第158話 それが彼女のピリオドの打ち方
それはまるでチープなホラー映画のような光景だ。
無数のガラスケースの中に押し込まれた人間の神経。薄い表皮がガラスにへばりつき、蠢きながら口を作り言葉を発する。
それがかつて人間であったものだと言われても素直に信じる事は出来ない。
同時にそんな姿になっても生物として生きていられる技術がかつては、確かにそこにあったという事実を突きつける。
黄金の時代、それは本当に夢のような世界だったのかもしれない。
しかし、夢はいずれ覚めるものだ。
リリアンは躊躇いもなく引き金を引いた。
ブラスターから放たれたレーザーは確かにガラスケースへと直撃した。
しかしレーザーは一瞬にして霧散していく。それでも二発、三発と打ち込む。結果は変わらない。レーザーは一切通用しなかった。
「生き汚い……」
シールドが展開されている。
何も知らずに近寄れば不可視のシールドによって体が焼け焦げていたことだろう。
恐らくは携帯火器でも撃ち破る事は難しいかもしれない。
「艦長殿、ここは我々が」
「いえ、いいわ」
アデルたち海兵隊がバズーカやグレネードを構えるが、リリアンはそれを制止した。
この空間の広さであれば爆風などに巻き込まれる心配はないというのに。
しかし海兵隊たちは上官の言う事を忠実に守る。
「なるほど……人類の肉体を欲するわけだ……」
訪れる一瞬の静寂。それを破るようにリヒャルトがかつて人だったものを侮蔑の目で見た。
あれが自分たちのオリジナル。いったい何万、何億の神経がそこに詰まっているのか。いやそもそも、あの中で自我を保っていられるものはどれだけいるのか。個々人と言う区別はついているのかすら怪しい。
人としての器を捨てて、か細い神経だけになったあれらは人としての認識や概念を残しているのだろうか。
だからこそどん欲に「古い人類」の姿を追い求めたとでも言うのか。
「失われたかつての肉体を求めるがあまり……自分たちで作った両性具有を受け付けなくなり、神経だけを切り離して……だから僕たちの体に戻れるわけがなかった」
「哀れよ……こんな奴らの為に……私たちは」
フリムはこみ上げる嘔吐感を堪えながら、ガラスケースを睨む。
「人間ですらなくなった連中の為に、私たちは散々弄ばれて、使い捨てられたとでもいうの? 玩具にされて、切り刻まれて、見世物にされて、そんなことを何百年以上も!?」
その慟哭は、かつて人だった者たちには響くことはなかった。
「うるさい。お前たちこそ人間ではない。人類ではない。人に似せて作られただけのものでしかない。お前たちが人間であっていいはずがない」
「お前たちは根本的に生物として違うものになった。人間の摂理から離れすぎたのよ」
「僕たちはかつての人の意識と感覚のみを残している」
「それを忘れない為にいくつもの実験をしてきた」
「それでも遺伝子情報が変わり果てたものをもとに戻す事は出来なかった」
「わしらの驕りが招いた結果だ」
「誤った進化を退化させる事は神にしかできない御業だったのねぇ」
一斉に、様々な声がガラスケースから発せられる。
人だったものたちのごく一部の声なのだろう。それが空間中に反響し、リリアンたちの鼓膜を震わせる。醜く、奇怪で、哀れな合唱であった。
「アデル。一発だけ撃って」
「ハッ」
両手で耳を抑えながら、リリアンが言う。
命令通りにアデルは構えたバズーカを撃ち込む。当然、それすらもシールドを貫通する事は出来なかったが、耳障りな大合唱を黙らせる事は出来た。
「悪いのだけど、そっちの戯言を聞くつもりはないの。こっちはこんなバカげた戦争を仕掛けた連中が一体どんな顔をしているのかを知りたかっただけ。それが知れただけで十分。あんたたちの悲しい身の上話なんてどうでも良い。殴ってきたのだから殴り返すまで」
「愚かなのはお前たちだ。なぜ我々がお前たちをここに招き入れたのかを理解していない」
努めて冷静に、ガラスケースの声は答えた。
それに対してリリアンは小さく鼻で笑った。
「お前たちの見え透いた罠を私が理解していないとでも思ったのかしら」
余裕の笑みを見せつけるリリアン。
対するガラスケースの表皮には表情は浮かんでいない。もしもこれが人の顔を持っていれば、怪訝な顔を浮かべていた事だろう。
「フリムやリヒャルトたちのクローン製造。記憶の転写。なぜそんなものを使う必要があったのか。そんなもの簡単な話。私たちの体を乗っ取るつもりだったのでしょうけど……残念、もう遅い」
「なに?」
リリアンの言葉の意味を彼らは理解できていなかった。
それはリリアン以外の面々も同じだった。
「リリアン……?」
その瞬間、フリムは嫌な予感がよぎった。
奇しくもリリアンとは濃い付き合いとなった。そうなれば何となく彼女がやろうとしている事を察してしまう。
そしてこんな彼女に明らかな影響を受けた親友が何をしでかすのかもわかってしまう。
位置情報の共有、セネカとのデータリンク、そしてクルーたちにもこの状況を見せているという事実。
「あなた、まさか!」
フリムが叫んだ、その瞬間。
凄まじい轟音と振動が彼女たちを襲う。
「お、おぉぉ!?」
海兵隊たちはリリアン、フリム、リヒャルトをそれぞれで抱えると、パワードスーツの脚部から固定用のアンカーを展開し、その場に踏みとどまる。
「なんだ。何が起きた」
ガラスケースの動揺した声。
同時にアラートが鳴り響く。
「攻撃だよ」
「質量弾の衝撃だわ」
「どういうことだ。まさか」
そんなことをするわけがない。
彼らの意識はそう思っていた。
しかし、彼らは見た。腹を抱えて、今にも大笑いしそうなのを我慢するリリアンの、顔を。
「貴様。自らをマーカーとしたのか」
「外の駆逐艦に攻撃をさせたわね」
「駆逐艦が侵入してくる……!」
爆発も振動も連続して続いている。
「移民船がどこに隠されているか。水中で生きる事が出来ない人類が生活する陸地をどう用意するのか。インフラは? もしも空気が合わなかったら? そもそも持ってきた艦隊はどうするのかしら。それを考えれば、再利用する事なんて簡単に想像がつく。ドック艦を拠点として使うのは人類の定石。都市ユニットを内蔵したものは多いのだから」
リリアンはその全てを予測していた。
第一に彼らが人類の領域に到達する為には軍艦だけでは意味がない。母艦となる何かが必要だ。人類の肉体を欲するのは種族全体。それらを運ぶ為の箱舟が必ず必要になる。
そして移民船団の存在。移民船という超巨大な箱。使わないはずがない。
特に生活環境が整った一つの国としても機能するこの高性能な箱を手放すわけがない。
「何も入っていないがらんどうの空間で助かったわ。駆逐艦とはいえセネカはちょっと大きいから。でもその分、私たちに影響が出ない場所をピンポイントで貫いてくれたようね。そしてサラッサたちはここを攻撃する事が出来ない。理由はどうだっていい。そういう盟約でも交わしているのかもしれない。だけどそれが仇となったわね。それとも駆逐艦一隻、どうとでもなると思ったのかしら?」
セネカには砲艦としての改造が施されていた。
艦下部と艦首へと伸びるマスドライバーキャノン。戦艦の装甲も、要塞すらも貫く威力を持つ。そして本来の射程距離は艦隊戦を行う数十万キロメートルにも対応できる。それをほぼ至近距離で放てばどうなるかぐらいは、彼らとて理解するはずだ。
そもそも移民船の装甲はそこまで堅牢ではない。いくら表面に土や岩、木々を配置して、自然の防壁を作ったところでそれは無意味な事だ。
なおかつ博物館のような施設を作った事で、構造的な脆さを作り出している。戦闘に耐えられるような構造ではなかったのだ。
「正気とは思えん。死ぬぞ」
「死ぬわけないでしょ。うちの砲手は細かい隕石すらも撃ち落とす腕前よ。あえて外す事だって簡単よ」
だからリリアンは最後の最後に飛び切りの笑みを浮かべた。
「だから言っただろう、アタシのクルーを舐めるんじゃないってね」
そして、壁に亀裂が入る。姿を見せたのは海兵隊の突撃艇の艦首だ。
その先端が口を開くと、待機していた海兵隊たちが姿を見せる。
「こ、これも予想していたのですか?」
リリアンを抱えるアデルも流石に驚いていた。
「ステラにお願いしておいたのよ。さて帰りの便は間に合ったようね。それじゃあ、もうここには用事はない。帰りましょう。こいつらの相手なんざしてられないわ」
ガラスケースたちは何か捨て台詞のようなことを言っているが、リリアンはもうそんな事に耳を貸すつもりはなかった。
突撃艇に乗り込み、脱出を図る。全員を収納したと同時に突撃艇は突き刺さった艦首を引き抜き、内部都市空間に浮かぶセネカへと格納される。
セネカはマスドライバーキャノンを既に投棄しており、よくみればあちこちに傷があったが、航行に問題はないようだった。
そしてセネカの頭上には無理やりこじ開けた巨大な穴があった。
マスドライバーで撃ち抜き、重粒子でこじ開け、シールドを展開し無理やり突撃して作った穴である。
「艦長……リリアンさん!」
そしてリリアンが懐かしいセネカの艦橋へと戻ると、ステラが敬礼をして出迎えてくれた。第一艦橋のクルーは全員そこにいた。
「フリムも。無事だったんだね」
「……うん」
ステラはリリアンの真横にいたフリムの手を取り、そして抱きしめる。
そんな二人を横目に、リリアンはヴァン副長から促されるように艦長席へと座る。
「艦の状態は?」
「航行に支障はありません。あとは逃げるだけです。それと、あと五分との事です」
「そう。それじゃ急いで逃げましょう。機関最大船速。そうね……操艦を私に。飛ばすわ」
「ハッ。セネカのコントロールを艦長へ! 機関最大船速! 急いで逃げるぞ!」
すると、リリアンの目の前に操縦桿が出現する。
「飛ばすわ。衝撃に備えてちょうだい」
***
数秒後、セネカは回頭し、自らが作り出した長い穴を使い外を目指す。
そんな光景をモニターしていたのは彼らであった。身動きは取れずとも、この船のあらゆるシステムと直結した彼らにはセネカがどこにいるのかを容易に把握できる。
同時に惑星サラッサに残った戦力に召集をかける事も。
「全ての戦力を宇宙に上げる。こちらにはまだ光子魚雷が残っている。連中とてそれを警戒しているだろうが、惑星の戦力をもってすればあの程度の分艦隊はすり潰せる」
「しかし、あの女だけは見逃せない。我々をこけにした」
「許せねぇ」
「捕らえよ、なんとしてでも。あの矮小な駆逐艦を」
ガラスケースたちは音をたてながらユニットごと移動を始める。念のため、安全な場所へと自分たちを移動させる為だ。
「肉体を取り戻すのだ。人に戻るのだ。我らの同胞を起こそう。時は来た」
「我らは故郷に帰るのだ」
「船を上げろ。【地球連合艦隊】を呼び起こすのだ」
「我ら100億の民の精神を」
「我ら数千年の悲願を──」
しかし、その言葉はそこで途切れる。
彼らは外に意識を向けなかった。
セネカだけを意識していた。
だから、衛星軌道上から放たれた超高密度のエネルギーの奔流に気が付くことすら出来なかった。
それが神月の放った一撃であることを理解する事はない。
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