第142話 暗黒星雲宙域

 馬頭星雲。地球から観測されるその姿は読んで字のごとく、揺らめく馬の頭のような黒い影として見える。それは、宇宙が織りなす神秘であり、たまたま宇宙を漂うガスなどがそのように見えているだけだ。

 意図して形成されたものではないのだが、その若干の都合の良さを感じさせる造形に人々は空想を傾ける事もあった。

 曰く、それは巨大な宇宙生物であるとか、曰く、それは巨大な宇宙船かもしれないなど。


 その実態は宇宙の自然現象であっても、心惹かれる何かがある。

 それは帝国軍人であっても同じである。

 遠征艦隊の全員が、まだ見ぬ馬頭星雲の彼方へとたどり着こうとしていた。

 不思議なのは、馬のような形が一切変わっていないという事だろうか。人類に初めて観測され数千年。それ程の途方もない時間が過ぎたというのに、馬頭星雲の形は、細部にわずかな違いを見せつつも、大まかな造形はそのまま言えた。


 その不気味さが、実は生物なのではないかと言う疑念すら抱かせる。

 近づけは近づくだけ、全体像を把握しづらくなるし、場合によってはその中へと突入する可能性だってある。

 かつて、地球を脱出した人類の末裔はここにたどり着いていたらしいが、彼らも同じ感想だったのだろうか。


 そして、そこで出会った異なる知的生命体との争いも。

 馬頭星雲はただじっと見つめていたのだろうか。悠久の時から存在するこの黒い大きな塊は、生命体の小賢しい争いをどう見ていたのだろうか。


「暗黒星雲の影の向こう。といっても、先端も先端。切れ端も切れ端。揺らめく影の穂先が少し触れるかどうかの微妙な距離。そこにあるのが、惑星サラッサ。黒い星雲と、巨大な太陽が折り重なり、奇跡的に光と熱を調整し、図らずしも地球と同じような環境を作り出した、もう一つの奇跡の星」


 戦艦フォルセティの艦橋で、リヒャルトはなつかしく、そしてできれば戻りたくはなかった故郷を前にして、独白のような言葉を紡いだ。


「僕たちが見る夜空は漆黒にオーロラが浮かんでいるんだ。暗黒星雲のガスや周囲の恒星の光が反射していてね。詳しい原理はわからないけどね」


 彼の語る星はいまだ観測出来ない。

 遠征艦隊は敵艦隊のワープアウトの痕跡を辿りながら、ゆっくりと、そして確実に敵の本拠地へと向かっている。喜望峰から得られた航路、その座標の示す場所。まだまだ気の遠くなるような距離を、ワープで埋めながら。

 それでも緩やかなのは、敵の喉元に迫っているからだ。地の利は向こうにある。

 いくら、リヒャルトやフリム、そして喜望峰で得られた情報があろうとも、こちらは攻めて、あちらは守りになる。その程度の準備はするはずだ。

 事実、第六艦隊は待ち伏せのような形で襲われている。


「はっきり言うと、連中がここまで本格的な軍事行動を起こすなんて珍しいんだ。それだけ、本気というわけなのかもしれない」

「俺たちと同じように、長距離の遠征を仕掛けてくる。それも、僅かな情報のみで、地球圏へとたどり着き、スパイすら送り込む。ある意味では兵法に長けているともいえるな」


 フォルセティの艦長席に座り、親友の言葉に耳を傾けていたヴェルトールもまた、漆黒の星雲とそこから微かに見える何かしらの反射光を眺めいた。


「これまでは、襲ってくる敵を撃退していた。だが今は逆だ。俺たちは攻め込む。その上で、もう一度聞いておきたい。俺たちの敵は、一体どういう連中なんだ」


 敵の種族的な特徴は知っている。その特異性も。目的も。なぜこのような戦争になったのか、その理由も判明している。

 切実な問題だとは思う。だからと言って無抵抗で受け入れるわけではない。

 何より今はこれまでは逆の立場となっているのだから、知る必要がある。

 敵の社会構造を、組織図というものを。

 戦いはただ敵を撃滅すれば良いというものではない。抑えられるものをがあれば、降伏を勧告する事だって出来る。

 敵の星に乗り込み首都を占拠する事も視野に入れるべきだろうし、場合によってはあちらの最高指導者のような者を捕らえる必要もあるだろう。


「彼らもまたクローンを多用している。氏族単位での行動が常だし、そういう意味では群生に近い構造をしている。かといって個性というものが皆無なわけじゃない。多少なりとも氏族間の交流もある。なかには僕たち人類に多少の哀れみを向ける者だっている。でも、そういう余裕とは別に、彼らにも焦りがあるから、こんな戦いになっている」

「それは俺も納得はする。敵の全てが邪悪ではない事ぐらいは俺だって考えているさ。俺たちは少なくとも……敵の種族を殲滅しようなどとは思っていない」

「地球帝国でいう所の王族というものはサラッサには存在しないけど、権力図というものは必ず形成される。人類の言葉で表すならばそうだな……元老院とか、評議会と言うべきか。彼らはどっちかと言えばインテリ集団だから、頭の良い学者タイプの連中が上に立っている。そうだ、議会制というべきなんだろうね。実際の運営状況を見た事がないけど、彼らは少なくともその議会と呼ばれる場所からの通達を経て、行動している」

「議会か……民主的、とも少し違うな。議長のような存在がいるのか?」

「いる。当然だけど、僕たちはあった事もないし、顔も知らないけどね。そいつがこの十五年にわたる作戦を立案したとも言うらしいけど」


 何かしら引っかかるものがないわけではないが、その議会とやらを制圧するのも戦争勝利の一つの達成目標かもしれない。


「結局の所、本星に乗り込んで制圧しなければいけない事に変わりはないか」

「そういう事。でも、僕たちが知る情報はもう古い。第六艦隊を待ち受けていた罠だって、あんなピンポイントにエリスだけを狙うような作戦があるだなんて思いもしなかった。当然と言えば当然だけど、僕たちは所詮、使い捨てだ。あっちの詳細なんて知らされるわけがない。でも気を付けた方がいい。なにせあっちには」

「光子魚雷がある。何発残っているのかはわからんが……惑星に多大な被害をもたらすあの兵器は警戒するべきだ。対処が遅れれば、この艦隊が一撃で壊滅するだろうからな」


 暗中模索とはこの事だ。

 それに人類の末裔の解放だってある。

 やることは多い。


「でもね、ヴェル。僕は今でも少し考えるんだ」

「何をだ?」

「あの星にいる人類は本当にそんなことを望んでいるのか。受け入れている者だっている。それに、僕やフリムの感情は個人的なものだ。喜望峰ではそれがうまく伝播したとはいえ、星一つの住民を扇動するというのは……まるで僕が戦争をけしかけているようにも思ってしまう」

「……俺はこの手の慰めの言葉を知らない。だから、その意見に関してはそうだろうなとしか言えん。だが、お前が立たなくても、連中はどっちにしろ俺たちを狙っていた。遅かれ早かれなんだ、リヒャルト。それに、過去はどうあれ、今この戦いにおいては、先に手をだしたのはあちらだ」


 それに、この話の答えはもう出ている。

 今更戦いを放棄することはない。もう戻れない場所にいるのもそうだが、こちらを実験動物のように扱おうとするのは断固として拒否する。

 物事はそれぐらいシンプルで良い。


「さぁ、もうすぐ艦隊はワープに入る。航海士たちの話では座標地点から200光年……途方もない距離だが、目と鼻の先ともいえる。不思議な感覚だな」


 暗黒星雲宙域への突撃。

 遠征艦隊は再度、艦隊陣形を確認して、ワープへと入る。

 そして。


 全艦隊にレッドアラートが鳴り響いた。

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