘れ去られているのだろうが、このライフルとの再会にはピッタリだと思う。点検が済み、再度組み上げる。「どんな形でも、見守っていたかったなんて、ワガママを通させて~」と歌いながらスコープを覘く。うん、バッチリ。最愛の、モノだ。
次はシールド部分の展開を確認しながら、ロックは船室に残った仲間のことに想いを馳せた。手は忙しなく動かしたままだ。
久しぶりに見た彼女は、相変わらず美しかった。少し伸びた赤髪はその輝きを失うこともなく、小柄な身体は繊細で、そして魅惑的だ。自身の好みであれば相手の年齢も性別も関係ないと考えているロックにとって、フェンリルという集団は実に居心地の良い場所だった。
幼い頃から天才と持て囃されていたロックは、相手が同性だろうが異性だろうが、学生だろうが教員だろうが軍人だろうが、口説くことに苦労したことはない。父親譲りの褐色の肌に、その類稀なるルックスの良さが自身の最大の武器であることも自覚している。さすがに世界は広く、北部生まれのクリスのイケメンっぷりには度肝を抜いたが、彼のあの危うげな精神は、その見た目以上に魅力的にロックには見えたので問題なしだ。恋敵にならないのならば、色欲の相手は何人いても困らない。
中央部出身のレイルのことは、初めて見た時は「なんて獰猛な女神なんだ」と笑ってしまった。透き通るような白い肌を返り血でどす黒く汚した彼女に対して、ロックは開口一番に「犯してえ」と口走っていた。普段だったらそんな本心、絶対に口にはしない――だって、さすがに開口一番それはマズいだろ――のに、彼女を、いや、フェンリルの前でだけは本心からの言葉を話すことが出来た。
それからは共同で任務に就くたびに、フェンリルのメンバーとの絆を深めていった。時に恋人のように甘い夜を過ごし、時に残虐な行為すらも愛欲へと堕とし込んで。戦闘能力の高いフェンリルの構成員は、単独での任務も多い。四人揃っての任務の方が、全体数としては少ないかもしれない。
深まった絆は任務を越えて、お互いの部屋を行き来する関係にまで発展した。こんな関係はロックにとって初めてだった。特に約束のない自由な形での、愛情表現だった。そこに愛情はあるが、呼び名はない。彼等は交際等はしていないのだ。そんな気楽なところも、ロックは好きだった。
彼女は今、獣の頭に抱かれているのだろうか。そう考えるだけで口元が歪むことを抑えられない。クリスすらも触れていないその唇を、獣の舌が這い回るのを夢想する。蛇の舌先が艶めかしく蠢く。
「あー、やべ」
自身の昂りを自覚しロックは、スラックスのポケットから小さなボトルを取り出した。手のひらに隠れる程小さいそのボトルには、深い蒼の輝きが収められている。見る物を魅了する、魔力の輝きだ。どぷりとその輝きが揺れる度に、さざ波が聞こえてくるかのようだった。
愛しい彼からの贈り物を握り締めて、ロックはそっと目を閉じる。点検を終えた銃器もそのままに、そっと波に揺れる甲板に寝転んで、静かにその身を預ける。不規則に揺れる視界の先で、暗闇は何の変化も見せないでいた。
「獣の頭は、獣だろうが……」
そう呟いて苦笑した。これまで自分達が言われたその言葉達を、こうして自分自身が使うことになるとは思わなかった。
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