第146話 幕を開けろ

 宇宙に音は響かない。艦内に流れる音は人の息遣いと機械の動作音、そしてシールドの干渉波が艦体を叩く時ぐらい。

 そのはずだが、駆逐艦セネカは静寂であった。そう思ってしまう程にクルーは鎮まり返り、ひたすらに待ち続けた。

 敵に捕捉されない為に最低限のシステムのみを起動させ、ただ浮かんだ状態。当然だが、シールドも展開していないし、護衛機もいない。


 ここから即座に戦闘態勢を整えるにしても、時間はかかる。

 全くの無抵抗の状態を維持して、時が来るを待つ。それは真綿で首を絞められるような感覚に近い。

 時間が経過すればするほどに潜在的な恐怖は大きくなる。


 リヒャルトは無意識のうちに自分の手が震えている事に気が付いた。

 ほんの少し心細くなり、ちらりと周りの海兵隊たちを見る。隊長であるアデルも部下の屈強な男たちもその殆どが簡易アーマーを着込んでいるせいか、細かい動きは観察できない。

 それに突撃艇に乗り込み、敵陣のど真ん中を突っ切って最前線で暴れるような連中だ、こういう状況での落ち着き方は心得ているのだろう。

 みな、無表情だった。

 それでも、内心の方がどうなのかはわからない。あえてそれを聞くのも野暮でもある。


(怖いに決まっているか……だけど、今更それを泣き叫んでも仕方ない)


 そんなことを考える余裕が自分にもある事に気が付くと、なるほど自分もまたどこか狂っているのかもしれないとリヒャルトは思う。

 かつて……十五年前のあの日もそうだった。スパイとして送り込まれたあの日。あの事件を起こすきっかけとなった決起。死んでいく仲間たち、救いを求めた相手から攻撃される恐怖。

 そして……妹と二人で、幼いあの少女を見つけた日……あのまま焼け死ぬかもしれないと思ったその刹那にリヒャルトは感情というものを自覚できたと思う。

 

(あの日、僕たちはどうせ死ぬと思っていた。それが何の因果か生きてここまで帰ってきた)


 虐げられる同胞を救う為……いいや、そんなのは建前だ。

 実際の所は単なる復讐なのだろう。もっと言えば、死にたくない、自分はまだ生きていたい。共に人生を駆け抜けたい相手のそばにいたい。言ってしまえばその程度の理由だ。

 それで反逆を始めて、地球帝国をここまで連れてきた。

 ある意味、自分は扇動者としての素質があるのかもしれない。

 どちらにせよ、地球とサラッサの衝突は免れないのだろうが……。


(そう言えば……何をすれば、この戦争は終わるのだろうか。サラッサたちは自らの種族の維持の為、人類の繁殖力に目をつけた。オリジナルの人類であれば、生殖器も繁殖力も残っているから……本当に、それで解決するかどうかもわからない癖に?)


 頭の隅に漠然と残っていた疑問だ。

 サラッサの連中の真意というべきか、こうであろうということは予測できる。種族繁栄の為も嘘ではないのだろう。実際、その為に生き残った人類が人体実験を受けてきたのも事実だ。その過程で生まれたのが自分たち両性の特性を持つクローンなわけだが。


(しかし……これは、どちらかと言えば……)


 リヒャルトは何かを掴めそうだった。

 しかし、それと同時に艦内に緊急通信を知らせる音が響く。

 その瞬間、リヒャルトたちの動きは素早かった。セネカの戦闘態勢を一瞬にして構築し、十数秒足らずで、射撃可能な状態へと持っていく。

 姿勢制御、装備されたマスドライバーの準備。そして、攻撃予測位置の設定。


『リヒャルト、待たせた』


 膨大な情報が送られると同時にアレスの声が聞こえてくる。

 映像通信ではないが、彼の生真面目な顔が浮かんでくる声だった。


『セネカに狙撃ポイントを送信した。完璧……とは言い難いが、敵がヴェルトールの予測通りエリスと同型だとすれば……恐らくは命中するはずだ』

「ありがとう、アレス。僕を信じてくれて」

『この戦いを切り抜けるにはそうするしかないだろう。それに、ヴェルトール程じゃないが、お前との付き合いも長い。今更、お前が裏切るなんざ思っていない。デランだってそうだ。お前たちの攻撃が成功しようが、失敗しようが、デランは攻撃隊を向かわせて援護をすると言っている』

「そうか。ありがとう。やり遂げるし、海兵隊は殺させない」

『あぁ。それと……』

「なに?」

『特攻はなしだ』


 それだけ言って、アレスとの通信は切れた。

 リヒャルトは思わず苦笑する。彼にすらバレていたのか。

 それともヴェルトールが伝えたのかな。まぁそんなことはどうでも良い。

 仲間たちは死ぬなと言ってくれた。それは、リヒャルトにとっては嬉しい事なのだ。


 そして、彼はトリガーを握る。

 海兵隊たちが照準を合わせてくれている。軸を合わせ、軌道を合わせ、狙撃準備が整う。


「一投目、準備完了」

「受信座標軸、ど真ん中です、隊長」

「邪魔な敵艦隊の隙間までは対応できやせんが、マスドライバーの貫通力ならいけますぜ!」

「即座に二投目も可能。ですが、これが限界っぽいですねぇ! 二つ撃ったらとんずらしましょう!」


 先ほどまで押し黙っていた海兵隊たちが口火を切って騒がしくなる。

 

「よぉし、それでは盛大にやってくれ、リヒャルト殿!」


 ぱしんとアデルがリヒャルトの背中を叩く。相当手加減しているはずだが、じんわりと痛みが走る。でもそれが生きている感覚を呼び起こしてくれた。

 トリガーを握りしめ、画面に映し出される簡易スコープと軌道した照準補正と敵のデータを睨む。

 敵はまだこちらの存在には気が付いていない様子だが、何かをしようとしている事は察知しているようだった。

 にわかに敵艦隊の動きに変化がみられる。防御陣形とでもいうべきだろうか。

 何もない空間を守るように敵艦隊の一部が騒がしい。


「一発で結果を出す」


 そのあとは全力離脱だ。

 死ぬつもりはもうない。

 指に力を入れる。一瞬、こんな事になるのなら、コーウェンに狙撃のコツを教わるべきだったなと思うが、それはもう後の祭りだ。


 既に質量弾は放たれた。

 一瞬にして亜光速に近い速度で射出された弾丸。その反動を抑えるべく、セネカの各部推進機関が唸る。この時点で敵にセネカの存在はバレただろう。

 だがもう遅い。放たれた弾丸は敵艦隊の隙間を縫うようにして何もないはずの空間へと伸びてゆく。

 そして──


「ッ……!」


 リヒャルトは思わず奥歯を噛みしめる。

 弾丸は命中した。だが、セネカのカメラが捉える映像には何かに弾かれる弾丸が映し出されている。


「弾かれた……!」


 貫通していない。敵はいた。だが思ったよりも防御が厚い。

 ならば即座に二射目を……いや、無理だ。ここは逃げるしかない。

 死ぬつもりはない。それに敵の存在は感知できた。あとはこの情報を味方に伝えればいい。

 だから今すぐにこの場を離脱する。

 敵艦隊の一部がこちらに艦首を向けている。その中には空母級もいる。

 凄まじい恐怖と焦りが体を支配するが、それでもリヒャルトは叫ぶ。


「全力で撤退──」


 その刹那である。

 無数の爆光が【敵艦隊】から発せられる。それは敵の攻撃ではない。

 敵艦隊が爆発している。無数の【実弾】の雨が降り注いでいる。

 それを見てリヒャルトはハッとなり、同時に呆れたような、安堵したような、乾いた笑い声が出てきた。


「は、はは……なんなんだ、あの女は」


 それは、エリスの国家予算を湯水のように使い切る全力射撃であった。


「こっちの攻撃に合わせて、射撃の機会を伺っていたのか……?」


 リヒャルトたちの目に映るのは、馬鹿みたいに前に出て一斉砲撃を続けるエリスの姿であった。タイミングがズレれば、一方的な攻撃に晒されるはずの危険な行為。

 仮にセネカの攻撃が外れたらエリスは無駄な行動をした事になる。

 全てがかみ合って初めて出来る二段構えの奇襲だ。

 これもヴェルトールの作戦か? いや、彼はそこまで危険な賭けを続けない。

 となると、これは……リリアンか、それともステラか……どっちにしろ、怖い女性たちだ。


「幕が上がる……」


 離脱をしながら、リヒャルトは爆光の先を見る。

 何もない空間に歪みが生じていた。そして徐々に隠されたものが姿を見せる。

 横に広がったような異質な艦体。X字のような造形。細部は異なれど、そこにいたのはエリスと同型の艦。

 違うとすればエリスは四つのマスドライバーを装備しているのに対して、あちら側はシールド発生装置と何やら電子戦用の装備を二つずつ装備していた。

 だが最も違うのは艦中央区画に存在する突起物。それが何かしらの装置であることはわかる。だがそれは破損しているのか、内部から黒煙を噴出させていた。


「ステルスシステムか……?」


 その装置が自動的に切除されるのが見える。

 同時に、遠征艦隊のシステムが即座に復旧されていく。

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