第15話 これでもベテランの船乗りなのです

 それはもはや身に沁みついた癖である。

 例え左遷であろうと辺境宙域で無意味なパトロールを続けていようと六十余年もの間、艦を指揮してきた者の当然の行為。

 時には一人で警戒レーダーとにらめっこして、怯えていた時期もあった。簡易自動化され、少人数での運用が可能となった未来の艦で、まともな人員も寄こされず、ひどい時にはたった数十人の乗員で重巡洋艦を動かし、宙域へと送り込まれた事だってある。

 だから艦橋における機能の殆どを、リリアンは一人で操作することが出来る。地球帝国軍のよいところは細かい運用方法が変化していない事にある。

 その時の経験が生きているというのは皮肉かもしれなかった。


「ぼやっとしていないで。何が起きたのかを把握することが先決でしょう」


 突然のワープによって、艦橋にいた面々はリリアン以外茫然としていた。

 起こりうるはずのない事故。目の前に広がる見た事もない宇宙の景色。何より、超巨大な暗黒星雲が、たとえその一部分であろうとも、視界に捉えたならば、それは圧倒的な威圧感を与え、言葉と思考を奪い去る。


「な、なんですか……あれ……動物の、頭……」

「馬鹿な。馬頭星雲が、こんなに巨大に見え……お、オリオン宙域なのか!?」

「ヴェル……」


 例え、エリートであり将来を期待された者であろうと、天才的な軍師の才能を持っていようと、彼らはまだ十八の子供なのだ。

 同時に半ば癖でそのような事をしてしまった自分がいる事にも驚いている。

 出しゃばらないと言っておきながら、自分はなんとも目立ちたがり屋だ。


(とか言ってる場合じゃないのも事実なのだけどね)


 リリアンはひと通りのレーダーを起動させた後、今度は別の端末を操作し、艦のシールドシステムを起動させる。これは、不測のワープを行った際に必ず行うべきであるという経験則からだ。なにせ、突然スペースデブリが飛んでくる場合だってある。小隕石帯の眼前にワープアウトした事だってあった。

 結果、それをやると船体に酷い損傷を負う事になる。シールドを展開すれば、それらの事故から艦を守る事にもつながる。

 当然、不意の奇襲にもだ。


(前世界では奇襲によってティベリウスのスラスターが一基不調となった。サブだったからよかったものの、今回だって都合よくそっちが壊れるとは限らない)


 前世界では人的被害の出る区画を攻撃されなかったから大丈夫。

 などと楽観視するほど、リリアンはもうお気楽ではない。


(爆発の影響まで前の通りなんて、そんな都合の良い話があるものか。とはいえだ)


 リリアンが抱いた疑問の一つ。

 敵はこちらを落とそうとは考えていない。拿捕するつもりだったかもしれないという根拠のない推測。だから、スラスターを狙った可能性もある。

 仮にそれが本当だとしても、結局は推進機関を狙われてしまえば逃げることも戦うこともできない。

 それに、その損傷でかつての自分は本当に愚かな行為をして、本来予定されていた帰還航路を外れてしまったことがある。


(あぁ。あとで整備科の人たちに脱出艇の管理を厳にしてもらわないと)


 恐怖に駆られた、一部の現実が見えていない愚か者が意味もなく脱出艇を使って逃げようとする事があった。主犯はもちろん過去の自分。あの時は賛同者も多かったが、さすがに今はそれをやろうなどとは思っていない。

 だが、賛同者が多かった事実を踏まえれば、自分じゃなくても誰かがやるだろう。

 その事も頭の片隅に残しつつ、リリアンは次に操舵席へと移動して、艦を回頭させるべく、操舵を行う。

 これも、前世界で取ったなんとやらというものだ。

 ゆっくりと馬頭星雲に後部を向ける。ただし、まだメインエンジンの始動はさせない。流石にそれをこの艦橋から行うのは混乱を加速させるだけだった。


(それに、ついぞ航海士の知識だけは得られなかったものね、私)


 ここから地球に向けての正確な航路をリリアンは知らないし、それを求めるだけの知識もない。この事故以外で地球の支配領域から出たことがないので、その点に関してだけは自動航行に頼っていた弊害である。

 とはいえこれらの操縦は指揮官クラスであれば最低限出来なければいけない必須技術でもある。

 最終的には専門のスタッフに任せるとは言ってもだ。


(さすがに火器管制を弄るのはまずいか。レーダーを長距離に切り替えておけば早期発見ぐらいは可能でしょう。敵がステルス持っていたらおしまいだけど)


 その為のシールド展開ではある。


「ルゾール、君は……」

「てきぱき……かっこいい……」


 反応は様々。ヴェルトールは唖然と驚き、ステラは感動している。


「さて……最後の仕上げは」


 リリアンは通信士の席に移動すると、艦内に緊急警報を発令させ、艦内用の回線を艦長席へとまわした。


「ヴェルトール。艦内放送よ。あなたが伝えて。演習で予定されている部署へそれぞれの生徒は移動。仕事を始めさせて。あなたの声なら、みんな従うわ」

「あ、あぁ」


 混乱の中にいたヴェルトールではあったが、平静を取り戻すのが早いのもまた彼だった。とはいえ多少は面食らった様子であり、混乱は収まっても困惑は残っているようで、リリアンに促されるまま、艦長席のマイクを手に取るも、ほんの一瞬だけ、声を出す事をためらっていた。

 そんなヴェルトールの顔色をうかがうように、リヒャルトが横に立つ。

 

「待つんだルゾール。この状況、異常すぎる。ヴェルも、僕も、おそらくみんな混乱しているだろうし……」


 リヒャルトはまだ落ち着かない様子だった。


「こんな状態じゃ、下手に動く方が危険かもしれない」

「だから、じゃないですか?」


 そのステラの声は妙に落ち着いていた。


「ヴェルトールさんの声を聞いて、冷静になった人だけでも動いてくれないと。今はとにかく、艦を動かす事が重要なんだと思います」

「しかし、下手に移動してはそれこそ危険ではないのかい? 僕たちは卒業するとはいえ、まだ学生だ。訓練された兵士じゃない。パニックを放置するようなことになってはあとが大変だ」


 リヒャルトの意見もまた一理ある。

 現状は一言で説明するならば【極限状態】である。ついさっきまで、平穏だった航海が突如として見知らぬ宙域に飛ばされたのだから当然だ。

 さらに、この艦は敵と遭遇する。流石にそれを知っているのはリリアンだけではある。だから、シールドと回頭、レーダー以外の操作がかえって出来なかった。


「落ち着く為にも我々は安全が確保された場所を探さなければいけない。それに、体を動かしてる方が落ち着く事もある。最低でも、この艦橋には人を集めなければならん。幸い、ティベリウスは少数運用可能な艦だ」


 ヴェルトールは何度目かの深呼吸をして、放送を流す。


「ティベリウス艦内の生徒諸君に通達する。我々は原因不明のワープ事故により、現在、オリオン座方面宙域と考えられる場所へとたどり着いた。これは演習ではない。だが、これまで諸君らが学んできた知識は、この広大な宇宙へ進出する為のものである。各員、演習にて定められたセクションへと移動。順番は関係ない、各々が行うべき事を果たすように。各艦橋スタッフは大至急集合せよ。これより周辺宙域の詳細調査及び航路算出を行う」


 その後もヴェルトールは艦内放送を続ける。時に淡々と事実を述べ、時に鼓舞するように励ましの言葉を投げかける。

 恐らく艦内では大きな混乱こそ起きているだろうが、放送を聞いて、騒いだところでどうにもならない事を理解した冷静な生徒が徐々に仕事を行い、それを見て他の者たちも影響を受けることになるだろう。


(さすがはエリートと言うだけある。動揺は残っていても、ひとたび冷静になれば的確な判断ができる。恐らくは、私が何かをしなくてもこういう動きにはなったとは思うけど)


 前世界がそうであったように、放っておいてもティベリウスは地球へと帰還するだろう。ここには優秀な人材が揃っている。

 しかし、既に歴史は細かく変化している。自分が彼らとシミュレーションで戦った歴史も、明らかに早いワープ事故の発生も。

 それは些細な事かもしれない。だが、バタフライエフェクトという旧世紀の言葉もある。

 蝶の羽ばたきがいつしか大きな竜巻になるかもしれない。そんな影響力が果たして存在するのかどうかではない。

 ただひたすら、生き残る為の行為を取るべきだ。

 それが、六十余年も艦を預かってきた人間の思考だ。

 だから、リリアンは思う


(あぁ……やっぱり私は。艦が好きなのだ。だから、充実している)


 レーダーを確認する。

 敵は、まだ来ない。

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