第69話 潮風の中で手を繋いで
「良いんでしょうか、抜け出すような事をしちゃっても」
レストランで食事会が開かれているのと同時刻。
ステラは昼間とはまた違った雰囲気を見せる海上都市をヴェルトールと共に散策していた。
曰くかつての地球をイメージしたどこか古いネオンの光や乱雑に立ち並ぶ店の看板や電光掲示板。屋台と呼ばれる露店のようなものも出店される予定だったらしいが、なにやら色々と問題があったらしく、それだけは取りやめとなったらしい。
「たまには良いさ。俺だって、息抜きがしたい時がある」
ヴェルトールは全く気にした様子もなく、はにかんで答えてくれた。
「そういうものですか? でも一応は皇妹殿下の護衛が……」
「それも含めて織り込み済みというものさ」
ビーチバレーで気絶した後、救護室の睡眠カプセルの中で目覚めた。すぐそばにはヴェルトールがずっと付き添っていたらしく、しかもそこからはずっと彼と一緒だった。
つまり二人きりのデートである。
一体どこまで計画していたのかは、さすがのステラもわからない。
目覚めたと思えば、一般客を装うように服装を着替えるように言われて、艦隊の面々から離れるように海上都市の繁華街へと繰り出す事になったのだ。
(ショッピングしたり、映画見たり、アイス食べたり……しかもトリプル。全然味とか覚えてないけど……あと映画って何見たんだっけ。どうしよう、あまりの事過ぎて記憶から飛んでる?)
この時間全てが夢のようなものだった。
確かに。自分は彼の事を好いている。それこそ初恋と言っても良い。学園一の人気者で、将来を期待され、大貴族の御曹司。それこそ白馬にまたがっている姿が似合うような貴公子だ。
普通なら隣を歩くことすらできないような雲の上の人が、自分と二人きりでいる。
これを夢と呼ばずなんと呼ぶ。
「そろそろ夕食でもと思うんだが、ステラは何がいい?」
「え? ご飯……えぇと」
なんでもいいとは答えられない。
かといって何を食べたいかなんていきなり言われても心の準備が出来ていないじゃないか。
やはりここは彼に合わせて高級そうなものを? でも、お金を出すのはヴェルトールだ。流石にそんな、たかるような事は出来ないし、そもそもお金持ちの人たちが食べるような食事なんてステラにはわからない。
(そう言えばお昼は何を食べたんだっけ……あぁ、カフェテラスでサンドイッチとケーキとコーヒーだ……あれも結構高かった気がする……奢ってもらっちゃったけど)
と言うより、昼から今まで全て彼の奢りだ。ショッピングに関しては殆ど見るだけ、買ったものを言ってもレオネルの節足動物をあしらったキーホルダーぐらいだ。
ストローのようなくちばしにハサミが付いたような奇怪な動物だが、デフォルメされた姿はなんというかちょっとマヌケで可愛いのでついつい買ってしまった。
そんな事よりも今は食事だ。やはり高級そうな料理が良いのだろうか。
そんな風に悩んでいると、こちらの様子を察したのかヴェルトールはトントンとステラの肩を叩いて、一件の店を指さした。
「ラーメン……?」
大きく暖簾に日本語で「ラーメン」と書かれた店だ。
「獅子咆哮」とかいう明らかに獅子座方面だから無理やり名付けました感の強い店名は気になるし、店の外見もおよそラーメン屋っぽくはなくレストラン風に見えてしまう。
このあたりはどう誤魔化そうとも高級リゾート故に風景を壊さないようにするためなのだろう。
それはさておいてもラーメン屋を意識すると、ほんのりその匂いかなと思うものを感じてしまう。
いやそれにしても、ヴェルトールがラーメン。その組み合わせはなんとも意外である。
「大体何を考えているかわかるが、俺だってラーメンぐらいは食べるさ。ファストフードだってな? 貴族はそういう食事をしないと思ったかい?」
「そりゃあ……」
正直を言えばその通りである。
「はっはっは! よく言われるが、貴族にそういうイメージがあるのは一体いつからなんだ? 朝食だってシリアルで済ませる事だってあった。まぁ中にはそういうイメージ通りの暮らしをしている奴もいる。アレスなんかは俺たちと出会う前はそれこそファストフードを食べたことがなかったぐらいだ」
「そうなんですか?」
「あいつ自身の性格もあるのだろうがな。反応は面白かったぞ」
ちょっとそれは見てみたいと思うステラである。
「よし決めた。ラーメンにするぞ」
ヴェルトールはそう言って、ステラの手を掴んで駆け出す。
その時の笑顔は本当に楽しそうで、ステラもつられて笑うのだ。
店内はいかにもラーメン屋といった香りはするものの、油汚れ一つない清潔な空間で、ドラム缶のような配膳ロボットが料理を運んでいた。
席に案内され、適当に注文。運ばれるのを待つ間はやはり会話だ。
「しかし、入った後で言うのもなんだが。ラーメン屋はちょっとムードとはかけ離れていたかな?」
「そんなことは……ない、かな?」
冷静になって考えてみるとどうなんだろうと思う。
別におかしいとは思わないが、デートの食事として考えると? じゃあどこが似合うのだと言われてもステラ自身には思いつかないし、まぁいいかという結論が出ていた。
「大丈夫だと思います!」
「うん? そうか? ならいいんだが。言い訳をするわけじゃないが、クルーが海ならラーメンが良いと話していたのを思い出してな。俺も久しぶりに食べたくなったというわけなんだ」
ある意味で変に力まないで済むという意味では確かにこういう場所の方が気楽かもしれないとステラは思う。
「そのぉ、興味本位で聞くんですけど。普段はどういったお食事を?」
「さっきも言ったけど、君たちとそう変わらないさ。常日頃、そう良いものばかりを食べているわけじゃない。ただ一つ間違いないのは軍の食事はうまいという事だ。このあたりは帝国の食事事情に感謝だな。下士官に至るまで、食事は一定だからね。まぁ、海兵隊の面々はなぜかレーションを好んでいるようだが……」
「そ、そう言えば見たことがありますね。消しゴムみたいな白いバーを食べてましたね……白い目で。美味しいのかなあれ」
「うむ。よくわからないが、伝統だそうだ。ちなみに味は最低らしい」
そんな他愛もない会話が続くのも、まさしく夢心地だ。
その後も、食事を続けながら楽しい会話は続いた。ビーチバレーは大変だったとか、幼い頃の悪戯や、意外と子供っぽい食事の好みの話……エリート軍人であるヴェルトールではなく等身大の少年としての彼の姿を見る事が出来た。
それはステラにとっても得難い経験になったのだと思う。
***
食事を終えた後、二人はジュースを片手にぶらぶらと繁華街と砂浜の境界線のような道を歩ていた。わざわざ地球から持ってきた常夏らしい風景の木々や建造物に暑いレオネルの気候は絶妙な組み合わせだった。
「あの今日はありがとうございます」
「あぁ、少し強引だったかなと思うが。どっちにしろ、フィオーネ様がそう仕向けたのだろうし、俺もそれを利用したまでさ」
「そういえばさっきもそんな事を……」
「あの人は怖い方だぞ。色んな意味で」
そういうヴェルトールは多少恥ずかしいのか顔を背けていた。
「フィオーネ様が……その、皇妹殿下とは親しいように見えましたけど。それに婚約者? みたいな」
「その話か……気にしないでくれ。幼い頃の話だ。幼い初恋、その熱に浮かれての事だ。ほらよくあるだろう、小さな子供が誰それと結婚するっていう。あれだよ」
「ですけど貴族だと、小さい頃からの婚約とかって」
「ないとは言わないが、非常に政治的な話になる。それに、俺はあまりそういうのは好まない。理解は示すが、それは古い価値観だ」
ヴェルトールがきっぱりと言い切ってくれる事には少し安心する。
だとすれば、自分の勘違いが逆に恥ずかしくなってしまう。
そんなステラの様子に気が付いたのかヴェルトールはふっと微笑みを投げかけた。
「その反応だな。フィオーネ様は破天荒だが人を見る目はある。お出迎えの時の行為も、思い付きが八割だと思うが残り二割で反応を確認している方だ。きっと、君のその慌てっぷりを見て今回の大騒ぎを思いついた可能性だってある。どこまで本気なのかはわからんがね……」
つまりまんまと乗せられたというわけだ。
だがそれも仕方ない話だ。いきなり出てきて抱き着いていたのだし、爆弾発言もあったし、色々とスキャンダルみたいな話も聞いていたし、勘違いだってする。
「だからなんだ、あの方の言動の裏を見抜くのは疲れる。本気で相手にしない方が得策だな。ペースを乱される」
「みたいですね。凄い人なんですね、フィオーネ様は」
「あの方もレフィーネ様も皇室に身を置かれる方だ。観察眼は嫌でも身につくさ。今回の付き添いもそれなりに意味のある行為だろうし、俺たちがまだ聞かされていない隠された意図もあるだろうが……今は考えない事にする。いきなり取りやめになることだってあるからな。常に臨機応変に対応して見せろと言う無茶ぶりの可能性だってある」
ヴェルトールは本当に困ったと言いたげな表情を浮かべていた。
彼にそこまで言わせるのだから、本当に色んな意味で恐ろしい方々なのだと思う。
「そんな話よりもだ。どうだステラ。艦隊での生活は。俺が君を引き込んでおいて言うのもなんだが……辛い事はないか?」
突然話題を変えたのは二人の話題を出したくないという意味もあるのかもしれない。
それほどまでに苦手なのだろう。
「え? いいえ、全く。大変と言えば大変でしたけど、色々ありましたし。でも、不思議と充実はしているかなって」
早速海賊退治等という大きな仕事もあった。
「それなら良かった。正直な事を言うと、君がリリアンの下に行った事は気が気で仕方なかったんだ」
「そうなんですか? 別にいじめられたりはしてませんよ? むしろ良くしてくれまして」
「そこだよ」
ヴェルトールはちょっと顔を赤くしていた。
「なんというかな、君が俺とフィオーネ様との関係に嫉妬したように、俺も、君とリリアンの関係に嫉妬していたんだ」
ついに言ってしまったと言わんばかりにヴェルトールは下を俯いていた。
ステラもまた彼の発言を聞いて驚く。
「嫉妬!?」
「そ、そりゃあそうだ。彼女はいつの間にか君の近くにいる。それになんというか、俺以上に君の事を理解している風に見えた。仲も良いみたいだしな。それは良いんだが、何というか敗北感があった」
「そんな大げさな。あぁ、でも確かにリリアンさん、私のやりたい事とかわかってくれる事多いですね。でも私だけじゃないですよ?」
「それでもだよ。気が付けば彼女も君の才能を理解して、重用している。それに、なんだ。彼女の場合はそれだけじゃない話もあるわけだし……いや個人の趣味をとかくいうつもりはないが、レフィーネ様がそうであるようにだな」
ヴェルトールが一体何を思い詰めているのかを理解したステラは思わず吹き出し、大きく笑い始める。
「あっはっは! それって、リリアンさんがハーレムを作ろうとしているって話ですよね? 前にみんなとその話で盛り上がりました。確かに、あの人って女性からの人気は高いですけど、そういうのとは違うと思います」
「それは、そうだと思うが」
「でもなんだか驚きです。ヴェルトールさんもそういう噂を耳にされるんですね。しかも気にしちゃうタイプ」
「普段はそうでもない」
恥ずかしさが極まったのか、ヴェルトールはまたも顔をそむけた。
だがわずかに口元は緩んでおり、微笑んでいるのが分かる。
「もしかして照れてます?」
「さてな!」
ヴェルトールはそう言いながら走り出す。逃げ出すように、だがそれは本気ではない。
ステラもそれを理解しつつ、追いかけた。
「待って下さいよ。私がリリアンさんの所に行っちゃった時、どう思ったんですか?」
「そろそろ戻らないと本気でどやされるぞ!」
「誤魔化さないでくださいよー」
「ちなみに、俺たちが泊まっているホテルは門限を過ぎると本気で締め出されるぞ!」
二人きりの夜はもうすぐ終わりをむかえる。
ホテルに戻るまでの間。
しかしステラはそれがどこか永遠なもののように感じられた。
ずっと、こんな事が続けばいいのに。
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