第53話 遥か過去よりおはようございます
オールトの雲とは八つ(九つ)の惑星のさらに外側。太陽系外縁に存在する、彗星の巣とも呼ばれる宙域であり、このオールトの雲を含めた宙域を太陽系と呼ぶ事が何千年も前に決まっていたらしいが、実際の所は定かではない。
ただそのようなデータが残っているというだけだ。
彗星の巣との呼称の通り、漂う彗星の数は数兆個とも言われるが、それはオールトの雲全体を通してみた場合であり、一部の宙域に、ぎっしりと彗星が漂っているわけではない。
当然、お互いに数万キロ、中には光年単位の距離が開いており、期待を胸に膨らませこの宙域を訪れた者たちは、その酷く過疎な宙域を見て唖然とすることだろう。
だが中には人々が期待する密集地帯のような場所も存在する。セネカが連れてこられたのもまたそのような場所であった。
彗星の主成分は複雑な物質が絡み合うものだが、一言で言えば氷である。人々が目にする流れ星などは太陽の日射によって、彗星の表面にある氷や塵などが蒸発、気化することで光を反射、イオンの尾というものを発生させ、そのように見えるというもの。
だが、このオールトの雲では恒星の光が届かず、熱を与えられる事もなく、イオンの尾を見る事は叶わない。
それ以上に、そのまま氷塊のような物体があちらこちらに漂っており、その大きさは比較的小さいもので数キロメートル、巨大なもので数十キロメートルといった所だろう。
人類が観測できた最大の彗星は130キロメートルとも言われているが、そのようなタイプの超大型の彗星は確認できなかった。
「レーダーが……」
デボネアがレーダーを見ると異様な状態であった。反応で埋め尽くされ、レーダーの画面が白色に近いものになりかけたのだ。
曳航されるがままのセネカではあるが、最低限度のシステムは稼働していた。
その内のレーダーが無数の反応を捉えていた。だが、それは機械の故障とは少し違う。
彗星の殻の中に秘められた金属が反応しているのだ。中には彗星同士の衝突などで熱エネルギーを発生させ、自壊していくのもあり、それが一時的ではあるがレーダーをかく乱させていたのだ。
「なるほど……オールトは大宇宙が作りだした天然の宇宙ジャングルとも言うべき場所。レーダーがこのような反応を示すのであれば、逃げ隠れるにはうってつけというわけですか」
ヴァンの言う通りだった。
運よく、彗星の密集地帯。それも尾を引かず、重力に捕まるわけでもなく、ただ漂っているだけの宙域を見つければ、それは絶好の隠れ家である。いかに地球帝国艦隊を動員しても、オールトの隅々を調査するのは恐ろしい程の時間と手間がかかる事だろう。
「海賊らしい知恵と工夫というわけよ。フン、拝ませてもらおうじゃない。海賊のアジトという奴を」
リリアンは艦長席に深く腰かけ、ただじっと映し出される光景を見続けていた。
それはまるで前世界の、晩年の頃に少し似ていた。
ややすると、一つの巨大な氷が見えてくる。それはどうやら内部をくり抜かれ、人の手が加えられているようだった。
隔壁のようなものが開くとかなり整った設備が見える。それこそ宇宙船を格納できる程のものが。
しかしスターヴァンパイアだけは、異なる動きを見せた。
氷塊基地の上部が大きく開くと、まるで巣に帰ってきた動物のように、スターヴァンパイアが鎮座し、固定される。
(もしかして、あの戦艦の専用基地か……連中はロストシップを見つけたんじゃない。それが格納された基地を見つけていたというわけか)
失われた時代の艦があるのなら、同時期に破棄され忘れ去られた要塞や衛星基地があってもおかしくはない。彼らが見つけたのだとすれば、それは確かに根城にするだろう。
特にこのオールトの雲であれば、都合も良い。
「あれは……艦長、見ろよ。あれ、澄清って奴じゃねぇのか?」
氷塊基地の中に入ると同時に、目の良いコーウェンが視界の先に駆逐艦を発見する。
それは間違いなくアレスの澄清であった。
損傷を受けている様子はないが、中がどうなっているのかはわかるはずもなかった。
「念のため、通信を送ってみますか?」
デボネアがちらりとリリアンへと振り向き尋ねる。
「無駄よ。彼らが連れ去られて時間も経っているし、クルーを中に残しておくとも思えないわ。恐らくはこのアジトのどこかにいるのでしょうけど」
そうこうするうちに、セネカがドックに固定されたらしい。
わずかな振動が響く。
「澄清は内側から捕縛された。でも、私たちの艦には敵が入り込んでいない。籠城したい所だけど……さて、どうしたものか」
駆逐艦と言えど対人用の兵装で装甲が破られるほどやわではない。傷はつけられても、内部へと侵入するのは仮にパワードスーツでも難しい。
だが注意するべきは三隻の巡洋艦だろう。そのうちの二隻は周辺警戒の為か格納庫ではなく基地の外にいるが、残る一隻は出入口を塞ぐように停泊していた。
砲塔も向けているが、自分たちの基地の中で発砲するような真似はないだろうと思いたい。
「さて……どうしたものかしらね」
「ど、どうしてそんなに落ちついていられるんですか!?」
クルーの殆どは不安である。
その中でもミレイは人一倍不安が強いようだった。初めて会った時は気丈な少女だと思ったが、案外ストレスに弱いらしい。
「どうして、か。まぁ……アレスが連れ去れて、連中がティベリウス事件の関係者に熱心なんじゃないかなと思っていたから、かしら?」
「知ってたんですか!?」
ミレイは多少、リリアンを批難するような口調だった。
「確証はなかったわ。でも、可能性として考慮していた。まぁ、怪我の功名とは違うけど、これはこれで都合が良いのよ」
「どこが都合良いんですか! こんな場所じゃ味方だって私たちの居場所を探るのに時間かかりますよ! その間にあの海賊たちが何をするか!」
「我に秘策あり。ま、運否天賦なのは否定しないわ。だけど、こうなった以上、それに任せるしかないのよ。デボネア、整備長と繋いで……サオウ整備長にね」
***
セネカが氷塊基地に連れ込まれて三十分程が経過した頃である。
海賊の首魁、ラナがリリアンをお茶に誘いたい等という通信を一方的に送ってきたのだ。
それに付き合う必要性は全くなかったが、かといって機嫌を損ねた場合の危険性もあった。
それゆえに、リリアンは誘いにのる事にしたのである。
「確か、いつかの番組で紅茶が好きと仰っていましたね。どうです、ハルウェー星産の茶葉があるんです」
ラナはなんとも面白みもない支給品のコップに、中華様式のティーポッドでお湯を注いでいた。その中にはティーパックがあった。ハルウェーとは紅茶の産地として有名な植民惑星である。
ハルウェー紅茶は確かに皇帝にも献上される程のランクがあるが、茶葉というわりにはティーパックであった。それでも高級品であることに変わりはない。
(この子……思ったより雑いわね)
ただ、あえて言うのなら、適当に沸かしたお湯をただ淹れ回すだけのものを紅茶と認めたくないというリリアンなりのこだわりもあった。
「有名な紅茶なんですよね? すみません、私はあまりそういうのは詳しくないので」
そんなことを知ってか知らずか、ラナはまるで恋人に初めて手料理を振舞う少女のような笑みを浮かべて、リリアンへと紅茶を提供した。
香りも出ていないし、ティーパックを取り除いていないせいでやたら濃く煮だされた紅茶を受け取りながら、リリアンはじろりと周囲を見渡した。
そこは奇妙な部屋であった。
全体的な作りはなんてこともない、宇宙船の基準に沿った簡素なものだが、置かれている調度品は様々な文化圏のものがごちゃまぜになっていた。
映像通信用のデバイスは昭和と呼ばれた頃の日本の電化製品、テーブルはいかにも西洋風で、壁にはインドのものと思われるブッディズムを感じさせる絵が飾られ、床にはトラの毛皮が絨毯のように広がっている。その他にも多様な国の特産物のようなものが置かれていた。
それらの全てが形だけを真似たレプリカであるという共通点だけを除けば、統一感のない胸やけでも起きそうな場所だった。
「変な部屋でしょう?」
リリアンと対面し、頬杖をしながらラナが語り掛けてくる。
「これ、全部プレゼントなんです。まぁ海賊稼業で奪ったものらしいですけど」
そう言いながらラナは適当なランプを手に取った。中東風なデザインがいかにもな雰囲気を醸し出しているが、それもレプリカ品だ。何に使うわけでもない。ただ道楽な貴族が己の趣味に合わせて買って飾るだけのものだ。
探せば、中にはそれなりに値段の張るものもあるだろうが、殆どは大量生産品だ。
「不思議ですよねぇ。こんなもの貰ったところで何になるわけでもないというのに。ここにいた人たちは、奪ってばかりで与えるという行為をよく理解してない人たちばかりで、自分たちがとにかく良いと思ったものを送り付けたんです。そして増えていったのがこのゴミの山」
ラナはそう言ってランプをわざと床に落とした。甲高い音を立てて、壊れるわけでもなくランプは転がっていく。
「飲まないんですか? 毒なんて入れませんよ。信じて貰えないでしょうけど」
「そりゃあそうね。あんたは正体を隠して私たちに近づいてきた。大胆ではあったけど、そんな奴の言う事をはいそうですかと聞けるほど、私は大人しくないのよ。それよりも、クルーに手を出してないでしょうね。それとアレスたちはどこ」
「もう質問の多い方ですこと。会話はもっとゆっくりと楽しむものでしょう?」
少し口を尖らせながら、ラナは自分の分の紅茶に口をつける。
だが少し苦かったのか眉をひそめて、用意してあった角砂糖を三つ入れていた。
「皆様を傷つけるようなことは致しません。えぇ、今の所は。アレス様もそのお仲間の方も丁重におもてなしさせていただいていますわ。お食事だってちゃんと与えています」
「会わせて欲しいのだけど」
「なら私とお話しましょう?」
自分もそれなりには我儘だが、ラナとかいう少女はそれ以上のようだ。
「話といっても特に何もないわよ。ティベリウス事件の事はメディアで話した通り。そして私は宗教に疎いからそっちの話は知らない。あえて言うのなら紅茶の淹れ方がなってないと文句をつけるぐらいよ」
「いえ、そんなことはどうでも良いんです」
ラナはくるくるとスプーンで砂糖を回し溶かしていた。
「私はあなたの事が聞きたいのです。言ったでしょう。初めてお会いした時から、あなたは私と同じだと」
「違うと思うけど」
「いいえ同じだわ。あなたはこの時代の人間じゃない……そうでしょう?」
その瞬間。
さしものリリアンも心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
それでも何とか平静を保てたのは経験のおかげだろうか、それとも目の前の少女が得体のしれない何かだと分かっていたからだろうか。
だが、ラナもこちらを注意深く見ていたようで、わずかな変化に気が付いている様子だった。
「やっぱり。ねぇ、あなたはどこの製造なの? ケンタウルスα? それともグリーゼ866? バーナード? いいえもっと遠くかしら。50光年先? それとも100光年先? いいえ、いいえ、もっと重要な事があるわ」
ラナは興奮気味に立ち上がり、リリアンへと迫る。
そして両手を掴むと、お互いの鼻がこすれるほどの位置まで近づいてくる。
「あなたは、何千年前の部隊の人なの?」
「どういう……事?」
「どうって……違うのですか? あぁ、隠さなくても良いんですよ。他の人に話しても理解されないかもしれませんよね。でも私ならわかります。だって同じだと思うから。私はうーん、地球歴で言うところの……2194年の人間です。この時代の人間が言う所の……失われた千年の時代の者。あなたは?」
その告白を聞いて、リリアンは愕然とする。
だが同時に納得もしていた。失われた技術の時代。氷塊の基地。ロストシップ。
それら全てがかみ合うような感覚がある。
「コールド……スリープ……?」
「はい! 改めて自己紹介させていただきますね。私はラナ・ウェルミルス。ですが、それはこの時代で名付けられたものです。正式名称はナサニエル型、外宇宙航行戦艦メインオペレーター用年齢固定クローン。ロットナンバー199934」
その瞬間だけは、ラナの顔に感情らしいものはなかった。
だが、すぐさま笑顔を浮かべた。
「でも味気ないでしょう? ですから、このラナという名前は気に入っているんですよ。あなたは何型かしら。金髪だしワイズマン型? あ、もしかしてクローンじゃないのかも? なら失礼だったかしら」
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