僕らを嗤う試練達 後編



「魔力が効かなくなるなんて・・・。」

常に宙を浮いていたカルセドニーも壁の向こうに入った途端に落ちたが、だからこそ彼女はまだ「その程度」で済んだ。ゆっくりと立ち上がり、服についた埃を叩き落としたあとに振り向いてみれば、その光景に絶句。


上からアリス、エヴェリン、アレグロと積み重なり、ヘリオドールが呻き声を上げながら皆の下敷きになっていた。見事なまでの人の山だ。早速アリスが寝そべったまま上半身だけ起こして辺りを見回す。

「びっくりした。ここは何処かしら?」

青い空、暖かい風が心地よい。幅の広い葉をつけていることから入る前とは違いこちらの木は闊葉樹

で、例えるなら絵本でよく描かれるよう。ひとつの木の枝からリンゴ、桃、レモン等の沢山の種類の果実がぶら下がっている。魔法、ドラゴンといったインパクトのある不思議とは違って、当たり前にみるものが当たり前に見ない形で存在するのは奇妙なものがある。しかし、どれも美味しそうだ。どれも食べ頃に熟していて、ちょうど空腹だったアリスはなんとか降りて、蜜に集まる蝶のようにふらふらと木の前に誘われていく。

「うぅ。僕達、助かったんですか・・・よいしょ、わ、わあああ。」

もっとも大きな絶叫を上げたエヴェリンも、自力で降りようと足を伸ばすも、下に重なった二人を気遣っていたら踏み外し、転げ落ちてしまった。なんとか骨折した腕を庇って背中からの落下に成功。その代わり頭を打った。

「あいたたた、ん?おかしいな。結構高いところから落ちたと思うのに腕が痛くないなんて。あ、あれえ!?」

後ろを向いたらなんと洞窟はおろか何も隔てるものがなく、前と同じ景色が広がっていたのだった。

「さっきのは一体なんだったんでしょうか。僕達は・・・。」

ぼーっと突っ立って遥か先の地平線を眺める。

「んーっ、届かないわ。」

一方アリスは爪先で立ったり伸ばせる限りの腕を伸ばしたり、はたまたジャンプしてみたりと試行錯誤を練ってみるもその手は空を掴むばかりで葉っぱに掠りすらしない。はるか頭上にあるリンゴを物欲しげに見上げる。

「・・・。」

見兼ねたアレグロがやっと体を起こす。ヘリオドールはぐったりとうつ伏せ。相当なダメージを受けたため安堵の表情を浮かべる余裕すらなかった。

「どうした。どれ取ってほしい。」

最高の助っ人にアリスは目を輝かせる。

「リンゴ!でもオレンジも捨てがたいわ。桃もいいわね・・・うーん。」

ちょうど、相手が簡単に手の届く距離にほぼ全ての果実がぶら下がっているのだとわかればアリスもつい欲張ってしまう。

「私、さくらんぼがいい。」

「僕はレモンがいいなあ。」

さりげなくカルセドニーとエヴェリンも便乗した。にしても、レモンは酸っぱくてとても生で食べれるものではないとアリスは思ったが。

「・・・。」

生憎レモンだけはアレグロが背伸びしても届かないところになっていた。木に登っても、自分の重さに耐えきれず折れてしまったらどうしようとか考えていたが。

「・・・危ねぇでどいてくれろ。」

みんなが距離を立ったのを確認すると、高く聳える木の前に立ち、大分手加減を加えたチョップをくらわせた。木はどしんと重い音を立てたのち小刻みに揺れ、力が加わった衝撃で次々と果物が地面やアレグロの頭上にも落ちた。

「やったー!」

アリスはおおはしゃぎ。カルセドニーとエヴェリンも嬉しそうに転がり落ちた果物を拾い集めた。

「家だとはしたないって怒られるけど、し、仕方のないことよね。」

とか言って、本当はしたくてうずうずのアリス。手に取ったリンゴを丸かじり。口いっぱいに広がる完熟した甘さに表情筋の全てが綻ぶほど。

「お前、んなもんで満足できっのか?」

「可愛い女の子には可愛いものがお似合いでしょ?」

影に隠れて見なっていたパイナップルを皮ごと齧るアレグロと、よくわからない理論でさくらんぼを選んだカルセドニー。一番気になっていたのはレモンを選んだエヴェリンだが。

「持って帰る分と・・・。」

「私、てっきりそのままかじるって思ってたわ。」

「そのままでも食べますよ?」

拾った二個目のレモンを丸かじり。その姿を想像しただけでも引いたのに、平気な顔して咀嚼するエヴァリンにアリスはドン引き。


「物を落とすとはけしからんッ!!!」

この中の誰でもない年老いた声に叱咤された三人の動きがぴたりと止まる。

「エヴェリンさん。急に声がおじいさんみたい。酸っぱいもの食べて喉痛めたんじゃない?」

と言うアリスにエヴェリンは強く首を真横に振った。

「そんなこと一度もないですよ。いや、そもそも僕じゃないです。」

かといってカルセドニーとアレグロはもっと考えにくい。

「だとすると・・・。」

四人はヘリオドールの方を向いた。

「ん?なんだい?僕は別にいらないよ?って、ひゃあ!なんか現れた!?」

呑気な笑顔が一転、目が点になり前方を指差した。

「まあ、お久しぶりね!」

「久しいほど離れておらぬではないか、アリス。」

そこには例の豪華な衣装に身を包んだフィッソンと、足元に謎の物体が仁王立ちしていた。白くて丸い卵形の物体、いや。卵だ。どこからどう見ても卵なのだが、大きさはフィッソンの膝下ぐらいまであり、人間の目と鼻、口がついている。細い手足が生えており、シンプルな服や靴まで履いているのだ。ネクタイらしき布を首と思われるところに巻き付けたりと独特のファッションをお洒落にきめていた。


・・・そうではない。


これはつまり、なんなのだろう。


「卵が人間のような姿をしているわ!」

見たまんまの感想に卵らしきものはふんぞり返って一応上から目線で見下ろした。

「当たり前じゃい!ワシはこう見えて昔は人間だったのだからのう!」

嗄れ君の低くもしっかりとした声。先程三人を叱ったのはこの卵らしきものだったのだ。さて、どこからつっこめばいいものやら。

「卵だから、物を落とすやり方が気に入らなかったのかしら?」

なんて余計なことを考えていると、アリスの視線がどうにも彼に勘違いをさせてしまったらしい。

「お主、ワシに惚れたな?ちこうよっても構わんぞ。」

アリスは目をぱちくりさせる。みんなは一同「そんなわけないだろうに」と思いつつ、口を挟めばもっと面倒なことになるので黙るしかできず。アリスもどう返していいか軽く悩んだ末苦し紛れのお世辞を並べた。

「確かに今まで見てきた卵の中では一番威風堂々としてとてもお美しい顔たちをしておりますわ。」

自分でも何を言っているのだろうと半ば呆れる。

「はっはっは。もう君の眼中にはワシしか映ってなかろう。」

「黄身はあなたの体の中にあるのでしょう?」

試しにアリスが思い付きの冗談で返すと更にご満悦のようだ。

「体は体でも殻だがな。ちなみにアリスとやら、卵はエッグエグとは泣かんぞ。」

なんと先程のアリスのやけくそで叫んだ解答が外にまで漏れていたとでもいうのだろうか。

「あらやだ!聞こえていたのね!」

火が吹いたように真っ赤になった顔を手で覆う。卵は「いい気味」だと笑った。

「ちょっと、私達を無視しないでよ、ハーティー。」

カルセドニーに名を呼ばれ、気のせいかハーティーの笑みが違う雰囲気を纏って見える。

「ははは・・・無視などしてないぞ。この世界の危機の最中、お主らがワシのもとを訪れるのはなんとなく予感しておった。にしてもまさか、あの化物まで連れてくるとはのう。」

ぎろりと鋭い目付きで一瞥された化物は緊張感なさそうに時折尻尾を揺らしたりしている。

「それはこっちの台詞だわ。なんで、フィッソン・・・様がここにいんのよぅ。」

「ていうかフィッソンお前急にいなくなって・・・あ、鍵だ!よかった!」

鬱憤がさぞたまっていたエヴェリンはカルセドニーを押し除ける。フィッソンの首からさがっている「自由の鍵」が無事所有者の元へ渡っているのを見るとひどく安堵した。

「アリス!ありがとうございます。本来なら僕か渡しにいくべきとこだったんですが・・・そういえばシュトーレンは何処にいるんです?」

再会した時はそれほど気にしなかったが改めて違和感を覚えた。

「レンさんともはぐれちゃったの。それより、フィッソンさん・・・その鍵・・・。」

まだ言っている途中でフィッソンは制止の意味で右手の平を相手に向けた。

「似た物を首に下げるなんて悪趣味。」

カルセドニーが見せた鍵に表情が固まる。

「曰く付きがアンタにはお似合いよ。ほら。」

黙って受け取った鍵は、ようやく持ち主の元へ帰ることができて一安心。だが、当の持ち主はそこまで嬉しくなさそう。誰がどう見ても彼は苦笑いだったから。

「魔王の封印を解いてしまうとは、本物と変わらぬではないか。力の配分が下手じゃのう。」

足元でしかめっ面のハーティーが両肘を曲げた腕を上げて首を横に振り「やれやれ」の仕草。エヴェリンは間抜けな顔であっちこっちをみている。彼がいない間には本当にいろいろな事があったのだから。

わけがわからないのはアリスも同じ。だって、カルセドニーがもっている鍵を本物と信じて疑っていなかった。本物を奪還したというカルセドニーは聞き捨てならない様子。

「だから、本物はソレでしょ!?じゃあ一体なんだってのよ!」

「偽物だ。」

バッサリと言い捨てたハーティーに、唯一真実を知るフィッソンが口を開いた。

「その「鍵」自体、本物の模造品にしか過ぎぬのだ。」

彼の言葉で無反応が標準だったアレグロも含め一同が騒然とした。そんなはずはない、鍵の持つ凄まじい力を遺憾なくこの目で見てきたアリスとエヴェリンは尚更彼が自分達を混乱させるための戯れ事を宣っているのかと感じるぐらい。でもそんなわけないこともわかっている。彼はこんな時に、そんな顔で冗談は言わないし、言ったとしても嘘くさくて大抵気付かれる。

「ちょっと、そんなの私知らないわよ?」

一際険しい表情で詰め寄るカルセドニーに続いてアレグロもまたひどく不安そうだった。

「なら本物はどこにあるだ?」

小さな腕を組んで唸るハーティーは一通り皆の顔色や様子を見ては深い溜め息をつく。

「やれやれあっさり言ってくれるのう不死鳥もどきよ。だがゆっくりもしてられんのじゃ、先ずは順を追って簡単に話そう。あーワシの輝かしい伝説を語ってやりたいが、事が終わってからたっぷり聞かせてやろう。」

と、咳払いを二度しては真顔で語り聞かせることにした。本人は乗り気ではない。

「昔のことじゃ。ジャバウォックを封印した少し後、自由の鍵という宝物が見つかったのは。拾う者によっては利用して、再び魔王の封印を解いてしまう恐れがある。どうしたものかとワシは悩んだ。」

本当に昔話でも語る老人のよう。しかしこれでは話が肝心の聞きたいところまでに至るのにどれだけ待てばいいのか。

「しかし!なんか派手に燃える炎を見つけたのでワシは鍵をぽーんと放り込んだのじゃ!」

あっさり終わった。軽い。軽すぎる、何もかも。

「ええ!!?」

一同驚くのは当然。

「別に燃えても構わんよ。あんな危険物、なくてもえーし。」

ハーティーは完全に「厄介払い」のつもりでしかなかった。彼の立場を、とてつもない物を目覚めさせてしまったアリスはわからなくもないけど。

「するとあらびっくり!その炎は不死鳥のコイツが次に生まれ変わる前の姿だったのじゃ!そして、なんと、鍵とコイツが同化しよったのじゃー!」

両手を上げて、大袈裟なリアクションと共にフィッソンの周りをぐるぐると走り回る。アリス達は大事な話をもっと真剣に聞かせてくれるのかと気を引き締めていたのに、エンタメ性を盛り込んだ話し方とコミカルな仕草で台無し。ちっともアリスの頭に入ってこない。彼が動き回っている時に、背中に腕を回してこっそり芯だけになったリンゴを放り捨てた。

「鍵が燃えて炎の中で混じりあったのか、再生する際に体内に入ったのかわからん。後者なら、特定されるため前者だろう。」

「・・・かくして自由の鍵は一心同体、つまりコイツが鍵となったのじゃ!」

フィッソンがせっかく普通に説明してくれようのしているのに、彼の足元で片膝を立てて座り、手で指し示しながら言った。簡潔にまとめた、といったらそうなるが。というか、自分がやったことをまるで他人事みたいな言い方。言動と言い、本当にこれが勇者王ハーティーなのか、みんなに新たな疑問を植え付ける羽目になる。

「では鍵がなくなったということでいいじゃない。なんでわざわざ複製してまで?」

カルセドニーの問いにハーティーは。

「ワシがうっかり外に漏らしちゃったからの、急になくなったでは済まなくなったのじゃ、てへっ☆」

拳を額に添えて、舌をぺろっと出してウインク。

「ばっかじゃないの?」

「我も言い訳するのに相当苦労した。」

返ってきたのは辛辣な言葉と、ちょっとした文句。彼の態度には仕方のない反応だ。

「あの・・・自由の鍵についてはわかりました。」

ヘリオドールが手をあげる。

「この流れだと、魔王を倒したハーティー様は貴方で間違い無いのですね?元からそのようなお姿では無いでしょう?それと、セドニーがアリスを貴方のところに連れて一緒に戦うみたいに言ってたのですが・・・。」

そろそろ話のできる、真面目な人が仕切らないといけないほどの謎の危機感を覚えていたところにヘリオドールの存在はなんと頼もしいことか。

「うむ、いかにも。ワシは勇者王ハーティーと呼ばれた者。」

ハーティーは偉そうに胸を張る。

「当時はごつくて、髭も髪も筋肉もたくましい甲冑纏ったイケジジイだったのじゃが・・・まあ、力を使い果たしたらこうなってしまったのじゃ。あまり話しとうない、真実だからこれで勘弁してくれ。」

最後の方は声に活気がまるでない。アリスや、アレグロは「もしかして人間に見えるだけで人間ではないのかも」と勝手に考えていた。

「しかしな、条件が揃えば元の姿に戻り、復活も可能。再び活躍できるかも知れぬ。」

「ほんとに!?」

なにもがっかりさせたり、うんざりさせるばかりではなかった。

「その条件を、カルセドニー、お前は知っておるであろう?」

「まあね。」

期待の眼差しを一気に浴びるカルセドニーの表情は少し陰りをともしていた。

「復活の儀式に「聖少女の血」が必要なのよ。」

そこでハーティーとカルセドニーは状況も把握しきれていない少女、アリスに視線を移した。アリスは頭に疑問符を浮かべる。

「えっと、この流れだと、血が必要なのね?どれぐらい?」

聖少女と呼ばれるのはむず痒いし、乗り気はしないが、これも全て仕方がない。アリスったら、注射か献血ぐらいの程度だと思っている。

「・・・私の顔を見てわからない?」

わからないから聞いているのに。

「たった少しの量で足りるわけない。はっきり言うわ。あなたは今から生贄になるのよ。」

とても恐ろしい言葉に、心の臓が凍りついた。

「生贄・・・?」

息が詰まりそう、胸が苦しい。ひどく寒気がするし、足から力が抜けていく。エヴェリン達と遭遇する前にカルセドニーがアリスにかけた言葉が脳裏に過ぎる。

「自分の撒いた種は自分で狩るつもりでね。」

あの時から、既に、この時を考えていたのだ。ずっと。そうだ。自分なんか連れて行ったってなんの役にも立たないんだ。考えれば考えるほど込み上げるのは恐怖と、いろいろな後悔と、虚無感。とうとう立っていられなくなったアリスはその場に座り込んでしまう。駆け寄ったヘリオドールも、もどかしさを噛み締めている。その場にいる誰もが同じように。

「そんなのあんまりです!」

こんな状況で声を上げたのはエヴェリンだった。アリスの前に、庇うように立ちはだかる。

「あんたの意見なんか聞いちゃいないし誰の意見も求めてない。」

対してカルセドニーは冷静だ。こうなる事も予想していた。

「一人の命を犠牲にしないと救えないんですか!?」

「たった一人の命で国を救えるのよ?」

まるで蒸気が勢いよく噴き出すような衝動的な怒りに耐えきれないエヴェリンがなにも言わずに食ってかかるも、彼はアレグロに止められる。貧弱な体で、手負いであれば、人の姿をした人ならざる化け物の力の前に抵抗も虚しい。

「ったく、甘ったれた事言ってんじゃないわよ。これまでに、どれだけが犠牲になったと思ってるの?

しかし、彼女の言い分も間違ってはいない事は理解できる。だからこそ、冷静さを取り戻しつつあるエヴェリンも苦しさに押しつぶされそうだ。

「僕は・・・僕は・・・。」

アリスも心の整理がつかないまま。わかっている、自分のせいだと。わかっているけど死の恐怖を乗り越えるにはあまりにも猶予がなさすぎる。

「あのー・・・。」

黙って聞いていたパーティーがフィッソンの足元で注目してもらおうと手を二回叩く。パチパチとほんのわずかな音であったが、物音のないここではよく聞こえた。

「待て待てぃ!まだワシはこやつを生贄に捧げるだの一言もいっておらん!」

一同は、展開を予想外の方向へ立て続けに覆してくる彼の言動に思考がついていけず頭が真っ白だ。

「でも、アリスを連れて来いってあなた・・・。」

「えっ・・・?」

カルセドニーの返事に違和感があったのはヘリオドールだ。そういえば、ただの兵士である彼女がなぜこのような「つて」があるの疑問だった。聞くとしたら、あとにしよう。

「いや、アリスは確かに必要じゃがそんな可哀想な事はせんよ、引くわ。えー、ごほん。ワシを復活させるにはもうひとつの術があるぞい。」

「ならもっと先に言ってよ!」

アリスのいう通り。散々その場の雰囲気をかき乱しておいて、重い空気に入る隙を見つけるのは難しかったのか。しかしそこは、無理矢理にでも割り込んで欲しかった。構わず、ハーティーは小さな人差し指をピンとたてた。

「条件は本物の自由の鍵。この紛い物は封印を解く事はできてもそれ以上の事はできん。本物は既に解き放たれた者の秘められた力でさえ呼び覚ますことができる。ワシの復活にはこいつが必要なのじゃ!・・・たかが御伽噺に魔術的な説明はいらぬじゃろ?」

「はいはい。」

適当に返したのはカルセドニー。彼はフィッソンの前に立ってふんぞりかえった。

「でも鍵がフィッソンだとしたら、あたしたちはどうすりゃいいのよ。」

「そこでお前さんと、アリスに協力してもらうのじゃ。復活の儀式の手伝いとやらを。」

ふざけた顔がひどく重く、子供に厳しく言い聞かせる大人みたいな険しい表情を見せた。

「まずアリス、お主は地面に掌をつけよ。」

言われるままに従って、土に掌を乗せた。固い地面は陽の光をずっと浴びていて、ほのかに暖かい。砂混じりのざらざらした感触が皮膚を包む。

「そして、怒りを沸き起こす。怒りは一番強いエネルギーを秘めている云々である。お主は強く怒りを駆り立てる何かを想像するのじゃ。ただし憎悪を抱いてはならぬ。」

急に怒れと言われても難しい。例えば今一番浮かぶとしたら、好きで迷い込んだわけではない自分を勝手に巻き込むまさにこの状況。でも、未曾有な危機の中に晒されているの世界に怒りが湧いてこない。元はと言えば自分にも原因はあるわけだし。なら、いったい何に対して怒りを沸かせろと言うのだ。思い出しただけで腹の立つ事とは何か。

「あっ。あったわ・・・。」

アリスは思い出した。眉間にシワを痩せ、ピクピクと引き攣っている。

「妹が私が大切にしていたおもちゃを壊したけど、お母様には我慢しろって言われたのよ。お姉ちゃんだからって、別問題でしょ!?」

心の中でやり場のない昂りが煮え繰り返る。

「よし、カルセドニー。ワシが言った魔法を発動するのじゃ!」

こうしている間にも着々と進んでいて、頭上から太陽の光がぐんと近くなったみたいな眩しい光が降り注ぐ。気が散って仕方がないが、少しの隙でも集中力が切らすわけにはいかない。同じ怒りを再び沸き起こすには時間がかかるようだ。憎しみが伴わなければその程度なのだろう。

「わっ!?」

今度は目の前が熱い。炎の地面に円を描き、やがて身の丈以上の火柱となって轟々と燃え盛る。みんなが騒然としている理由はそれだけではない。なんと、炎の中にはハーティーとフィッソンがいるのだ。アリスは見ていないが、他のみんなの会話で理解した。燃やされているんだから、アリスだって落ち着いてなどいられないが。

「だ、だだ、大丈夫なんですか!?」

エヴェリンの今にも泣きそうな・・・いや、僅かに震えて上擦り気味の声だから泣いているのが丸わかりの声とクスクスと嫌味な笑い声。

「ここで焼き殺したら意味ないでしょ。失敗したらゆで卵と焼き鳥ができてるかもね。」

「セドニー!!」

アリスは聞かないフリをした。みんなを信じて。


杖を掲げて傍観するカルセドニー。

心配そうに見守るしかないヘリオドール。

今にも火に向かって飛び込みそうな勢いのエヴェリンを羽交い締めで制止するアレグロ。

流れる涙を拭うことさえできない、この世の終わりを目の当たりにしたような絶望の色を顔に浮かべてへたりこむエヴェリン。

耐えがたい時間は炎が消えるまで続いた。


熱を乗せた空気はしばらく残ったまま。アリスは顔をあげた。


「・・・・・・。」

みんながぽかんと口を開けて見ているのは・・・。

夕陽に照らされた稲穂みたいな鮮やかな金髪、晴天の下の澄み切った海みたいな碧眼、頭には小さな王冠を戴き、赤いマントをなびかせた、少年が仁王立ちで構えていた。

「あなたがハーティーさん?」

「いかにも!ワシ・・・が?」

目を開くと、自分に向けられた視線がなにやらおかしいことにきづく。見下ろしてみると、彼も驚愕でみるみるうちに瞳孔が縮まる。

「なんじゃこりゃあ!なぜ!?全盛期の頃のワシに?」

「あなたの全盛期なの?これが?」

アリスの問いに対しハーティーは。

「ワシの人生はいつでも全盛期じゃ!しかしこの姿では心許ない!というかなぜ半端なところで終わった?奴の力はこんなものでは・・・。」

ドヤ顔だったり、苛立ちだったり、ひとつの会話で表情をコロコロ変える。そういえば忘れていた。フィッソンの存在を。だが、彼の姿はどこにも見当たらない。代わりに、フィッソンによく似た少年が仰向けで、しかも裸で倒れていた。

「あ・・・あの、フィッソンは一体・・・。」

エヴェリンが震える指で少年の方を差す。まさかとは思いつつ、だけどあり得ない。いきなり関係のない人がフィッソンのいた場所で倒れている方があり得ないのだ。

「おい!フィッソン!お主、なぜ途中でやめおった!?これでワシを戦わせると言うのか!?」

やはり、もう一人の少年はフィッソンだった。なぜあんな姿になったのか聞きたいところだが、当の本人は目を回していてもおかしくないぐらい随分疲労困憊の様子で、肩を揺さぶられてなお一切の抵抗もしないのだから。アリスは、顔を赤くして目を伏せる一方でカルセドニーは無表情でガン見。

「久々でしんどい、少し休憩・・・。」

フィッソンの口からやっと出たのは寝言のごとくぼそぼそと聞き取りにくい声。力を解放するのには相当の体力を消費するのだろう、詳しい事はここにいるほとんどの人が知りもしない。彼を見ていると概ね察しがつく。

「ええい役立たず!悠長にしてられんと言うのに!!」

そう吐き捨てたハーティーが乱暴に突き放した。事は一刻を争う為、気持ちも分からなくもないが。その瞬間だった。突如凄まじい程地響きが皆を跳ね上げた。

「きゃあああ、なに!?」

「地震ですか!?」

アリスは右往左往に首を捻り、エヴェリンは反射的に頭を両手で抱える。激しく縦に揺れに体が下から突き上げられそう。次はけたたましいサイレンの音が響き渡る。揺れに大音量の警報音、体の感覚を全て強烈なものに支配されておかしくなりそうだ。

「避難命令!避難命令!各地に配属された兵士の指示に従って指定の場所に今すぐ避難せよ!!繰り返す!」

緊迫した男の声の声が響き渡る。エコーが消えるまでに同じ警告の繰り返し。空を鳥の群れが飛び去っていった。鳥にしては明らかに体も翼も大きいが。揺れはようやくおさまり、状況をいち早く理解できた者から立ち上がる。

「とうとう街にまで魔物が襲ってきたのね。」

「僕らもこうしている場合じゃないよ!君たち!戦えそうにないなら、僕と一緒に。」

カルセドニーはいたって冷静に、次にとるべき行動を頭に浮かべていた。それはヘリオドールもだが、彼のかけた言葉を真っ向から拒絶したハーティー。

「バカにするでなーい!ワシのことは良い!」

復活してからずっと癇癪を起こしているような気がする。ヘリオドールにそのつもりは微塵もないのに。

「ええいこのすっとこポンコツ!罰としてワシが連れ回す!アレグロ!」

「うん!?」

低い独特の声がびっくり裏返る。

「ワシとコイツとそこな小娘、三人乗せれるか?」

つまりは獣の姿になれと頼まれている。アレグロは力強く頷いた。

「子供三人なら容易い御用だ。」

そう言って、一人だけ後ずさって距離を取り、例の毛量の多いずんぐりに見える灰色の獣に姿を変えた。意識ははっきりとしていたフィッソンは、やっと体を起こし、ふらつきながら獣に寄りかかる。

「見苦しい。これで隠しとれ!」

自分のマントを彼目掛けてぶん投げた。本当に扱いが酷いと言うか。フィッソンは見事、赤い蓑虫になった。次にアリスの腕を掴み上げる。彼に対しての強引さみたいなものはなく、すぐに足が上がったのは抵抗する暇もなかったからだ。

「えっ!?私も行くの!?」

「当たり前じゃ!お主にはまだやることがある!」

ハーティーが先頭、流れで後ろをアリス、最後がフィッソン。前と後ろに人がいれば安心だろう。多分。

「アリス・・・フィッソン・・・待っ。」

「出発進行!!!」

エヴェリンがまだ何かいいたそうだったが彼らの耳には届くことなく、ハーティーの張り上げた元気いっぱいの声にアレグロは地面を何度か蹴って、前足を思い切り伸ばして前進。体の大きさを活かし、走ったら飛んで着地であっという間に遠ざかっていく。土埃が完全に消える頃には彼らもまた見えなくなっていた。

「あの・・・。」

置いていかれた、負傷者という意味ではフィッソンよりも役に立たないエヴェリンはカルセドニーに襟の後ろを掴まれ、軽々と起こされる。

「怪我人がなんの役に立つってのよ。私についてきなさい。」

ここにいても被害を被るだけだ。手負いの彼は従うより他ない。しかし、今のエヴェリンといったら、悪さをしてつまみ上げられる子猫のようで情けない。

「でも僕ら、今聞いたばかりだよね。」

「兵士としてやる事は変わんないわよ。」

兵士と怪我人はアリス達が通った道を警戒しながら辿った。エヴェリンの無事はなんとか確保できそうでも、心は全く落ち着かない。まずはこの世界の状態がそうさせているのと、仲間達のことを考えると自分だけ助かったところで安堵など、とてもできなかった。

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相対の国のアリス 上 時富まいむ @tktmmime

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