第50話 存在しない者たちへの考察

 駆逐艦パイロンがタイタンへと到着したと同時刻。

 月面基地、ゼノンの執務室ではいつもの面々が顔を突き合わせていた。


『結論から言うと、ラナという少女は捨て子だそうだ。二歳の頃に星流派のロバート・オースティン神父が引き取ったという事になっている。とはいえ、二人の間に養子縁組の記録は無い。また幼少期は病弱であったとの事で通信教育を受け、その後は体調も安定したのか星流派の修道院に入り、十六の頃には再びロバート神父の教会に戻り、そこで活動を続けている』


 ヴェルトールの調査報告は特別不審な点は見受けられないもののように見えたが、この男がその程度の調査しかしないわけがなかった。

 ここからが本題だと言わんばかりに、ヴェルトールの声は更に鋭いものとなった。


『問題はここからだ。ロバートは元受刑者らの救済活動に熱心だった。鯨狩りが行われる前に逮捕された海賊などを中心に支援を行っている。他にも非行に走る者への支援もある。当然だがラナもこの活動に参加している。教誨師をしていたのもこの関係だろう』

「話だけを聞くと素晴らしい人物に見えるのだけど」


 純粋にリリアンはそう思った。これで裏がなければ手放しで賞賛していたことだろう。

 ヴェルトールの報告に一端の区切りがつくと、リヒャルトが資料を提示する。


『ちなみに活動自体は真っ白だったよ。小さな町工場を開いて、そこで再就職を図っている。その支援を受けていた面々が何かに関わっている様子はなかった。中には再犯をするものもいたけど、軽微な犯罪が殆どだ。ごく稀に強盗なども行うけどね。ただ……』

「ただ?」

『その再犯をした人たちが消息を絶っているんだよね』

「どういうこと? その町工場とやらには戻ってこないの?」

『再犯をした、合わせる顔がないという事で姿をくらませるらしい。また非行少年たちも大半は更生していくんだけど、やはり中には素行が戻らず、何かしらをやらかして逃亡しているパターンがある。もちろん、罪を犯した、逃げるという行為は不思議じゃない』

「それが海賊もどきのメンバーになっている可能性がある……そう言う事ね?」


 リリアンの言葉にリヒャルトは無言で頷いた。それを見て、リリアンは顔をしかめた。

 誇れるはずの仕事だ。それに泥を塗るような真似は決して許せない。


「まさかと思うけど、クレッセンの事件を起こした連中は?」

『町工場への勤務記録はないけど、何年か前にロバートが対応した非行少年が何人か紛れ込んでいる。しかもそれだけじゃないんだ。ロバートたちは時折、支援活動という形で教会を離れる事があるらしい。そういった活動自体は珍しい事ではないらしい。他の宗派でもあるみたいだ。ただロバートはその回数が多い。いくつかは公式のものに参加しているが、その期間を調べていくとね……なぜか海賊事件が起きた日と合致するんだよ』

「真っ黒すぎない? なんで今までバレなかったの?」

『別にロバート神父は資金の横領などをしているとかはないんだ。再犯者も勝手にどこかへと消えていくだけだし、現時点では彼が唆したなんて証言も証拠もない』

「じゃあ支援活動の件はどうなるのよ。報告書ぐらいはあるでしょ?」

『当然、公式に開催される研修では提出しているだろうね。でもロバートは活動自体はしていても何か大きな支局を任されているとかじゃないんだ。それにボランティアでどこどこに行きました、元受刑者のプライバシーに関わるとか言えば何とでもなるようだよ』

「偉い地位じゃないことが逆にカモフラージュになるってわけか……」


 さらに、支援を通じても再犯が起きているとなれば、活動は素晴らしくても成果を判定されると中々、理解を得られているとも言えないらしい。

 そんなある種の中途半端さがかえって追及の目を誤魔化す事となる。もっと言ってしまえば、大して期待されていない末端の活動と言ったところだろう。


「本業ではなく隠れ蓑として聖職者をやっていたってわけ? でも、神父になる前の足取りはどうなの? この報告だけだと、怪しい事しているなというだけ。そんな奴、探せばごまんといるでしょ?」

『若い頃は運送業をしていた。その中で結婚。だが妻は業務上の事故で死亡。その後、教会の門をくぐったというわけらしいよ』


 リヒャルトも肩をすくめて答えた。

 どう調べても普通の男だ。

 不自然な点はない。


「なるほど。戸籍を奪ったか」


 ここで、会議の成り行きを見守っていたゼノンが口を開いた。


「奪う? どういうことですか、閣下」

「簡単な事さ。ロバートは運送業をしていた。それは恐らく事実だろう。ならそれを奪えばいい。殺してでもな。大西少将が鯨狩りをする前はそういう形で海賊から抜ける者もいた。案外バレないものさ。整形もするだろうしな」


 ゼノンの発言に、ヴェルトールは大きく頷いた。


『仰る通りです閣下。ロバートは若い頃にアルバイトで輸送船で働いていた際に事故に遭っています。恐らく、その際に入れ替わった可能性があります。それにロバートは記録上、両親とは死別しているそうです。親戚とも疎遠なようで』


 何十年も前に入れ替わり、周囲とのかかわりを希薄とし、職を変えたとなれば早々バレるものではないらしい。

 表向きは大人しくしていれば怪しまれる事もないだろう。

 ある意味、一番賢いやり方なのかもしれない。


「答え合わせはキャスカートの証言にかかっているかもしれないね。それでもいくつか謎は残るものだが、ロバートという男が思ったより何もしていないせいで、足取りが掴み辛いようだ。もしかすると相当の策士あるいは……本当に足を洗おうとしていたか……だな」


 ヴェルトールとリヒャルトの調べは正確なのだろう。

 彼らが手を抜くという事はありえない。もちろん、本腰を入れ、帝国軍の調査能力の総力を結集すればもっと細かい事がわかるのだろうが、事態はそうのんびりとはしていられない。

 キャスカートへの尋問も若干の越権行為に近いのだ。そこにデランを無理やり引き上げ、戦闘機と海兵隊も引っ張ったとなれば、結果を出さなければゼノンへの風当たりは強くなるだろう。


「しかし、こう改めて見ると。ロバートという男は掘れば掘るほど情報が出てくるというのに、ラナという少女は捨て子だったという事実以外出てこないのが、逆に不気味だね。この子、本当に存在するんだろうかね?」


 ゼノンの言い方はどこか含みがあった。

 言葉通りの意味ではないのだろうというのはわかる。


「いや……ラナという少女だけではない。ロバートを名乗る何者か。この二人は、そこにはいるが、存在しない何かのように感じるね。我々は、彼らの本質を何も見抜けていないというわけだ」


 名前があり、存在しているはずなのに、そこに本物はどれ一つない。

 それは確かに存在していないと言っても良いだろう。

 情報という概念のような何かだけがそこに浮いているような錯覚を感じる。


「それで? そろそろデランたちもタイタンについた頃あいだと思うのだけど──」


 などとゼノンが言うと、ゼノンの秘書官が姿を見せ、小走りに近づくと耳打ちをした。

 そしてその報告を受けたゼノンはギョッとする。


「タイタンが攻撃を受けただと?」


 そのつぶやきを聞いたリリアンは即座に立ち上がった。


「待て少佐。セネカの改修作業の完了は聞いていないぞ」

「取付作業自体は完了しています。その他のチェックは現場で行います」

「砲手もまだ到着して……!」


 その問答の最中、幸か不幸か。あるいは空気が読めているのかいないのか。

 一人の男が入室してきた。

 黒人の男は、サングラスをかけていたが、それを胸ポケットにしまうと、かかとを鳴らし、敬礼を行う。


「本日付けで着任いたします。コーウェ……」

「よく来たわね。出撃よ。あてにしてるわコーウェン砲術長」


 その瞬間、ティベリウスで百発百中を誇った砲手コーウェン少尉はリリアンによって首根っこを掴まれ、引きずられていく。


「いて、いてぇ! うわっリリアン……少佐! え、なに? いきなり? 出撃ってなに?」

「タイタンに敵がいる。そこで味方が襲われた。以上」


 許可など貰っていないというのにリリアンはそのままコーウェンを連れてセネカの下へと向かっていく。

 ゼノンはやれやれと首を横に振って、それ以上は止めることもしなかった。

 通信の向こう側のヴェルトールとリヒャルトも、何も言わなかった。

 ただその場に自分たちがいない事は悔しいようで、握りしめた拳をゼノンは見逃さなかった。


「頼るしかないか……厄介な事件だよ」


 ゼノンはコンソールを操作すると、基地ドックへと通信を繋げた。


「駆逐艦セネカ、緊急発進準備だ」

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