第93話 業火の追憶
入植が安定していたはずの小さな街並みは一瞬にしてがれきと化していた。街のシンボルでもあり、遠く離れた地球や他の植民地惑星との連絡の要でもあったコントロールセンターは抉られたように破壊され、その周囲に駐留していた大気圏内用の武装パトロール艇も浮上することなく、残骸へと変貌している。
炎上と黒煙、怒号と悲鳴。それらを内在したさながら地獄の大地をミハイル・ファウラー大尉はブラスターライフルを片手に、宇宙港とは逆の方向へと駆けていた。
上空では帝国の大気圏内戦闘機が六機飛翔しているのを確認したが、すぐさま四機が撃墜され、街の北東部に落ちて爆発炎上するのが見えた。
シュバッケンの地上防衛戦力がどれほど残っているのかはわからないが、戦闘機隊があのざまでは期待など出来ないだろう。
それ以上に敵の奇襲のなんと卑怯な事か。
「歴史的な会合になるはずだったのに!」
ミハイルはそうぼやき、熱と煙に煽られながらも己の自宅を目指した。
「オルミラー! シンディー!」
軍人用の社宅エリア。新居ばかりが立ち並び、さながら高級住宅街にも見えたそのエリアもまた無残な姿へと変貌していた。
帝国軍の兵器の残骸が落ちているのもそうだが、何より所属不明……いや外宇宙から来た何かの兵器の残骸もあちこちに散らばっている。
ゾッとする。これが意味するのは、敵はここを集中的に狙ったとしか思えないからだ。
さらに言えばここには学校もあるし、託児所もある。病院だってある。軍人だけではなく入植者たちの生活の中心となるべき場所だ。
「オルミラー! 返事をしろ!」
四十五歳の大尉はこの入植した惑星で出会った若い女性と結婚をした。生まれたばかりの娘もいる。だから地上勤務を希望して、今日は早く帰る予定だったのだ。
だというのに、この有様はなんだ。一体何が起きてる。どうしてこうなってしまったのだ。
ミハイルは妻の名を叫びながら、住宅街を駆け抜ける。嫌なぐらいに人の気配がない。
「うっ……!」
その道中、爆風で吹き飛ばされたのか、家屋の残骸に突き刺さった人間の死体を見る事になる。いや、自分の意識が死体というものを無意識に除外していたのかもしれない。周囲を見渡せば死屍累々の光景が広がっている。
買い物帰りだったのかもしれない女性、すぐそばには幼児。学校へ向かおうとしていたのか、それとも帰ろうとしていたのか、学生カバンとその中身が赤黒い何かと混ざり合い散らばっている。自分と同じ軍服を着た兵士の姿も複数。
そこに生きている者はいない。蔓延しているのは死の気配のみ。それを自覚した瞬間、ミハイルの心は砕けそうになった。
いますぐ引き返せ。何かがそう告げている。
いいや駄目だ。二人を見つけるまでは帰れない。自分にそう言い聞かせる。
無駄だ。これはもう駄目だ。うるさい黙れ。逃げろ。嫌だ。死ぬぞ。構わない。
全ては己の心のうちから出てくる二律背反の言葉。
「あぁっ!」
ミハイルは大声を上げて、がむしゃらに走る。
頭の中のもやもやを払いのけるように、自分の自宅へと向かう。どれだけ崩壊していようとも道筋ぐらいはわかる。
大丈夫だ。オルミラは頭の良い女性だ。うまいことやっているに違いない。もしかしたらシンディーを連れて既に宇宙港に逃げているさ。俺は軍人として逃げ遅れがいないかを確認する為にやってきただけだ。
新しい言い訳を頭の中で繰り返しながら、ミハイルは現実を見る事を放棄していた。
無事な家屋など一つも残っていない。それを自覚すればこんな所にいたところで無意味だと言う事はわかるはずだった。そんなことはわかりたくもなかった。
遠くで爆発が聞こえる。振り返ってみると、病院だった場所が崩落していくのが見えた。さらにその上空を見ると、宇宙から降下してきたらしい二隻の駆逐艦が重粒子を放っている。
だが何かの反撃によって瞬く間に二隻ともが撃沈される。その爆発と残骸がまた街へと降り注ぐ。
「や、やめろー! こんなところで戦うなー!」
ミハイルがそう叫んでも無駄だった。
その街はどう見ても廃墟なのだから。ミハイルだって宇宙勤務で、軍艦に乗っていれば同じことをしただろう。生存者は絶望的。切り捨てるべき場所であり、ここで敵を迎え撃てと言う指示を出すかもしれないし、受けるかもしれない。
どちらにせよ、その判断が間違いと断定する要因はない。
それでもミハイルは絶叫した。
「誰かいないのか!」
もう何を考えていいのかわからなかった。
何かを叫ばなければ正気を保てなかった。
「誰か、オルミラ、シンディー!」
再び騒がしくなった上空を見上げる暇もなく、ミハイルは妻と子の名前を叫ぶ。
無意識のうちに彼は自宅へたどり着いていた。目的地に到着した事を自覚するよりも先に、彼は返事のない妻と子供の姿を探した。
先ほど、逃げたはずだと考えていたはずなのに、もう別の事に意識がすり替わっている。それが混乱によるものだと気が付くことは出来ない。
そもそも自宅は二階部分が吹き飛んでいる。寝室は二階にある。そのことを無視しながら、鉄骨などがむき出しになった自宅、扉などが焼け落ち、炭と化した様々なものが散らばっているリビング跡へと足を踏み入れる。
「オルミラ……」
見るな。頭がそう警告しても遅い。
ミハイルの軍人として鍛え上げられた洞察力と注意力はすぐさまその物体の全体像を捉え、認識をしてしまった。
綺麗だった妻の足だ。黒ずみ、炭化した皮膚の跡、そこから覗くのは鮮やかな肉の色……乾ききった血の跡と……下半身だけ。
「あぁ、あぁ!」
見なかったことにしたい。
それでも視線は新たなものを探そうと動いていた。
「シンディー……」
あの子はまだハイハイだって出来ない。生まれたばかりの子だ。
元気に泣くことしかできない。でもその声が聞こえない。
「あぁ、嘘だ」
声が出ないのも当然だ。
がれきの山に視線が向いた。血の跡があった。引きずったような跡。
そこから先を見る事など出来ようもない。なぜ最初からそうしなかったのか。
ミハイルにだってわからない。
わからないから……彼は絶叫して、逃げ出した。ライフルも捨てて、何もかもを捨てるように逃げた。
「うわぁぁぁぁ!」
あんなものを認めてはいけない。アレは違う。きっと違う。
だからここに長居は無用だ。俺も早く宇宙港へ逃げなくちゃいけない。
きっとそうだ。あそこには妻もいて子もいる。でもさっき見たものをどう判断する。自分の家だぞ。ならそこに転がっている死体が何なのかはわかるはずだ。
嫌だ。そんなこと考えたくもない。ふざけるな。
その瞬間。ブラスターの発射音が聞こえた。
何百、何千回と繰り返した訓練の癖だろうか。ミハイルはその音が聞こえた瞬間。立ち止まり、身を伏せた。
その直後に聞こえたのは子供の泣き声だ。
「シンディー……」
そんなわけがない。
でも、これは生きている者の声だ。鳴き声だ。子供の声だ。
無意味な希望に縋りつきながら、ミハイルは泣き声の場所を探す。
近くだ。でも警戒しろ。ブラスターの音が聞こえた。
「誰かいるのかー!」
泣き叫ぶ子供が返事などできるはずもない。
それでもミハイルは叫ぶ。きっとシンディーだと言い聞かせて。それが無駄な事ぐらいわかっているのに。
もはや彼の思考は逃避に走っていた。全てを都合よく解釈しなければいけないと自己防衛が働いていた。
鳴き声が響く。近くにいる。汗と煤と血にまみれた顔を、袖で拭きながら、ミハイルは見つけた。
立ちすくむ三人の子供。真ん中の女の子が泣き叫んでいた。どこかで見たことがある気がする。
「君は……ドリアードの所の……」
基地で整備士をしている若い兵士の娘だ。
子持ち軍人の交流会の場で見た気がする。三歳になったばかりの女の子だ。
名前は確か……ステラ?
「ステラちゃんかい?」
でも、不思議だ。
その隣にいる子供は誰だ。見たことがない。いや、それはおかしい事ではない。シュバッケンの人口は少ないとはいえ、全員の顔を覚えられる程ではない。
知らない家族の知らない子供ぐらいはいるだろう。
違う。そうじゃない。ステラという少女が泣き叫んでいるのはわかる。でも、なぜこのその両隣の少年と少女は涙一つ見せずに立っている。
少年の方は泣き叫ぶ少女を気づかうように肩をゆすっていた。ただもう片方の少女はじっと別の場所を見ている……いや、睨んでいる。
彼女の足元には拳銃型のブラスターが落ちていた。
まさかこの子が? いやそんなわけがない。使えるわけがない。ブラスターは確かに反動がない。それでも子供が扱えるわけがない。
同時にうめき声が聞こえた。それは大人のような声だったが、何か違和感があった。
ミハイルがその方へと視線を向けると、思わず目を見開いた。
「紫……!」
人の肌の色ではない。
だが人の形をしているものが倒れている。人の血の色ではない何かを流しながら、その妙に細長い腕には武器のようなものが握られている。
それを認識した瞬間。ミハイルは落ちていたブラスターを拾い上げ、発砲。何度も何度も、繰り返し引き金を引いた。
その度に気味の悪い体液を撒き散らしながら、紫色のそれは絶命する。
「はっ……はっ……!」
ブラスターを投げ捨てた。
ゆっくりと子供たちへと振り向く。いつの間にかステラは気を失っていたのか、その場に倒れている。介抱するように少年がステラの体をゆすっている。
そして……残る少女はこちらをじっと睨みつけていた。
真っ白な少女が……この世のありとあらゆるものを憎むような目で。
「こ、こっちだ」
もう何がなんだかわからなかった。
ミハイルはステラを抱きかかえ、そして二人の子供を連れて、その場から逃げ出した。妻と子の死を忘れるように、自分には仕事があると言い聞かせて。
そして……十数分後。シュバッケン防衛艦隊の旗艦が惑星地表へと降り立つ。それと入れ替わるように一隻の駆逐艦がワープへと入ろうとしていた。
戦艦は内側から無数の閃光を撒き散らした。
それが光子魚雷の光であることを知る者は少ない。
数時間後。シュバッケンは崩壊する。
その真実は秘匿され、関わった者には多額の保証を約束し、全てを忘れ去るようにと押し付けて。
その半年後の事である。
ミハイルは一人の少年を養子に向かえた。その少年には妹がいたが、ミハイルは兄の方だけを引き取った。
口さがない者たちはミハイルを少年愛者だと噂した。
それでもかまわない。あの少女だけは。あの白い女の子だけは、嫌だった。
あんな目をする子供がいてたまるか……でも、それじゃこの少年はなんだ。
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