第三章 東奔西走編

第58話 とある少女についての考察

 月面基地。下士官ラウンジ。


「ねぇ。今正直、平和よね?」


 唐突にミレイは深刻な表情を浮かべた。

 海賊事件から早くも一か月が経とうとしていた。

 宇宙は平穏。たまに調子に乗った海賊もどきが現れては巡視隊に連行されるというのが半ば風物詩となりつつあるが、それは些細な事だった。

 地球帝国は確かに第六艦隊、そして土星防衛隊を失いはした。


「まぁそうね?」


 焼きたてのスコーンにイチゴジャムを塗りながらデボネアが頷く。

 だがそもそもの戦力差が天と地ほども離れているのだから、臨時に各々の艦隊から部隊を派遣すれば、何ら問題なく防衛網を構築することが出来る。

 当然、密度のようなものは薄くなるが、基本的に海賊もどきたちの艦船では駆逐艦一隻すら沈める事は出来ない。

 それこそロストシップがなければ。

 ゆえに現在は平和と言えた。


「細かい事件は起きてますけどねぇ」


 シナモンのクッキーを幸せそうに頬張りながらステラが答える。


「……ねぇ一つ良いかしら。なぜ私までここにいるの?」


 医官として配属されたフリムは、現在は白衣ではなく一般兵用の制服を着ていた。

 若干の困惑を浮かべながらも、彼女はやたらと盛られたドーナツを処理していた。


「当然、私が呼んだからですよ。フリムには医官としての意見を聞きたいの」


 ミレイは腕を組み、何やら熱い視線をフリムへと向けた。

 指やフォークで相手を指し示さないのは育ちの良さからである。


「医官とはいっても私まだ新米なのだけど。看護師上がりの」

「でもメンタルケアとか治療とかしてるじゃない」

「そりゃまぁ……仕事だから。それで、なに? 私、もう少ししたらあなたたちのメンタルヘルスの報告書の確認とかあるのだけど」

「まぁまぁ、話を聞いてください。これは部隊にも関わる事なんです」


 ミレイはずずいと追加のドーナツを皿に盛る。

 フリムはじっとそのドーナツを見つめていた。


「それなら艦長さんに相談すればよいのではなくて?」

「その艦長さんについて色々聞きたいの。だからみんなを集めたのよ」


 ミレイは至って真剣だった。


「リリアンさんの事? なんかあったっけ?」


 デボネアは二個目のスコーンを手に取り、今度は何のジャムを塗ろうかなと迷いつつ、ミレイの発言に疑問を投げかけた。


「私たちって、まぁ色々あったじゃない。特にティベリウスで」

「そうね。あの時は大変だったけど、なんでかしら。もう遠い昔の思い出みたいになってる。もうちょっとであの事件から一年かぁ……長い? 短い?」

「私の中で一年は短いわ。そんな事よりもよ」

「あ、私もスコーン欲しいです」


 ステラのちょっと気の抜ける声にミレイはがくりと肩を落とす。


「もう。とりあえず食べたい分だけ持って行って」


 ミレイはそれぞれの皿に適当にスコーンを並べると、仕切り直すように咳ばらいをした。

 紅茶を一口飲んで、喉を潤すと、集まった女子三人を見渡し、本題に入る。


「リリアン少佐の事、全般についてよ」

「何ですかその曖昧な議題」


 ナプキンで口元を拭き取りながら、フリムは新たなドーナツを手にする。

 いつの間にか、山積みのドーナツが半分も消えていた。


「私たちって、あの人の事よく知らないと思うのだけど。みんなは気にならないわけ?」

「え? まぁ……言われてみれば不思議な人よね。でも、ほら、優秀な人だし、優しいし、勇敢だし、かっこいいし……」


 デボネアが言葉を紡ぐ度に、彼女は頬を赤らめ、両手で隠すような仕草をしていた。

 それを見たミレイは少々げんなりとしている。


「とまぁ、魔性の女を発揮して、通信課のアイドルをこのように陥落させているわけなんだけど」

「ちょっと人聞きの悪い」


 口を尖らせて抗議するデボネアを無視しながらミレイは続けた。


「私だってね。あの人が優秀なのは理解してる。急に最前線に向かう艦に引っこ抜かれた時はビビったけどさ。あと海賊にも捕まるし。まぁそれは良いのよ、過ぎた話だから。でもね、優秀過ぎない?」

「何が言いたいのよ」


 さっさと本題に入れと言うようにデボネアは若干の苛立ちを見せていた。


「私たち、あの人の事何も知らなくない?」


 ミレイの言葉に、各々の動きがピタリと止まる。

 それぞれが言われてみれば確かにという顔を浮かべていた。

 彼女の実家の事は知っている。これは流石に有名だ。参謀総長の一人娘なのだから、皇帝陛下を除いた権力ランクでは上から数えた方が早い部分に位置する。


「優秀な艦長なのはわかる。話が通じる人なのもわかる。仕事ができるのもわかる。なんか最近、スコーンとかクッキー作るのにハマってるのもみんな知ってる」


 彼女たちが食べているスコーンなどはリリアンが焼いたものである。


「社会見学の小学生にキャンディーあげてるのも見たことあるわ。紅茶を淹れてる……これは学生の頃から有名だったわね。あと最近、猫の動画見てるわね」

「よく知ってるわねミレイ」


 デボネアは若干引き気味だった。


「そりゃ調べたからね。私は航海士。宇宙の航路を調べる癖で気になるものは調べる事にしてるの」


 きっぱりと答えるミレイ。


「でもね色々調べた結果分かった事があったの……学生時代の頃とキャラ変わってない? で、そこらへん何か聞いてないわけ?」


 ぐいっとデボネアに顔を近づけるミレイ。

 

「な、なんで私に」


 露骨にそっぽを向くデボネアだが、ミレイは彼女の両頬を掴んで真正面を向かせた。


「だって、リリアン少佐のコレでしょ?」


 ミレイはデボネアから手を離すと、小指を上げた。

 それを見た瞬間、デボネアがわたわたと慌て始め、立ち上がり「何言ってんの!?」と叫ぶ。

 が、すぐに恥ずかしくなって席に座ると、小さく縮こまる。


「あのさ、前にも似たようなこと聞かれた記憶あるけど、そんなんじゃないから」

「えー? でもご実家にはいかれたんですよね、一緒に?」


 ちょっと興味があるのか、ステラは妙に乗り気で身を乗り出していた。


「失礼でしょ、プライベートに。まぁでも……確かにあの人の事は気になるかも」


 ステラを引っ込ませつつ、実は自分もちょっと興味があるのかわずかに身を乗り出していたフリム。

 結果的に三人から囲まれる形となったデボネアは褐色の肌でもわかるぐらいに顔を赤くしていた。


「で、どうなの。そこんところ」

「そ、そんな事言われても……その……うん、家には行った……二回」

「二回!」


 フリムが叫ぶ。直後に口元を抑えて、周囲を見渡す。

 周りは「なんだあいつら」という視線を向けていたが、それは無視した。


「ご、ご両親には?」

「そ、そりゃあ……あったけど……」

「え、もう決まりじゃん」


 ミレイはなぜか関心していた。


「何がよ! どっちも家に泊まったとか、そういうんじゃないから。し、仕事よ、そう仕事」


 と、言い訳をするものの、それはステラによって遮られた。


「でもいつかの休暇で二人でホテルに」


 そんな爆弾発言がステラから発せられる。


「ホテル!」


 フリムが二度目の絶叫。


「わー! わー! 普通の! 普通のよ! 何もなかった! あの人、ずっと毛布にくるまってたから!」

「その話について詳しく聞きたいけど、ここじゃなんだからあとで医務室で聞くことにします。それよりも……確かに私も皆さんのメンタルケアサポートをする中で彼女の噂は耳にします。守秘義務もあるから、誰がどうってことは言えないけど……リリアンさん、学生時代とがらりと雰囲気が変わったという人が多かったですね」


 フリムはもはや食いつきを隠さない。


「あのぅ、私はそもそも学生時代のリリアンさんとは殆ど面識がないんですけど……学科も違いましたし」

「あぁ、そう言えばあなた、元は整備志望だったものね」


 そういうミレイは一応は貴族である。

 デボネアもそしてフリムも。この中で唯一、一般市民なのはステラだけだった。


「あ、でもヴェルトールさ……中佐のファンだったと聞いてます。私もそれは見たことありますよ」

「そう言えばそうね。結構派手にやってたイメージあるわ。今はなりを潜めたというか、興味ない感じだし。で、そこんとこどうなのよデボネア」

「だからなんで私に……まぁ……本人から聞いた事としては……学生だから楽しんでたって言ってたかな? 卒業したらそう言う事も出来なくなるからって」


 デボネアの発言を受けてまた少女たちは頭を悩ませ、腕を組み始める。


「つまり……馬鹿を演じてたってこと?」

「失礼ですよ……まぁ言いたい事はわかります」


 ど直球なミレイの発言にさすがのフリムも苦笑しつつも、ちょっと同意してしまっていた。

 実際、学生時代のリリアンは大した成績を残せていなかった。

 それがティベリウス事件の時は打って変わって、それこそ別人のような存在感を放っていた。


「学生時代の取り巻きしてた子たちにも話を聞く機会があったんだけどさ。実際、紅茶とかお菓子はくれてたみたいよ。手作りではなかったようだけど。あと凄い派手好きだったみたいなんだけどさ。今のあの人ってそういう派手な衣装って好まないみたいじゃない?」

「あー……そういえばショッピングに行ったときも随分地味なもの選んでた……」


 無意識に答えたデボネアだが、ハッとして三人を見た。

 三人は早く続きを言えという圧力をかけていた。


「し、仕方ないでしょ。セネカに来た時は、知り合いがあの人しかいなかったんだから。その後、ティベリウスの子たちが増えてきたけどさ」

「そう言えば直談判しにいったんでしたっけ?」


 どうなんですかと食いつくステラにデボネアは閉じこもった貝のようになって答えませんのポーズを取った。


「そういえば水着の撮影を頼まれた時があったみたいですけど、凄い勢いで拒否していたんですよね? 私にはそういう声はかからなかったですけど」


 ステラが言うのはティベリウス事件直後の話題の事だ。アイドルのような扱いを受け、広告やメディアへの露出が増えていた。

 その中になぜかグラビア撮影などの仕事が紛れ込んでいたとかいう話である。


「あぁあれは私もパスしたわ。デボネアのとこにも来たんでしょ?」

「それから逃げたかったから、リリアンさんの所に泣きついたのよ。まぁでも……あの人、水着は凄い嫌がるのよね」


 デボネアの言葉にフリムが少し首を傾げた。


「変ですね。別に怪我とかはなかったですけど」


 これはオフレコですよとフリムは付け加える。


「……なんていうか。これまでの話を総合すると、私ちょっと見えてきたものがあるの」


 ミレイは複雑な表情を浮かべていた。


「あ! 私もです。なんていうか……」


 ステラは何一つ悪気のなさそうな笑顔で言った。


「おばあちゃんみたいですよね!」

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