第33話 二度とやるものかと心に誓う大切なこと

 月面から地球への往来は地球歴4000年代においては気軽に行ける小旅行のようなものだった。

 シャトルの種類によって料金などが大きく変わる以外は、どのシャトルも快適な宇宙旅行を約束している。

 またリリアンの乗るシャトルは所謂ファーストクラスと呼ばれる最上級のものであり、シャトルも200メートル級と大型であった。船内はプライベートが確保された個室が確保され、小さいながらも食事を楽しめるバーも存在する。

 シャトルは安全の為、月から地球までを約三時間から六時間の間で航行することになっていた。リリアンが選んだのは三時間のコースである。

 理由は単純だ。さっさと家に帰って用事を済ませたい。それだけである。


「あの……私なんかがここにいるのって凄い場違いな気がするんですけど」


 リリアンの個室にはデボネアの姿もあった。

 彼女の実家もそれなりには裕福であるが、ファーストクラスの個室を貸し切れる程ではない。小金持ち、中流貴族と言ったところか。

 その為なのか、彼女はそわそわとしていた。


「ごめんなさい、嫌だったかしら?」


 リリアンは用意されたケーキを取り分け、デボネアに差し出しながらそう言った。

 するとデボネアはぶんぶんと顔を左右に振って、慌てて否定する。


「まさか! 誘ってもらえてうれしいですよ!」

「でも、実家に長居するつもりはないし、用事を済ませたあとは地球のホテルで友人と一緒に過ごして小旅行に行くって嘘の為に付き合ってもらっているわけだし。申し訳ないと本当に思っているのよ」

「構いませんよ。私も実家に帰ったところで特にやることないですし、どーせパパがお見合いさせようとしたり、軍を辞めろって言ってくるだけでしょうから」


 デボネアはリリアンに今回の帰省についての詳細を多少は教えて貰っている。リリアンとしてもこんな猿芝居のような事に付き合ってもらえる友人がデボネアぐらいしかいなかった為、断られる事を前提に尋ねてみたらなぜか即答でOKがでた。

 若干食い気味だったことが気にはなるが、無理をして付き合っているわけではなさそうなので、その点だけは安心していた。


「旅行したいのなら構わないわよ。一応は休暇だし」

「わ、私はリリアンさんと一緒ならどこでも……」

「そう? それじゃ月に帰ったら食事でもしましょう。良いお店があるの」

「はい、ぜひ!」

「セネカのクルーみんなでね」

「はい……」 


 そんなたわいのない会話と約束をしながら、時間は過ぎてゆく。

 シャトルを取り囲むように、駆逐艦澄清と配下であるパトロール艇二隻が護衛する。何事もなくも、シャトルは地球へと降下し、護衛は大気圏内用の戦闘機隊へと切り替わる。


(戦闘艦艇もそうだけど、このシャトルにしても重力の変化を感じさせずに惑星への進入、離脱が出来るのよね。復元された過去の技術。調べてみたい好奇心はあるけれど……)


 リリアンはこれからやらなければいけない過酷な使命を思い浮かべた。

 ある意味、これが人生の中で一番キツイ事かもしれない。それは覚悟のいる行為だ。恥を忍び、ともすれば発狂しそうになるものを抑えて、耐えなければいけない事かもしれない。

 リリアンは深呼吸をして、自身を落ち着かせる。そして、デボネアの両肩を掴んだ。


「な、なんですか、急に、そんな」

「お願いがあるの。これから私が何をしたとしても絶対に公言しないで欲しいの。そして見たことは全て忘れて欲しい。いいわね?」

「はい……」


 デボネアはこくこくと頷く。

 リリアンの剣幕をデボネアは一生忘れないと思った。

 あれは悲愴な覚悟を決めた者のする目であると同時に遠くを見つめて、何もかもどうでもなれと開き直っているかのような目にも見えたからだ。


***


 地球帝国が貴族制度を取っているからと言って、全員が中世のような服装をしているわけではないし、自宅が城のようになっているわけではない。

 人によっては面白みのないタワーマンションに住んでいるし、日本庭園を持っているものもいれば中華風の居城を構えるものもいる。

 そう何と言ったか。旧世紀のセレブというべきだろうか。

 だが、どうやらルゾール家は古き良き伝統を重んじる家柄のようで、自宅は本を開けば出てきそうな豪邸というべき佇まいを持っていた。

 白亜の壁に囲まれ、有名なアーチストがデザインしたらしいよくわからないライオンだか虎だかわからない謎の動物をあしらった巨大な門。

 それが開けば石造りの通路と庭園が広がり、その途中には噴水が二つ並び、やっとその奥に豪邸が存在するのだ。


『お帰りなさいませ、リリアンお嬢様』


 玄関の扉が自動的に開くと、何人いるのか数えた事もない大勢の使用人がリリアンとデボネアを迎えた。


「友人よ。丁重に持て成して。失礼がないように」

「かしこまりました」


 リリアンが当然のように指示を出すと、無数の使用人たちが恭しく頭を垂れ、そしてデボネアへと最高品質のもてなしを提供する。

 デボネアは半ば流される形で客室へと案内されていったことだろう。


「お嬢様。お荷物などは」

「ないわ。すぐにホテルに向かうから、そっちの車を準備しておいてほしいの。お父様とお母様は?」

「既に大広間でお帰りをお待ちしています」


 長くこの屋敷で執事長をしている初老の男と会話を続けながら、リリアンは真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。調度品の数々、いまいち何が描いてあるのかわからない絵画に見送られて、ついに大広間へと通じる扉へとたどり着いた。

 そしてリリアンは若干の後悔を覚えた。出来ればやりたくない。当たり前だ。中身は老婆なのだぞ。

 だがこれも未来の為である。

 リリアンは挫けそうな心を立て直し、挑む。

 扉が開かれた。


「まぁー!」


 まず最初に飛び込んできたのは甲高い母の声だった。

 人一倍、美容と健康に気を使っている為か四十代であっても若々しくみえる。アンチエイジングの技術向上もあってか、並んで立つと姉妹に見られない事もない。だがそれでも隠しきれない細かい皺は存在する。

 そんな母、メアリラインは帰ってきた娘を抱きしめていた。


「我が家のヴァルキリーのお帰りよ」


 ティベリウス事件以降、母はリリアンをヴァルキリーと呼ぶことがある。

 戦の女神という部分を称してそう呼んでいるのだろうけど、恐らく母は戦死者の魂を天に運ぶなどという伝説は知らないだろう。

 それはさておき、母はどこにそんな力があるのか、リリアンを抱きかかえながら夫であるピニャールの下へと娘を連れてゆく。

 七十九歳という中身が、母に抱きかかえられながら運ばれるというのはそれだけでも恥ずかしいものだった。

 

「ただいま戻りましたお父様、お母様」


 父の前に連れられると、リリアンは全てに諦めを付けて恭しく、父の手を取り、そして幼い子供のように抱き着いた。


「おぉ、おぉ! 可愛いリリアン! 我が自慢の娘! よくぞ無事に戻ってきた! どうだ、怪我はないか? 宇宙酔いはしていないか? 失礼な士官がいればパパにいいなさい、即刻恒星観測隊に飛ばしてやるからな!」


 本当にそれが出来る権力があるのだから、ある意味で恐ろしい。

 ピニャールはとにかく娘に甘い。それなりに歳をとってから生まれた一人娘なのだ、甘やかすのは仕方がないと言ったところだろう。

 なにせ五十代で出来た娘なのだから。


「いいえ、いいえ、大丈夫ですわお父様。みな良い人たちばかりなのです。あぁそれと今日は友人も一緒なの。いつも仲良くしてくれる子、前にも一度お会いしていますよね?」

「あぁ、あの子か。うんうん、お前と友人になるとは、その子は見る目があるな。ここにいないということは、客間か。いいだろう、最高級のケーキを出してやろう。ははは!」

「ありがとう! お父様!」


 リリアンは全身に鳥肌が立つ思いで媚びを売った。


「それでね、お父様。ワタクシ、お願いがあって帰ってきましたの」


 リリアンは父に上目遣いをして祈るように両手を合わせた。


「どうしたどうした。パパに出来る事なら何でも言いなさい」

「本当? でしたら、今日はとてもまじめなお願いなのです。ワタクシ、ある人の力になりたいの」

「そ、それは……恋人かね! まさか、ヴェルトール・ガンデマン!」

「いいえ、お父様。ヴェルトール様には既にお心を決めた相手がいらっしゃるの。ワタクシから見ても二人はお似合い、ここは潔く身を引く決心をしましたわ。ですが、ワタクシはもっと素晴らしいお方と出会いました。あの方を支えたい、そう思っていますの」

「そ、それは一体、誰なのだ!」


 リリアンは早くこのバカげた猿芝居を辞めたかった。

 頭痛もしていた。


「それは美しき月の君……儚く、繊細で、それでいて凛々しくもある……あぁこれ以上は言えません。お父様、どうかワタクシの乙女心を御理解なさって」

「ま、まさか、その者、いやそのお方は……!」


 その刹那。ピニャールの脳内には一つの図式が形成されている。

 月の君、それはつまりゼノン少将の事だろう。そのゼノンはリリアンの素質を買い、月面基地へと勧誘してくれた。ピニャールとしても皇帝の分家との接触は願ってもない事だ。そして愛娘のこの態度。

 それはもはや答えは一つなのだ。


「わかった。みなまで言うまい。パパ、いやこのピニャール参謀総長。そのお方のお力になれるのであれば、何でもしよう。私もあのお方は何か持っていらっしゃると思っていたからな」


 当然嘘である。ただ皇帝に連なる関係者の一人程度にしか認識していない。

 家柄だけは間違いなくあるので付き合うには十分すぎる存在だ。そこから皇帝の宗家にもお近づきになれることだろう。

 参謀総長の身分だと、謁見して報告することは出来てもそれ以上の関係は望めないのである。

 ならばこれは一つのチャンスだ。ピニャールの脳内ではそう結論が出ていた。


「あのお方はエイリアンの襲来に心を痛めています。どうにか力を尽くせないかと、ワタクシたち、そして帝国領民の事を考えていらっしゃいます。ですが、あのお方は月の防人……そしてお立場からそう簡単に席を外せない……だからこそお父様のお力添えで、何とかあのお方の後押しをお願いしたいのです」

「う、うむ。エイリアンの件に関してはパパも仕事で会議しておったのだ。防衛戦力の増強も決定した事だしな。しかし……そう簡単にねじ込めるものでは」

「あの方は仰っていました。外憂もさることながら内憂もあると。そう今も暴れる宇宙海賊の討伐にまずは力を尽くしたいと……」

「む、むぅ……そうか。パパもそれに関しては考えていたし、諸提督らの間でも話には出ておったが……」

「ほんの少しだけでも良いのです。あのお方が自由にできる程度の力……それならばご迷惑もおかけしないはず……そう例えば少数の艦隊を……えぇ、ですがそうですわね。これほどの事はお父様でも厳しい……わかってはいるのですが、どうしてもあの方のお力に……」


 次に泣き落とし。ウソ泣きだが。


「まぁ待て待て。パパに任せなさい。あの方のフォローぐらいはできるはずだ。お前の望み全てとなると、パパにも通さねばならない話がいくつもあるのだ。だが安心しなさい。必ずやってみせよう!」


 その時、ピニャールの脳裏に浮かんでいたのはゼノンに独自の少数先鋭と称した艦隊を与え独立させること。ただし結局それはお飾りであることに変わりはない。散発的に出現する宇宙海賊あたりを処理させる程度ならさほど難しい事ではないだろうし、それはそれで成果となる。

 その艦隊の結成を後押しし、許したということは自分の実績にもなる。ゼノンからの覚えが良ければ儲けものだ。

 それに各宙域の大艦隊の合間を埋めるような小間使いが必要だったのもある。

 ある意味都合が良い。ゼノン少将がそれを率先してやってくれるのであれば、願ってもないことだ。

 むしろいち早くそれを実行すれば他に対するけん制にもなる。自分は今、皇帝の血筋の近くにいるという証明になるのだ。


(なんて、この人は多分考えている。よし、やることはやったわ)


 リリアンは泣き真似をやめて、すっと立ち上がる。


「ありがとうございますお父様。それでは私は、これから友人と小旅行に出かけますので、また次の休暇でお会いしましょう。もしお約束が果たされなかったら私、お父様の事、お嫌いになります。それでは」


 言葉使いを取り繕っている余裕もない。

 リリアンは出来る限り、表情を変えずにすたすたと両親がぽかんとしている間に部屋を出て客間でくつろいでいるであろうデボネアを迎えにいく。


「さぁ行くわよデボネア! さっさと行きましょう! 車を出して頂戴、すぐに外出します!」

「え、ちょっとケーキまだ一切れ……」

「もっと良いもの買ってあげるからさぁいきましょう!」

「えぇ……というか用事は」

「もうすんだわー!」


 そう言って、リリアンはデボネアを引きずり、用意させたリムジンに乗り込み、予約してあったホテルへと直行させる。

 数十分後、ホテルに到着し、チェックインを済ませ、これまたファーストクラスの個室に案内された瞬間。


「あぁぁぁぁぁぁ!」


 ベッドに飛び込み、枕に顔を埋め、毛布にくるまり叫んだ。

 

「あ、が! いぃぃぃぃぃ!」


 二度とやるものか。

 そう心に誓いながら。


「何があったのかわかんないけど……お疲れ?」


 デボネアも呆けるしかなかった。

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