第70話 艦隊、海へ!
バカンスを楽しむのがフィオーネとの仕事であるとすれば、レフィーネとの仕事は調査である。
むしろ今回の任務の主な目的はレフィーネの仕事を手伝う事であり、ここからが本番と言っても良いだろう。
前日に食べ過ぎた、遊び過ぎたで不調を訴える者も多少はいたが、そう言った者は大体睡眠カプセルにぶち込まれ強制的に休眠を取らされる。
ついでに胃薬を処方され、あとは気合で乗り越える。
いくら技術が進歩しても、人間の肉体を整えるのは日々の生活なのだから。
「そう考えると、うちのクルーは優秀な子が多いというわけか」
リリアンはざっと艦橋を見渡す。誰一人として欠落者はいなかった。
駆逐艦セネカのクルーは多少の体調不良者はいるものの、催眠カプセルや胃薬などの世話になっているものは少ない。
特に第一艦橋のメンバーは全員、万全の態勢を整えていた。
「海底探査なんてものをやるのだし、体調は万全でなきゃ危険なのは当然か」
次いでリリアンは艦橋メインモニターに視線を向ける。修正された映像はまさしく海底の光景であった。
そう、月光艦隊は三隻ともにレオネルの海の中にいた。
パトロール艇、空母など一部を除いた地球帝国軍の艦船はあらゆる自然環境に適応できるような設計となっている。水中での活動も何ら問題なく、水圧にも耐える事が可能であった。
「帝国艦船の開発背景がどういう思想の下にあったのかは知らないけど、特に装備換装をしなくても水中に潜れる性能があるのは感謝した方がいいわねぇ」
ただし武装面においては少々厄介であり、特に主砲である重粒子は水中での性能は全く期待できない。水という抵抗もさることながら砲身が熱せられた際に海中の温度で急激に変化した場合、破損の恐れもあった。
ゆえに海中にいる間、駆逐艦も巡洋艦も魚雷攻撃ぐらいしか行うことが出来ない。
また艦載機も、航空機は当然水中では使えない。航宙機であれば、多少の運用は可能だが、やはり武装の大半は使用不可能となる。
その為、海底探査用の潜水艇を武装化したものが存在するのだが、この宇宙時代において水中用の兵器の開発など進むわけがなかった。パワードスーツも水中に対応したものは一定数あれど深海で活動できるものなど存在しない。
「船は大丈夫でも、生身の人間はそうはいきますまい。宇宙とは違い、水中独特の不安定さと揺れは慣れないものも出るでしょうからね」
ヴァンの指摘の通り、宇宙と水中は当然環境が異なる。旧世紀においては水中で疑似的な宇宙空間を想定した訓練などが行われていたらしいが、この時代では宇宙というものはあまりにも身近な存在となっていた。
人工的に無重力、無酸素状態の空間を作り出す事も可能であるし、宇宙空間で活動する為の装備も軽量化、高性能化している。
多くの人類が宇宙、そして星々に目を向けすぎていたし、それが当然となっていた。
結果、海という存在はどこか軽視されるようになった。海洋産業そのものは残っているし、マリンスポーツ、そしてビーチバカンスなどの価値は減ってはいないのだが、それでも海底を探査しようという意識は一部の学者らを除いて低下している。
「それにしても……凄い景色ね」
だがモニターが映し出すレオネルの海底は画像処理がなされているとはいえ、絶景と言っても差し支えのないものだった。
広大な海は原始生物が漂い、海底には節足動物たちが古代の弱肉強食の世界に身を投じていた。無数の足を持ったムカデのような生き物もいれば、蟹と海老の中間のように見える生物、今だ進化の途中なのか多様な姿のクラゲに似た半透明の生物も確認できる。
「はぁーこれが海の中ってか? 俺ちょっと感動しちゃってるよ」
名前もわからない、存在だって今知ったばかりの多様な生物が海の中で暮らしている。それを目の当たりにしたコーウェンはただひたすら感嘆の声を上げていた。
それは他のクルーも同じであり、ミレイですら航路計算の手を止めてしまい、見入っていた。
「所詮、私たちが見ている海なんてのは表面だけってことね。このレオネルはまだ原始生物が殆どらしいけど、地球の海はもっと激しい生物のやり取りが見られるって事かしら」
「随分と詩的じゃないミレイ。私は感動よりもちょっと怖いわね」
逆にデボネアはあまりにも違いすぎる環境になじめていなかった。
「いくら私たち生物の起源が海にあるとはいえ、こんな生き物がどうやって私たちみたいになっていくのか。それ考えると頭の中がぐるぐるしちゃってパンクしちゃうわよ」
彼女たちの意見は月光艦隊の全員がそれぞれに感じたものだと思われる。
だがとにかくとして、圧倒的なまでの生命の乱舞ともいえる姿は目に焼き付けられるものであった。
「母なる海、生命の源……学者たちはもっと海を調査研究しろと言う意味が今なら何となくわかるわね」
地球は未だに海の全てを解明していない。旧世紀を含めれば六千年以上も経つというのにだ。
だというのに異なる惑星に入植し、テラフォーミングを行い、レオネルに至ってはどうやら生物の遺伝子改良を行った形跡があると、レフィーネは語っていた。
「そしてそれをあえて進めさせない派閥の存在も、今ならちょっと理解するかも」
「見られては困るものがたくさんあるという事かもしれませんね」
ヴァンの言葉にリリアンは頷いた。
レフィーネのいうようにこの惑星の海にロストテクノロジーの影が存在するのなら、色々と理屈をつけて人の目を避けさせるのも納得のいく事だ。
「ところで……ステラ中尉は大丈夫なのですか?」
ふとヴァンは空白になっているメインオペレーターの席を見た。
そこにステラの姿はない。とはいえ、職務放棄ではない。現在彼女は格納庫にて作業をしていた。
「いいのよ……何か行動してなきゃ恥ずかしさを払いのけられないって子もいるの……」
理由は簡単である。先日の夜、ヴェルトールと二人で抜け出してデートをしていたという事実に対して今になって猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきたらしく、無駄にテンションを上げて、肉体労働に勤しむ事で「私働いています! 大丈夫です!」というアピールを行っているのだ。
そしてリリアン含めたセネカ隊の面々はあえて指摘しない優しさもあった。
特にリリアンに関して言えば、先日は思い出から削除したい写真撮影もあったし、夕食会では酔っぱらったフィオーネによってあわや肉体の成長度合いの確認等という圧倒的権力者によるセクハラまがいまで受けかけたのだから。
「ま、とにかく、海底探査ユニットの調整とその監督が必要なのも事実だし、サオウ整備長もいるから大丈夫でしょう」
「ははぁ。抜け出してデート。良いものですねぇ。青春です。私の若い頃はそういうのはなかったですから。妻とも見合い結婚ですからねぇ」
「あら、意外。副長は恋愛結婚だと思っていた」
「仕事柄、そういうことをする暇もありませんでしたから。上司の勧めで、見合いを受けましてね」
それは意外な真実だった。
「それで奥さん一筋か。良い夫婦だったのね」
「そうであったと思いたいですね。苦労をかけてばかりだったと思いますが……」
それぞれの間に穏やかな空気が流れていると、通信を知らせる報告音が鳴る。
「艦長、全艦内放送のようです」
デボネアがコンソールを操作すると、メインモニターは旗艦マクロ・クラテスの艦橋を映し、艦隊長のヴェルトール、そして今回の海底探査の発案者であり責任者でもあるレフィーネがいた。
その後ろのゲスト席にはフィオーネもいたが、何やら難しい顔をしている。
巡洋艦という事もあってか、マクロ・クラテスの艦橋はセネカよりも広く人員も多い。現在、艦を持たないアレス隊も今はマクロ・クラテスの乗艦しており、アレスは一時的にではあるがマクロ・クラテスの第二艦橋で勤務しているはずだった。
画面が映し出されると同時に各員は起立、敬礼を行う。
画面向こうのヴェルトールも同じく敬礼を返した。
『これよりレフィーネ様より、今回の任務についてご説明がある』
そう伝えると、ヴェルトールは恭しく、頭を垂れ、レフィーネを画面中央へと案内した。
レフィーネは小さく咳払いをしてから説明を始める。
『あー、あー……あぁ、マイクはないのか。うん、必要ないか。それでは諸君、先日は我が片割れであるフィオーネの無茶ぶりに付き合ってもらい感謝する。一部のものは良い思いを、もう一部は中々に刺激的な思い出を作った事だろうが、フィオーネはそういう存在だ。今後も注意しておくと良い。さて、本題に入るが、これより諸君らが目の当たりにするのは古代の遺物だ。当然だがトップシークレットに当たる』
そう説明を続けるレフィーネはあちらのクルーに何か合図を送っていた。
するとモニター画面が海図と何かの施設の資料を映し出した。
『これから我々が向かうのはつい最近発見された海中施設。これまで、似たような存在は十二個、発見されたがその殆どが劣化、崩壊していた。だが、これだけは機能が十全に保たれており、なおかつこちらの信号を受け付けている。つまり、地球の文明であるということだ』
表示された施設の詳細はかなり大きいものだというのがわかる。
だが一部の者たちはそれを見てあることに気が付く。形状は大きく異なるが、それは船だという事に気が付く。
しかもいくつか艦を格納ないしは接舷する為の区画も存在しており、地球帝国軍総本部でもある【光輝なる守護者の塔】と類似するものであった。
ただし総本部の全長は12000メートルに対して、資料の施設はそれよりも小さい……9000メートル規模のものだった。
それでもかなり巨大であることがわかるが、どうやら総本部のような武装化はなされていないようであった。
『我々はこれを海底都市、もしくは研究施設であったと推測している。探査ドローンを送り込もうとしたが、さすがは海底施設。入り込む隙間もなく、艦で直接乗り込み、接舷しなけばいけなかった。恐らくは何らかの安全機能が働いているのだろう、適切なプロセスを踏まなければ入口が開かないらしい』
その説明を受け、なぜ三隻の艦艇を海の中に連れてきたのかやっと理解が出来た。
護衛も兼ねているのは当然として、まず艦がなければ施設に乗り込む事も出来ないわけだ。
しかも何があるのかわからないとなれば、軍艦を使うのは当然だろうし、自分たちの親類が所有する小規模な艦隊の方が都合が良いというのもわからないでもない。
『あぁそれと。もうそろそろか。諸君、艦隊の左舷方向の映像を映してみろ」
その一瞬だけ、レフィーネの顔が意地の悪いものになっていた。
彼女の指示通り、各艦は映像を表示する。その瞬間、わずかながらに悲鳴が上がった。
「な、なんですかあれ!」
デボネアは青い顔を浮かべていた。
「うえぇ……気持ち悪い……」
生命の神秘に感動していたはずのミレイは口元を抑えている。
コーウェンやヴァンも口にはしないが、中々衝撃的なものを目の当たりにして口を閉じた。
その中で、リリアンだけは「だろうな」と身構えることが出来ていた。
そこに映し出されたのは全長40メートル、青い体表に黄色や赤、紫、緑の無数の斑点模様を刻み、発光器官もあるのか、無数の触手は電気信号のように点滅させながら海底をゆっくりと進む巨大なウミウシがいた。
『ねぇレフィーネちゃん。私、気持ち悪くなってきちゃった』
『薬飲んでてください』
双子の姉をばっさりと見捨てながら、レフィーネは続ける。
『どうだ中々可愛らしいものだろう。これがレオネルの秘密の一つ、諸君らはこれを見てしまった。つまり後戻りはできないという事を理解してほしい。この生物の秘密も含めて、我々は海底都市を調査しなければいけないのだからな』
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