第16話 それは至極当然の反応

目の前で突然、作成していた重要データが全て消えた時、人間は怒りのような感情を生み出す事がある。


「最悪」


 航海科の望月ミレイはこの時、何か面倒な事が起きたのだろうという事だけしか分かっていなかった。

 青みがかった黒髪をまとめ上げ、眼鏡の奥に潜んだ鋭い目付きが、さらに針の様に鋭くなり、ぼそりと呟く。

 何が起きたのかは分からないとは言ったものの、航路計算室で照らし合わせていた座標データが全く別の、しかも不正確なバラバラのデータにいつの間にか置き換わっている時点で大体の事情は把握した。先ほどまでいたはずの座標から大きく移動したせいで、AIが一時的な混乱を示し、座標が乱れる事がある。

 それにワープブレーキによる小さな衝撃。


「一体どこの馬鹿がワープなんてしたのかしら」


 演習で使う予定の月面航路のデータがこれでパァーになった。

 まずワープなんて予定は聞いていない。なおかつ現在地点が不明と来た。作業中のデータも消えているし、こんな馬鹿げたことをした奴を見つけたらただでは置かない。宇宙服を着せて、命綱一本で宇宙空間に放り出してやってもいいぐらいだ。

 航路計算は緻密で、繊細で、同時に艦の命でもある。宇宙空間は広い。その広い宇宙でせめて迷子にならないように作成しなければいけないものが航路だ。

 しかもだ。航路計算室にいた他の航海科の生徒たちが耳をつんざくような悲鳴を上げた。


「ちょっと、うるさいわよ。何なのよ」


 黙々と計算をする関係上、航路計算室は基本的には静かなものであり、ミレイもその空気が好きだった。必要最低限の音だけで済まされるやり取り、物事に集中できるし、なによりただやかましいだけの連中とは違う。

 もしもこの部屋が騒がしくなるような事があれば、それは全く未知の航路を発見した時ぐらいだろう。

 だというのに、同級生たちはなおも悲鳴を上げていた。


「いい加減うるさいのだけど。航路を修正しなおさないといけないのに。あなたたちいつまで騒いでいるつもり」

「み、ミレイさん。これ……これ、見て下さい」


 女子生徒の一人が、計算室の中央に備え付けられた立体モニターを指さした。


「何よ、どうせ月でしょ。演習予定の場所ぐらい……」


 そこには馬の頭のような暗黒星雲が映し出されている。


「嘘でしょ……」


 ミレイは努めて冷静であろうとしたが、それは無理な話であった。

 そして追い打ちをかけるように、艦内放送が聞こえてくる。

 その内容に、ミレイは眩暈がしたような気がした。


「ほんと……最悪」


***


 ミレイは艦内放送の通りに、第一艦橋と定められた上部へと向かえば、そこには各学科の班長に任命されていた者たちがいた。

 ただし医務、整備、機関、補給、生活などの組はこの場にはいない。いるのは直接戦闘に関わるのが殆どだ。


「ひとまずはこの艦橋に集まってもらったが、今後は第二艦橋でもあるCICも稼働させねばならんし、第三艦橋に当たる電算室や航路計算室、機関部、各部砲塔、格納庫、他にも確認をしなければいけない箇所は山ほどあるが、今はここで最低限かつ最速で行動を起こす」


 と、説明するのは暫定的に艦長代理として就任したヴェルトール。暫定というのは今この瞬間においてのみというわけだが、恐らくは今後も彼が艦長役を務める事になるだろう

 そに異議はない。学年、いや学園きっての秀才と呼ばれていたし、生徒会長だし、それが艦長をやるのは当然だろう。

 ミレイとて、ヴェルトールという男の才能は知っているつもりだ。


「デラン、アレス。CICを任せたい。良いか?」

「了解。戦術科の連中とはよく連携訓練をしてたからな。むしろ気楽だぜ」

「はしゃぐなデラン。俺たちは実戦の中にいる」


 そして第二艦橋として機能するCICに責任者として就任するのが、ヴェルトールと同じく才能を認められた二人。

 これも特に異論はない。

 事実、この人たちも優秀であることをミレイは知っている。指揮官としての教育を受けているのだから、そういう立場で動くのは当然だろうと思う。


「砲術科。コーウェン・ハッテバル。君たちはCICと連携し、主砲等の管理をお願いしたい。戦闘機科。アルベロ・ベルクロト。現状において艦載機は貴重な存在だ。出撃、運用に関しては大きく制限を設ける事になるが、場合によっては危険な船外活動を行う事になる。またデランと連携し、必要であればこちらに連絡を寄こしてくれ」


 なので、ミレイは次々と決まっていく配置に特別大きな不満はない。

 

「航海科。望月ミレイ。君の航海士としての腕には期待している」


 当然、自分が緊急的な措置ではるが、この艦の航海士として任命されるのも、なんとなく分かっていた。任されるのであれば、職務はまっとうするし、期待に応えるように努力もする。

 もとより演習で同じことをやる予定だったのだし、将来もそう。

 何やら状況は芳しくはないが、やることは変わらない。じたばたしてもしょうがない。


「通信科。デボネア・フランチェスカ。今後は方々との連携には君たち通信科の技量が試される。君たちは各艦橋にて分散してもらう事になるだろう。また砲術科、航海科からも一名ずつ第一艦橋にて仕事をしてもらいたい。誰を派遣するかは君たちに一任する。そして、第一艦橋のメインオペレーター。リリアン、お前に頼みたい。先ほどの手並みは見事だった。お前なら、統括する事も可能だろう」


 その最後の任命にミレイは疑問があった。いやミレイだけではない。周囲の班長たちからも若干名、どよめいた声があった。

 ここにいるものたちは、リリアンと言う少女の事は知っている。当然悪い意味でだ。

 確か参謀総長の娘、超がつくエリートである事は当然知っているが、それ以外の、学業にせよ軍事的なセンスにせよ、何か特別秀でたという話は聞かない。

 基本的にとりまきとお茶会ばかりしていて、戦術シミュレーションでもほとんど負け越しているような子だったはずだ。


(よくいるのよね。ただ軍学校を卒業する為だけにいる奴が)


 貴族にも色々といるが、箔付けの為だけに学園にやってきて、特に軍の仕事もしないまま出世して、意味もなく退役してどこかに天下りする。今の学園の校長も確かそんな感じだったはずだ。何なら演習場所の月面基地の司令も、皇帝の親戚というだけで司令の座についていた気がする。

 リリアンという少女はその手のタイプのはずだ。悪い意味で有名と言うか、才能もないのに親の地位だけで在籍して卒業を許される貴族の子供は多い。


(ガンデマンたちも優秀だと思ったけど、これは貴族同士のなれ合いかしら。それとも権力に取り入る? こんな場所で?)


 そもそもオペレーターとしてつけるのならいつも副官を名乗っているリヒャルトとかいう軽薄そうな男を据えるのであれば、分からない話でもなかった。

 メインオペレーターとは総合的な判断力が要求されるのだし、それなら優秀な者がなるべきだ。


(というか、なんで整備科の子がいるのよ。班長でもないし)


 それに明らかにこの場にはそぐわない生徒もいる。

 こっちの子はここ最近ヴェルトール艦長代理らとよく一緒にいると、航海科の生徒が噂していた子だったはず。

 まさか逢引していたなんて事じゃないだろうな。

 そんな疑念のようなものがミレイにあった。


「──以上が、現在の配置とする。我々は、困難に直面しているが、幸いな事にここがオリオン座方面である事だけは判明している」


 ヴェルトールは説明を続けながらメインモニターに馬頭星雲を映し出す。


「こうしてまじまじと見ると腹の底から恐怖を感じる。だが同時にこの暗黒星雲の存在のお陰で我々はある程度の位置を特定できている。当然、地球との距離や航路に関してはこれからの調査、観測が重要となる。航海科には大きな負担をかける事になるが頼む」


 最後、ヴェルトール艦長代理はミレイを見て、力強く頼み込んだ。

 一通りの配置が完了すると、さしものヴェルトールも少し緊張が解けたのか、深く座り込むように、背もたれに体を預ける。

 それであとは終わり……というわけにはいかない。


「あの、質問いいですか?」


 緊張が緩まる。それはある程度の冷静を得る事に近い。

 そして冷静になると余計に異常な事を理解し、新しい混乱を生み出す。

 その時点で、ミレイは自分がその悪循環のようなものに陥っているという自覚はなかった。

 

「各セクションに関する配置には特にこれと言った疑問はありません。ですが、第一艦橋について疑問があります」


 と言いながら、ミレイはじろりとリリアンをにらむ。

 参謀総長の娘が何だ。こっちは今、生きるか死ぬかという状況であって、求められるのは家柄ではなく、実力だ。

 だから声を上げた。


「正直を申し上げますと、私、この方がメインオペレーターをするのがとても不安なのですけど」


 気に入らないという感情もある。

 だが、それ以上にこの緊急事態において、はたから見ても優秀ではない人材を重要な役職に収める必要性を感じない。

 そう考えるのは自然の事だ。

 その証拠に、通信科や戦闘機科の班長は、声には出さないが、こちらの意見に同意するような態度を見せてくれる。


「本当に失礼を承知で申し上げています。ですが、私たちって今、宇宙遭難で漂流中ですよね? 私は生きて地球圏に帰還したいですし、当然その為に奮起します。必ずや地球への航路を計算して見せます。だから不安なのです。私は噂だけを信じるわけではありません。ですが、古い言葉には火のない所には煙がと言う言葉があるそうです」


 こんな所で死ぬのはごめんだ。

 だから、いうべき事はいう。生き残りたいから。当たり前の行動だ。

 何も言わずして、何も出来ない。その事の方が、後悔するに決まっている。


「確かに、それは私も思うかなぁ。パパに頼んですぐに助けにきてくれるっていうのなら話は別だけど」

「……まぁ俺も同意見だな。メンツの話じゃないし、足並みを揃えなきゃいけないってのはわかる話だし」


 通信科のデボネア。戦闘機科のアルベロも同意に声を出した。

 他にも声には出さないが、それとなく頷くものも多い。

 それほどまでにリリアン・ルゾールと言う生徒が何か秀でたものがあるという話を聞かないのだ。遊んでいる、遅刻はする、戦闘シミュレーションでも負けが多い。

 どう信じたらいいのだ。


「ですから、なぜそういった配置になったのか、合理的な答えを私は聞きたいのです」

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