第107話 運命に流されるだけのもの
「君も暇じゃないんだろう?」
いつもと同じ時間。同じタイミングで姿を見せたヴェルトールにリヒャルトはいつも通りの態度で接していた。一つ違うのは親友同士の間には強化ガラスがあり、薄いなれども強固な壁は今の二人の関係を現していた。
月面基地の一角。そこにリヒャルトとフリムは書類上は捕虜として扱われいた。
これは当然二人の身柄を確保し、守る為の処置である。
「それに今日はリリアンの昇進パーティー。皇帝陛下も顔を見せる行事だ。それを休むなんてね」
「主役はあいつだし、第六艦隊の根幹をなしているのはエリスの面々だ。俺たちはまだ月光艦隊なんだよ。出向先の司令官殿とは少し立場が違う」
「そういうものか。それにしても、先を越されたね。十九歳の若き少将。こりゃ異例だ」
薄暗い部屋の中であっても、二人の会話は昔のままだった。
お互いに微笑を浮かべ、気兼ねなく会話を続ける。
「これで改革が進むのならそれはそれで俺にとっても都合が良いのさ。リリアンは矢面に立って全てを受け止めようとしている」
「不思議だったんだけどさ。彼女、どうしてあそこまで躍起になっているんだろうね。かつてはそんなそぶりは一切なかった」
「さぁな。あまり、女性のプライベートには踏み込まない方がいいのさ。それでも俺は、あの女は信じても良いと思ったし、面白いとも思っている。何を成し遂げるのかを見定めても良いとな」
「ステラに優しくしてくれたからじゃないのかい?」
リヒャルトの指摘を受けて、ヴェルトールは少し困った顔を浮かべた。
「俺はそこまでちょろくはない。それに、親友の苦しみを理解していなかった鈍感な男だぞ? 他人の気配りを全て理解してるわけじゃないし、行動も読み切れるわけじゃない」
「その話を持ち出す? 前から思っていたが、君は意外と性格が悪い」
「お前ほどじゃないさ」
「言っておくけど、僕が話せる事はもうないよ。君たちに話したものが全てだ」
この刹那。二人の間にはピリピリとした空気が流れる。険悪というわけではない。
真剣な話をしている時は常にこういう空気が流れる。
「いや今回は俺からお前に報告がある。ミハイルおじさんとエルビアン・結城についてだ」
その名が出た瞬間、リヒャルトは体を強張らせたのがわかる。
「ギュローン中佐を通してな。リリアンが既に手配していたらしい。安心しろ二人とも生きている。どれだけの情報漏洩があったのかも調べないといけないしな。それに、二人は一応、被害者だからな」
作戦司令部。かつての古巣の力を使い、スパイを育てたかつての帝国兵士二人は即座に逮捕された。その後は政治犯という扱いの下、収容と尋問を受けているらしい。流石にどういう手段が取られているかはわからない。
厳しい取り調べを受けている可能性もあるし、下手をすれば自白剤の投与という可能性もあるが、これ以上は流石に関与できるものではないし、それを受けるだけの行いでもあった。
むしろリヒャルトとフリムがここで放置されている現状こそが異常な方である。
本来ならもっと取り調べを受けてしかるべきなのだ。
「あまり驚かないのだな」
確かにリヒャルトは少し強張っていた。
それでも取り乱しはしない。むしろ、そうなって当然であると理解している風でもあった。
「いずれバレる事さ。それに父さんはほら、体が良くないからさ。あまり長くないんじゃないかな」
ミハイルには末期のガンが見つかっている事が判明している。今の技術なら取り除き完治する事も可能だが、本人がそれを拒否しているとの事だった。
「あぁそうそう。パートの家政婦さん。あの人は本当に無関係だからそこは何とかしてあげてくれないかな」
「安心しろ。ギュローン中佐の優秀さはお前も知っているだろう」
「そうか。なら安心だ」
その瞬間、再び二人の間には緩やかな空気が流れていた。
だが、ヴェルトールは一旦笑みを浮かべるのをやめて、真顔に戻る。
「お前の親父さんたちの証言。そしてお前たちが語った真実。これを使って俺たちは帝国上層部を追求する。正直、こんな大事になるとは思っていなかったが、俺たちの計画を恐ろしいぐらいに短縮するにはうってつけの材料だ」
ヴェルトールは常々思う。
それもリリアンとの出会いが発端の気がしてならない。
その心情をステラに話したこともある。
「帝国軍の改革か。ま、実際これで屋台骨は揺らぐわけだし、せまりくる外敵の対応を迫られる以上、今までの安穏とした態度ではいられないよね」
リヒャルトは「まぁ半分は僕たちのせいだけど」と茶化しながら付け加えた。
「あぁそうだ。だがそれはやむにやまれぬ事情があったからだリヒャルト。だからこそ、お前も協力しろ」
「僕はもう十分、君たちに情報を提供したよ。あぁ、でも連中の呼称に悩んでいるのなら僕たちが勝手に呼んでる俗称があるよ。サラッサ」
「サラッサ……確か、旧世紀の聖書というものに出てきた言葉だったか」
「それ以外にもギリシャ神話に出てくる海の女神とも言うね。発音としてはタラッサの方が正しいかな?」
「海……連中はその生態はウミウシやナメクジに近いと言っていたが……」
「彼らの言葉で言うところの人類さ。海よりうまれし者。皮肉だよね。サラッサは女神としては多産だったらしいよ。それが今じゃ、滅亡の危機」
リヒャルトは自嘲するように答える。
「多産の性質は奴隷として捕らえ、肉体改造を施した僕たち人間に受け継がれた。前にも説明した通り。僕たちは男であり女である。どっちかの性質が強く出るけど、どっちでも妊娠も出産も可能。男が男を、女が女を。そう言う事が出来る。出来てしまった。まぁこうなるとさ、色々と頭ん中の常識も変わっていってね。連中もそうだけど、僕たちはあまり性別にはこだわらなくなっていた。もう何千年も経つからね。君たちからすると気持ち悪いだろう?」
「いや。過程はどうあれ、それはお前たちの文化であり、常識であるのなら、俺たちは宇宙に生きるものとして理解をしなくちゃならない」
それは本心でもある。
少なくとも今の帝国はその手の話をとやかくいうような風潮にはない。
「だが、もしその生き方を強要されたのなら、それは……俺個人の意見としては不幸だと思う」
「かつての人類はそうだったかもね。でも、もう気にしてないよ。少なくとも僕たちの世代はね」
「なら、俺から言う事はない。お前の体がどうであれ、お前は俺の友達だ。リヒャルト」
「友達か……嬉しいね」
リヒャルトは寂しく笑った。
「……すまんな」
ヴェルトールも小さく謝罪の言葉を投げかける。
「謝らなくても良い。君が彼女にぞっこんなのは知っている」
「だがなリヒャルト。俺はお前の事を本当に、友人として好きだ。だからお前の言葉を聞きたい。卑怯と罵ってくれても良い。俺はお前の言葉を利用しなくちゃならない。本心を聞かせて欲しい」
「僕たちの秘密はもう何度も話ただろう?」
「いいやそうじゃない。俺は、お前から聞きたい言葉をまだ聞いていない」
「聞きたい事?」
思わず、リヒャルトは怪訝な顔を浮かべる。
ヴェルトールが何を求めているのかが一瞬わからなかった。
しかし、長い付き合いというものは、察しを良くする。ほんの一瞬の逡巡の後、リヒャルトはヴェルトールが何を言って欲しいのかを理解した。
「この言葉を言ったところで、何かが変わるとは思えないよ」
「だが俺たちはそうは思っていない。言葉とは時にそういう強さを求めている。かつてのお前たちは、それをやろうとした。だが、炎に包まれた」
ヴェルトールはまっすぐにリヒャルトを見つめた。
リヒャルトは思わず目を逸らす。
「頼むリヒャルト。かつて届かなかったお前たちの声を、俺たちに聞かせてくれ」
「ヴェル……」
「払いのけられた手を再び伸ばす事が難しいのはわかる。それでも、俺はお前たちを助けたい」
強化ガラスにヴェルトールの右手が押し付けられる。
それを見て、リヒャルトは肩を震わせる。
「僕は……」
拳を握りしめる。
かつての炎に包まれた記憶が脳裏をよぎる。
「僕たちを……解放してくれ……植え付けられた呪いの運命から……」
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