第153話 ようこそ人類のもとへ
ワープ機能というものは黄金の時代に完成した人類の超技術である。端的に言えば途方もない光年距離を一瞬で移動できる夢のシステムであり、文明衰退の煽りを受けて、かつてほどの性能はないにせよ数十光年、数百光年の移動を可能としていた。
人類の技術の最盛期には今以上に連続してのワープも可能であったとされているが、それが真実であるかどうかを今の人類が知る由もない。
ティベリウス事件の際に、不可能とされていた数百光年の超長距離ワープが確認され、一旦は黄金時代の技術を取り戻せるかと思われたが、一年かそこらで全てを取り戻す事など到底不可能であった。
それでもワープ距離の延長自体は可能となったし、ある意味では停滞気味だった技術革新に新しい光が差し込んだのもまた事実である。
だがそれは同時に今を生きる人類にとって新しい謎へと直面させる事となった。
エリスのクルーがそれを知るのは、ワープ完了後から僅か二分後の事であった。
「う……いったぁ……」
最初に意識を取り戻したのはデボネアであった。彼女はお尻をさすりながら、その痛みで意識を完全に取り戻した。
ワープ前後の猛烈な衝撃はいかに準備を整えても影響は出るものだ。
戦闘中に二分と言う時間、意識を失うのは本来致命的なものだが、幸運な事に彼女たちはまだ生きていた。
「はっ! みんな、無事!? き、緊急コールを! 全方位警戒スキャンを!」
デボネアは慌てて緊急事態用の処置を実行しようとした。それは一年前のティベリウス事件の時、リリアンがやっていたことだ。
よもやそれを自分が行う事になるとは思わなかった。
しかしいち早く目が覚めたのは自分であるし、ここは艦橋だからやらなくてはいけなかった。
(うっ……何? 何か、違和感が)
咄嗟の行動、そして意識が覚醒したとはいえ、まだ周囲の状況をはっきりと理解できているわけではない。
デボネアはその瞬間、いくつか、何かがおかしい事に気が付いたが、それがなんであるかを明確に言語化できないでいた。
「スキャンは既に完了しています。デボネア少尉。目前の敵艦は沈黙、当該機も現在は航行不可能な状態にありますが、武装はまだ生きています。対空砲火は可能。ですが、安全とは言えません。同時に護衛の巡洋艦、駆逐艦のワープも数隻完了しています」
真っ先に返答したのはニーチェであった。
デボネアとしてはニーチェとこうして面と向かって会話をすることがなかったので、どこか新鮮であった。
「あ、ありがとうニーチェ……」
同時に次々とクルーたちが目覚める。
「んかぁ! なんだ、目がしばしばする!」
「ワープ光のせいでしょ……すぐに収まるわよ」
コーウェンとミレイも意識を取り戻したらしい。
「ニーチェ……無人艦の制御は……?」
ステラもぼんやりとした表情ではあるが、目を覚まし、己の役目である無人艦隊制御の任務を実行しようとしていた。
「おはようございます、ステラ。中継器として残した数隻の巡洋艦を通して、当該機の直掩に当たる艦と月光艦隊へ残す艦でコントロールはわけています。現在のエリスにはまともな戦闘を実行する能力はありませんので、危険ではあります。ですが、この二分間、こちらを攻撃するものは存在しませんでした」
淡々と語るニーチェのせいで、危機感を得辛い。
二分間も無防備だった事にクルーたちはゾッとする。
「艦長……! 艦長は無事?」
こんな時、いつも的確な指示をくれる存在。
リリアンの言葉がないことに不安を感じたステラは、少し慌てた。
そんなステラの言葉に触発されて、デボネアもまた己が抱いた違和感の正体に気が付いた。
「ね、ねぇ? 気のせいかしら……艦長の姿が見えないんだけど」
その発言に目が覚めていたクルーの全員が絶句した。
誰もが艦長席へと意識を向けた。そこにいるはずの存在が忽然と姿を消していた。
床に倒れているなどの様子もない。はじめからそこにいなかったように、存在が消失している。
「リリアン艦長殿なら消えたよ。ついでにフリム嬢もね」
パワードスーツの駆動音が響くと、くぐもったアデルの声が聞こえる。
「ワープのせいで、パワードスーツが一時的に機能不全に陥りました。実はその二分前から目を覚ましていたのですが、誰も起きてくれないし、私も起き上がれないので苦労していたのですが」
むくりと、パワードスーツの巨躯が立ち上がる。
スーツの再起動に手間取ったらしい。
そんな彼女の発言にステラは怪訝な表情を向けた。
「消えた?」
「えぇ、消えました。艦がワープに入ったその瞬間に、まるでお二人もワープしたかのように、私の目の前で」
確かに、あの時リリアンのそばにいたのはアデルとフリムだ。
「ニーチェ、二人の現在位置は!」
「既に感知しています。お二人は──」
その後の発言は到底信じられるものではなかった。
「ここより五百キロ離れた地点で反応を検知しています」
「五百……!?」
それは無意識の行動だった。
ステラはニーチェの発言を受けて思わずエリスの外を確認した。
そして彼女たちは映し出された光景にさらに息をのむ。
雄大に広がる海。水生植物が生い茂るその光景は熱帯の密林にも見え、それが同時に美しさを感じさせた。
宇宙から見たこの星はエメラルドのように緑の輝いていたが、それも納得する程の緑の光景。
遠くには大陸と思しき存在も確認できるが、不思議な事に人工的な構造物はエリスの目の前で鎮座する同型艦以外は確認が出来なかった。
「目の前の敵艦は沈黙している?」
「はい。活動は停止していると思われます。反応はありません。具体的に説明するのなら。がらんどうです」
さっきからニーチェの言葉は理解できない事ばかりだった。
「ニーチェ、教えて。艦長は、リリアンさんとフリムはどこに行ったの?」
「お二人は、生体ワープを実行したと思われます。その結果、二人はこの惑星のどこかへと飛ばされた」
「生体ワープ……」
「はい。また機能障害及び電波障害、ワープの影響でしょうか? お二人の位置は判明しても連絡が取れません。またエリスは現在航行不可能ですので、お迎えも不可能です」
「それなら、セネカを使えばいいのではないか?」
アデルの提案によってセネカが現在ドッキングしている事を思い出すクルー。
しかし……。
『やっとつながった。こちらサオウ、エリス艦橋、聞こえる?』
「あ、サオウさん! ご無事で……」
『あーうん。自分らは無事。今はヴァン副長が色々と指示してる。悪い知らせばかりだけど、とりあえず報告する。セネカもちょっとシステムダウンしてるから動かせないよ。あとなんでか知らないけど、リヒャルト君が消えた』
その報告は、どこか予想していた事だった。
『とにかく、セネカの復旧を急がせる。あんたらもそこにいるよりはこっちに移動した方がいい』
「整備長殿、我々が搬入したヘリは無事でしょうか?」
『あぁ海兵隊装備ね。多分大丈夫。一応面倒は見ておく。今から使うようだし』
「ハッ! お願いします!」
そんなやり取りをしつつ、通信が終わる。
その場にいたクルーたちは、顔を見合わせた。
一瞬の無言。
そして──
「か、艦長たちを迎えに行きましょう!」
その瞬間、冷静だったはずのステラは、いつものどこか抜けておっちょこちょいな姿に戻っていた。
***
同時刻。
奇しくもリリアンが目覚めたのも二分後であった。
わずかな肌寒さ、艦内とは違う床の感触。それが鉄ではなく石、それも大理石などのようなものに近いと感じた。
明らかにエリスではない。そんなことはわかっていたが、リリアンはどこか冷静だった。
気が付いたら別の場所にいる。そんなことはもう経験済みだ。
そのせいなのかどうかはわからないが、リリアンはどこか冷静に腰のホルスターから自衛用のブラスターを抜いた。
「銃の成績はよくないのだけど」
ぼやきつつも周囲を見渡す。
なんとなくだが古代の遺跡を模したような作りだった。とはいえ、全てが古めかしいわけではなく、何と言うべきか観光地のように現代的な整備もされており、良くも悪くも人の手が加えられた人工物である事がすぐにわかる。
「ここは、どこだ……?」
ゆっくりと立ち上がり、ブラスターの銃口をあちこちに向ける。
ふと、リリアンは自分のそばに二人の人物が倒れている事に気が付いた。
フリムとリヒャルトだ。
(なぜ二人がここに……いえ、それを言うのなら私も。意図的なものを感じる……連中の技術? そうだとしても、一体何の目的で?)
思案をしつつ、リリアンは二人の下にしゃがみこんで、体を揺らす。
「う……」
「く……」
二人は簡単に目を覚ました。
恐らくは同時に意識が戻りつつあったのだろう。
「り、リリアン……?」
「え、どうして、君たちが……いや、それより、ここは?」
まずはリヒャルトが周囲の異変に気が付いた。
そんな兄の姿を見て、フリムも状況の異質さに気が付いたらしい。
「なに……ここ……」
フリムは思わずだろうか、リリアンに縋りついた。
「この空気……惑星サラッサ……?」
ほんの少し湿気が多く感じる。
フリムはそんな感触からそこが、故郷であることを悟った。
「あぁ、間違いない。この空気、そしてあの緑の海は……僕たちの故郷……忌まわしき場所だ」
リヒャルトが見つめる先。
リリアンもそれにつられてやっと外の状況に意識が向いた。
深い、とても深い緑の海と植物。それを一望できる場所に自分たちはいるらしい。
だが、フリムもリヒャルトもこの遺跡のような場所に心当たりがない様子だ。
それは彼らが奴隷階級だったからだろうか。ともすればここは上位存在しか足を踏み入れられない場所なのだろうか。
そんな事を考えていると、遺跡の奥……とでもいうべき場所から音が聞こえてくる。
リリアンは当然ブラスターを向けるが、それはなんとも滑稽な姿をしていた。
きゅらきゅらと簡易的な履帯で動くドローンだった。
全体的に丸みを帯びた、いかにもマスコットを意識したような人型の上半身を持ち、電子的に発光する二つの丸い目がこちらを見つめている。
それは、言ってしまえば観光ガイドとして機能するロボットとも言えた。
地球でも、植民惑星でも珍しくはない存在だ。
リリアンはちらっとフリムたちへと視線を向ける。
二人は見たことがないという風に首を横に振った。
「ようこそお越しくださいました。私は皆さまの案内を仰せつかったものです。ようこそ、ようこそ、人類館へ。ようこそ」
自動音声が繰り返されている事は直ぐにわかった。
誰かが遠隔で話しているわけではないようだ。
つまり、これは本当にガイドロボットなのだ。
ロボットは警戒することもなく、無防備に背中を向けた。
「お客様をご案内いたします。どうぞ、どうぞ」
ロボットはそう言って、もと来た道を戻っていく。
「どうぞ、どうぞ」
ただその声だけが響く。
「どうぞ、どうぞ。人類の歴史を、どうぞ」
そんなロボットの跡を追うべきかどうか。
リリアンは一瞬だけ躊躇したが、他に取れる手段もなかった。
「行ってみるしかなさそうね」
念のため、通信端末を起動してみるが、ノイズが酷く使い物にならなかった。
恐らくはワープによる磁場の影響だろう。いつかは復旧すると思うが、それを待つのも時間の無駄だった。
それに、ここでじっとしているというのはリリアンの性格には合わない。
「二人もくるでしょう?」
「……当然でしょ」
「置いていかれる方が怖いよ」
フリムとリヒャルトにはブラスターの携帯は許可されていない。
それゆえに無防備なので、どっちにしろリリアンについていかなければ安全は確保できなかった。
ここが何なのか、どこなのか。それを知るにはとにかくあのロボットについて行くしかない。
「うん?」
歩き始めて、そして入口と思しき門のすぐそばに設置された石碑にリリアンは思わず目を向けた。
そこには「読める字」が書いてあったからだ。それは確か、日本語という奴だ。
「……人類とサラッサの和平の証としてこれを残す?」
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