第89話 ニーチェはかく語りき

 模擬戦からは早くも一か月が経とうとしていた。第六艦隊の再編及び司令代理は決定した。

 だからと言って現状、旗艦及び乗員のいない戦艦の二隻だけで出来る仕事など存在しない。

 戦艦ティベリウスは書類上は第六艦隊のものとなっているが、先の模擬戦では月光艦隊のアレスとその部下たちが乗り込んだ。

 これは便宜上、出向、共同作戦と言う形で行われたものであり、模擬戦がなければアレスたちは退艦しなければいけなかった。


 アレス曰く、「これでまた艦なしの艦長に逆戻りだ」と目に見えて不満を述べていたが、これに関してはリリアンとしても非常に申し訳なく思っている。

 出来るのであれば、彼に譲る……というよりはアレスにはまだ第六艦隊にいて欲しいところだが、この辺りはどうしても時間をおく必要があった。

 手続きの問題もあるし、今は月光艦隊を解体させるわけにもいかない。


「それで、ニーチェをティベリウスにつなげても大丈夫なのですか?」


 当然、それ以外にも理由はある。

 現在、第六艦隊は再び火星での待機状態であった。

 それは、ただ仕事がないからそこにいるのではなくティベリウスの調査の為である。

 エリスとティベリウスは火星の軍港に停泊していた。エリスにはクルーたちが万が一に備えて待機。

 そして調査責任者が一名、同乗していた。


「エリスの服従プログラムの応用を使えば問題はないはずよ。端末を介して緊急時にはそれを停止させる事でネットワークを遮断させる。その際にはティベリウスはオフライン状態にして、ドック内に固定もしてあるから、大丈夫だと思う」


 それがレフィーネである。

 自らの本拠地でもある火星であれば、レフィーネもそれなりに自由に使える人材がいる。

 レフィーネ主導の下、ニーチェを使ったティベリウス調査が行われようとしていた。

 エリスと同期したニーチェは単なる行動支援ロボットではなく、処理落ちし、機能を停止させる行動であっても、バックアップを受ける事で実行可能となった。


「でも、あまり心配はしなくても良いと思う。あの事件以降も、ティベリウスは練習艦としても使用されたし、あなた達の模擬戦でも問題なく運用できた。だから、少なくとも【今】のティベリウスには何の問題もないのだと思うけど……ま、何事もやってみればわかるわ」


 レフィーネはウキウキとまるで子供のように楽しそうだった。

 彼女の合図と共にニーチェは起動し、ネットワークを介して端末を作動。エリスの隣に鎮座するティベリウスへと侵入を果たす。


「さぁ何が出るかな」


 奇跡の帰還を果たしたティベリウス。だが、その奇跡はそもそも事故が起きなければ発生しなかったもの。

 では、その事故はどうやって起きたのか。

 世間一般に対しては「ワープシステムの不具合と暴走」というありきたりかつ、誰もが思いつくような理由で発表された。

 それはエイリアンの存在が世間に知れ渡っても変わらない。多くの帝国国民は「まさかスパイがいた」などとは思っていない。


 そもそもスパイがいるかどうかという問題を無視しても、ワープシステムの不具合の原因が何であるかは証明されなければいけない。そうでなければ、本来ワープシステムの使用禁止という状況に追い込まれても仕方ない程の事件なのだ。

 それでもうやむやになっている時点で何か面白くない事が起きているのは明らかなのだ。


「ニーチェからの情報送信が開始されました。予定通り、第二艦橋へデータをリンクさせます」


 デボネアからの報告を受け、エリスの第二艦橋及び電算室では送られてくる膨大な情報にフィルターをかけて、精査を始めている事だろう。

 その間、ニーチェは異音のようなものを発していた。


「あの、本当にニーチェは大丈夫なんでしょうか? 壊れちゃったりは……」


 無人艦隊の操作を担当する関係か、ニーチェの相棒枠に収まっていたステラがついつい不安を口にする。


「大丈夫よ。機械にありがちな動作だから。これ自体に問題はない。仮に機械が壊れてもニーチェのプログラム自体はエリス本体にあるから、これは通話用のインターフェースと思ってちょうだい」


 レフィーネは第二艦橋から送り返される情報に目を通しながら、答えた。

 ステラとしても「そういうもの?」と理解したような、してないような曖昧な形で引き下がる。


「ところでよ、仮にティベリウスからなんか、変なもんが出てきたらどうなるんだ?」


 もはや専門外の事過ぎて、今起きている事の殆どを理解していないコーウェンはぼそりと隣にいるミレイに尋ねていた。


「どうって。私たちのあの事故が誰かが引き起こした人為的な事件だったという事になるだけよ。話聞いてたの?」

「いやんなことはわかってるよ。でもよ、仮にそういう証拠が出てきてなんで帝国がそれを隠すんだ? エイリアンの事も若干、濁してる節はあるけどよ」


 コーウェンの疑問はありきたりであり、今更でもあるが、それこそが一番重要な部分でもある。


「まぁ待ちなさい。君たちの疑問に答えれるかどうかはニーチェ次第だ。さぁ、そろそろだ……」


 ニーチェの異音が収まりだすと、今度は再起動がかかったような動作が始まる。


「おはようございます」


 そして感情のない電子音声が聞こえてくると、まず始めに安堵したのはステラだった。


「よかった、無事だぁ」

「当然です。あなたは無人艦隊を操作する割には機械の事を理解していないようですね」

「口が悪い。そういうプログラムは修正した方がいいと思うんだけど」

「私は常に真実を述べます。嘘をつくというプログラムは搭載されていません。今の私は対話式インターフェースです。人類との潤滑なコミュニケーションを可能とするために再設計されたデータベース──」

「ニーチェ、マスター命令よ。分かった事を教えて」


 自分の事を語りだすと意外と止まらなくなるのが、ニーチェであった。

 初回起動時はこれで三時間延々と自己紹介を続けていたのだ。

 リリアンが権限を使って命令を下すと、それはぴたりと中断され、たった数分で完了したティベリウスの調査報告を説明し始める。


「まずはじめに、現在のティベリウスのソフトウェアに問題はありません。問題なく航行、戦闘可能です。ワープシステム制御プログラムも正常。エラー等は確認できません」

「ま、でしょうね。そこは期待していなかったわ。ではニーチェ、私たちが馬頭星雲方面へと遭難していた時期の航海記録の方を教えて」

「存在しません」


 リリアンの質問に対して、ニーチェは淡々と答えた。

 その言葉にクルーの殆どが驚愕する。


「おいおいおい、いくら俺でもそれがおかしいってわかるぞ。航海記録はおいそれと削除できねぇよ。つーかしちゃ駄目だろ」


 コーウェンが「そうだよな?」とミレイに確認する。

 彼女も大きく頷いていた。


「そうよ。航路データはそれだけで重要な情報。常に更新する為にも過去のデータは参照の為に五年は管理されるべきよ。艦から抹消するなんて事はありえないわ」

「ですが存在しません」

「じゃあ、私が作成した地球へと帰還航路は?」

「存在しませんミレイ中尉。ティベリウスに残っているデータはあなた方が地球へ帰還した後、練習艦として使われていた時期から今現在のものしかありません」


 この報告はつまり、今のティベリウスはまっさら新品な状態に近いという事である。


「まぁまぁこれを問い詰めたところで、装備更新の為とか不手際でとか言われるだけだし、予想していた事だから気にしない気にしない」


 そうなることをはじめからわかっていたらしいレフィーネは特に気にした様子もなかった。

 一方でリリアンも同じ考えであったが、それならばと新たな質問を投げかける事にした。


「ニーチェ。これはティベリウスとは関係のない事を聞くけど。あなたが製造され、そして機能を停止するまでの間。人類は自分たち以外の知的生命体と接触した事例はある?」

「いいえ、マスター。地球歴2000年代及び私が機能を停止する3000年代において、人類が地球外知的生命体と接触した事例は存在しません」

「そう。それじゃ、もう一つ。過去の人類は馬頭星雲方面へ進出していたの?」

「部分的にはイエスと答えます」


 ニーチェにしては歯切れの悪い返答のように思えた。


「部分的にとは?」

「地球歴2000年代は戦争の時代でもあります。荒廃する惑星、度重なる動乱、クーデター。例をあげればきりがありません。その環境の中で、地球圏に希望を見いだせず、また争いから脱する為、一部の思想家たちの扇動により大移民船団が結成されました。大型居住コロニーを宇宙船へと改造。また一部の軍関係者もそれに乗じて離反。連合軍との戦闘を行いながらもコロニーは三基、艦艇は三十隻が馬頭星雲方面へとワープを果たしました」


 その返答に反応したのはレフィーネであった。

 彼女はふと何を思い出したように、両手を叩く。


「そう言えば、海底都市で過去の情報を閲覧している時に長航1000光年とかいう記事があったが。それか?」

「そうです。その後、彼らがどうなったのかは不明です。連合側もその時点では追いかける余力はありませんでしたし、これに呼応して同じく脱出を図る勢力もありました。一部は、漂流する形となり、救難信号を送ってきたとありますが、軍がそれを助けたという情報は私には記録されていません。多くは移住先を見つけられず、餓死したのではないかと推測されます」

「宇宙は広いからね。ヴォイドに突入すれば数万光年何もないなんてことは珍しくないらしい。私たちは宇宙の事をまだよく理解できていないんだ」


 レフィーネは大して驚いていなかった。

 ヴォイドとは端的に説明すれば【何もない空間】である。

 宇宙を観測すればそこには星が無数に瞬き、多数の銀河を確認することが出来るだろう。


 だが実際にはそれらの距離は数万、数億光年も離れている。我々が目で観測すれば隣接しているように見える存在も、気の遠くなる年月を経てやっとたどり着くような位置関係にある。

 故にこそ、航路というものは重要なデータなのである。

 無限に広がる大宇宙。そんな言葉がいつの頃からか存在していたが、まさしくその通りなのだ。


「ニーチェ。その移民船団に、エリスと同型艦は存在するの?」


 リリアンの質問に対してニーチェは恐ろしく淡々と答えた。


「イエス」


 その一言だけで、リリアンは納得をする。


「だから。私たちが遭遇した敵性艦隊は無人機のような動きをしていたってわけか」


 同時に新たな疑問も浮かび上がる。


(でも、それじゃあ、私がかつての世界で見たあの捕虜は……何なの?)


 紫色の肌を持ったエイリアンの捕虜。

 あれが、捏造された存在であるとは思えなかった。

 それとも……。


(移民船団は……人類とは異なる進化を遂げてしまったというの?)


 不可能かどうかは今判断することは出来ない。

 だが、レオネルの環境改造及び生物。そしてラナとかいう旧世代のクローン兵士。

 過去の人類は、生命倫理を捻じ曲げた技術を持っていた事だけは間違いない。

 ならば、環境に適応するように人間を作り替えようとする技術もあるのかもしれない。


(もしそうだとすれば。うんざりするわね。過去の負の歴史の清算を、今を生きる者がやる? 冗談じゃない。いい迷惑だわ)


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る