第90話 既に開かれた戦火の道筋
「やべぇ……俺、とんでもねぇことに気がついちまったよ」
ニーチェによる調査に一段落がつこうとした矢先、コーウェンはいつになく神妙な面持ちで呟いた。彼はムードメーカーであり、真面目な顔をしながらジョークを飛ばす為、大半のクルーは彼のその言葉をいつものジョークだと思って聞き流そうとしていた。
「どうしたの。溜まってた報告書の提出期限が明後日に迫ってる事に気がついたの?」
いつの間にか突っ込み役に収まりつつあるミレイも、彼に振りかえることなくそのように返すものの、コーウェンの反応は芳しくなく、口元を押さえて、青い顔をしていた。
流石にその様子を見ると、心配にもなってくる。
「ちょっと、大丈夫?」
ミレイも冗談を言っている空気ではないと気がついたのか、コーウェンの肩をゆすった。
するとコーウェンはぎこちなく首を動かし、ミレイを見て、そして次にリリアンへと視線を向ける。
「か、艦長。ニーチェの奴は、馬頭星雲への進出はあったって言ってたよな? それってつまり……あそこへの航路ってもう随分と昔に開拓されてるって事になるわけで……もっと言うと……逆もあるんじゃないのか?」
「あっ……!」
コーウェンの言葉に航海士であるミレイも目を見開いていた。
その可能性の恐ろしさにミレイは気がついてしまった。むしろなぜ真っ先に自分が気がつかなかったのかと思う程だった。
「そうだわ……そうよ、おかしいじゃない。レフィーネ様の言う通り、宇宙はヴォイドという虚無空間が広がってる。小さな誤差で軌道がずれる事は宇宙航行においては死活問題。だけど、リリアンさんがいう様に、スパイがいたとしたら……どうやって地球にたどり着いたの……いえ、最初から地球への航路は、開かれていた?」
もしも、その考察が正しかった場合。
安穏としている状態ではない。
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、敵はどれだけ準備期間を積んできたの? いつでも、攻めこめる状態なんじゃないの!?」
そして、彼女の考察は的中している事をリリアンとレフィーネは知っている。
地球帝国は、何十年も前に既にエイリアンと遭遇している。惑星シュバッケンの悲劇。隠された真実。
「ま、そこまで理解をしているのなら、隠す必要はないか」
「レフィーネ様」
あの事を話すのかとリリアンがレフィーネをけん制するような視線を送るが、彼女はそれを片手をかざして制した。
「これは既にリリアンには話した事だけど、帝国は過去に一度だけエイリアン……と今はそう呼んでいいのかどうかわからないけど、敵と遭遇している。みんなも、ニュースとか教科書で見た事あるんじゃない? 帝国史上最大の災害と呼ばれた惑星シュバッケン崩壊。そこで戦闘があった。生き延びたのは駆逐艦一隻に、民間人百四名」
レフィーネがそれを語った瞬間。
「待ってください」
ステラが席をたちあがり、よろよろとレフィーネへと駆け寄る。
「さっき、なんて言いました。惑星シュバッケンって……あれは事故じゃなかったんですか? マントルの暴走とか、そういう理由で、天変地異だから仕方なくて、逃げる暇もなくて、何とか押し込まれて、そういう事件だったんじゃないんですか?」
ステラは目に見えて動揺していた。
普段の彼女らしくない狼狽振りであり、相手が皇妹殿下であることを忘れて、彼女の両肩を掴んでいた。
「あなた……まさか」
対するレフィーネは抵抗をすることもなく、ステラの顔を驚愕の表情で見つめていた。レフィーネ自身も、自分の発言で思わぬ反応が返ってきたことを驚いているのだ。
それはつまり、ステラという少女が、件の事件の生き残りの一人であるという事だ。
「教えて下さいレフィーネ様! シュバッケンに一体何があったんですか! 戦いがあったって……!」
「落ち着きなさい、ステラ」
リリアンはなおも興奮するステラの背中を擦りながら、レフィーネを掴む腕をゆっくり引きはがす。
「全員、一旦解散して。命令よ。レフィーネ様も、今はお下がり下さい。彼女の事は、私が」
「そ、そうね。私の方こそ済まない。少し、空気を読めてなかったようだ」
流石のレフィーネもステラがここまで乱れる姿を見れば、一旦話を切り上げるべきだという事に気がつく。
付き合いの長いクルーたちも、リリアンの指示に従うまでだ。
デボネアやミレイはステラの事を心配そうに見つめていたが、リリアンの視線が「心配はいらない」と言っている様に向けられたので、その場を後にするしかなかった。
そして、艦橋に残されたのはリリアンとステラ。そして無言のままのニーチェだけとなった。
***
「そろそろ落ち着いたかしら」
それから数分後。
ステラはすぐに落ち着きを取り戻した。それでも、表情には動揺が残っている。涙などを流すような状態ではなく、あまりにも衝撃的な事実を目の当たりにしたせいで、感情の整理が追い付いていなかったのだ。
だが、ステラ自身は冷静な少女である。時間があれば、それも飲み込めるぐらいには成長もしていた。
「すみません。迷惑をかけてしまって」
「いいわよ。私としても、まさかって感じだもの」
思えば、リリアンはステラの過去をよく知らない。
父子家庭で、父が元駆逐艦の整備士として従軍していた。今は町工場を経営していて、その一人娘であるというぐらいだ。
逆を言えば、それ以上のことを知る必要もなかったし、ステラという少女がどこにでもいる普通の女の子で、少しばかり才能が尖っているというだけで十分であった。
それ以上の過去を詮索する趣味がなかっただけだし、必要とも思わなかった。
だがどうやら今はそういうわけにもいかないらしい。
謎の多い惑星シュバッケンの事件。その当事者だというステラではあるが、事件が起きたのは十五年前。単純に計算すればステラはまだ三歳のはずだ。
三歳であるからこそ、記憶は曖昧だろうし、逆に強烈に刻み込まれたものは残る事だろう。
「蒸し返すようだけど、あなた、シュバッケンにいたのね」
「……はい。とはいっても、三歳の頃なので、あまり覚えていません。ですけど、お父ちゃんが逃げるぞって言って、私を連れて駆逐艦に駆け込んだ事、爆発するシュバッケンを見た事は、覚えてます。でも……不思議ですよね。いたはずの友達とか、お世話になっていたはずのお隣のおばさんの名前とか、思い出せないんです。小さかったせいもあるんでしょうけど……」
ステラはただただ複雑な表情を浮かべるだけだった。
彼女自身もどう表現していいのか分からないのだろう。
「無理に思い出さなくてもいいわ。きっと、あなたにとってもショックな事だったのだから」
もちろん、曖昧であっても当事者の声は聞きたいという欲はある。
それでも追い打ちをかけるような事だけはしたくない。同時に前世界の彼女が冷徹な元帥になった理由の一つが垣間見えた気がする。
彼女にとって、あの敵たちは色んな意味で仇だったのかもしれないし、自分の人生を決定づけた存在だったのかもしれない。
「いえ……こんな時でも、自分の癖は治らないみたいです」
「え?」
その時、ステラはいつもの顔になっていた。
「コーウェンやミレイさんは言ってました。馬頭星雲から地球への航路は既に開拓されていたかもしれない。敵はこちらへの侵攻経路を確保していた可能性がある。でも、それならすぐにでも。レフィーネ様の話が本当だとすれば、あの時すぐに地球へと侵攻を掛ければよかったんです。でもそうはならなかった。十五年も放置して、今更です」
確かに違和感はある。
ステラの言う通り、航路が存在するのならさっさとやればいい。
「航路が不完全だった。もしくは再設定しなければいけなかったのかもしれません。理由は分かりませんが、最後の仕上げがティベリウスを使った方法だったのかもしれない」
「待って頂戴。それはつまり、ティベリウスはビーコンの代わりに使われた?」
だがそう考えれば色々と辻褄が合う。
なぜ真っ直ぐに馬頭星雲宙域に行けたのか。なぜ真っ直ぐに敵の駆逐艦はこちらにやってきたのか。なぜ追手は確実に自分達の下にやってきたのか。
スパイがいたから。それはもはや確定した情報だが、敵からしてみればこっちを捕えようが、逃げられようが、どっちでもよかったのだろう。
地球への航路が再設定されるのであれば、それで目的は果たせる。
「そうか……惑星シュバッケンに敵が来たのも、それが目的。でも結果はどうあれシュバッケンは崩壊し、恐らく敵の艦も消失している……そこで途切れた。でも工作員を送り込む事には成功した……? でもどうやって……怪しまれる可能性だってあるのに……怪しまれない何かがあった?」
十五年もかかった理由。
もしかするとそれは単なる保険だった?
本当は十五年前に先発隊を送り込み、航路を再設定させた上で侵攻を仕掛けようとしていた。
もしくは、十五年前の時点でまともな艦隊が用意できていなかった。先行調査のみを実施して探ろうとした?
この辺りはまだ確証が持てないままだった。
何か重大な見落としをしている気がしてならなかった。
「どうして上層部はその事実を隠す……敵が来たのなら、敵が来たと言えばいい……」
「簡単です」
リリアンの疑問にステラはまるで機械の様に単調な言葉で答えた。
「脱出して、見捨てた人類が帰ってきた。そう思ったんですよ、きっと。それって、とても不都合じゃないですか。どういうやり取りがあったのかまではわかりませんけど」
どちらにせよ、十五年前に既に戦端は開かれていた。
その事実だけは間違いがない。途切れていたはずの歴史が動き出している。
しかも、かつてとは違う形で。
それは望んでいた事だったはずなのに、リリアンはゾッとしていた。
戦争の裏は、自分が考えている以上に複雑怪奇で、今もまだもやの中にいるような気分。
まだ自分達は真実にたどり着いていない。
だから必要なことをしなければいけない。
「アルフレッド総司令には、ぜひともお話をお聞かせ願いたいものね……」
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