第61話 じっとしてられないだけなんです

 信じられないものを見た。信じられないこと聞いた。

 その刹那、女の目は大きく見開かれ、茫然と立ちすくむしかなかった。半開きになった口からは乾いた吐息だけが吐き出され、声にならない何かが漏れ出す。

 頭を振った。それでも現実が突きつけられる。スクリーンに映り込むのは漆黒の宇宙と瞬く星々、そして鉄くずと化した艦隊。

 意気揚々と引き上げてゆく楕円形の艦隊群。ただ一隻だけ、何をするわけでもなく立ちすくむ帝国の戦艦がいる。無傷のまま、敵艦隊からも放置されたそれは、一矢報いることもせず、ただ素通りしていく艦隊に怯えるように、漂う。


「あ、あぁ……」


 やっと声が出た。

 それと同時に誰かが、何かが自分に語り掛けていた。

 必死に、何かを訴えていた。

 なんなんだコイツは。女はそれに視線を向けた。何様のつもりだこいつは。


「お前が……お前が仕組んだ事か」


 それが言い訳のような事をのたまっていた。知った事か。そんなもの聞く必要もない。

 女はホルスターからコイルガン式の拳銃を引き抜いた。

 目の前のそれは必至な形相でこちらを制止していた。何かをわめいている。聞こえない。聞くつもりもない。


「し……死ね! 死んで……」


 呼吸が荒くなる。どうした。やれ。自分は今までエイリアンを殺してきた。軍艦で撃沈してきた。あの中に何十、何百のエイリアンが、生物がいた。それを散々殺してきておいて、目の前のそれを撃てない道理はない。

 重粒子の号令を言い放つのと、手にした拳銃の引き金を引く事に違いなどない。

 やってきたことじゃないか。これまでも、そしてこれからも。


「死ねぇぇぇぇぇ!」


 カシュッと空気の抜ける音と共に弾丸が発射される。

 帝国軍人の護身用拳銃。掌サイズにまで小型化されたそれは、旧世代の火薬式の拳銃以上の加速と貫通力を誇る。それでも軍用パワードスーツにダメージを与える事は期待できないが、生身の人間であれば容易く撃ち抜く。

 小型軽量化されたその拳銃は例え細腕の少女であっても容易に扱う事が出来た。


「ひぃ……ひぃ……!」


 カタカタと震える腕で、だがしっかりと握られた拳銃を構えた女は、両肩が揺れる程の大きな呼吸をしていた。過呼吸になりかけた自分を必死で抑えようと、拳銃を投げ捨て口と腹部を抑える。

 しかし、それも無駄な行為となり、こみ上げてくるものをぶちまけながら、女は崩れ落ちた。


「ぐぇ……お前が、お前が悪いんだ……」


 自分のすぐそばには人だったものが倒れていた。額を撃ち抜かれ、もの言わぬ骸と化したそれを見て、女は大粒の涙を流す。

 でもそれは悲しみの涙ではない。後悔、怒り、嘲笑、疑問、自分でも整理が付かない感情の奔流が、涙という形であふれている。

 もとより吐き出すものが溜まっていなかったせいもある。既に胃液がこみ上げ、焼けつくような痛みが内側を襲っていたが、女はそんなものを気にする余裕はなかった。


「そうだ……帰ってくる……みんな……あの人も帰ってくるから……」


 そう口にしても、意味などない。

 今だけは自分の精神性を恨む。自分が今、言葉にしているのは現実逃避であることを彼女は理解していた。目の前で起きたことが夢ではなく現実であることを理解していた。理解しているからこそ認めたくなかった。

 狂うことが出来ない。虚構の中に沈むことが出来ない。自分はどうやらそう言ったものに耐性があるようだ。

 そんなもの、何の役にも立たないのに。


「ヴェルトールさん……ヴェル……」


 愛しい人の名前を呼ぶ。あの柔らかな声、大きく暖かな腕に包まれたい。溢れんばかりの口づけを交わしたい。あの人の胸に飛び込みたい。また強く抱きしめてもらいたい。愛してもらいたい。

 でも、それは二度と出来ない。その事を理解した瞬間、また体の内側を焼き付くような痛みが昇ってくる。

 でももう吐き出すものはない。涙ももう流れない。

 

「いないんだ」


 女はよろよろと足を動かす。今しがた自分が投げ捨てた拳銃を探し、拾い上げる。

 その銃口を咥える。手が震える。それでもなお、彼女は引き金を引く事は出来ない。

 無表情のまま、腕の力をなくしたようにだらんと下げる。同時に拳銃も落とす。


「まだ……やなきゃいけない事がある……あの人との約束、守らなくちゃ……」


 戦争を終わらせよう。帝国を救おう。人々に安寧をもたらそう。

 そして全てが終わったら……その為には愚鈍な軍を改革しようとあの人は言っていた。長い道のりになるかもしれない。だから支えようとした。でももういない。

 だから代わりにやるのだ。

 あの人は死んだ。だけど同時に多くの無能も死んだ。再建は遠い道のりかもしれない。だけど容易くなったはずだ。

 だが、一人だけ生き残った奴がいる。あの女が、あいつだけがのうのうと生き残っている。

 それは許せない事だ。あの女が勝手な事をするから、みんな死んだ。


「ただじゃ……殺さない……お前は、私の憎悪そのものだから……!」


 空虚な瞳で、スクリーンを凝視する。

 ステラ・ドリアードは二十二歳になっていた。


「お前には、無能たち全ての罪を償ってもらう……ただで死ねると思うな……」 


***


 目覚めは最悪だった。

 どうやら映画を見ていたまま寝落ちしていたらしい。ジャンルを定めず、ランダムで再生される映画のワンシーンが寝起きのリリアンの視界に飛び込む。旧世代のマフィアを題材にした復讐劇の映画だった。狙ってそれを見ようとしていたわけじゃない。

 いわゆる趣味とやらを見つけてみようと思い、適当に映画チャンネルに登録してみたものの、開始早々飽きたようでそのまま寝落ち。だが延々と流れる映画のセリフがどうやら夢に影響を与えていたらしい。


「寄りにもよってこのジャンルなのは嫌がらせとしか思えないわ」


 その夢を見るのはこれで四回目だ。

 大人になったステラが復讐を誓う。でもそれは夢の中で作り出した想像上のものでしかない。

 なぜならリリアンはその現場を見たことはないし、ステラが誰かを射殺したなどという話は聞いたことがない。


 隠されていたともなれば話も変わるが、どちらにせよリリアンは地球に置いてきぼりにされたステラが一体どのような経緯で冷徹で冷酷な元帥として登り詰めていったのかは知らない。

 気が付けばそうなっていた。自分は辺境に左遷させられたし、帝国軍も再編で慌ただしく、情勢も乱れ、植民惑星は次々と奪われた。


 それを何とか持ち直したのがステラだったというだけの話だ。

 いつしか彼女は無人艦隊を率いて前線を押し上げ、それでも帝国の国力と領土は奪われ、勝っているはずなのに国民は瘦せ細り、皇帝の病死、跡を継いだ皇太子は乱心して圧政に乗り出す。

 その中心にはステラがいて、不穏分子の弾圧も請け負っていたとか。


「このチャンネルは解約するか……」


 前世界の事について負い目がないわけではないが、かといってそれをずっと抱えて落ち込んでばかりもいられない。

 当初の目的とは違って何やら介入しすぎているが、自分が思っていた以上に帝国軍は情けない状態になっていた。

 それを改革する為にヴェルトールやゼノンに協力する道を選んだし、ステラを育て上げようとも考えた。

 とにかくかつての悲劇を乗り越える事が出来れば、あの妙な悪夢を見ることもなくなるだろう。


「あぁ……お風呂入ってないか……シャワーでいいか」


 寝落ちなどと、随分とだらけてしまった。

 紅茶や茶菓子を作るのは楽しいが、毎日毎日それだけで時間を潰すわけにもいかなかった。

 ならばと他の趣味を何か見つけようと思ってみたものの、どれもうまくはいかない。


 前世界では左遷を受けてからは世の中の流行りには疎くなったし、暗い艦内でやけ酒に溺れた四十代の頃もあった。酒に逃げる事も出来なくなった五十代ではただ無意味なシミュレーションを延々と続け、六十代ではもう一人で艦を動かす方が気楽になり、七十代では全てにあきらめをつけていた。

 だから、自分の感性はかなり枯れ果てている。唯一残ったのが紅茶だけだ。


「今更当時のノリを思い出してもねぇ。さっぱり興味がなくなってしまった」


 ぬいぐるみを集めたり、派手な宝石やドレスで着飾ったり。

 今の自分は確かに見た目は若いが中身がそれを拒否する。一応、この若い体にいくらか精神は引っ張られている部分もある。口調もどこか若々しくなったし、活力自体は漲っている。


 だがそれが却ってアンバランスな感覚を生み出している事もあるのだ。

 軍艦を指揮している時はそれらがかっちりとかみ合い、自分でも驚くほどにやる気に満ち溢れ、怖いもの知らずな行動を取れるというのに、こと日常生活においては、何かやろうにも拒絶反応が出てしまう。


「そうか……ただ時間を消費することが苦手なのか、私は」


 はっと気が付く。

 ただ過ぎ去っていくだけの行為を勿体ないと感じてしまうようだ。

 享楽的にただ楽しむだけなものが苦手となったというべきか、それが加齢によるものなのか、死に戻ったせいなのかはわからないが、ぼうっとしていられない人間になってしまったらしい。


「……ふーむ。どうしたものか」


 じゃあ延々と何か仕事を見つけて、ひたすらそれに邁進するべきか。

 それも何か違う。使命に逃げるのは卑怯だと思うし、実際、今は本当にやることがない。

 少佐や中佐程度の立場で人事には口を出せないし、ましてや大規模艦隊編成に物申すなどもってのほかだ。


 父の権力を使えば可能だろうが、乱用するのは憚られる。あの力は必要な時に無理を通す為に使うべきである。

 それに、自分だけがやる気満々でも他の面々はそうでもないし、やる気の空回りはかつての自分を彷彿とさせる。待つべき時は待つ。それもまた必要な事だ。

 つまり休息は絶対に必要なのだ。


「酒に逃げるのはもう勘弁」


 リリアンは一先ず、シャワーを浴びようと思った。

 汗を流してさっぱりとすれば気分も少しは晴れる。着替えを用意して、スーツを脱いで、浴室で熱い湯を被る。

 烏の行水ともいえる短時間でシャワーを済ませると、ガウンを羽織り、髪を乾かす。

 その時、ふと感じたのはガウンが少しごわついている事だった。これは軍の支給品なので、古くなれば取り替えてもらえる。


 しかしシャワーのおかげだろうか、それとも何か新しい趣味を見つけるべきだと思っていたからなのか、リリアンはハッと思いつく。

 自分はとにかく手作業をしていないと落ち着かないようだ。ならばと思い至った彼女はさっそく端末を立ち上げ、通販を漁る。


「実際、興味はあったのよ。やる気が起きないだけで。これを機に手を出してみるか……」


 後日、暇を見つければ編み物をしているリリアンの姿が噂になった。だが、その指には絆創膏が貼り付けられていた。

 それでも、楽し気に作業を続けている姿が確認されている。

 その後、完成した毛糸のハンカチを渡された女性クルーたちの一部が歓喜のあまり倒れる一幕もあった。

 そして、リリアンは何かしら手作業で作れるもの全てにのめり込んでいく事になるが、それはまた別のお話。

 

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