第8話 見たことのない大人たち

 このスーパー銭湯には二種類のサウナがあるらしい。一つはヨモギを使ったスチームサウナで、もう一つはスタジアムサウナだ。

 サウナはそのときちょうど下に敷くタオルの交換の時間であった。交換を終えた店員さんたちが次々に出てきた。みな揃いの緑色のTシャツを着ていた。Tシャツの背中には店のロゴが入っていた。手には交換したタオルの入っているカゴを持っていた。全員苦しいだろうにマスクを着用していた。

 店員さんと入れ違いに、男たちがスタジアムサウナに入っていく。耕太郎も男たちに続いてサウナ室に入った。

 サウナ室に入ると、右から左に段が昇っている。正面は多くの人が座れるようになっている。その上の段と下の段は一人ずつ座る。それぞれの段は、男が五、 六人座れる幅がある。一番上だけ、三人掛けだ。段の一番下の正面の壁にはテレビが埋め込まれている。

 耕太郎は、正面から一つ高い、右側の段の奥に座った。見ていると、男たちでサウナはみるみる埋まっていく。

 裸と裸のつきあいといおうか。

 我先に席を争うというより、みなで融通しあって席を譲り合っていく。

 テレビでは芸人と元オリンピック柔道選手の試合が行われていた。席に着くなり、正面にあるそのテレビにみな釘付けになっていく。妙な一体感がそこに発現していた。

 芸人たちは、元柔道経験者たちだ。相手もオリンピック級の選手たちであった。一方的にやられるのではなく、善戦していく。辛くも負けてしまうのであるが、負けるたびにその部屋にいる男たちから、「あー」とか「惜しい」とか歓声があがる。

 耕太郎とは十歳以上離れている男たちの様子を耕太郎は微笑ましく眺めていた。外では奇病が流行り、感染者数が鰻登りに増えていた。東京の感染者数はついに一千人を突破した。風呂の外の世界は緩慢な静寂に包まれていた。

 感染を防ぐためには大声を出し合ってはならないのだが、それを咎めるのも野暮であった。裸にひん剥かれて判然とはしないが、耕太郎が見た限りでも、様々な状況にある男たちがそこにはいた。幸福なものもいれば、幸福ではなく孤独なものもいるだろう。

 大晦日で仕事から解放され、この小さな部屋にいれば、家庭の雑事からも解放される。友人と飲む空気じゃないし、飲んでもつまらないこともあるのだろう。飲んだことがないから、耕太郎にはわからないけれども。

 耕太郎には実感がないが、こんな日に孤独に家に閉じこもっていたら、たまらない気分になるのだろう。実感はないが、わからないでもない。

 耕太郎の実家は、本来年末年始は、親族が揃ってささやかな食事会をする。今年は中止になった。それがないだけで、調子が狂うというか、なんだか寂しい気分になった。母親は説明した後、「寂しいでしょう」と耕太郎に言った。

 ああ、母親も同じ気分なのか、と親子の繋がりを感じた。

「お年玉もお預けね」

 母親が続けた後、自分は親離れを始めているのかもしれないと思った。

 集まる親族もないのであれば、こんなところで肌を寄せ合ってテレビを見て喜ぶくらいいいじゃないかと耕太郎は思った。裸になって、周りも裸だからか、皆どこかで解放されている。何かを背負っていない、解放された男の姿はあまり拝見できない。父親の携帯は休日でも鳴りっぱなしだ。完全に解放されたところは見たところがない。

 この小さな部屋にあるのは、耕太郎が見たことのない、不思議な男たちの姿だった。

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