第27話 嵐過ぎ去りし夜の海

 単艦による、三隻艦隊への勝利。

 今だ軍人ならざる彼らにとってその結果は単なる勝利以上のものがあった。

 自分たちは生きている。恐るべき戦いを乗り越え、それでもなお誰一人欠けることなく生きている。その幸運を、その事実を噛みしめた。

 戦闘終了宣言がなされた時、ティベリウス艦内は割れんばかりの歓声に包まれた。その時ばかりはいがみ合っていようが、面識がなかろうが、互いに近くにいた者同士抱き合い、握手を交わし、笑みを向け合い、枯れるほどの大声を出した。


 その劇的な勝利に沸いたかと思いきや、生徒たちは今、泥のように眠る者が多かった。張り詰めていた糸が切れたように、艦内が静まり返り夜を示すように明りも薄暗くなった。わずかに起きている生徒の話声や、吹き飛んだ左舷の展望デッキの修理に当たる整備班の作業音は聞こえるものの、それまでとは違いある意味では安らぎのような空気が流れていた。


 ヴェルトールもまたそれを許した。そうでもしなければ、メンタルが持たないだろし、今は生存の喜びを分かち合う必要があるからだ。

 だとしても警戒は怠れない。当然交代でそれぞれの部署で作業を続ける必要がある。

 それでも。やはり艦内は静かだった。

 戦闘時ではあれほど騒がしかった第一艦橋も、今は照明が落ちた状態である。それでもシステム自体は機能しているので、うっすらとパネルの光がイルミネーションのように輝く。

 その中でリリアンは警戒待機という事でそこにいた。


「なんだか……懐かしい気分」


 この暗闇の中で、ただぼんやりと宇宙を眺める。それは前世界における、決戦後の自分の日課だった。来る日も来る日も意味のない宙域をぐるぐると周り続けて、代わり映えのしない星の光を数えて一日が終わる。

 そんな生活を六十年近く続けて、時折シミュレーションで艦隊戦ごっこをやって暇をつぶし、飽きればまた星を数える。

 そうやって無作為に時間を浪費し、最後は捨て駒として重粒子の光の中で消滅した。

 気が付けば過去の世界に戻って、人生をやり直している。


「歴史は、細かく変化している。今はまだ私の記憶が大きなアドバンテージになっているとはいえ……」


 今回の戦闘勝利に沸いたティベリウスであるが、完全な安全を確保されたとは思われていない。そんな中でリリアンだけはある程度の歴史を知っている。細かく変わった部分もあるが、大筋は同じ。

 先の戦いの後、次に敵がやってくるのはずいぶんと先になる。

 言ってしまえば今回の戦いが一番の難所であり、ここを損傷を抑えて突破できたのは僥倖とも言えた。

 なぜなら前世界ではティベリウスは副砲などを損傷し、装甲にもいくつかの亀裂が入っていた。

 戦闘機も展開しておらず、古い時代の艦隊戦の如く、あえて敵陣に突っ込み、お互いに側面を晒しての艦砲射撃で突破した。それ以外に方法もなく、それはそれで敵の意表を突く為の戦法だったが、危険性は高かっただろう。

 それを取らなくてはならないような事を引き起こしたのは他ならぬ自分なのだが。


「思えば……あれは絶対見捨てられていた。生きてたから回収されただけで」


 脱出艇で脱走した自分たちであったが、回収されたのは戦闘終了後であり、今思い出せばあれば、囮にされていた気がする。自分でもあの時は神がかった操縦テクニックで脱出艇を操り敵の追撃を避けていたが……思い出せば思い出す程恥ずかしくなる。

 そんな事が今回は起きなくてよかった。


「どーして昔の私はあんなにも馬鹿だったのかしらね」


 過去の事を考えすぎると全身がゾワゾワする。だからもう考えないようにしよう。

 あれはもはや過ぎ去ったもの。未来志向で行かなければ。

 そう、未来だ。四年後の決戦において万全を期すためにもやらなければいけない事はあるし、それよりもまずはティベリウスを無事帰還させる事だし、そして……


「結局、スパイはわからずじまいか」


 先の戦いで、仮にスパイがこちらの情報をつぶさに報告していれば、苦戦は免れなかっただろう。おびき出し、挟み込む。戦闘機隊の動きがバレていればそれだけで崩れる作戦だ。

 とすれば、艦橋にはスパイはいない……と考えるのはいささか早い。戦闘時に艦橋で怪しい動きなど出来るはずもない。なら戦闘開始前に報告ぐらいしかないわけだが。


「ティベリウス本体の通信記録を漁っても、そりゃ出るわけもないか」


 当然、ティベリウスの通信回線を使うようなマヌケはないだろう。

 だが、何らかの方法で通信を行わなければ、こちらの居場所がバレるわけがない。事実、敵の追撃はまだあるのだ。

 と言っても、先の艦隊がこちらを捜索する主力艦隊のようなものだったのだが。

 残りは数は多いが駆逐艦のみ。なぜそこまで戦力を出し渋っていたのかははっきりいってわからない。

 敵に関してはわからない事が多すぎる。


「けれど……周波数の履歴を調べれば……って、私がそんな周波数帯を読めるわけないか。えぇい、通信は受け取って返すだけしかしてこなかったから」


 そもそも、細かい周波数を調べるのはそれこそ通信士の役割だ。

 あいにくとリリアンはその点だけは何も学んでいない。必要に駆られて航海と一応の操舵、主砲管理はできなくもないが……六十余年は長いようで短かった。


「あーもうやめやめ。地球に帰ってから考えましょう」


 リリアンは背もたれに体を預けて、体を少し伸ばす。

 しばらくすると交代要員が艦橋へと入ってくる。

 コーウェンだった。彼はまだ眠たいのか、瞼をこすり大きなあくびをしていた。


「はーい、お疲れさまー。交代ー」

「はいはい。寝ないでよ」

「その為に砂糖なしのコーヒーたんまりだぜ」


 大容量のボトルをわきに抱えたコーウェンはもう一度あくびをしていた。


「食堂で色々配ってるぜ。プロテインバーだ。食うか?」

「貰っておくわ。それじゃ、あとは頼むわよ。くれぐれもポルノなんて見ないように」

「仕事中にしねーよ。つか、あの話言いふらしてる奴がいるんだけどさ。なんとかしてくれね?」

「自分の責任」


 コーウェンは返事はしなかったが、やれやれと肩を竦めていた。

 お調子者をその場を任せ、リリアンは艦橋から解放される。

 食堂で飲食が用意されていると言っていたな。生活班は大変だと思うが、せっかくなのでリリアンも食堂に向かう。

 その途中の事であった。


「サオウ整備長?」


 器用に二台の浮遊トレーを押しながら、山盛りのお菓子を運ぶ大柄長身の男と鉢合わせしたのである。


「おや。ルゾールさん。休憩時間?」

「えぇ、今交代した所。それにしても……」

「いいでしょう? ま、これは今修理してる子たちへの差し入れなのだけど。流石に展望ブロックが丸ごと吹き飛んだでしょ? あれはさすがに一日がかりの仕事だから。体力が持たないのさ。と言ってもブロックごと、ポイ。あとは穴を埋めて、装甲をちょちょいとね」


 簡単なように言っているが、それは大工事である。

 恐らく、ステラも駆り出されている事だろう。というかあの子、整備の仕事をちゃんとやっているのだろうか。今はまだ整備班だというのに。

 そしてそれをさせていないのは自分でもあるのだが。


「まぁでもこの程度の損傷だからこっちの腕の見せ所といったとこ。艦長たちもそうだけど、ステラちゃんに至ってはあなたのこと凄い褒めてたよ」

「全員で勝ち取ったものよ。それより、ごめんなさいね、ステラをこっちの仕事にもっていったりして」

「ううん。あの子はそっちの方がイキイキしてるし、きっとそっちの方が似合うのだと思う。それに……」


 サオウはその時、言葉を詰まらせた。


「あぁ、いけない。そろそろお腹を空かせた子たちが倒れる頃合い。それじゃあ!」

「えぇ、お気をつけて」


 去ってゆくサオウを見送りながら、リリアンはそう言えば自分はステラの事をちゃんと知らない事を改めて考える。よいこなのは間違いない所だが、前世界では自分がきっかけとは言え中々壮絶な事をしている。邪魔者は排除、邪魔をしなければ関心を示さない。だからある意味では優しかった。自分に逆らわないのであれば、誰であれいないものとして扱う。

 ちょっとでも意見して、反論すればこちらのゴミ捨て場艦隊に放り込まれる。

 あの時代のステラは他者を誰も信用していなかった気がする。きっと、親友だった子たちの事も。

 流石にあんな風にはなって貰いたくないものだ。


「少し、調べてみるか?」


 下世話な事は理解しているが、他人を理解するには必要な事だろうとも思う。

 そんなことを考えている内に、食堂へと近づく。小腹も空いたし、コーウェンからもらったプロテインバーを食べるのもいいがその前に喉を潤したい。久しぶりに、自分で紅茶を淹れるのも良いだろう。


 昔は、趣味のひとつで、自分が誇れる唯一の自慢だった。かつてはこの緊急時でも馬鹿みたいに飲んでいたし、左遷させられた後もそう言えばたまにやっていた。

 なら、少しぐらい良い思い出なら掘り起こしてもいいだろう。

 食堂には茶葉も保存されている。本当、帝国の食事事情だけは褒めるべきだろう。本来は生活班の面々が淹れるものだが、頼めば自分でもできる。

 無駄に揃った紅茶のセットもあるのだ。

 そんな風に若干楽しみにしつつ、廊下を進むと、珍しい組み合わせの話声が聞こえた。


「どういうつもりなの」


 まず聞こえてきたのはフリムの声だ。


「どういうも何もね。僕は必要な事をやっている。あの場面ではそうするしかなかったという事さ。それとも、君が何か代替案持ってきてくれるのかい?」


 返答しているのはリヒャルトの声だろう。

 人通りが少ないのもあってか、さほど大きな声ではないが、二人の言い争いは耳に入る。二人は通路に設置された自販機の前にいた。リヒャルトの手には缶ジュースが握られている。その場にフリムが居合わせたという事だろう。

 そして妙に剣呑な空気だった。


「屁理屈を。ガンデマンに尻尾を振っているだけの癖に」

「どうとでもいうが良いさ。君だって、あの場にいればそうしていたさ」

「少なくともガンデマンに付き従う事はしないわ」

「じゃあ止めて見せなよ。今からでもさ。それが出来ないから、僕にイライラをぶつけているんだろう? そっちの方がみじめじゃないかい?」

「くっ……!」


 パンっと乾いた音が鳴る。

 フリムがリヒャルトの頬をぶったのだ。


「ちょっと、穏やかじゃないわよ」


 流石にそれは見過ごせなかった。

 リリアンは今さっき見かけたという風に装って、二人の下へと駆け寄る。


「はっ……」


 すると怒りに満ちた視線を持ったままフリムが振り返る。だが彼女はリリアンを見ると、すぐさまハッとなり、顔を伏せてそのまま走り去った。


「あ、フリム」

「放っておいてあげてくれ。色々と、彼女もあるのさ」

「色々って……あなたたち、どういう関係なの」


 追いかけようとするが、それはリヒャルトに止められる。

 模擬戦の時もそうだったが、フリムはリヒャルトに対してどこかあたりが強い。

 恋人のような関係ではない事だけは確かだろうが、だとしても距離感が近いように感じられる。


「うん? 兄と妹、だけど?」


 その秘密はあっさりとリヒャルトの口から説明された。


「は? いや、苗字……」

「お互い別々の家に引き取られた。今の時代、珍しくはないだろう? ま、お互い良い家に引き取られたと思うよ」


 リヒャルトはどこかへらへらとした態度だった。

 後継ぎのいない貴族が養子をどこからかとる事はそう珍しくはない。旧世代であれば血族の重要性の方は高いが、よほど位が高くなければ結局は養子を取るしかない。しかも親族がいなければ、血のつながりのない子供を引き取って家の名前だけでも残したいと考えるものもいる。

 苦肉の策という話だ。


「それにしても、全く。ヴェルや君たちに文句が言えないからって兄である僕を打つなんて。怖い妹だ」

「文句?」

「あぁ、ステラの事だよ。ほら、偵察隊に組み込んだだろう? それが危ないーって話。でもヴェルには直接言えないみたいだいし、ほら、あの子、君とは仲がいいんだろう? 友達に文句をいうのも無理だってことで僕さ。やれやれって感じだけどね。兄としては妹の我儘も受け止めるものさ」


 そう言って、リヒャルトは打たれた頬をさすりながら、小さく笑い、その場を後にした。

 ぽつんと残されたリリアンは衝撃の事実と、いまいち釈然としない何かを抱えたまま、時間が過ぎていくのを感じた。


「兄妹?」


 つくづく思う。

 自分は彼らの事を何も知らない。

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