9話「右と船」


「おい、いつまで寝てんだよ?」

 強引に揺さ振られてサクが目を覚ますと、そこは船室のベッドの上だった。確か一番広い船室は作戦立案のための会議室と定めて、他にベッドのついている船室が二部屋あったので、そこを仮眠室としていたはずだ。

 ということは、ここはその二つのうちのどちらか。起き上がって視線を走らせるに、大量の銃弾が転がっているのでどうやら男性陣用に設定した船室の方だろう。そして目の前には、男性陣の部屋だというのにレイルの姿がある。

 この船室には二つのベッドが両壁に備え付けられており、その内の片方をサクが占領しているため、彼女はもう片方のベッドに座った。ブーツは履いたままなので、行儀は良くない。

「……俺は、いつの間に寝ていた?」

 事の経緯を思い出そうとすると頭痛がした。うっと呻きながら瞳を閉じると、記憶がまるで引き出しを開けていくように少しずつ整理されて脳裏を駆け巡っていく。

「……」

 牢獄でレイルを連れて出た際に、無性にロックの手を借りたくなって彼も連れ出し、そして……

 ロックとレイルの部屋の汚さに呆れ――二人は交際しているとかそういう関係ではないようだが、本部に程近いマンションで隣同士のその部屋には、お互いのものと見える私物が所々で置きっぱなしになっていた――、戦闘準備の手早さに唖然とし、身支度を済ませた美男美女の完璧さに息を呑み、最先端の船の設定に少し苦戦した隔離されていた二人の態度に笑ったのだった。

 そして――船室での行為が……

「っ!」

 そこまで思い出したところで、目の前の美女の顔が悪く歪んだ。ぎらつく笑みを隠そうともしないところが、フェンリルの一員らしい。

「思い出したか? 獣のあんたは、私は好きだぜ?」

 ニヤニヤした笑いはそのままに立ち上がり、キスを仕掛けてくるレイルをやんわり避けながら、サクは頭に浮かんだ疑問を口にした。

「俺は、どれだけ寝ていたんだ?」

 欲望の行為を拒否されたのが腹立たしいのか、レイルの眉間に皺が寄る。サクよりよっぽど背の低い彼女だが、その身から流れ出る威圧感は獰猛な獣のそれだ。鋭くなった瞳からは、言葉以上の殺意が零れる。

「……何があったか覚えてんだろ?」

 彼女は鋭い視線はそのままに、そうサクに問い掛けてきた。その油断のない瞳は、見慣れない光を宿す。これは――疑惑、か?

「……ああ。覚えては、いる」

 その瞳に気圧されるように答えると、彼女の瞳の色合いが変わった。突然ぐいっとその腕を上に伸ばして伸びをすると、さっさと外への扉に向かって歩き出す。カチンと金属の当たる音は、軍用ブーツから響いたものだ。シルバーの装飾用のチェーンが揺れている。

「そういうのはぼんやりしてるってだけで、寝てるとは言わねえんだよ」

 そう言って軽く笑い、彼女は片手を振って船室を出て行った。相方はどこに行ったのか聞きそびれたサクは、小さく溜め息をついて頭を押さえる。

 頭をかき乱すような頭痛は止んでいた。

「いったい、何なんだ……」

 サクは最近、今のような頭痛に頻繁に悩まされていた。突然やってくる正体不明の発作のような痛みは、まるで脳内を弄るような不快感を伴って襲ってくる。

 陸戦隊の医療班に相談したところ、どうやら数か月前の戦闘でのダメージが残っているのではないか、ということだった。

 数か月前――大陸東部のアモノの丘にて、大規模な戦闘があった。敵の魔法師団の抵抗が激しく、結局は数の力でごり押しするというなんとも頭の痛い勝利を収めた陸戦隊は、かなりの数の死傷者を出した。

 それは前線にて指揮を行っていたサクも例外ではなく、敵の放った攻撃が左のこめかみに炸裂し、医療班に運ばれることとなったのだった。その時の傷だろう。目が覚めた時にはベッドの上だったため、あまり詳しいことも聞けず仕舞いで、そのまま戦線への復帰を告げられ、そして特務部隊への配属となったのだった。

 怪我の経過は、医師からの説明では日常生活や戦闘にも支障がないらしいので、サクから敢えて後から聞き出すこともなかった。戦闘が出来るのならば、この軍の中で居場所を奪われることもない。もとより長生きの出来る人間の方が珍しい職業だ。他に生き方を知らないサクには、この軍での生活が心地よかった。

 こんな自分のことを幼少期からの知り合い達は皆、「あまり人間らしくない」だとか、「成績優秀な奴は考え方が違う」だとか、「人に興味がないんだろう」だとか言ってくるが、そもそも学校での人間関係に必要性を感じなかっただけで、ちゃんと軍の内部では円滑な関係を築けていたので、「人に興味がない」ということとは違うと思った。

 なにより、軍の中ではサクは異端ではなかった。学生時代ではあり得ないレベルの異端者が、そこにはゴロゴロいたのだから。狭い人間関係の中で築かれた『普通』や『異端』といった肩書は、世界が広がると定義も変わるのだ。それまで異端と言われていたサクは、軍の中では正常だった。

 学内での人間関係に意味を見出せなかったサクも、軍では違った。上官との関係はもちろん、同期や同じ隊の人間達との交流は楽しかった。なかには同性愛者もいたし、特に偏見もなかったサクは何人かと交際したこともある。戦闘や訓練に忙しい軍人という職業なので、長続きするようなことはなかったが。 

 おそらくそういったサクの性趣向も、友人達から歓迎されなかった原因だったのかもしれないと、最近になって気付いた。おそらく彼等の言う『普通』では異性としか交際はしないし、そういったことを特に抵抗なく肯定はしないのだろう。

 だが、それは狭い世界での普通だった。

 軍の中でも更に異端な存在。それが、特務部隊フェンリルだった。

 配属が決まって、更にこの任務が決定されたその日に、サクの手元には作戦の大まかな指示書――これは本当に簡単なものだった。目的地と任務同行者しか書いていなかったのだから――と、フェンリルに関する資料が届けられていた。

 作戦の指示が口頭での説明だけでなく書類として用意されることは珍しいのだが、これはサクの頼みであった。頭痛により頭の中がかき乱されてしまうサクは、情報の整理のために手元に資料が欲しかったのだ。資料に目を通す時は、あまり頭を動かさないように意識している。

 資料に記載されたフェンリルは、その文面から異端者達の集団だった。

 獣の群れの頭となるのは、大陸北部出身の妖刀使いクリス。北部の伝承である『鬼』と呼ばれる、フェンリル最強の男だ。弱い精神のせいで今回の作戦には参加しないが、これまでのどの作戦においても最大の戦果を挙げているのは彼の実力故だ。

 同じく今回の作戦ではお留守番の男、大陸東部出身のガンマンであるルーク。彼はどうやら死体愛好家らしく、その癖が『強く出るであろう為』今回の作戦には参加しないということだった。あの牢獄内では穏やかそうに見えたが、どうやら一番頭がおかしいのは彼かもしれない。

 そして後の二人は今回の作戦の同行者だ。

 大陸南部出身のスナイパーにして、サクと同じくバイセクシャルでもあるロック。遠距離戦では最強と呼ばれながら、そのくせ剣を使った近接戦までこなす『天才』だ。高等魔術である重力魔法を操り、どんな不安定な足場からでも確実に獲物を狙い撃てる腕を持つ。

 特務部隊の紅一点は、大陸中央部出身のレイルだ。彼女もまたバイセクシャルで、近接戦闘のプロフェッショナルである。腰から下げた双振りの剣を操る双剣使い。そしてその身体は雷撃を操る特異体質でもある。今回の目的地、砂漠での戦闘の主力になる予定だ。

 資料に書かれている文字こそ少ないのに、そこに潜んだ情報量が多すぎで、眩暈がしたのを思い出す。本当に『普通ではない』集団に放り込まれた。こんな集団の頭を、自分はこれから努めなければならない。

「……俺には荷が重い」

 思わず口をついて出た弱音を、聞いた者がいなくて助かったと思う。船室は異様なまでに静まり返っている。波に揺れる床が、サクの心を落ち着かせる。遥か昔、幼少期に乗った池のボートを思い出し、自分の心には確かに温もりがあると安心する。

 普段から異常なまでの殺気を垂れ流す存在に、サクの心は知らず知らずのうちに疲弊してしまっていたらしい。獣の群れに混ざる人間に、安らぎの時はない。

 ぼんやりと時間が続く夢から覚めたような頭で、最初に彼女の姿を認識した瞬間、心とは裏腹に身体は反射的に反応していた。それは獣への恐怖そのものだった。一気に手に汗が滲み、身体がぎゅっと凝固する。ひやりと軋む心臓に、やけに暖かい血が流れ込む感触が伝わる。

「……獣の群れの頭に、なるんだ」

 自分自身に言い聞かせるように呟いた言葉が、やけに脳裏に響いた気がした。

「……何を今更……あんたは私らのリーダーなんだろ? あんまり気弱なこと言うなよな」

 レイルがジュースの瓶を片手に扉を開けて入って来た。彼女はまた、自動で開く扉を待ちきれずに足で開けている。本当に行儀が悪い。

「ほら、喉乾いてるかと思って。まだまだ夜は長いんだ。リーダーの話、聞かせてくれよ」

 悪い笑みが消えた彼女の笑みは、本当に可憐な少女そのもので。ふんわりと花が咲くような暖かさは、計算とは無縁だとこちらに思わせる。思わせるだけで、計算なのだろうが。それでも不快感はなかった。

 手に持つ二つの瓶にはそれぞれフルーツのラベルが貼ってある。この船に乗る前に用意していたものだろう。食料品の準備も狂犬二人は手早く終わらせていた。普段はどうやらクリスがやっていたようで、倹約家の彼にさせると自分達の好みで用意が出来ないと嘆いていた。

「最近新しい味が出てたみたいでよ。ほれ、どっちも新味だぜ」

「……そっちのピンクのが出たのは去年だ。俺はどっちも飲んだから、好きな方を選べ」

「マジかよ。まるでタイムスリップしたみたいな気分だ」

 盛大に溜め息をつきながら、レイルは一方の瓶を投げてよこした。それを危なげなくキャッチするサクに、彼女は「ナイスキャッチ」と悪びれなく笑う。ピンクの瓶の蓋を指先から小さな雷撃を放ち吹き飛ばし、そのまま瓶に口をつける。ごくごくと動く彼女の喉に、サクの視線は吸い寄せられる。

「そんなに物欲しそうに見るなよ、えっち」

「そんなつもりはない……はずだったんだがな」

 瓶を半分程飲み干して、彼女がそう言って笑うので、サクも素直に肯定してやることにした。目を奪われたのは事実だ。

「んー?」

「俺は正直、自分のことはゲイだと思ってた。でもあんたを見てるとどうやら、俺もバイセクシャルらしい」

 からかうような光を宿す彼女の瞳を見ながら、サクは素直に伝えてやった。陸戦隊にいた頃では思いもよらなかった真実に、サクは表情にこそ出さないものの驚きを隠せないでいた。

「獣ってのはよ。だいたいは遺伝子を残すために異性愛者なんだ。それはわかるよな?」

「ああ。自然の摂理、というやつだろう」

「……つまりそういうこった。獣として、遺伝子を残す為に、女でも抱かなきゃならねえ時もある。嫌でもな。事実、死ぬ前には生殖本能が高まるらしいし……」

 そこまで言ってレイルの顔色が変わった。一瞬こちらを窺う視線を感じて、サクは敢えてそこには気付かないふりをしてやる。どうにも、何か違和感があった。

「……リーダーはこんなところで死ぬ気なんて、ねえよなー?」

 まるでこちらの機嫌を取るかのような、そんな不愉快な声音だった。耳障りな猫なで声で、目の前の彼女は怪しく笑う。ふわりと揺れる赤髪が、今回ばかりは不気味に感じた。

「当たり前だ。任務での死は覚悟しているが、さすがにまだ死ぬのは早いと思ってる」

「そりゃ、良かったぜ。さすがに私らも、死にたがってる奴を守れる程、過保護でもないんでね」

 にやりと笑うエメラルドグリーンの瞳に捕まり、そのままその言葉に脳裏を撃ち抜かれた気分だった。頭が勝手にかき乱されて、酷い頭痛が襲ってくる。

 頭を抱えるサクの手を、彼女の小さな手が上から握り締めた。小さな身体にサクの身体が包まれる感触だけが伝わる。

「死ぬんじゃねえぞ、リーダー。あんたを守るのが私らの役目で、あんたに生きてて欲しいと願う人間は、少なからずいるんだからよ」

 慰めるような声音で彼女は、ずっとサクの頭を撫でていてくれた。その穏やかな声に、いつもの悪意は感じられなかった。

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