第12話 ない!
着替えを終えて更衣室の入り口の暖簾をくぐる。
ソファ型のマッサージ機が壁際に並んでいる。いずれも使用禁止だ。マッサージ機と通路を挟んで、少し高くなったところに畳敷きのスペースがある。階段を上って入るのだが、階段の脇に休憩所と書いた木札が立っている。今は階段にビニールテープが貼ってあって「新型コロナウイルス感染予防のため、立ち入り禁止」という紙が貼られていた。
その紙を横目で見ながら、下のフロアへと続く階段に向かう。
いつもなら、畳にたくさんの人がいて、のぼせた身体を癒やしているのだろう。そんなことを想像すると、逆に今の誰もいない光景が余計に寒々と感じられる。耕太郎は、裸の男の楽園から、緩慢な静謐に包まれた倦んだ空気の巷に戻ってきたのだと思い知らされた。
下のフロアに続く階段を下りると、目の前にソファが並ぶ。待合所で、すでに入浴を終えた子どもたちがはしゃぎ、嬌声を挙げながら駆け回っていた。ソファを挟んで反対側の壁に自動販売機があった。「飲みながら帰ろう」と、ミネラルウォーターを買った。ミネラルウォーターを片手に、右側にある受付、そして下駄箱へと歩いていく。
「ありがとうございました」
受付の店員さんが声を掛けてくれる。みなマスクをしていた。館内は暖房が効いているが、苦しくないのだろうか、と耕太郎は余計な心配をした。
下駄箱の靴を入れた一番奥の、一番高い棚の前に到着する。鍵を入れたコートのポケットに右手を突っ込んでまさぐる。
『ない』
左手をポケットに入れて鍵を探す。
やはりない。
両手で外からポケットを押さえて、鍵のありかを探す。それらしいものはない気がする。ジーンズのポケットも同じように探すが、やはりない。
変な汗がどっと出てきた。
――ちきしょう。風呂上がったばっかなのに。
そのまま、受付を通り過ぎ、再びソファの前に行った。
ソファは一人おきに座るように、貼り紙が貼ってあった。幸い、人は座っていなかった。その隙にソファを占領して、タオルとか着替えた衣類の入ったリュックを漁った。鍵が入っているわけもないが、財布のなかから、リュックのポケットから、すべて確認した。身体を拭いたバスタオルに絡まっているわけもないのだが、一応確認するためにリュックから取り出して、人目も憚らずにバタバタ振った。何も出てこなかった。
リュックの底を何度も確認し、手を入れて探ったのだが、出てこない。
『更衣室に忘れたか』
リュックに急いで荷物を詰め込んで、二階の脱衣所に向かった。
息を切らしながら、使っていたロッカーの前に来る。転がっているのを期待しながら、入り口からキョロキョロして、自分が移動した動線を丹念に確認する。相当怪しく見えただろう。デカイし、異様に目立つ行動だと分っているが、そんなことかまってられない。
緊張で息が上がりマスクが苦しい。外したい。最後の望みはロッカーのなかだけだ。
アルミでできている軽い扉を開けた。
何もなかった。
希望は絶たれた。
それはそうだ。
――そもそも鍵をどこにしまったのか。
さすがに浴室に持ち込んだ覚えはない。脱衣所を眺め回しながら、耕太郎はどこにしまったのかを思い出していた。
『確か、靴箱に靴を入れて』
あのとき、子どもが耕太郎を見て泣き出した。「ミク」という名前だったか。
『慌てて・・・・・・、そうだ。鍵はコートのポケットに入れたはずだ』
脱衣所をぐるりと見回ったがやはりなかった。
もうお手上げだった。
とぼとぼと歩いて受付に向かった。受付には、二十代の男の店員がいた。店員は緑の作務衣を着ていた。
「あのう、実は靴箱の鍵を無くしてしまったみたいで・・・・・・」
「ああ、そうですか。申し訳ないんですけど、規則で二千円いただくことになってまして・・・・・・」
店員は言いにくそうに言った。
なんとなく、この店に合った優しい感じの人だった。
――それにしてもついていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます