第94話 それぞれの親子の問題

 それも癖と言うべきだろうか。それともあらゆるものに疑心暗鬼になってしまったが故の問題だろうか。

 ミハイルは扉の開く音、足音、息遣いに敏感に反応していた。

 ベッドで横になったまま、瞼を開けて、左の方を振り向くと、そこにはティーセットを手にした義理の息子がいた。


「リヒャルトか」

「ごめん、父さん。寝ていたんだね」

「いや、良い。そろそろ起きなければならんとは思っていた」


 ミハイルはそう言いながら、ベッド脇のリモコンを手に取り、上半身を起こす。

 リヒャルトはベッドすぐそばの椅子に腰かけると、テーブルを引き寄せてカップに紅茶を注ぐ。

 ミハイルはそれを受け取ると、香りもそこそこに熱い紅茶を口に含んで微睡む思考を覚醒させた。


「無理はしないで。火傷するよ」

「慣れている。吉田さんはどうした?」


 吉田とはファウラー家唯一の使用人だ。パートタイマーの使用人はこの時代珍しくない。

 ファウラー家は貴族ではあるが、豪邸を持っているわけではない。それでも高級住宅街に一軒家を構えるぐらいに資産はある。

 仮に転居しても、あらゆるものが保障されている。そういう取り決めだからだ。

 それでも主であるミハイルは体調を崩し、車いす生活であり、息子であるリヒャルトがいない間は使用人を雇い身の回りの世話をしてもらう。

 

「帰ってもらったよ。フルタイム分のお給料を約束してね。家族水入らずになりたいって伝えたら、わかってくれた」

「そうか。まぁ都合は良いな」


 ミハイルは別のリモコンを手に取ると、窓のカーテンを開ける。

 昼も過ぎた頃の日差しが窓に差し込む。日差しを浴びるだけでも脳波は活性化するので、ミハイルは日当たりの良い場所に家を構えたのだ。


「リヒャルト。どこまで進んでいるのだ」

「……さぁね。主導権はあっちが握ってるし、僕はほら、裏切者扱いだからさ。でも、あの子は前倒しにしようとしている」

「そうか。結城が喜びそうだな。アイツは結局、乗り越えられなかったのか」


 紅茶を飲みながら、ミハイルはかつての仲間の事を思い出していた。エルビアン・結城。軍医として勤務していた男だ。

 あの地獄を共に経験した仲だ。同じ苦しみを味わった……友人だった。


「本来の予定ではいつ頃だったのだ?」

「三年後かな。あっちだって戦力を整えたいみたいだし、ロストテクノロジーを万全に使いこなしてるわけじゃない。だから、僕たちみたいな使い捨てのビーコンを方々に送り込んでいる」

「前にも聞いたが、ずいぶんとロートルな方法なのだな。力業と言っても良いが」


 息子曰く、本国とやらは使い捨ての調査団として何人もの子供と下級国民を使って宇宙を探索させているらしい。

 だが子供と言っても、若くて十四、十五の年齢から使うものだという。

 三歳程度の幼児の状態から使用することはよほど稀なケースなのだという。

 だがそれはある意味で成功していたのかもしれない。こうして、目の前の息子は世間から怪しまれることなく成長した。


「あっちじゃ、僕たち【人類】は下等生物だから仕方ないさ。それに、クローン技術も普及しているし、パーソナルデータがあればいくらでも複製できる。今頃、何十、何百の僕が向こうで働いているんじゃない?」

「遺伝子情報が同じなだけだ。お前は、そしてお前の妹も、この星で育った。その本国とやらのクローンとは別だ」

「そう言ってもらえると、ありがたいですね、父さん」


 リヒャルトの言葉は本心だった。


「それに、元を辿れば我々人類が撒いた種だ。私たちは、もう一つの人類の末裔に謝らなければならないはずなのだ。だが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。お前の見立てでは、その本国の戦力はどのようなもので来ると思う?」

「父さんや結城のおじさん。そして僕たちが送信した情報を精査しているだろうから、万全を整えたいのだとは思うよ。それこそ光子魚雷の使用は躊躇しないかもね」

「それだけではあるまい。我々の知らないロストテクノロジーを保有しているはずだ。それに、いつぞやの海賊船。あれも送ったのだろう?」


 スターヴァンパイアと呼称されたステルス戦艦。

 報告では撃沈された事にはなっている。リヒャルトとしてもそうであって欲しいとすら思っているが、妹であるフリムが旧連合の通信回線で割り込みをかけて接触を図っていた事は知っている。

 それを見て見ぬふりをして、通信記録をもみ消すのは中々大変だった。


「どうかな。破損状態も酷かったし。ワープ空間の中で消滅している事を願うよ。フリムも、無茶をするもんだ」


 本国へ新たな戦力、技術の提供という一か八かの賭け。あの損傷状態ではまともなワープなどできるわけがないが、万が一という事もある。


「あの子は、急ぎすぎてる。ここ最近は傍受される事も気にせず、逐一の報告だ。届くのだって時間がかかると言うのに。もうばれても構わないとすら思っているかもね」

「あのリリアンとかいう娘を随分と警戒しているそうだな」

「そりゃあね。取るに足らない、我儘娘だと思っていたんだ。それが、裏の顔はとんだ食わせ者。即座にスパイの存在にも気が付いていた」


 リヒャルトはやれやれと首を振った。

 お手上げという意味もあった。スパイの存在に気が付いてはいるが、その正体が誰なのかはまだ分かっていないようだ。それに情報の食い違いで勘違いもしている。

 それでも何かのきっかけがあれば即座に間違いに気が付いて、こちらの正体が割れる事だろう。


「しかも運にも恵まれている。ステルス戦艦だけじゃない。エリスまで見つけて、過去の作業ロボットまで見つけた。何かきっかけがあれば、彼女たちは僕たちの存在に気が付くだろうね」

「なぜ始末しなかった」

「何でだろうね。レオネルの時、タイミングはあったんだ。フリムは救護班として動いてたから、身動きが取れなかったけど。僕はなんでか彼女とコンビを組まされて、なんでか知らないけど、あの子は勝手に自爆して個室に搬送。その時に殺す事だってできた。でも、なんだかやる気が起きなくてね。フリムにえらく怒られた」


 リヒャルトは苦笑する。

 ミハイルはそんな息子の表情を見ながら、まだ熱い紅茶を飲み干す。


「ルゾールの娘だけではあるまい。ガンデマンの息子もだ。お前ははなから、やる気がなかった」

「父さんもでしょ? 復讐したいんじゃなかったの? 地球人に、アルフレッドに」

「してどうなる。確かに私の妻も娘も死んだ。それはお前たちが本国と呼ぶ連中に対する復讐だ。しかし、その種をまいたのは地球だ。では地球人に、今を生きる者に復讐するか? なら、それは私自身も罰せなければならない。とんだ矛盾だ」


 ミハイルはカップを置いて、深いため息をついた。


「だが、アルフレッドには。そして事実をひた隠しにする帝国軍、ひいては皇室には相応のものを払ってもらう。だから、お前たちに協力した。お前を引き取ったのも、何かに利用できるかもしれないという打算があった。でもな、全てが終わった時に、あいつらが戻ってこない事を理解すると、途端に空虚になった。意味などないとな……しまいにはお前だ。お前はやる気がなかったからな」

「やる気も何も。僕たちはただ地球の位置を知らせるビーコンだよ。それで使命は終わっている。他に何のやる気を出せっていうんだい? 僕たちは最初から死ぬこと前提の駒だよ」

「妹はやる気のようだがな」

「あの子は、ぶつけようのない苛立ちをくすぶらせているだけだよ。助けてくれなかった人類に対してのね。僕も、はじめのうちは恨みの一つはあったよ。でも生きてるだけでも奇跡だと思った」


 リヒャルトは俯きながら答えた。


「それに、結城のおじさんの狂気かな」

「あいつも全てを失ったからな……私と同じように、家族を。そして患者も。真面目な奴だったからな。あいつは全ての人類に復讐をしようとしている。その意見がフリムと一致してしまったんだろう」

「ねぇ、どうして僕だけを引き取ったの?」


 リヒャルトの疑問は引き取られてからずっと抱いていたものだ。

 だがミハイルは答える事はなかった。

 そのせいで、ミハイルにはよくない噂も立った。


「女の子だったからな。怖かった。もしもシンディーが大きくなったら、こんな顔をするんじゃないかと思ってしまった。ありえない話だ。オルミラもシンディーもフリムとは顔立ちも髪の色も違うのに……でも、私はあの顔が恐かった。復讐を誓いながらも、打算がありながらも、あの娘だけは……近くに置きたくなかった」

「そして、結城のおじさんに託したってわけか……本当、とんでもない偶然だよね」


 自分と同じ恨みを抱えたエルビアンに全てを話した。彼は快くフリムを養子に迎え入れた。

 そして誓った。必ず復讐を成し遂げようと。

 しかし、そこには決定的な違いがあった。

 エルビアンは、地球とその庇護下にある全ての人類への復讐を願っていた。

 同じく暗い復讐を抱くフリムとの出会いは、質の悪い奇跡にも近い。


『俺の妻も子も、そして身動きの取れない患者たちは死んだんだぞ! のうのうと何も知らない連中は生きているのにだ!』


 その言葉を聞いた時、ミハイルは相容れない事を理解した。

 自分が何か恐ろしい事に手を染めている事実に。だから、自然と離れた。エルビアンからは何も言って来なかった。どうでも良いと思われているのかもしれない。

 かといって、彼の行動を誰かに報告するつもりもなかった。だから見逃されているのだろう。


「リヒャルト。お前は結局どうしたい。本国の命令にも、妹を止める事もなく。お前は何をするつもりだ。そろそろ、お前はお前のやるべき事を決める時だ。本国とやらを裏切るのも良し。妹につくのも良し。私はどちらも尊重する」

「前から言っているだろう。僕は面白い方に付いて行く。ヴェルトールのやろうとしてることは荒唐無稽で理想論だけど、あいつは本気だ。それに、ステラやリリアンとかいう予想外もいた。どっちが良いかなんて決まってるよ」

「ゲームのつもりか?」

「違うよ。僕の幸運はあの星で生き残った事、そしてあなたに引き取られて自由に生活できた事だ。だったら後は流れに身を任せる方が良い。使命なんて知ったこっちゃないし、過去の人類の出来事なんて知らないよ。くだらない。拾った命をどう使おうなんて僕の勝手だ。だからフリムの邪魔もしない。ある意味、父さんと同じさ」


 リヒャルトは立ち上がって、答えた。


「あなたに育てられたんだ。あなたに似たんですよ。僕の人間部分はね」

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