第120話 神を見た女

地球からおよそ80光年の宙域。敵が潜んでいる可能性があるギリギリの距離まで接近した月光艦隊であるが、未だに敵の反応の一つも感知する事が出来ないでいた。

 それは非常に不気味で、クルーの多くが少なからずのストレスを抱えていた。それでも艦の業務と言うのは暇という事はない。

 極端な事を言えば、弾薬や食料を含めたあらゆる物資の目録を機械だけではなく、人の手で確認する作業がある。一発の弾薬でも数え間違いがあればそれは始末書ものだし、監査にも関わる話だ。


 それは戦闘以上のストレスになる。

 さらに帝国軍は食料品に関しては最高品質を自負している為、万が一にでも保存の効かないものやどうしても冷凍出来ない食品を優先的に処理しなければいけない。

 艦内の設備も言ってしまえば二十四時間稼働しているのだから、動かすだけで劣化が進む。機関部や推進器などは日々の調整が必須となる。

 その中で敵襲を警戒しろと言うのだから、たまったものではない。


 古い軍人が言った言葉らしい。

 「我々の仕事は問題を片付けるのではなく、問題を見つける事である」というもの。

 それが本当に軍人が言った言葉なのか、それとも何か映画のセリフなのかはわからない。

 しかもそれは古い軍人たちの間で流行った言葉であり、月光艦隊のクルーの大半は知らない者の方が多いだろう。


「奇妙な感覚だな……」


 その無駄とも思えるような時間の中で、アレスはじっとモニターやセンサーを注視していた。艦長席からでも各部署の最低限のモニターは確認できる。当然、カメラが捉えた映像と画像もだ。

 シュバッケン宙域を20光年に見据え、望遠カメラを起動させれば馬頭星雲も見えるだろう。


 そこに敵がいて、今まさに地球を襲おうとしている。

 だが、モニターに映る宇宙は静かであり、遥か彼方の星雲は動いているのかどうかもよくわからない。

 そこに生命の痕跡を見出す事も出来なければ、まさか艦隊を組んでやってきている等とは思えない程だ。


「丸一日経ったか……フム……」


 艦隊行動で一日何も起きない……否、何も見つけられないという事は多いにある事だ。それが果たして良い事かどうかはさておいても、不気味さは加速する。

 敵は、あの海賊だった女は一体どういう腹積もりでいるのか。およそ常人には計り知れない思考回路をした女だ。

 過去の遺物、クローン兵士。しかも宇宙で生身を晒しても十分程度なら行動が出来る?

 それは果たして【人間】と言って良いのかわからない。昔の人間はそんな意味のわからないものを量産して、一体何と戦おうとしていたのだ。

 光子魚雷の存在もそうだが、戦争というものに対していささか過剰でもある。


「まさか、サラッサ以外の宇宙人と実は戦争をしていた……いや、予定していたなどとは言うまい」


 その点に関してはニーチェを含めた過去の遺物のデータを隅々まで調べてないと判断できる。

 つまり人類同士の戦争の行き着く先が改造人間と全てを消失させる恐るべき兵器の応酬というわけだ。

 そのような事実を、帝国は隠そうとしていた。

 それは、なぜか。恐るべき遺産を未来に残してはならぬ為か? なら宇宙技術の全てを放棄すればよかったのだ。

 それをしなかったのは結局……そう考えた所で、アレスは思考を切り替えた。

 それはもう考えるだけ無駄な事だ。


「艦長」


 丁度良い……と言って良いのかわからないが、部下の一人が報告をしにきた。


「なんだ」

「微弱ですが、通信波を感知しました。例の旧軍のものです」

「繋げられるか」

「感度が弱いので、ノイズが混ざる可能性があります。恐らく、相手側の機器が破損している可能性もあります」


 部下の報告もそうだが、シュバッケン宙域には過去の通信中継衛星がまだどこかに存在しているらしいというのは聞いている。それはヘンゼルとグレーテルの童話のように、小石で目印を残すようなものだ。

 だが、微弱と言うのは奇妙な話だ。


「繋げろ。だが用心しろ。まさかとは思うが、ウィルスの類を忍ばせている可能性もあるからな」


 随分と臆病になっている自分に思わず自嘲がこぼれる。


「旗艦、総司令にも報告する」


 アレスはそう付け加えた。ヴェルトールらからは了解の返答が来る。それを受け取ったアレスは部下たちに小さく頷いた。

 部下は指示通りの操作を行い、通信を繋げる。

 まず始めに聞こえてきたのは、砂嵐と呼ばれるノイズだ。まるで旧世紀の古いラジオのような音が鼓膜をつんざき、思わず顔をしかめさせる。


『──聞こえますか──聞こえていますか──』


 ノイズに交ざり女の声が聞こえる。抑揚がないが、アレスはそれがラナとかいう女のものだと言う事がすぐにわかった。


「ラナ……あのいかれた女め」


 女の声を聞いてここまで苛立ちが募るのは始めてた。

 無意識のうちに、アレスはひじ掛けを握りつぶすように掴んでいた。


「艦長。次第に波長が大きくなります。映像通信も無差別に……恐らく、ランダムで全方位に垂れ流しているのかと……」


 微弱な通信波の正体は恐らくそれだろうとアレスは認識した。

 四方八方に好き勝手に通信を飛ばしている。ランダムと言うのだから大して指向性を持たせているわけでもないし、通信強度を与えているわけでもないようだ。

 しかも映像通信ときた。


「通せ。奴の顔を拝んでやる」


 多少のタイムラグはあるだろうから、その通信を送った後には既に連中は移動している可能性もある。


「旗艦に通達。第一種警戒態勢を要請。通信が拾える距離だ。下手をすればもっと近いぞ。各種センサー、最大感度。主砲、魚雷、準備急げ」


 それは警戒と言うよりはすぐさま戦う為の準備だった。

 しかし、アレスの危機感は即座に月光艦隊に伝わり、物々しい空気の中、戦闘態勢が整っていく。

 軽空母でもあるリリョウでは既に艦載機の発進準備が整い、シールド艦も所定の位置について、艦隊を守るべく待機。

 長距離、単距離の魚雷も迎撃機銃も全て準備完了。

 ラケシスのレドームも最大稼働を始めたのか、艦内が少し震える。


「映像、きます」


 刹那。モニターにノイズ交じりの映像が映り込む。

 一瞬するとそれは何が映っているのかわからなかったが、よく見ると少女の顔だ。

 二度と見たくないと思っていたラナの均整な顔が、まるで祈りを捧げるように瞳を閉じて映り込んでいた。

 顔だけが至近距離にあるというのは、何と言うか異常というか、気持ち悪いものだ。

 わずかながら、首筋、両肩の素肌が見える。

 もしかするとラナは全裸なのかもしれない。だがそこに猥雑さのようなものはなく、どこまで言っても頭のおかしい奴がおかしい行動をしているようにしか見えない。


『星の彼方。海の向こう。深い深い底の底』

「なんだこれは」

「さぁ……聖書の一節じゃないですか」


 通信が繋がっているという事はお互いに言葉が交わせるが、ラナからの通信は一方的で、こちらの存在に気が付いている様子もない。

 映像や通信をまとめて送ったのではなく、多少のラグはあれどリアルタイムで繋がっているのだ。


『生命の源。神もまたそこにいる。聞こえていますか。私たちはついに神様と出会ったのです。聞こえていますか。リリアンさん』


 その言葉を聞いた瞬間、アレスはゾッとする。

 そう言えば、この女は妙にリリアンに固執していた気がする。


『あなたに教えたい。聞こえているのでしょう。リリアンさん。神様はいました。神の国はありました。リリアンさん。さぁ私ととと共に神のお国へゆいましぃう』


 言葉がおかしい。

 まるで壊れた機械のような……すると、クルーの何人かが小さな悲鳴を上げた。

 一瞬、アレスはそれがどういう反応だったのかわからない。

 アレスがその時、意識を向けていたのは言葉と声だった。何か、人の声とは違うものが混ざっている気がした。

 だが、その悲鳴のせいで、アレスは映像に意識を向けてしまった。


「……なんだ、こいつ」


 映像が、ほんの少しだけ引いた形となった。

 ラナの全体が露わになる。

 そこにいたのは、上半身だけとなり、機械に繋がれたラナの姿。埋め込まれてるというのではない。繋がれている。腕もなく、ただ顔と胴体だけがあり、しかしよく見れば後頭部にも何かチューブのようなものが繋がっていた。


『リリアンさん。どこにいますか』

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