第32話 権力は使える時に使うのが一番
考える事は多いが解決するべき問題を一つひとつ処理するしかない。
敵が人類であろうが、エイリアンであろうが、そんなことはどうでもいいのだ。襲ってくるのであれば黙ってやられるわけにはいかない。
それにアイドル活動はさておいても艦長という仕事は忙しい。あちこちへの報告義務はあるし、部下から上がってくる報告書にも目を通さないといけないし、クルーや乗艦の状態確認もしなくてはならない。
だからこそ余計な問題や、やりたくもないアイドル活動は避けたい所なのだ。
しかし、今回は艦を降りる事を許可された初めての休暇である。月面基地のドックには任務交代用の別の駆逐艦も入港しており、彼らへの引き継ぎを行えばリリアンを含めてクルーは羽を伸ばせるのである。
それこそ、地球へ戻る事も可能だった。帝国の兵力はそういう事すら可能となる程に数だけはある。
「セネカの整備状況は分かったわ。まぁうろちょろ月面宙域を移動してるだけだし、故障がないのが当然といった所だけど。チェックが終わったら整備班は順次解散。あとの整備は基地がやるでしょう。生活物資の入れ替えは?」
「八割がた完了しているとみていいでしょう。それと、次の巡視任務での搬入物資の確保も完了しています。良い茶葉を次までには仕入れるとの事です」
ヴァン副長も事務作業を手伝っていた。
「それは嬉しい。飲食に困らないのが帝国のいい所ね」
「少なくとも飢える事はありませんからね。軍人になってよかったと思う所です」
パトロール艇ですら一年近い保存食が備わるのは本当に誉めたい所である。
それが例え【艦隊行動中でもシェフの料理が食べたい】という我儘から生まれた歴史だとしてもだ。
そんな歴史であっても、貴族であろうが平民であろうが軍で提供される食事はほぼ同列である。この点だけは帝国兵の士気を一定に保たせる要因でもある。
同時にそれが兵士を増やす理由付けにもなっているのもまた事実であるが。
「ところで艦長、一つよろしいですか」
事務作業を続けながらヴァン副長は質問を投げかけてきた。
前世界では存在すら知らなかったこの壮年の副長は、リリアンを含めた若い兵士を侮りはしなかった。自分は一歩後ろに下がり、時折フォローに入る。そんな縁の下の力持ちという言葉を体現したかのような人である。
「なんでしょう?」
「いえ、艦長の休暇のご予定を確認していたのですが」
帝国軍も一応は軍隊である。例え休暇でもどこに行くか、何日滞在する予定かなどを報告する必要がある。それこそ実家に帰省する場合は休暇終わりを含めてそれなりに詳細に書かないといけない。これが基地の宿舎やそれに併設された都市部に出る程度であればまだ緩和されるものではある。
「地球のご実家に二日間……これですと、ご実家に一泊されてすぐに戻って、その後は月面基地で過ごすという風になりますが」
「えぇそうよ」
リリアンがあっさりと答えるのでヴァン副長は少々呆気にとられた。
「ば、バカンスなどは……」
「月面都市でいいじゃない。あぁ、そうね。クルーにレストランで食事を振舞うのもいいかもしれないわね。ルゾール家の名前を出せば貸し切りも出来るわ。良いホテルもあるわよ」
「それはありがたい話です。ですが、本当によろしいのですか? 御父上がご心配なさるかと」
「まぁそうね。あの人、過保護だし。悪い人じゃないと思うのだけど」
ピニャールという父親は少なくとも家庭では良き夫、良き父だったと思う。多少……かなり家族に甘いという点もあるが、それ自体は欠点ではないだろう。
ただし軍人としてはいささか俗物である。権力への取り入り方がうまいのは才能の一つだし、舌がよく回るので頭の回転も速いのは確かだが、軍人として一度も前線に立ったことがなく、一度だけ、それも数週間程度らしいが艦隊勤務をしてすぐさま本部勤務に回ったとか。
「正直、この歳になると煩わしいのよ、実家に帰るって」
ヴァン副長は思春期特有の反抗期であると思うだろうが、実際は七十九歳の老人が小娘扱いされる実情に鳥肌が立つだけだ。
結果を出したせいで過保護に磨きがかかった父親と、それまで自分の事に対して興味がなく、貼り付けたような笑みを浮かべて事務的な対応をしていた使用人たちが掌を返したかのようにすり寄ってくるのが気味が悪くて居心地が悪かった。
リリアンが宇宙勤務を希望したのは脅威に備える為もあるが、この煩わしいものから遠ざかりたいという感情があったことは否定できない。
「それでも一度、父とは話し合わないといけない事があるから、それをやって終わったらすぐに戻る。それだけの話よ」
元より、どこかのタイミングでは実家に戻り、父親を説得する必要がある。
今の彼は、英雄でありアイドルの一人となった娘をどう売り出し、どうやって自分の権力基盤を固めようかを画策してることだろう。
少なくとも政治手腕と立ち回りがうまいのは認める所である。でなければ、実績のない、かつての自分が巡洋艦や戦艦の艦長になれるわけがないのだから。
同時に、父親の持つ権力は大きな武器になることも自覚しなければいけない。
リリアン自身の目的を達成するには結局は目に見える権力という力が必要となる。多少、後ろ指を指されても権力を使う必要があるのだ。
「それに、何もしないまま、何もできませんでしたと言い訳をしたくないの。私たちは敵を見つけてしまった。その事実を楽観視なんてできない。私は、その脅威を実際に見て、経験して、知ってしまったから、必要な事をやるのよ」
「なんといいますか……凄まじいお考えをお持ちになっていらっしゃるのですね。とても、学園を卒業したばかりとは思えません」
「アレを見てしまえば、そんな事で余裕でいられるとは思えないわ」
まぁかつての自分は根拠のない自信に満ち溢れていたのだが。
それにティベリウスに乗っていた生徒全員が同じ気持ちというわけではない。あのような体験は二度とご免だと軍に入らない者だっている。
それは一つの選択肢だ。決して否定するものではない。
だが、彼ら以上に、あらゆるものを見てしまったリリアンは、逃げることは出来なかった。そのような判断は既に彼女の中にはない。
「クルーには悪いけれど、私は月面の巡視任務だけで満足するような女ではないわ。宇宙の先を見てしまったのだから、引きこもるような考えは吹き飛んでいるのよ」
「なるほど。では私の心配は差し出がましいものでしたな」
「そんな事はないわ。心配はいつでも受け入れるつもりよ。他人からのご厚意を無碍にする程、冷淡なつもりはないわ。それより、あなたはいいの。外出予定がないようだけど」
「月面都市は私にはいささか馴染めない空気ですし、妻も先立ち、息子たちも独立していますので、気楽なものです。時々、バーに顔を出す程度でしょう」
「悪いことを聞いたかしら」
「いえ。そのような事はありません。この歳で駆逐艦とはいえ、副長です。出世ですよ。孫に高いプレゼントを買ってやれますから」
ヴァン副長はそうにこやかに答えた。
そういう些細な幸せもあるのだ。ならば自分のやるべきことはそういうものを守る事にもつながるだろう。
この副長も、かつての決戦で戦死したのだろうか。彼の息子や孫は前世界でどうなったのだろうか。
そんな事を考えれば、父親に媚びを売って権力を行使させる事など、容易いものだ。
「それでは艦長。良き休暇を」
ヴァン副長は最後になった書類にサインをして、そう言った。
***
その後、リリアンは準備を手早く済ませると、地球行のシャトルが停泊している宇宙港へと向かう。実家で長居するつもりはない。用事が済めばすぐにセネカへと戻り、待機任務へと就く。
その為にはまず父親をどのように説得しようかと色々考えを巡らせていた時だった。
「あ、リリアンさ……少佐!」
その明るい声はステラのものだった。
振り返ってみると、どう見たって似合わない軍服を身にまとったステラが花が咲き誇ったような笑顔を浮かべて手を振っていた。
「ステラ?」
「ハイ! ステラ・ドリアード少尉であります! この度はパトロール艇にてシャトル護衛の任務を頂きまして!」
「あぁ、私が乗るシャトルの」
パトロール艇任務の一つにシャトルの護衛もある。
とはいっても実際に護衛を行うのは駆逐艦であり、パトロール艇は先回りしてレーダー警戒を行ったり、場合よっては火力支援を行う程度のものだ。
「という事は、護衛の駆逐艦は……アレスの澄清?」
ステラは事件の後、ゼノンの計らいなのかまずはパトロール艇の船長として雇用された。いかに彼女の才能が高くても、さすがに平民の出をいきなり軍艦の艦長というのは無理があるのだ。
そういう意味ではパトロール艇や輸送船の船長ないしは勤務に就かせるのはクッションにもなる。
実際は、それすらも無理やりに近い話ではあるのだが、似たようなことはかつての自分は父親に頼んでやったこともある。
あれは辺境に嫌がらせで飛ばしていたわけだが。
「はい! アレス少佐と共にリリアン少佐の安全はばっちり守らせていただきます!」
ステラの敬礼は形は見事だった。
ただそのまだ幼さを感じさせる表情のせいでどうにも気が抜けるのではあるが。
「そう。ありがとう」
ふと思う。
こんな純朴な子を、果たして自分は戦場に駆り立てて良いのだろうかと。
だが、この戦争をマシな方向に進める為にはこの子の才能は不可欠である。
そういう意味では、あの嫌がらせで辺境に送り込んだのは、彼女の才能を開花させ、そして周囲に認めさせるのにはうってつけだったのかもしれない。
「そういえば、改めて聞いておきたいことがあるのだけど」
「はい、なんでしょう?」
「あなた、元々は整備士志望だったわけだけど、本当にいいの? 軍艦勤務にならない限りは整備士は基地内の後方勤務のはずだけど」
「あ、それですか。えへへ、色んな人に言われます」
ステラはちょっとだけ困ったような顔をしていた。
「お父ちゃん……父が整備士だったからそれを目指していたっていうのが最初の話なんですけど、私の事を認めてくれて、褒めてくれた人がいるんです。その人の期待に応えたい、それに私の力で誰かを守れるなら、その力を使うべきだとずっとそう思っていたんです。だから、暁の焔学園に入って軍人になろうって。あ、もちろん父やお世話になった人たちに楽をさせたいっていうのもあります。軍はお給料も良いですし。それに……」
「なに?」
「なんていいますか、ほら……宇宙人が、いるわけじゃないですか。襲ってきたわけですし……なんとかしなくちゃーって思うんです。私なんかが何を出来るかなんてわからないですけど、やらなくちゃいけな事がきっとある。だから、頑張りたいんです。私にその才能があるというのなら、使ってみたいんです」
そう語るステラの瞳はまっすぐだった。
ならばもう言う事はない。
「そう。早く艦長になれるといいわね」
「はい! 頑張ります!」
ヴェルトールの期待に応えたい。
きっとそれは彼女の初恋で、彼女は初めて自分の意思で決めた事なのだと思う。
それは、とても素敵な事だ。
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