第11話 腫れ物が潰れたとき

 変な反駁が終わって気づいたのだが、話していて、目の前の誰だか分からない後輩に向かって言っている気分はいつのまにか無くなっていた。正面の誰もいない空間に文句を言っているみたいだった。その先にいるのはもしかすると、いつまでも振り切れずにウジウジしている、耕太郎自身かもしれなかった。

 「くだらない奴らなんて、もう気にするなよ。忘れろよ」

 そう過去の自分に語りかけているような気持ちに気づいた。

 すぐに耕太郎にも限界が来て、外に出ようと立ち上がった。

 すると、部屋中のそこかしこから、拍手と歓声が上がった。

 「よく言った」

 「高校名でマウントをかけるのはいただけない」

 「あれくらい言わないといけないよな」

 「失礼なんだよ、あの後輩」

 「アイツもたいしたことないんなら、どうして先輩を責めるんだ」

 「教師がそれを正解にしているからだ」

 「よく、手を出さなかった」

 「肩を叩いたじゃないか」

 「あれは手を出したんじゃない。激励したんだ」

 とか、口々に感想を述べた。途中から、テレビにあまり反応しなかったのは、みなが耕太郎たちの会話に聞き耳を立てていたからだ。

 耕太郎は急に面映ゆくなった。

 頭を掻きながら、拍手には、はにかんだ会釈で返答した。そのまま、そそくさとサウナ室を後にした。

 熱気を逃さないための二重のドアを開けて通る。

 右手には水風呂、正面には洗い場がある。

 後輩の姿はなかった。

 外風呂も見てみたが、どこにもいなかった。

 ――ちょっと悪いことしたな。本当についてない日だ。

 冬の夜空を見上げて、耕太郎は独り心のなかでごちた。

 耕太郎は露店浴場の入り口あたりでしばしたたずんでいた。視線は後輩を探していた。

 耕太郎は自分が悲しいということに気づいていなかった

 大人に勝手に期待され、故あって期待に答えられなかった。他人というのは他人の故などに興味が無いし、理解しようともしない。教師は憤慨し、そこに便乗した後輩も現れた。知らないだけで、同級生のなかにも意地汚く陰口を叩いたものもいたのかもしれない

 耕太郎はそんなことを極力考えないようにしていた。「期待に答えられない自分の非力が悪い」そう思って、巨大な感情を呑み込もうとした。したが、巨大な異物は喉を通らなかった。

 異物はいつも耕太郎に帯同した。

 相手には相手の気持ちがある。すべての人に感情が存在し、怒りや悲しみがあるという重層の感情は、幼児が経験する悲しみほど一方向で単純ではない。幼児の悲しみは具体的だ。悲しみは喪失とともにもたらされる。幼児の悲しみは物的でもある。大事なおもちゃが壊れてしまったときに感じるような悲しみだ。

 妙な異物を抱え込むのは苦しい。その苦しさに耐えかねて、自分の中の異物を耕太郎は捉えようと試みることがある。でもいつだって、異物はチャグチャしていて、グニャグニャしている。複雑すぎるのだ。

 幼児のように忘却できれば気が楽だ。時間が経てばどこかへ行くようなものでもなかった。本当のところ、耕太郎はそのときを無意識に待っていたのかもしれない。それにはもしかすると、言葉による咀嚼が必要なのかもしれなかった。だが、悲しみの源泉を十全に表現しきれるほど、耕太郎の言葉は発達していなかった。

 師走の寒気のなかでたたずむ耕太郎の身体から盛んに湯気が立ちのぼる。

 後輩を見つけて謝ろうと反射的にサウナを出た。しかし、同時に謝ることで別の都合の悪い事態が発生しそうで怖かった。殴られるかもしれないし、相手が泣き出して、周囲の大人たちに白い目で見られる可能性もあった。このあと陰口を叩かれるかもしれないが、それは以前から変わらないことだ。

 厄介ごとが回避できて、耕太郎はどこかで安堵していた。


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