第152話 着水
一進一退の攻防。状況を端的に説明するのならそれが一番適していた。
遠征艦隊は一見すれば勢いのまま攻めているように見えるが、実際はまだ艦隊全体の足並みが揃っておらず、陣形の再編を行っている状態であるし、サラッサ側は逆に万全の布陣を敷いていたので、その守りは意外に硬い。
付け加えるのなら、サラッサ側が持つ特殊能力。テレパシーによる意思疎通、そして個人の死を恐れない倫理観がある意味では休みのない攻撃を続けさせ、遠征艦隊の行く手を阻んでいるのである。
だが、サラッサの一つ一つの艦艇そのものの防御力は低く、火力も高いとは言えない。基本的には機動性を重視した設計が仇となっていた。
一方で遠征艦隊は火力重視、堅牢な防御を誇るものの機動性はサラッサよりも若干低い。それが足並みを揃えるのに苦労させる要因でもある。
ある意味では両者の存在は正反対であるとも言えた。
***
「セネカの接舷が完了したようです艦長」
主力艦隊と無人艦隊が攻撃を続ける中、エリスはまだ修理が完了しておらず、防御に徹していた。
そんな中で一仕事終えた駆逐艦セネカがマスドライバーを破棄した状態でエリスへと接舷する。もとより回収する予定ではあったのだ。
その報告を伝えたヴァンにリリアンは小さく頷いた。
「場合によってはセネカを脱出艇として使用するわ。負傷者は優先的にセネカに移乗させて頂戴。リヒャルトたちは?」
セネカ自体も多少の無茶によってまともな戦闘行動は出来ない状態であるが、通常航行に支障はなく、むしろ傷だらけなエリスよりは信用が出来る。
まだエリスは爆散するような状態ではないが、万が一に備えてセネカへと移動できる準備は整えておくべきであった。
「艦橋へ上がってくるとの事です。アデル軍曹も呼びますか?」
「お願いするわ。間違いなく海兵隊が必要になる。セネカへの移乗は任せる」
リリアンはセネカへの移動をヴァンに任せると、機関室へと通信を繋げさせた。
「サオウ整備長。状況は?」
『応急処置は完了。少なくとも爆発はしないよ。でも帰りは保障できないね。それでもいいの?』
「ありがとう。それで充分よ。艦体の修理はドローンに任せて整備班及び機関班たちはセネカへ行ってちょうだい」
『了解。死なないでくださいよ』
「もとよりそのつもりよ。人生、まだまだこれからだもの。私も、みんなも」
そんな会話を続けた後、リリアンは全艦放送へと切り替える。
「総員、退艦準備始め! 非戦闘員及び負傷者、並びに今現在仕事のない者はセネカへ移動! 悪いけど艦橋メンバーはまだ付き合ってもらうわよ。良いわね?」
その言葉に反論するものは一人もいない。
「一年前の事を思い出すと、こんな事になるなんて思いもしませんでしたけど、ここまで来ちゃったらもう最後までお供しますよ」
「まあ最悪、この艦橋区画を切り離せば簡易的な脱出艇の代わりにはなりますから。あとで誰かに回収されないとだめですけど。はぁ……私がいないと道に迷いそうだし……」
デボネア、ミレイが順番にそう答える。
コーウェンは鼻歌交じりで、右手の親指を立てていた。
「艦の制御はニーチェに任せれば良いです。無人艦隊もいますし、そうそう危険な事にはなりません。もうコントロールを奪わせはしません。それよりも、もうすぐ準備が整います」
ステラはまっすぐリリアンの目を見ていった。
「よろしい。さて……このバカげた戦争とその真実の探求を始めましょう。フリム、良いわね? あなたも、そしてリヒャルトも、色々と思う事はあるでしょうけど」
「……わかっている。私たちが一体何なのか、それは知らなくてはいけない事だし、私たちの先祖……いえ、オリジナルが一体何を考えているのか、それは知らなくちゃいけない事だと思うから」
錯乱状態にあったフリムも今は落ち着きを取り戻していた。
それと同時に艦橋へと騒がしい声が響く。海兵隊たちの重武装の音だった。
「アデル以下、海兵隊ただいま現着いたしました!」
メットをした状態のアデルたちが物々しい姿で現れ、そのすぐそばにはちょこんとリヒャルトがいた。彼は比較的安定しているのか、にこやかに手を振っている。
「や、すまないね。色々と僕たちの上がやらかしていたみたいだ」
「それを言えば人類全体の責任よ、リヒャルト。それより、あなたはこっちでよかったの? 今ならまだヴェルトールの下へ行けると思うけど」
「そりゃあ本音を言えばね」
リヒャルトはいつかのように不敵な笑みを浮かべて答えた。
それは学生時代の彼を彷彿とさせるどこかつかみどころのない、初めて出会ったときのような姿であり、ある意味では最も見慣れたリヒャルトの姿でもあった。
「でもそんな余裕はないだろう? それにここには彼の想い人もいる。彼女を守ることも、彼の副官たる僕の役目だ。それに可愛い妹もいる」
こんなジョークも言えるようになったようだ。
もうリヒャルトを心配する必要はないかもしれない。彼は彼で、様々なものに踏ん切りをつけたようだ。
自分と同じく、過去を振り切ったのならそれは良い事だ。生まれがどうあれ、存在がどうあれ、少なくとも共に過ごした仲間であるのだから。
そんな彼を特攻染みた作戦に巻き込むのは中々矛盾しているというべきだろうが、現地の事を理解している案内役が必要なのも事実だ。
こればかりはリヒャルトとフリムには着いてきてもらうしかない。
「皆様の安全はお任せください! 海兵隊一同、全力でお守り致しますとも!」
アデルはパワードスーツの胸部を勢いよく叩いた。ガンと鈍い音が響く。
「頼りにしているわ、アデル隊長。でもあなたも生き残る事を優先して頂戴。デランに恨まれたくないもの」
「大丈夫です。腕の一本や二本なら再生医療で治して貰えるでしょうし、義手もありますので!」
「そういう事じゃないのだけど……まぁそれで納得しておく。さて、そろそろやろうかしらね?」
リリアンは艦長席のコンソールを確認する。
相変わらずエリス全体の状態は最悪だ。危険を示す赤いシグナルが表示され続けているし、残った砲塔も殆どが使い物にならなくなっている。
遅かれ早かれエリスは戦闘自体が不可能となるだろう。それでもまだ仕事をしてもらわないと困る。
「エリス……ロストテクノロジー、かつての人類が作った同類ならやってみせなさいな」
短い付き合いであり、我儘すぎる艦ではあったが、今こうして思うと悪いものではなかった。
この性能のおかげでここまで来れた事は事実であるし、よくぞ持ちこたえてくれたと思う。
あともう少しだけ。今度はこちらの我儘に付き合ってもらう。
「エリス。お前が前の世界でどんな運命を辿ったのかは、想像するしかない。でも、私はお前は前の世界でも人類の窮地を救ったと思いたいわ。どんな形であれね……それはこっちの世界でも同じだと信じたい」
誰に聞かせるわけでもなく、リリアンは小さく呟いた。
前世界のエリスがどういう使われ方をしたのかはわからない。だが、ステラ元帥の無敵の無人艦隊の存在を思い出せば、恐らくはそういう事なのだろうと思う。
少なくとも、無人艦隊による無慈悲な戦闘行動によって、主力が壊滅し押し込まれ滅亡を待つだけだった前世界の地球はある程度を盛り返した。
その結果、資源を食いつぶし飢餓や貧困を招いたという点は無視できない部分であったが。
そしてそれを実行したのはあっちの世界のステラだ。
そんな風に彼女を変えたのは自分である。
「そう考えれば……きっとこれは良い選択だったと思う」
前世界のステラ元帥は、帝国の兵士を一人も殺すことなく戦況を盛り返した。
だがその実態はあらゆる資源を犠牲にし、無人艦隊を増産させ、それを湯水のごとく使い潰し、自爆特攻に近い戦法で敵をすり潰すという究極の消耗戦を展開したからである。
彼女の天才的な艦隊運営が全くなかったとは言わない。
だが、復讐に飲み込まれたステラは他の誰がどうなろうと構わず、敵を絶滅させる為だけに戦っていた。
あの時、自分が死んだ後の世界はどうなっただろうか。
それはわからない。ただ一つ確かなのは、あの世界よりはマシという事だけだ。
「……やっていいわよ、ステラ」
深呼吸を一回。
リリアンは命令を下す。
「了解。ニーチェ、無人艦を中継ポイントに設定。無人駆逐艦を随時、敵旗艦に撃ち込んでピンに。ワープ準備。シールド艦はエリスに集中。主力戦艦の一部コントロールをラケシスに譲渡。ワープ波同調準備。ウィルス散布準備」
一瞬だけ、エリスの照明がダウンする。
それはこれから始まる一大作戦の為にエネルギーをワープと敵艦ハッキングに回す為であった。
「各員、ヘルメットを着用確認」
リリアンがそう付け加えると、全員がメットを被りなおし、フィルターを降ろす。これで生命維持装置が作動する。
同時に無人の駆逐艦が短距離ワープを始めた。一瞬にして加速、接近を行う。当然だが敵もそれに対して迎撃を始め、何隻かの駆逐艦は撃沈されるが、もう使い潰す前提の無人艦の前には、そのような抵抗は無意味だった。
ミサイルのように群がる無人駆逐艦。それぞれが盾となり、爆炎で視界を遮り、なおも接近する。そんな無秩序な攻勢は敵の陣形にわずかな隙を与える。
その隙をつくように巡洋艦が、戦艦が、攻撃を加え穴をこじ開けようとしていた。
「総員耐衝撃準備! ワープ開始!」
リリアンが叫ぶ。
その刹那、エリスの巨体が揺らめく。短距離ワープによる特攻じみた接近。
数秒の後、エリスは、自身と同じ形をした敵旗艦の真正面へと姿を現していた。超至近距離、否それはゼロ距離でもある。
宇宙には聞こえないはずの轟音が響いたように感じられた。巨体同士の接触、体当たりに近いそれはガリガリと互いの装甲を傷つける。
「案内してもらうわ……!」
瞬間。
その二隻は眩い光に包まれ、宙域から姿を消す。
そして──
緑の星の、緑の海に、巨大な二隻の戦艦が落ちた。
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