終章

「ばぁ、ばぁ」


 紅葉のような手が私に差し出された。

 「よしよし」と柔らかい体を抱き上げると、熱いくらいの体温を感じ、思わず微笑みが漏れる。

 尊と真輝の間に生まれた男の子は『澪』と名付けられた。ミオだなんて女の子みたいだと思ったが、なんてことはない。検診で『女の子のようだ』と言われたのを鵜呑みにして、名前を考えたらしい。そのあと、実は男の子だとわかったとき、尊は「もう定着しちゃったから」とそのまま名付けた。そのせいか、女の子みたいに綺麗な顔の赤ん坊が生まれたがね。

 一歳を過ぎた彼は私を「ばぁ」と呼ぶ。

 尊が「ママとばぁは呼ぶのに、パパと呼んでくれない」と本気で泣きそうになっていた。


「澪や、今日はばぁが林檎を食べさせてあげようね」


「ばぁ!」


 満面の笑みを浮かべる澪を、大地が呆れたように見ている。


「本当にわかって返事してんのかな?」


「さてね」


 思わず笑うと、大地が寄ってきて澪の顔をまじまじとのぞき込む。


「こいつ、絶対に女泣かせになると思うんだよな」


「顔だけで決めつけちゃいけないよ。あの二人の子だから、一途になるんじゃないかな」


「ばあちゃん、甘いな。尊さんって人気あるんだぞ。真輝さんと付き合った辺りから色気むんむんだって評判で、本人は気づいてないけど、結婚したときには陰で泣いた女は数知れず」


「それ、暁から聞いたんだろ?」


「うん」


「話半分で聞いておきな」


 思わず笑うと、大地が「おいで」と澪を抱きかかえた。


「ばあちゃん、俺が澪を見てるから、琥珀亭に行っていいよ」


 正直、澪と一緒にいたい気もするが、折角の申し出をむげにするのも野暮かね。


 やがて、私はいつものように琥珀亭の扉を開けた。

 琥珀色のライトが温かく来る人を照らす。それはまるで、傷ついた人を慰めるような色でもあるし、希望に満ちた人を祝福するような色にも思える。


「いらっしゃいませ」


 レトロな呼び鈴と共に二人の声が響くとき、誰もがほっとする。

 自分が自分でいられる場所へようこそ。そんな風に聞こえる、穏やかな響きの声だからだ。

 カウンターの奥の席に座り、店内を見渡すと、もう既に何人かの客が輝くグラスを手にしていた。その中に人生の光と影を落としながら。

 あの緋色の蓋が開き、氷めがけて琥珀色の液体が踊るように注がれる。

 私は思わず目を細め、煌めく酒に目を懲らした。

 この酒に私の人生も映っているんだ。この心の奥にあるものを宿してゆらめく。口にすればヒリッとしたり、味わい深かったりするがね。

 琥珀色の黄昏が来れば、夜が来る。夜の闇は人生をひときわ輝かせる。そしてその先に緋色の夜明けがあることを私は知っている。

 だからこそ、私はここが好きなのさ。そうやって、毎日を生きるんだ。

 そう、今夜も琥珀亭で。

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琥珀の暦 深水千世 @fukamifromestar

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