7話「左の挨拶」


 扉を開けると案の定、肌に突き刺さるような強烈な殺気が、目の前の男から放たれた。男――クリスは先程と同じく拘束されたまま、先程よりも更に血走った目でこちらを睨みつけている。

「リーダー……」

 レイルが背後で小さく呟いた。その言葉には哀れみも恐怖もなく。レイルはサクの目の前まで進み出ると、その小さな手で対魔格子に触れた。まるで冷たい対魔格子越しに、彼の感触を確かめるかのようだった。

「……すぐに出られるからよ。もう少しだけ、大人しく待っててくれ」

 彼女の言葉にはただ、目の前の男への揺るぎない信頼があった。類稀なるチームワークを発揮する狂犬達。その一匹が、群れの頭に告げる。待っていてくれと、帰りを誓う。それはきっと、この場所ではなく。いつか訪れる“外”での再会に違いなく。

「……この任務の成否によっても、きっと……上の考えも少しは変わるだろう。俺達は、俺達の出来ることをしよう」

 慰めるようにそう言ったサクに、レイルは後ろ姿で頷いた。肩まである美しい赤髪がふわりと揺れて、それに反応するかのようにクリスの目が細められる。

 まだ小さく唸り声を上げながらも大人しくなった彼の様子を見て、サクはレイルの隣に進み出て言った。

「今回は、あんたの代わりに俺が群れのリーダーを務める。きっとあんた程上手くは出来ないだろうが、それでも大切な仲間の身を預かることには、責任を持っているつもりだ。だから、どうか……安心してくれ」

 頭を下げるサクに、クリスの反応は変わらない。だがそれでも、ほんの少しだけ、この身に刺さる殺気が薄まっていることを感じ取る。そのことが、無性に嬉しかった。

 ぶつぶつと何かを呟くクリスに手を振り、レイルがそのまま出口への扉に手を掛けた。

「別れの挨拶は終わりだ。さっさと行こうぜ」

 ニヤついた笑みはそのままに、こちらの返事も待たずに扉を開ける彼女の背中を追いながら、サクはもう一度彼の方に振り返り、小さく頭を下げたのだった。

 分厚い扉をまるで踏み越えるようにして抜けると、待っていたレイルが示し合わせたようにその扉を足で閉めた。確かに女性に開閉させるには重量のある扉だとは思うが、それでもこんな場所ですらそういった態度を平然と取れる彼女には、やはり女性らしさといったものが全く感じられない。

 ガシャンと大袈裟な音が響くなか、二人は看守が迎えに来るまで、この場所でしばらく待つことになる。

 ここは特別牢獄の出入り口にあたる。訪れた時に看守から警告を受けた場所だ。どうやらここから先は、あまりに“彼が垂れ流す”殺気が強すぎるために、看守達ですらも立ち入りを禁止されているらしい。あの牢獄を唯一繋ぐ水路を使って、生命維持のための飲食物を“流している”らしいが、とても人間に対しての行いとは思えない。

「リーダーから聞いたんだが、あんたは元陸戦隊の兵士らしいな?」

「……ああ、そうだ。特務部隊への配属は本当に最近だ」

 相変わらずニヤついたままのレイルの態度が、今回ばかりは気になった。先程から、彼女――いや、フェンリルの面々、か――は“何も”話していないはずだ。

「……先程から気になってはいたんだが、お前たちの言うリーダーは、クリスだろう?」

 思わず疑心に満ちた目を向けてしまったが、彼女の顔色は全く変わらない。もし仮に、あの牢獄内でも意思の疎通が取れているとしたら、それはそれで上へ至急報告しなければならないことだからだ。あくまでも各々の隔離が、あの牢獄での優先事項なのだから。

「私らがリーダーって言うのは、群れの頭に違いないぜ。今回の任務では、あんたが……頭なんだろ?」

 何を当然のことを、とレイルはあっさりと吐き捨てた。興味すらないといった顔が、面倒くさいという言葉を欠伸と一緒に吐き出す。

「……そうか。今回は俺が作戦の指揮を執る。よろしく頼む」

「ああ。もう少ししたら看守も来るだろう。“あんた”はゆっくり休んどけよ」

 そう言ってレイルは、意味ありげにサクを見上げてきた。上目遣いに女の魅力を存分に溶け込ませ、そのまま流れに身を任せるようにサクに口づける。少し背伸びして、自ら求めてくるその動きに、サクは抵抗することも出来ずに、ただ受け入れることしか出来なかった。口内をなぶられる感覚に、思わずその瞳を閉じてしまう。










 一瞬のような、永遠のような時間を掛けて、レイルからの口づけが解かれる。まるで崖から落ちるかのように固く抱き合っていた身体を離し、サクはレイルの額に“挨拶”の軽いキスを落した。

「頼むぜリーダー。狂犬達のリーダーは、獣じゃねえといけねえんだ」

 ぎらりとニヤついたレイルに、サクも笑いながら、「クリスって奴を俺は初めて見たが、あれは俺よりよっぽど獣だな」と答える。

「私らを外で見る奴らはこぞって『あいつらは人の姿をした獣だ』って言うんだが、私からしたらあんたの方がよっぽど獣だって思うけどな」

「確かに俺は獣の頭で間違いないが、一応は人間だ」

「それを言うなら、私らこそ、れっきとした人間だぜ」

 むっとした表情のレイルに、サクはくっくと喉の奥で笑った。それに気分を害したのか、レイルが不機嫌そうな表情を隠さずに言う。

「さっさとロックの野郎を解放してやれよ。あいつ、そのために私にさっきのを渡してきたんだぜ?」

「……なるほどな。それのおかげか……」

 合点がいった顔でその手の感触を確かめるように言うサクに、レイルも薄く笑った。

「そういうこった。この任務はさすがにスナイパーが必要だ。これは間違いなく、リーダーのための任務なんだからよ」

「……何から何まですまないな。特務部隊での時間がまだ短い俺では、なかなかそういった進言も予想も難しくてな」

「……よく言うぜ」

 吐き捨てるようにして顔を背けたレイルに溜め息をつくふりをして、サクは静かに元来た扉を押し開ける。今回はレイルはついてこないようだ。

「ロックに……いや、あいつは連れて行くからいいか。ルークに何か伝言は?」

「あのバカにか? とりあえず食い過ぎには気をつけろってぐらいかな」

 ふっと笑ったサクにレイルは、さっさと行けとシッシと手を振る。不貞腐れたような様子で彼女は、看守が来るであろう入り口に視線を投げている。

 サクは押し開けた扉を再び越えて、牢獄の奥をもう一度目指す。

 一つ目の扉を開けると、クリスの殺気にまた空気が満たされる。彼はまだ、拘束されたまま動けない。鋭い深紅の瞳だけが、生きた獣の気配を感じさせている。

「最初に挨拶した時は、あんなに礼儀正しかったのにな。どうしてこうも“獣の匂い”に敏感なんだ?」

 答え等返ってこないことはわかっているのに、サクはそれでもその言葉を投げ掛ける。獣の群れの頭に、“獣の頭”が問い掛ける。

「お前の群れの二匹を借りるぞ。よく仕込まれたメス犬に、頭の回る食えないオス犬だ。心配するな。借りるだけで、無事に返すさ」

 がたりと、拘束具ごと椅子が軋み、こちらを貫く深紅の色合いが濃くなる。その言葉で語る以上の心を、サクは受け取り、そして返す。

「問題ない。お前の仲間は傷つかないさ。それは俺が保証しよう」

 グルルとまるで獣の唸りでも聞こえてきそうなその口元に、そこで初めて笑みが浮かんだ。それを見て、獣の頭の男もまた笑った。

「次に会うのは、きっと……あの世だ。獣に神や地獄といったものが、そもそも用意されているのかは知らんがな」

 そう言い残して牢獄の奥へと歩くサクを、クリスは静かに見詰めていた。その口元に残った笑みに、サクも静かに笑みを返しながら歩く。









 重い重い扉を押し開き、二人が囚われている牢獄の前に辿り着く。目的の人物――ロックは既に立ち上がって、ここから出る準備を整えているようだった。

「やっと、戻ったのかよ。面倒くさい奴だな。上もさっさと統合しちまえば良かったのに」

「あくまで獣の頭は俺なんでな。意見があるなら上に直接言ってくれ。俺はこの任務以外に関与するつもりはない」

「お堅いのは陸戦隊のせいか? でもそういうのも、僕の好みだけど」

 ヘラヘラと笑うロックの牢獄の扉を開けながら、サクは瞳だけで隣の牢獄をちらりと窺う。

 穏やかな大海を思わせる深い蒼の瞳がサクを見ていた。牢獄に備え付けられたベッドに座ったまま、ルークは静かにサクと、牢獄から出たロックを見詰めている。

「ルーク。先に僕は出るけど、あんま食い過ぎんなよ」

「その言葉、レイルも言っていたぞ」

「二人共うるせえよ。俺だってすぐに出てやるし」

 むくれたような態度のルークに二人して笑った。自然に出たその笑みに、笑い合いながらロックの瞳が細められた。ルークは何も言わずに闇の奥に引っ込む。居心地の良い闇の中に消えるその大きな背中こそ、フェンリルの本質にふさわしい。

 いつまでもここにいる訳にはいかない。入り口でレイルを一人で残していることが看守にバレたら、さすがに問題になるだろう。サクの身が今すぐどうこうということはないだろうが、フェンリルには大きな罪が重ねられる可能性すらある。

「さあ、出るか」

「はいよリーダー。さっきからずっと思ってたんだが、あんたかなり男前だな。僕の好みで嬉しいよ」

 冗談ともとれない言葉をさらりと零すロックのことは軽く無視して、サクはするすると牢獄の出口へと向かっていく。ロックも特に文句もなくサクについてくる。

 クリスの前を通る時はさすがにロックの様子を窺ったサクだが、予想に反して彼の反応は静かなものだった。鋭い金色の瞳が、静かにただ、クリスを見詰めている。

「……」

「……久しぶりの再会なんだろう? 気が済むまで、居たら良い」

 その瞳に浮かぶ哀しみの濃さに気付いて、サクはそう声を掛けてしまっていた。獣の群れの頭は、静かに瞳を閉じている。そこに群れの気配を感じているのか、眠ってしまっているのかは定かではない。

「……大丈夫だ。僕にとってのリーダーは、今はお前だからな」

 そう哀しげに笑う彼の顔を見ていられなくて、サクは頷くと足早に、入り口へと続く扉を開けた。その背後に、小さくロックが呟いた。

「獣の頭と、群れの頭……僕達のリーダーは囚われた者ばっかりだな」

 嘲るようなその言葉には、敢えてサクは反応しなかった。

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