第159話 てんやわんやの脱出
あふれんばかりの爆光と衝撃を背に受けながら、駆逐艦セネカは駆け抜ける。
余分な武装を取り外し、駆逐艦が本来持つ機動力を取り戻したセネカの艦内は沸き立っていた。
敵の本拠地を破壊したのは衛星軌道上にいるはずの神月だ。
艦首に備え付けられたロストテクノロジーにして地球帝国最強の武器を打ち込んだのだから、あの島……移民船だったものは跡形もなく消滅していることだろう。
そしてその中にいたかつての人類たちも海の藻屑になることなく消滅した。
間一髪……というにはいささかタイミングが良いが、これもまた予定された作戦である。
神月の攻撃準備は艦隊すべてに伝えられている。それはエリスが健在の時点で当然彼女たちにも伝わっていることだった。
ならばそれを利用しない手はない。敵の中枢を叩く最適な行動をとったまでである。
「く、くく……」
セネカの操縦桿を握りしめ、前世を含めれば何十年かぶりとなる操艦の空気を味わいながら、リリアンは思わず笑い声をこぼした。
そうだ。やり遂げたのだ。かつての過ちを覆し、そして知る由もなかった敵の正体、そして人類の末路すらも知れた。
まったく犠牲がなかったわけではないし、まだ戦争は終結していない。
しかし、ここまでやればもうリリアンとしては万々歳なのだ。まさかここまでやれるとは思っていなかったし、ここまでこれたことは本当に奇跡に近い。
さらに言えばまるで全てがうまくいきすぎてちょっと怖いぐらいだ。
「あははは! やってやったわ!」
しかし、それでも。
だからこそリリアンは、ある意味では心の底から本当に笑うことができたのかもしれない。
はっきり言ってこれはかなり爽快だ。
クルーの大半も最初こそはリリアンが派手に笑う姿を見てきょとんとしていたが、自分たちがやってのけたことを自覚しだすとつられて笑い声をあげる。
「敵の母星に乗り込んで、敵の中枢を叩く。一番槍ってこういうことを言うんだっけ?」
冷静さが売りのミレイも今だけはこの余韻に浸っていた。
「私たちらしくっていいじゃない。いつぞやのカルト教団の時もそうだったし、これが私たちリリアン艦隊の魅力ってね。まぁ死ぬかもしれないって何度思ったのかは言わないでおくけど」
かつては戦闘の恐怖に怯えていたデボネアも今では肝が据わり、ジョークを言えるようになっていた。
一方である意味では大役を任されたコーウェンは気が抜けたのか、ぐったりとしている。いつもなら真っ先に騒ぐはずの彼も、今回だけはリリアンたちを殺してしまいかねない狙撃を任され、その緊張から解放された瞬間に、引き金を引く力すらなくなっていた。
「に、二度とやばい狙撃は頼まないでくださいよ、マジで……」
手汗でべっとりとしていたが、気にすることなく、コーウェンは両手で顔を覆った。
しかし、その口元にはやはり笑みがこぼれていた。
そして……
「終わった……ということでいいのかしらね」
「あぁ、終わった。少なくとも、一つの終わりだと思う」
フリムとリヒャルトはモニターに映る爆心地を眺めていた。
濛々と立ち上がる爆炎と煙、それを飲み込もうとする大津波。その中心にいたであろう全ての元凶。
自分たちを苦しめたオリジナルたち。
ある意味であっさりとした終わり方だった。
それもあってか二人はいまだに実感がわいていなかった。
自分たちは解放されたのだと、理解はしても気持ちが追い付いていない。
「でも、僕たちからすればここからが忙しくなる……僕たちという両性具有クローンの立場も……サラッサ星人たちとのあれこれも残っている。でも、それを邪魔する奴らはいなくなったんだ」
「戦争はまだ終わらない?」
「終わらせるさ。これから忙しくなる。停戦を呼び掛けたりとかさ……でも勝敗はもう決している。サラッサたちだって滅びたくないはずだし、地球も彼らを滅ぼそうとは思っていないはずだから……」
「妥協点を見つけなくちゃいけないってことね」
「そういうこと」
一つの終わり。
新たな始まり。
多くを経験し、翻弄された兄と妹は、やっと納得ができた。
「さぁさぁ、セネカはさすがにボロボロだし、ここはまだ敵の支配領域。さっさと逃げて、降下してくる味方艦隊と合流しましょう。長居する意味もない。私たちはやることをやった。あとは本隊にお任せで私たちはゆっくりと休むのよ」
リリアンはそう告げると、機関室へと通信をつなげる。
「ヴァン副長、サオウ整備長、エンジンの調子は?」
『ワープは不可能ですが通常航行であれば問題はないとのことです』
『でもあまり無茶はさせないで欲しいね。時々嫌な音が鳴るからね』
怪我人や海兵隊たちでごった返す形となった機関室と格納庫もまた騒がしい。
「わかったわ。とにかくセネカはここから離脱する。そのつもりでエンジンの面倒をお願いするわ」
宇宙での戦いももうじき決着がつくことだろう。それにセネカはもう戦う力はない。そもそも駆逐艦一隻でどうこうできる状態はないのでどちらにせよ逃げる以外の選択はない。
「……あの、水を差すようなことをいっても大丈夫でしょうか」
そんな中、騒がしい艦橋の中で一人ずっと難しい顔をしている者がいた。
ステラである。最初こそはリリアンたちを助け出し安堵した顔を見せていたのだが、離脱を図った頃から、戦闘時に見せる無表情の姿になっていた。
だが誰もそれに気が付かず、ステラも考えごとをしていたので、目立たなくなっていた。
本来ならいつもそれに気が付くはずのリリアンもこの時だけは気が抜けていた。
だから、ステラがそう申し出た時、リリアンはなぜかゾッとした。
「ステラ、それは悪い知らせという話かしら?」
リリアンがそう呟くと、ステラは表情を変えず、そして頷きもせず、言葉を続けた。
「確かに、ここはまだ敵の支配領域です。それは間違いないですし、離脱をするのは正しいと思います。私も逃げる以外の選択肢はありません。ですが……あの人たちって、あれが全てなんでしょうか?」
「全てって、あの気色の悪い理科の実験材料みたいな姿見たでしょ? それに移民船も破壊したわけだから……」
ステラの危惧に対して、デボネアが引きつった表情を浮かべながら反論した。
彼女もまたなんとなく嫌な予感が浮かんできてしまった。それは彼女だけではなく先ほどまで騒いでいた面々全員がそうなった。
「確かに元老院だかなんだか知りませんけど、ガラスケースの人たちは消えました。でもあそこにあったのってせいぜい十数人分ですよね? もちろん私たちが知らない場所に保管されていたという可能性もあります。でも、そもそもとして、移民船が一隻なはずがないと思うんです。それに……レオネルで見たあの映像。あそこには軍艦だってあった。でも私たちがここにきてみた地球の戦艦ってあの一隻だけじゃないですか」
エリスと同型艦の存在は確認できていた。
だがそれしか残っていないというのも、いささかおかしな話である。
「正直、私も先走っていました。移民船の存在には気が付いておきながら、戦闘艦の存在をあの一隻だけだと……そんなはずがないのに。早くこの戦いを終わらせなきゃいけないと思っていましたから。でも、終わってみると、気になって仕方ないんです……この星に逃げ込んだ人類の数が一体どれだけの規模なのかはわかりません。でも……あまりにも少なすぎるって」
神経だけを取り出し保存していたような存在があの程度しか生き残っていないわけがない。
「一つ、確かなことがあるわ」
リリアンは重くなりつつある空気を理解した。
「とにかく逃げろってことよ!」
その瞬間。
疲れ切っていたはずのクルーは重たい体に鞭を打ち、動き始めた。
レーダーの再確認、味方艦隊との通信状況改善。残った武装の確認に、艦のダメージコントロール。
だが同時に彼女たちが動き始めると同時に閃光がセネカの左舷をかすめる。最低限残ったシールドに干渉を受け、轟音が響いた。
「警告。敵、重粒子砲を確認。海からの一撃です。減衰していますが、セネカには脅威だと思われます」
「こんな状況でも淡々と報告ありがとうニーチェ!? もっと早くあんたも動いてほしかったわね!」
「申し訳ありません。セネカのネットワークを再構築していました。ここは私には狭すぎるので処理が遅れます。最適化を」
「許可する許可する! うわわ!?」
再び海の中からの砲撃。
リリアンは思い切り舵を切って回避行動に移る。
まるで曲芸でもしているのかと思われるでたらめな軌道で飛ぶセネカ。同時に海から放たれる砲撃の数も増えていく。
「か、確認しました! 海中に十二隻、これは……サラッサ艦隊の反応じゃありません! エリスと同型艦に酷似しています!」
デボネアの報告と同時にミレイとコーウェンも続いた。
「砲撃予測完了! 海中からの砲撃ですから狙いなんて定めてないでしょうけど……だからこそ気を付けてください!」
「残念なお知らせ! こっちに反撃できる武装なしー!」
にわかに騒がしくなる艦橋。
激しく右往左往するセネカは若干の混乱の中にあった。
「か、艦長! 揺れが酷いのですが!」
そうこうしていると、機関室で陣頭指揮を執っていたヴァン副長が戻ってくる。
怪我人たちの対応をしていたのだが、この大騒ぎの原因を確認するために戻ってきたのだ。
「見ての通り! ストーカーを受けているわ!」
リリアンはぐいっと操縦桿をひねり、回避行動を取る。
するとすぐそばを重粒子が駆け抜けていく。
「まだ生き残りがいたのかしらね! 本当に生き汚い!」
「いいえ、それは否定します。おそらくは最後の命令を受けた無人機たちが勝手に動いているのでしょう。地球連合艦隊。かつての主力戦艦たちのなんとも哀れな姿です」
リリアンの疑問に答えるニーチェの声音は普段と変わらない電子音声のはずだが、どこか皮肉のようなものを感じる。
「まさしく置き土産というものです。あの姿は、人間でいうなれば執念が乗り移った……亡霊と称するのが適切でしょう。中身は何もないというのに」
「死んでも迷惑かけるのは冗談じゃない!」
「ですが神月の攻撃は全く無意味ではなかったと思われます。連合艦隊もすべてが無事というわけではないでしょう。おそらくは過半数の艦艇は海の底。とはいえ、現在のセネカにしてみれば脅威。そして我が方の艦隊も無傷というわけではありません。神月に至っては先ほどの攻撃でしばらくは動けないでしょう。えぇ、端的に言えばピンチです」
「さっきからそう言ってる!」
セネカのモニターは、ついに海中から浮上し姿を見せた敵艦隊の姿を捉えた。
ドック艦の中で整備を受けていたのか、それとも別の方法で保管されていたのか。数千年の時を経てよみがえった艦隊は、そこに血の一滴も通わない、そしてもう命令を下す者すら存在しないというのに動いていた。
その動きはぎこちなく、緩慢としていたが、やたらめったらに放たれる重粒子は危険である。
なによりセネカにはまともな反撃能力はないのだから。
「あぁもう! なんで無駄に生き残るのよ! 普通一緒に爆発するもんでしょうに!」
ここに至り、リリアンは己の詰めの甘さを嘆いた。
とはいえ、これを想定しろというのは無理な話でもある。
「正面! 熱源接近!」
「なぁっ!?」
デボネアの悲鳴のような報告にリリアンは操縦桿を握る手を滑らしそうになる。
だがその熱源はセネカではなく後方から浮上しつつある敵艦隊を狙っていた。そしてそれは実弾だった。
「こ、これは……」
リリアンが一瞬だけ唖然とする。
その間もまばらではあるが、実弾の砲撃がまるでセネカを援護するかのように放たれる。
「エリスからの……砲撃?」
だがエリスは沈んだはずだ。
敵も、そしてステラたちもそう言っていた。
しかしこの砲撃は間違いなくエリスのものだ。
リリアンにはそれがわかる。
「微弱ですが、エリスのシグナルを再度受信。オートによる防衛機能が再起動を果たしていると思われます。セネカは友軍として登録されていますので、攻撃対象にはなっていないのでしょう」
「どういうことよ、ニーチェ。あんた、エリスの反応は消失したって……」
「はい。少なくとも私が探知できるシグナルはありませんでした。ですが、今はあります。エリスはまだ沈んでなどいなかった……いえ、まだ機能する部分が残っていたということです」
それでも実弾の砲撃の勢いは少なく、弱弱しくなっている。
だが、その砲撃は間違いなくセネカの撤退を助けた。
時間を稼いでくれたのだ。
「直上! 友軍反応! こ、これは……」
悲鳴だったはずのデボネアは、今度は歓喜の声へと変わっていた。
「この反応は、王家のシグナル!」
『本当に無茶をしているのね、あなたたち』
『こちらも相当に無理をしたのだけどね?』
聞こえてきたのは二人組の女の声。
フィオーネとレフィーネのもの。そしてセネカの頭上に数隻の艦隊が降下する。
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