第28話 まるっとひっくるめてやることが多い未来

 まるで船酔いを誘発しそうな奇妙な状況がティベリウスには起きていた。艦内に物理的な揺れは存在していないはずなのに、まるで小さなうねりを断続的に受けているかのような感覚。

 このワープの感覚に一生慣れる事がない宇宙船乗りは多い。帝国軍もこのワープ酔いに関しては何とか対策を考えているが、その結果が出るのは二十年はかかる事をリリアンは知っている。

 その割には四年も経てばワープ距離は飛躍的に伸びて、100光年、200光年の距離は戦略に組み込まれるものとなり、六十年後の時点では1000光年など最前線と呼べるほどの距離に収まる。

 未だ安全を考え、10光年、20光年のワープしかできない今と比べると飛躍的ともいえる。


「──全機能チェック。周囲警戒を怠るな。シールドも展開確認」


 ヴェルトールの指示が薄暗い艦橋に木霊する。


「短距離ワープ成功。テスト距離、100万キロの跳躍に成功です」


 ミレイは震える声で、そして最後は涙こぼしながら報告した。


「お、おぉ! ワープ出来てる! ワープ出来てるぞ俺たち!」


 コーウェンも席から立ちあがり全身で喜びを表現していた。

 三隻の艦隊との戦闘から実に一週間後の事である。その間、ティベリウスへの襲撃は二回。だがどれも、無人と思しき駆逐艦のものであり、もはや大した脅威ではなかった。

 明らかに手を抜いたような襲撃であり、奇妙なものであったが、それが幸いだったのか、それとも先の戦闘での大勝利を収めた勢いもあったのか。

 はたまた、前世界における損傷を受ける事なかった為か、ワープ機関の修理は思いのほか早く進む事となった。

 とはいえ、長距離ワープは未だ難しく、今回の短距離ワープもテストということで一回のみの実施。その後はまた機関の整備を行い、負荷がかかっている部分をチェックと仕事が全て完了したわけではない。


 それでも、ワープが出来たという事実は、素直に喜ぶべきものだろう。

 あとは調整を繰り返し、長距離ワープが実施可能となれば、地球への帰還はもう果たされたも同然である。

 当然、気を抜く事はできない。そんな事はみんなもうわかっている事だ。

 わかってはいるが、この喜びだけは隠せるものではない。

 それは艦長席に座るヴェルトールも同じなようで、何日かぶりに、彼は背もたれに体を預けて、脱力していた。

 そして大きく息を吐き、小さく笑い、隣に立つリヒャルトと目を合わせていた。

 リヒャルトは、いつもの表情のままだったが小さく頷いていた。


「ワープ機関の調整にはどれぐらいかかる感じかな?」


 リヒャルトはデボネアへと尋ねた。機関室に繋いで確認してくれという事だ。


「短距離ワープだけならば、三時間程の調整との事です。短距離をあと四回繰り返し異常がなければ長距離も実施可能であるとも」

「わかった。では機関室及び整備班はワープ機関の調整をさっそく始めてもらおう」


 リヒャルトがそう伝えると、付け加えるようにヴェルトールも続いた。


「ワープが可能となった今、我々は戦闘を回避する術を手に入れた。調整が済むまでは警戒は続くが、艦長権限により一時中止としていたパーティーを開催することを約束しよう。艦内全域に通達せよ。記念すべき長距離ワープの一回目が完了した暁には、許す。盛大にやろう」


 その放送が流れたのち、ティベリウス内の生徒たちは多いに歓喜の声を上げた。

 それが確認出来て、リリアンも久しぶりに肩の荷が下りたように感じられた。

 全てはうまく行っている。

 いやうまく行きすぎているか? まぁどっちでもいいじゃないか。

 ティベリウスは歴史通り、欠員を出すことなく、それでいて前世界よりも少ない損傷で、もっと付け加えるなら大々的な勝利を携えた上で、帰還することが出来る。

 でも、まだ気は抜けない。このタイミングだからこそ、敵はくるかもしれない。


「む……?」


 だからリリアンはコンソールを操作し、オペレートモニターを確認しようとした。

 彼らは優秀だが、まだ子供だ。どこかで休ませるのも大切だが……

 そんなことを思った時には、ぷつりと意識が途絶えていた。

 そうなる前、誰かの声が聞こえた。デボネアだろうか、ミレイだろうか、お調子者のコーウェンだろうか、それとも。


***


「ストレスです」


 リリアンが次に目を覚ましたのは曰く八時間後の事だったという。ただしこれは医務室に用意された睡眠用カプセルの中の事だ。肉体的な怪我はさておき、精神的な負荷をリフレッシュさせてくれるものであり、快眠を約束させる装置でもある。たった一時間で六時間睡眠と同等の質も与えられると豪語された装置だが、今回のように精神的なストレスを根本から解消させるには装置のリフレッシュ機能をゆったりと使うべく、六時間から八時間は眠らせないといけなかった。

 全く持って謳い文句とは真逆じゃないかと突っ込まれる装置であるが、時間をかければそれだけで簡易的な治療にはなるので結局は帝国の全艦艇に配備されている。


「高負荷なストレスがかかっていました。気分はどうですか?」


 目が覚めて真っ先に視界に飛び込んできたのはフリムの真っ白な髪だった。

 空気が抜ける音と共にカプセルが解放されると、少し肌寒いものを感じる。制服姿のままだが、これは睡眠カプセルのせいだろう。長く眠っているせいで体温でも下がったのだろうか。冷凍睡眠装置ではないはずなのだが。


「悪くはないと思う」


 ストレスが緩和されたという感覚はわかり辛いものだ。


「短距離ワープ実験は?」

「はぁ……」


 フリムは小さく溜息をついた。

 リリアンからすればなぜといった感じだ。


「何となくそうじゃないかなと思っていましたけど、あなたもステラと同じでお節介さんなんですね。大丈夫です。今、えぇと……二回の短距離ワープに成功しています。あと一回、できれば長距離の準備でしょうね」


 フリムはカプセル横の装置に表示されたバイタルデータを記録しながら言った。


「敵の襲撃は」

「今の所はありません。私としてはもう来ないんじゃないかなって……ほら、あれだけコテンパンにやったわけですし。と言いますか、ストレスの原因、それです。色んな事を気にし過ぎなんです。必要な事でもありますけど、リリアンさん、全部抱えようとしすぎですよ」


 その若干投げやりな返答は、自分の相変わらずな態度を見ての反応だろうか。

 それに、全てを抱えようとしているという指摘は、なるほど少し痛い部分を突かれた気がする。

 とはいえ、誰に相談できるわけでもない。


「気を付けるわ。でもほら、第一艦橋はそういう場所よ」

「またそうやって……取り合えず精神安定剤と残り一日分の休憩を取らせろと、医務班長から厳命が出ていますから」

「わかった。わかったわよ。休む。ほらあなたも怒らないで。同じ事になってしまうわ」

「む……」


 そう返されると、何も言い訳ができないのかフリムはほんの少しだけ頬を赤らめて、それとなくそっぽを向いた。


「どうしてこういう人が多いのかしら……」

「あなたは真面目なのね。それに優しいわ」

「話をそらさないでください」

「本当の事を言ってるのよ」


 何を言ってもさらりと返される事に観念したのかフリムはそれ以上、口うるさくすることはなかった。


「一応、カルテに残さないといけないので、いくつか質問しますけど……ストレスの原因に心当たりは……」


 その後はあたりさわりのない診察や心理テストを受けた。特に問題がないという判断が下されたのは当然だろう。

 フリムはそれらをカルテにまとめると、しばらくは無言のまま、しかし意を決したように顔を上げると、


「あの……先日は、お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」

「あぁ……あれ。びっくりしたわ。なんで? 驚きはしたけど」

「いえ、その……一応、あの人は副長待遇ですし、なんだかんだ期待されてる人じゃないですか。それに学校の人気者の一人だし。そんな人と、喧嘩して、顔を打ったわけですし」

「兄妹、なのよね?」


 周りに注意しながらリリアンが訪ねると、フリムは少し驚いた表情を見せるが、すぐに頷いた。


「リヒャルトが喋ったんですね。隠すつもりはなかったのですが、言う必要も特になかったから」

「まぁ、そうよね。喧嘩するほどなんとやらって言葉もあるし、本音をぶつけられる関係性って私は悪くないと思うけど」

「そんな良いものじゃありませんよ……」


 フリムはどこか遠い目をしていた。


「嫌いなの?」

「わかりません。あぁいう性格ですから。昔から何を考えているのか。世渡りがうまいのは間違いないと思いますけど」


 どうやら兄妹以外にも複雑な関係があるようだが、それを追求することは出来なかった。


「……あなたも相当疲れているみたいね。気苦労が絶えないのはお互い様というわけよ」

「私はそういう仕事ですから」

「じゃあ私もそう言う事を気にする仕事なの」


 フリムは苦笑いを浮かべた。

 この人には敵わないかもしれないと思ったからだ。


「でも仕事は駄目ですからね。見つけたら──」

「あっ! 起きたんですね!」


 静かなはずの医務室にちょっと似つかわしくない声で入ってきたのはデボネアだ。

 やはりというべきか、あの一件以来、デボネアはちょくちょくリリアンの後ろをついて回っていた。勤務中は真面目なのだが。


「ちょっと、静かにしてくれませんか」

「えぇ、またあんたなの」


 ちょっとだけ不機嫌な様子のデボネアだった。


「そりゃ担当ですから。そしてここでは静かにお願いします」

「はいはい。それよりも、もう大丈夫なんですか?」


 デボネアは軽い返事をしながら、リリアンへと駆け寄る。


「随分と休ませてもらったみたいだし、体に問題はないわ。まぁ仕事はするなとドクターストップがかかっているから、呼び出しがない限りは部屋で休むけど……そうだ、あなたたち私の部屋にいらっしゃい。紅茶でもごちそうするわ」

「え、でも」


 フリムは少しだけ慌てて遠慮するが、デボネアは乗りきだった。


「はい! ぜひ!」

「あなたもいらっしゃい。色々と考える事があるのでしょうけど、私みたいに倒れたらあとが大変でしょう? 良い紅茶を教えるわ。気分も良くなる。淹れ方も教えるわよ。こう見えて、紅茶にはうるさいのよ。残念なのはここにあるのは冷凍保存品だから風味は落ちてるのだけど」


 なに、その時は腕の見せ所だ。

 少し考えすぎていた。いや何でもをやろうとしすぎていたのは事実だ。

 しかし、彼らはみな優秀だ。自分が思っていた以上に出来る子たちだ。

 全ての足を引っ張っていた愚かな存在はもういない。なら、ちょっとは安心してもいいだろう。

 だとしてもやることはまだある。地球に対する説明、未来の元帥閣下の出世、若き提督たちの今後、そして自分の立ち位置。仲間たちや、戦争、停滞している軍の改革。

 でもそれは地球に帰ってからの話だ。

 だから、今は……お言葉に甘えて休もう。


 思えば、自分の意識は重粒子の光の中で途絶えてから、ずっと休んでいなかった気がするから。


 ***


 それから最後の短距離ワープテストが終了を迎えて、さらに六時間の調整を行い、ティベリウスは長距離ワープに成功する。

 その事実と結果を携え、彼らは地球への帰路を確実なものとした。

 【戦艦ティベリウス、奇跡の帰還】と呼ばれる事となるこの事件。

 それらが地球帝国に及ぼす影響は、まだ誰も知らない。

 リリアンにしても、新しい歴史の幕開けであるから。

 もうこれ以降は未来の知識のアドバンテージは通用しないのだ。


 ティベリウス消失から地球時間では実に四週間。

 彼らは再び、蒼い星をその目で見ることとなる。

 多くの衝撃と感動と、政治的なあれこれを含めて。

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