僕らを嗤う試練達 前編



―――――…………






アリスが居たのは相対の国の、どこかの森。説明するのも不要なほどこのような光景は何度も何度もこの目で見てきた、背の高い針葉樹に囲まれた薄暗い樹海。シフォンともシュトーレンともはぐれてしまい、心細いことこの上ない。結局何にもならないのなら、あんな行動にでるんじゃなかったと後悔するがしかたがない。「あの時は信じていた」のだから。


ただ、この森はどうもおかしい。


鎧をしっかり着込んだ沢山の兵士が槍や剣を突きだしながら森を駆け抜けたと思いきやその直後、得体のしれない巨大な獣の群れが追いかける。それに気づいた数人の兵士が引き返して応戦しているのが今アリスが見ている現状だ。アリスは冷や汗を滲ませながら太い樹の後ろに身を潜めている。

「まるで追いかけっこね!」

一瞬、レーザーが走る音が頭上で鳴った。事態がわからずそっと振り向く。

「まあ・・・なんてこと・・・。」

背凭れにもちょうどよかった樹が、立った時の自分とほぼ同じ高さになっていた。焼け焦げた切断口から白い煙がのぼっている。しかしアリスが驚いたのはそれだけではない。そこにいたのは蝙蝠の羽を生やした凡そ三メートル程ある宙に浮く目玉。これを不気味と言わずしてなんといおうか。もちろん、野生のクマなどありふれた動物が襲ってきてもたちうちできないが、見たらわかる。どうしようもないと。目玉がギョロリとアリスを見下ろした。

「あ、これ死んじゃう。」

化け物の倍の大きさはある瞳がぎらりと赤い光を灯した。 ああ、なんともあっけない。恐怖する暇すら与えられないのならむしろ楽に死ねるのでは?と考えていると、遥か上を細長い物体が後ろから飛来した。それは金の柄の三叉矛。化け物の胴体でもある眼球の真ん中に見事命中する。

「ほえ?」

思わず拍子抜けした声が漏れる。空気を震わせかねない断末魔を上げながら羽をばたつかせ、もがき暴れだす。

「いけどーん!!」

三叉矛が飛んできた方向から女の声を合図に、化け物は向こうへ吸い込まれていくかの如く音を立てて吹っ飛んでいった。風で木の葉が舞い上がる。

「どえええっ!?え、え?」

自分の身の危機も感じて頭を両手で庇い腰を屈めるが、先程アリスを襲いかけた化け物の姿はどこにも見当たらない。

「はぁー、金にならないのに沸いてくんじゃないわよぅ。」

その代わり現れたのは、会場内で司会と話していた女性と見知らぬ若い男性だった。

「今のはマジックアイだから密猟したらいいもの手に入ったのに。」

男性はなよなよした声で話しかけるも、女性の方はたいそう気分がよろしくなかった。

「そいつも高値で売れなきゃ意味ないの!あぁーん!ネームドとか現れないかしら!」

腕を組んでそっぽを向く。男性はアリスに手を差し伸べた。

「大丈夫?怪我はない?」

最初は少し躊躇うも、優しそうなその笑顔から怪しい気配は感じなかったのでアリスは手を取りゆっくりと立ち上がった。

「ありがとう。怪我はないわ。」

親切心に対して御辞儀をすると丁寧に会釈して返してくれた。

「そりゃよかった。僕はヘリオドール。兵士さ。あの子はカルセドニーで同僚だよ。」

ついでに相方の紹介までしてくれた。萌木色の髪に銀色の目。肩当てと厚い木の板を型でくり貫いた盾を手に持っているあたりは彼も兵士の一員だと窺わせる。

「あの子とかキモいんですけど。」

カルセドニーと呼ばれた女性が横目で睨む。それに対し反論するどころか弱腰になって訊ねる。

「えー?じゃあなんて言えばいいの。」

「まず自分の事は自分で紹介できますのでついでに言うのやめてくださいね。」

嫌みたらしく言われて黙りこむ。八の字に下がった眉、頼り無さげな雰囲気を全面に醸し出していた。

「あ、あの。私の名前はアリスっていうの。気づいたらこんなところにいて・・・。」

アリスの名前を聞いた途端、彼女に見向きもしなかったカルセドニーが急に好奇の眼差しを送る。

「アリス・・・?貴方・・・まさか、このアリスだったりする?」

そう言いながら白衣の裏ポケットから一枚の新聞紙を取り出してアリスに見せた。そこには太い見出しで「一人の少女が国を解放」と書かれ、歓喜に沸く人々が写ったモノクロ写真の下に「少女の名はアリス・プレザンス・リデル(14)。猫が好きな良家の娘である。」と誰に断って聞いたかわからない情報まで掲載されていた。

「え・・・ええ、そのアリスは私ね。」

若干引いてぎこちない笑みを浮かべる。

「僕も猫好きだよ。昔は家に数十匹どぅわっ!?」

話題にのっかかろうとしたヘリオドールを片手で突き飛ばしたカルセドニーは燦々と瞳を輝かせアリスの手を自分の胸元で握りしめた。ヘリオドールは情けなく乾いた枯葉の絨毯に倒れる。そんなこと、お構いなしだ。

「まさかこんなところで会うなんて!サイン貰おうと色紙買ったの、持ってきてないけどね!」

熱い視線と凄まじい威圧感に圧倒され、アリスは一歩後退りするが手を握ったまま相手もついてくる。

「あの・・・私そんなに有名なんですか?」

特別でもないごくごく普通の一般人が知らぬ間に別の世界で英雄みたいに扱われるなんて、自分のことなのに他人事に感じるのも無理がない。

「有名もなにも聖少女アリス様様じゃない。ま、サインはおいといて。しっかしほんとこんな奇跡もあるものねえ。英雄望む頃にやってくる。」

手を離したカルセドニーは偶然を感慨深く呟く。

「相対の国は突如大量発生した魔物の対処に追われているの。原因は、誰かが「地下帝国」の封印を解いたってことは扉が開いていたのを見たらわかるわ。」

信じられなかった。ついさっきまで祭りに沸いてはとても賑やかで平和だったのに。

「せっかく国を上げてのゲームだったのに、キングもやられたって話だしねぇ。キングがいなけりゃチェスなんてできないじゃないの。」

「ゲームどころじゃないよ。国が回るかどうかの問題だよ。」

ずっと座り込んでいたヘリオドールがやっとこさ腰をあげる。服には枯葉や土埃がついていたが払いはしなかった。今度は違う魔物がこっちを目掛けて赤い炎を吐いてきた。

「ヘンリー!!」

略称で呼ばれたヘリオドールはこれといって慌てる素振りはなく向かってくる炎に盾を構えるのみ。アリスは今すぐにでも胸ぐらをひっ掴んで正気かどうかを問い詰めたかった。あんなものでは防げるわけがない、自分達も真っ黒焦げになってしまう!しかし、炎は盾に触れた反射して威力を保ったまま魔物に直撃した。火だるまになったの黒い塊がそばでもがくものだから熱気と光に顔が火照りそうだ。

「すごい。やっぱりだてに兵士さんなのね。」

アリスが感嘆の言葉を呟く。残念ながら小声なのと周りの雑踏が煩いため聞こえなかったようだ。

「セドニー、ここじゃダメだ。場所を変えよう。」

まともに話ができたものではない。彼の提案には一同も賛成だった。

「サボってるみたいに見られちゃうのもやだし、移動するわよ。ついてきて。」

カルセドニーは早速先頭をきり、戦いが繰り広げられている区域とは反対の方向へ歩き出した。


「にしてもほんっと不思議だわぁ。あの封印を解くには自由の鍵がないと不可能なのよ。」

人差し指を上に立てて円を描く。カルセドニーは何か考え事をしながらただ独り言を喋っているだけのようだった。

「自由の鍵の保有者はこの世界で一人だけ~・・・で、その人は・・・。」

アリスの脳裏にはすぐさま「その人」の顔が過った。クイズにでも答えるみたいに人の名前を呼称する。

「フィッソンさんね!」

まさか独り言を会話と間違われるのは予想だにしていなかったのでしばらく口を紡いだ。

「あんたが知ってるのは意外って言っていいのかしら?話が早くて助かるけど、その通りフィッソン「様」よ。でもフィッソン様がこんなことするってありえない。」

アリスはおそるおそるたずねた。

「鍵を落として、違う誰かが悪用したとか・・・。」

「誰も彼もが使えるわけじゃない。鍵は人を選ぶのよ。その人の性質がどうであれ、ね。」

しかしアリスは相手の話を余所に尚更深まった疑問をぶけた。

「フィッソンさんって何者なの?」

その問いにすぐに答えは返ってきた。

「この国じゃ力のある大規模な集団の長を「君(きみ)」って呼んでるの。」

「フィッソンは不死鳥の君って呼ばれていて、国を住処にしている魔物や獣人の統括者なんだよ。」

「大規模すぎる!?」

予想を上回りすぎて意外が過ぎて素頓狂な声をあげてしまう。

「長は国の秩序を乱す事は禁じられている。だからまあ、こんなことするなんて絶対にないんだよ。」

カルセドニーが腕を組み、難しい顔で唸る。

「アリスの説が今のところ最有力説なのよ。問題は、それが誰か。何のため・・・はどうせロクな目的じゃないだろうから、犯人探しに重点を置かないとね。」

金だのサインだの場狂わせな事ばかり言っていたが、今の彼女の横顔は真剣。やはり兵士なんだなと改めて認識するとともに、「犯人」という言葉にゾッとしたアリスは顔色を悪くして微かに息も細くなり震えている。

「怪しいやつがいなかったか白のビショップに聞き取りに行かせてみたけどそこの番人が知らぬ存ぜぬの一点張り。」

肝心の扉がある森の番人なら見覚えがあった。しかも会ったのはつい最近、今日の出来事だ。

「そんなのおかしいわ!」

ただ、アリスが正直に思ったまんまを言葉にしてしまったものだからとぼけているようで勘の良いカルセドニーは真っ先に彼女を疑った。

「なにが、おかしいの?」

たった一言の質問にアリスは激しく動揺する。

「なにもおかしいことはないかも、しれないわ!」

動揺がすぎて言葉も滅茶苦茶におかしかった。

「あははそんなピリピリしたら言いにくいでしょ?でも、なんだか会ったことある言い方だよね。」

さりげなく庇ったヘリオドールは母親に叱られて泣きじゃくる子供を宥める父親みたいな温かい包容力を持っていると思いきや、後からアリスを悪気なく追い詰めたのだった。アリスもアリスで上手く言い訳すれば巻き返せたはずたが、その場の具合がまずくなっていくのを取り繕うことができなければきまりが悪くなる一方。


アリスは覚悟を決めた。半ばヤケクソだが。

「ごめんなさい!!!」

先に謝っておくことで詰問を避けようと測ったが、通じない相手には口を割っただけにしか過ぎない。

「言うの忘れてたわぁ。いかにも怪しかったから脅したら白状してくれたの、金髪の女と兎の獣人が「鍵をもって扉を開けた」ってね。」

カルセドニーはなんと最初から目星がついていた上でアリスを嵌めたのだ。兎の獣人はここにはいないし、一緒にいたドルチェがカウントされていないのら彼は元から森に居たからだろう。

「あらやだ、なにもアンタだなんて一言も言ってないわよぉ?」

それは逆にアリスだと決定付けていると言っているようなものだった。そう聞こえたアリスはもう隠そうとするのやめた。

「金髪の女は私です。扉を開けたのも私なの。」

覚悟を決めて白状した。鍵もポケットから取り出す。どんな罰をいつ与えられようがそれが己のした業なら仕方無いと思っても、やはり一人の少女には重すぎた。

「待ってよセドニー!だとしたらアリス、なんでフィッソン様の鍵を持ってたんだい?」

ヘリオドールの質問にアリスはありのままを答える。

「フィッソンさんが落としたのを拾って、届けようとして・・・。」

「バカなの、アイツ・・・。」

偉い人を、そばにいないからといってバカと罵った。この状況では彼女の心境を察せば無理もないと思うが。

「あとアリスもちょーっとおバカさんね。今、鍵持ってるでしょ?それ偽物よ。」

「えっ!?」

「あとでスネイキーってやつから返してもらったわ。これが本物。」

カルセドニーがポケットから出した鍵。肉眼では見分けがつかないほど、どっちも同じ形と色だ。

「あなた、あそこで誰と会った?」

あの時は仲間の負傷で周りを見るほどの余裕はなかったが、今になって冷静に記憶を辿る。

「大きな槍を持った男の子、青い服を着た私と同じぐらいの女の子と、赤い髪の女の人・・・。」

「・・・。」

しばらく考え事に眉を潜めたしかめっ面だったが、何かピンときたのか、すっきりした笑顔で突然アリスの頭を軽く二度ほど叩いた。

「じゃあアイツらの仕業ね。」

鍵を再びポケットにしまった。

「ジャバウォックはアイツら含む地下帝国全体のボスよ。だとしたらジャバウォックの封印を解く手段があるなら迷わず実行するでしょうね。」

「魔物を指揮できるのもボスしかいないもんね。」

ヘリオドールが付け加える。なるほど、目的を果たせた後は必要ないので返したのだろう。それはさておいて、そんな晴々とした笑顔になれるのがわからない。事態は一向に良い方向に進んで無いのに。

「確かにアンタは地下帝国への入り口をきっと何も知らずに開けちゃったんでしょうけど、事を大きくしたのはアイツらよ。そんな考え込まないで頂戴。」

「でも、犯人・・・。」

アリスが何かいいたそう。ヘリオドールはため息を吐きながら首を横に振る。

「もう、セドニーが物騒なこと言うから。」

「ごめんごめん。ま、それについてはなんとかするわ。今はとりあえず、この事態をなんとかしないと、ねぇ。」

空を見上げたからつられて他の二人も顔を上げると、木々の間を遥か昔に存在したといわれる羽の生えた恐竜みたいなものが群れをなして飛んでいるのが見える。

「英雄なんて持ち上げたけど無茶させるつもりは更々ないわ。だけど協力しなさい。自分の撒いた種は自分で狩るつもりでね。」

「またそういう怖いこと言う。悪気はないんだよ、変なところで真面目で・・・。」


しばらく森を歩いて、突然カルセドニーが立ち止まった。

「魔力の感知をしなくなった。実行するならここね。」

溜め息混じりに言いながら片耳のピアスを外す。紫色をした丸い真珠のような形をしていた。

「突然だけどアリスちゃん、卵料理ならなにが得意?」

アリスは料理を積極的にする方ではない。最近卵を使った時の事を思い出してみる。

「マヨネーズです。」

後ろのヘリオドールはぽかんと口を開けて物珍しそうに彼女を見ている。

「ふふっ、アンタなかなか面白いわね。」

手のひらに乗せたピアスを遥か真上へと放り投げ、一番高いところに到達するとそれは一瞬にして奇妙な形状をした杖へと姿を変えた。卵など妙な単語そっちのけでアリスの目は手に戻った杖に釘付けになった。

「すごい!手品みたい!」

手を合わせて瞳を輝かせる。だがそこは大人なのだろうか、調子に乗ることはなかった。よく見ると杖の上に乗っている水晶が先程のピアスの装飾部分と非常にそっくりだ。

「今からアンタをある方へのところへ連れて行く。その方はかつてジャバウォックを倒した本物の英雄。」

杖の先の水晶が淡い光を内側から灯していく。アリスはまるで中枢から四肢にわたるまでの体の中に糸が通されて、それがピンと張られているようなぐらい緊張にはりつめていた。

「今、「私は必要ないのでは?」と思ってない?そういうことじゃないの。」

水晶は段々と眩しいぐらいの光を帯びる。するとただの雑木林の風景の真ん中に小さな穴が現れては人が入れるぐらいの大きさにまで膨張した。奥は違う景色を映し出している。

「こんな簡単に会えるものなんだ?」

実感が湧かず驚いているだけのヘリオドールに、唯一普通のカルセドニーは何も返さなかった。

「緊張しなくていいわよ。厳しい方じゃないから。」

アリスに拒否権は無い。たとえどんな言葉をかけられれようと、覚悟の上なのだ。

「何かあったら僕もフォローするから心配いらないよ。」

ヘリオドールの言葉に背中を押され、一歩境界線を跨いだ。その時、遠くの方から地響きするぐらいの足音がこちらに向かって近付いてくる。

「まあ、地震!?」

「いやこれは魔物の足音だよ、一匹なら倒せ・・・。」

どしん、どしんと大地を揺らす足音はとても速い。動く黒い点だったのがみるみるうちに形を露にする。謎の生き物は道をひたすら駆け走る、恐ろしい速さで。

「マジ最悪なんですけど。」

振り返るカルセドニーは表情をひきつらせた。

「セドニー、アリスを頼んだよ。」

ヘリオドールはゆっくりと深呼吸をしてから足を前後に開き中腰に槍を構える。身に纏う雰囲気ががらりと変わった。

「アリスちゃん、私の後ろにさがって。」

しかしアリスはある一点を見て動こうとしない。

「あれ?上に誰か乗っているのって・・・。」

カルセドニーはやや前のめりで眉に皺を寄せながら凝視した。

「はぁぁぁあ!?そんな馬鹿な・・・え、えぇぇえうっそでしょ!!?ヘンリー、魔法の迎撃はダメよ!」

二度見ぐらいしてようやく視認した。指示通りヘリオドールは構えたまま微動だにしないが、余計な緊張感に冷や汗が頬に流れる。謎の生き物がついにアリス達のすぐ目の前に追い付く。体躯は巨大で実際の熊よりも二倍近くはある。灰色の毛皮に包まれた身体はずんぐりとしており、例えるなら身体は熊だが、耳と尻尾は狼。丸い顔と円い小さな瞳は見ようによっては愛らしいが、鉄の枷がはめられた前足を含む四肢から生えた鋭く尖った鉤爪はそれらを打ち消してくれる。横腹には一本の矢が刺さりそこからは血が滴り流れていた。

「バンダスナッチ。そりゃあきみも目が覚めるはずか。」

槍を握る両手に力がこもる。

「おらは元々お前ら人間と争うつもりはねぇ。」

なんと人の言葉を喋りだしたのだ。口を開けずに。

「アリスー!ぼっ、僕です!エヴェリンです!」

頭の上からひょっこりと上半身を覗かせたのは途中ではぐれてしまった仲間であるエヴェリンだった。負傷した腕を白いギプスでしっかりと固定してもらっている。

「エヴェリンさん、会えて嬉しいわ!腕の方は大丈夫なの?どうしてあなたがこんなところに?」

アリスの呼びかけにエヴェリンは無事な方の腕を大きく振った。ヘリオドールも事の意外さに驚きあきれてぼんやりする。

「大丈夫です。僕のいたコロシアムも魔物の襲撃に遭って、逃げ遅れた僕を助けてくれたんですよ。」

やはりどこもかしこも相当な範囲で被害を被っているらしい。バンダスナッチと呼ばれた魔物が度々首を軽く振る。

「安全な所探してたらこいつさ仲間見つけたゆうたけぇ・・・。」

「随分田舎くさいしゃべり方するのね。」

ふとしたアリスの一言には黙って首を傾げた。その時、ヘリオドールが握っていた槍を化物の胸元目掛けて渾身の力で投げた。

「おしゃべりもそこまでだ!」

矢の一本でさえあの怪我の具合なら皮膚は決して頑丈なわけではない、あんなもの刺さった場合はもっと酷い傷を負ってしまう。アリスは目を強く瞑る。槍は強靭な前足の一振りで軽々と弾き飛ばされてしまい、くるくると長い柄を回転させながら遠方の樹にぶつかり落ちた。

「おらは争うつもりはねぇ。こいつも降ろすしお前らにはなにもしない。」

一方、バンダスナッチは反撃も逃亡もしない。しかしヘリオドールも兵士である以上人に危害をくわえるかもしれない野獣を前に警戒心を緩めるわけにはいかない。

「いや、絶対にお前はここで倒す。被害は最小限に食い止めたいからね。」

微かに青色を帯びた円らな瞳がじっと見下ろす中、カルセドニーも行く手に立ち開かった。

「あんた一人に手柄を持ってかれるわけにはいかない。首を持って帰るのは私なんだから。」

よくわからないが、カルセドニーには違う目的もありそうだ。ここにいる他のみんなにはわかりかねない、目的が。

「ようわかんねぇけど信じてくんねえなら縛るなりして見張ってくれ。」

「急になんだい?ご生憎だけど僕にそんな趣味はごっはぁっ!!?」

的外れな返事をするヘリオドールに苛立ちをこめたカルセドニーは彼の脇腹を思いっきり蹴った。エヴェリンもアリスも同情の目で樹の幹に体を打ち付ける彼を見つめる。

「悠長にもしてられないのよ。早くソレ下ろしなさい。」

淡々と命令を下す彼女に命令に従ってゆっくりと脚を畳んで道の真ん中に巨体を伏せた。片腕が思い通りにならないため多少手間取ったがなんとか時間をかけてエヴェリンもその地に足を下ろした。

「じゃあ私はアンタを見張る。アンタは黙って私たちについてくる。それでいいわね。」

「え!?つれていくの?これを!?」

慌てて飛び起きたヘリオドールの腕を引っ張り寄せカルセドニーが苛立たしく耳打ち。

「野放しにして被害が出たら最悪でしょ!怪しい動きを見せたら即、殺。オーケー?」

「う、うん・・・。」

他のみんなにはボソボソと聞こえているだけで何を話しているかわかりません。

「大人しくついていく。おらにはまだやることあるからまだ死にたくないんだな。」

しまいには頭も尻尾も地に伏せる。こうしてみると案外可愛いと思ったのはアリスだけだった。

「さ、悠長してられないつったでしょ。行くわよ。」

皆の不安を拭いきれぬまま、一人の異世界からの迷い子と封印から解き放たれた凶暴とされる魔物を加え、世界を救う手がかりが隠された秘密の空間へ足を踏み入れたのだった。


アリス達は早速難関にぶつかった。


カルセドニーに連れてこられた場所は、林に囲まれた広い道の行き止まり、岩の壁にくり貫かれたように存在する薄気味悪い洞窟の入り口前。見るからに蝙蝠でも飛んでそうで、奥から吹いてくるひんやりとした冷たい風が頬を撫でる。

「ここは・・・?」

アリスが不安げに聞くとカルセドニーも呆れたように岩でできたごつごつとした壁を溜め息をついて見上げた。

「見ての通り、入り口よぅ。悪趣味だと思わない?」

皆が頷く。一同が賛成だった。

「モンスターの巣窟みたいですね。」

エヴェリンの独り言に一匹のモンスターは首を横に振り拒絶の意思を見せた。

「てゆーか、問題はあんたよ。」

手に持っている杖でヘリオドールの隣にぴったり添って座り込んでいる巨大な獣を指した。一方指された方は意味がさっぱり理解できず愛くるしい顔を傾げた。

「その白々しいのむっかつくわー。ほら、そのバカでかい図体じゃ入らないでしょーが!」

誰も想定外だった事態で無理に呑み込むしかなかったのだが、カルセドニーは自分の計算ミスを棚に上げてもう一度わざとらしく大きな溜め息を吐き出した。入り口は人間が入るぐらいの大きさはあったが、巨大な魔物はどうやっても入らない狭さだった。だからといって置いていくわけにもかない。

「心配すんな。・・・乗り気でねぇが、おまえらみてぇになることもできる。」

渋る一方で嬉々として喜んだのはヘリオドールだ。

「あはは、なぁんだ!君、姿を変えること出来るんだ。それなら都合がいいや。個人的には今の姿をもっと拝みたかったけどなあ。」

カルセドニーも一安心して笑みを戻す。

「・・・怖いって言わんでな。」

怖いと言う割りに愛着のある顔をしているのだから単に謙遜の言葉を述べてるに過ぎないとアリスも皆も信じた。腰を上げ、準備のできたバンダスナッチは目を閉じる。すると、青白い光に包まれ、其れはみるみるうちに姿形を変えた。光の塊は段々と縮小し、人の形に近づいてゆく。ずっと刺さっていた矢も地面に落ちた。光は消え、そして其処に現れるたのは、体格のいい男だった。

「可愛くないよおおおおぉ!!!」

ヘリオドールのひどく嘆き悲しむ声が響き渡る。それは直球すぎて、今さっきまで獣の姿だった彼の胸にダイレクトに突き刺さった。

「最初からどんなのを想像してたのよ。」

と、カルセドニーの一言はごもっともだがエヴェリンも微かに足を震わせながらりげなくアリスの後ろに身を潜める。対してアリスは案外今の姿に納得しているようだが、尻尾と思われし物が気になって仕方無く、そればかり見つめる視線が彼の疑心暗鬼を煽る。

「やっぱここにいる。」

見た目のごつさには似合わずとてもナイーブだった。すっかり落ち込んでしまい、後ろの樹の影に隠れようとしたのを慌ててカルセドニーが制止しに行った時。

「待って!!」

まさかアリスが男を呼び止めた。吃驚した一同が彼女の方を振り向く。何を一体どうしたのか、アリスは男の方へ大股で歩み寄った。

「大変!あなたその傷、思ったより重傷じゃない!」

彼の横脇、矢が刺さっていた箇所だ。ほんの気休め度包の包帯はほどけかけ、目も背けたくなるほど痛々しい生傷がのぞいていた。

「ジュウショウって、なんだ?」

事の重さを理解してない相手に構わず、アリスは古い包帯を強引に外す。

「消毒液なんてものあるわけないわよね。近くに水でもあれば洗い流せるのに、きゃん!」

一人焦るアリスの頭の上に何か固いものが落下した。

「これはなあに?」

拾うとそれは白いプラスチックの小さなボトルと同じく白いハンカチ、そして新しい包帯だった。

「消毒液アンド包帯プラス布みたいなの。私の魔法は万能なのよぅ?ヘンリーの部屋にあったやつを「喚んだ」の。」

「ていうかなんで僕の部屋にある物を把握してるの!?」

ヘリオドールの至極まともなツッコミをおいといて、アリスは手際よく応急措置にあたる。ここまでの怪我の処置なんかしたことがないが、なんとかそれなりにうまくできた。ガーゼがなかったので悪いとは思いつつハンカチを代理に使用した荒業を除けば自身の中ではほぼ完璧な仕上がり具合だ。 そーっと顔色を窺うがヘリオドールは気にするどころかむしろ彼女に感心を抱いていた。

「いーよハンカチは使い捨てだし。」

エヴェリンは言葉も出なかったぐらい驚いていた。

「ありがとう。」

アリスはほっと胸を撫で下ろし安堵した所で皆の所へ駆け足で戻る。おや?少しドヤ顔のような?

「・・・尚更諦めるわけにはいかねぇな。」

誰が聞いても意図が読めぬ一人言を呟きながらアリスの大袈裟な手招きに躊躇いつつ再び彼らの元に加わった。一行はようやく洞窟の中へ一歩進んだ。


柱のような先のとがった岩が天井から生えているが、中はそれほど狭くも低くもない。ただ、その先から謎の水滴が頭の上に落ちてくるのはとても不愉快だった。足場も悪く、とても歩きづらい。誰がこんなところに人が来ることを想定してつけたのか知らないが、明かりが所々に置いてあった。おかげで視界は鮮明で、暖色の光が緊張感を多少和らげてくれる。

「ひええぇ!?」

そんな中で一人、過剰に反応するエヴェリン。よく見たら一行の中で露出している部分が多いのは彼だ。肩が濡れている。

「もうそろそろ慣れたらどうなの?」

後ろを歩くアリスも何度も見る光景にうんざりしていた。彼女の手は、男の尻尾と思われる毛の塊を掴んでいたが、当の本人は全くの無反応だ。

「バンダスナッチさんは犬?熊?尻尾触られても平気なの?うふふふ・・・ねえ?」

今度はエヴェリンが引き気味に眺めている。

「アリス、涎出てます。」

「はっ!私としたことが。」

大抵の動物は尻尾を触られる行為に不快感を示すため、これほどまで堪能できたことはない。しかし、そこにいつもの気の強くしっかり者のお嬢様の姿はない。慌てて袖で拭う様もなんとあられもないことか。

「バンダスナッチと呼ばれた化け物だが・・・おらにはハ・・・アレグロっつ名前があるけぇ、そっちで呼んでくれ。」

「白妙。」

突如、カルセドニーが意味不明な言葉を漏らす。

「村を捨てて逃げたおらに名乗る資格は・・・待て。なんでその名前を知ってるだ?」

隣でヘリオドールも難しい顔をしてる中、カルセドニーは白々しい素振りを見せる。

「あらぁ?テキトーに言ったら当たっちゃったわ!ごめんなさいねアナグロさん。」

問いたいとは他にもあったが、ろくに相手にされそうにないとなんとなく目に見えていた。

「アナログさん?」

更にアリスは聞き間違えてしまう。

「アナログでも穴蔵でもねえ・・・えっと、アレグロだ。」

似たような単語があっちこっちからひっきりなし飛んでくるせいで本来の名前が正しいのかどうか混乱した。そのまま五人は洞窟を奥へ奥へと進んでいくと、分かれ道にさしかかった。

「道が二つにわかれているわ。」

見たまんまをアリスが呟く。

「そうね、二つにわかれているわね。目的地か、地獄か。こっちよ。」

復唱しては物騒な言葉を言いながら迷わずカルセドニーは右の道を選んだ。曲がってやっとその道の向こうが見通せるわけだが、カルセドニーとほぼ同時に曲がったヘリオドールは「ただの道」なはずなのにこの世の絶望を一気に集めたぐらいの悲鳴をあげた。

「地獄じゃないかあああああ!!!」

素早くカルセドニーの後ろに隠れる。道の奥にいたのはアリス達を恐怖に陥れたあの巨大な花とそこから下が四肢、胴体となっている異形の化け物だった。エヴェリンは目をひんむいて口をぱくぱくさせている。

「僕、触手とか苦手で、イカとかタコとか生で見るのは無理なんだ。うぅ、気持ち悪い。んぎぇっ!!」

かがたがたと震える大の男にカルセドニーの容赦ない蹴りが入った。化け物は大人しくこちらの方をじっと見下ろしている。一匹が幅もあるものだから気付かなかったが後ろで違う色の花弁がゆらゆらと動いているのが見える。一体何匹いるのだろう、考えたくもなかった。

「ひいぃ襲われちゃうよお・・・。」

先程の威勢や呑気な笑顔はどこへやら、立ち上がることすらままならないヘリオドールは蛇に見込まれた蛙のよう。アリスもエヴェリンも、彼ほどではないが、不安を隠しきれないでいる中、アレグロは石像のごとくじっと突っ立っていた。

「こげなもん見たことねぇ。」

もっと間近で見てみたい欲を抑える。

「地下には陽の光が届かないからねぇ。」

カルセドニーが杖を上に挙げる。化け物の頭上に赤い光を帯びた小さな魔方陣が現れた。アリス達はきっとその魔方陣から雷でも落として化け物を一掃してくれるのかと期待した。しかし、そこから出てきたのは数体のマンドラゴラだった。

「な、なんか出てきた!?」

マンドラゴラはいっせいに化け物に喰いかかる。

「うわ、これを人は猟奇的というんでしょうか。」

エヴェリンは不愉快だと目を斜め下に逸らす。胴に当たる太い茎を曲げて地に頭をおろし、花で隠れた中から咀嚼する音が聞こえるのは異形というより異様、または異常だった。

「共食いはどこでもよくあるんだな。」

二人はアレグロの信じがたい発言に肝を冷やす。そもそも、共食いなのだろうか、あれは。

「アイツらは私たちどころではないわ。こっそり抜けるわよ。触手プレイの餌食になりたかないでしょ?」

エサに夢中な化け物の脇を、カルセドニーと吐き気をこらえているヘリオドールに続いて通り抜け、阻むものがなくなった道を歩いた。


<第一関門「知苦労道」>


道は行き止まりに差し掛かった。そのかわり、鉄の頑丈そうな扉が皆を待ち構える。

「しる、しるくろうどう・・・?」

扉にはそう掘られていた。これを翻訳できるのはこの中ではアレグロただ一人のみだったが、何らかの意味を成す言葉だとしても聞いたことがなかった。

「しるくろうどう?んな言葉初めて聞いたべ。」

唯一解読できた者が頭を悩ませる。

「シルクロードなら学校で習ったわ!」

「僕は習ってないです。」

そもそも住んでいる世界が違うのだからこれから習うことも一生無いだろうと自信なさげなエヴェリンを横目にアリスは苦笑いをした。

「白黒だろうが労働だろうがなんだっていいの。ほらちゃちゃっと進むわよっと。」

そう言いながらカルセドニーは扉を前に片手で押して開く。一瞬手元が光ったが誰もそこまでは気づかなかった。


扉の先にはまさしく本当の地獄のような景色が広がっていた。チェス盤を模した赤と白の市松模様の石で構成された床がり、その向こう、また先程のものとそっくりの鉄の扉があるのだが・・・床と扉までの道がない。というか、床も宙に浮いているし。更に、皆が地獄のような景色と形容したの道の下だ。


岩漿の海の底。マグマが泡を立てて煮えたぎっているのだ。地獄のようなというより、完全なる地獄。

「灼熱地獄ね!落ちたら跡形もなくなっちゃうわ。」

そんなアリスは隣で歯を震わせ挙動不審に後ろを何度も何度も振り返るエヴェリン。ヘリオドールとアレグロはフリーズ。ただ一人、余裕綽々のカルセドニーが足を下ろす。

「ここにいたってどうしようもないでしょ。」

後にアリス、みんなも続く。

「ん?気のせいですかね。」

足がついた瞬間、その床に円形の青い光があらわれた。両足でついた時だった。

「うわああぁ!?」

一番後ろから聞こえるエヴェリンの悲鳴に全員の視線がそちらに集まった。

「どうしたってのよ!!」

やたら癇癪を立ててカルセドニーが声をあげると自身の足元にも同じ光が出現する。

「光ったところは落ちます!」

「ちょ、嘘でしょ!?」

慌てて隣の床に退けると、さっきカルセドニーの立っていた床は光に包まれ消えてしまったのだ。

「どうなってるの?」

急に不安が立ち込めるアリスに追い討ちをかけた。

「大変です!!扉まで消えてます!」

エヴェリンの言う通り、さっき開けた扉が最初から存在しなかったみたいになくなっていた。

「セドニー、どうするのさ、僕らこのまま落ちるのを待ってろって言うの?」

一行の不安をより煽る質問を投げる。床が落ちていくなら余裕もへったくれもあったもんじゃない。


『ヨウコソ!灼熱ノダンスステージヘ!!』

何処からかやや低めの男の声が響いた。

「なぁぁぁにがダンスステージよ!これ、どういうこと!?」

『ヨウ、クソババァ。黄色ク光ッタパネルヲ踏ンデバイケバワカルゼ。点滅シタラスグ消エルカラナ。精々ガンバリナ、バイバーイ。』

姿が無いためわからないが、謎の声はそれっきりしなくなった。

「だ、誰がクソババァよ・・・!」

カルセドニーの拳と肩と背中が怒りのため小刻みに震えている。早速黄色い円形の光が顕著した。

「えっ、あああんなところ!?」

二つパネルの向こうが最も近いときた。だがぼーっとしてるとすぐにまた光は点滅を始める。ヘリオド慌てて離れたパネルまで駆ける。

「どんどん足場がなくなっていくのか・・・。」

振り向けば確かに、自分が立っていたはずの

パネルがもう無くなっていた。こうやってどんどん削られていくのだ。

「でも離れた所なら別にそこまで行かなくても今いる所からのいたら。」

それを聞いていたアリスが「なるほど」と相槌を打って三つ向こうのパネルが光ったのでひとつ分だけ進んだ。だがそのような怠惰は許されない。

「きゃっ!?」

足元が青く光りだしたから点滅したパネルへ走ると二つ分なくなっていた。チェス盤を動き回る駒のようだ。

「何処かに「落ちない」パネルがあるはずだわ。」

カルセドニーは一人思考する。自分のいるパネルが青く点滅しているにも関わらず、動こうとしなかった。みんなは彼女どころではない、自分の足場でいっぱいいっぱいだが、唯一気づいたヘリオドールが声をかけようとしたが、パネルは消えることなく「正解」と言いたげに赤い輪の光をチカチカさせた。

「――――なぁるほどねぇ。」

残った道を確認すれば、うんうんと頷いた。

「ヘンリー!ストップ!」

ヘリオドールはかなりの動揺と困惑を見せる。彼のいるパネルも間も無く消えてしまいそうだ。

「なな何言ってるんだよ!僕に死ねっていうのかい!?」

「うん!と言いたいとこだけど残念、死なないからじっとしてて。」

間髪いれず不条理な命令を下した。

「いや、死ぬから!・・・うん?うんってなんだようんって!!」

一筋縄で行かないことも予想していた。だからこそ論争に夢中にさせる手に出る。

「死にやしないんならちっとは世のため私のために役に立ったらどうなのよ!」

まんまとカルセドニーに乗せられたヘリオドールも穏やかではない様子だ。

「世のために散々貢献してるつもりだよ僕!募金だってしてるよ!大体君は・・・。」

滅多にお目にかかれない彼の激昂も、ふと足元を見遣る、と頭にのぼった熱い物も段々と冷えていく。

「なんだいこれは。赤丸?落ちないよ?」

それにより直感的な勘が、冴えて絶対的な自信に変わる。

「クイーンはルークとビショップの二つを合わせた動きをするんだわ。まさしく私達のための仕掛けね。」

そうとわかればカルセドニーは自分とヘリオドールのいる位置から瞬時に安全区域を割り出した。

「アリス!前へ三つ進んで。そこのベレー帽は左に二つ。アレグロあんたは・・・えっと・・・右斜め前!そこが「正解のパネル」よ!」

三人は命がけだ。正解という言葉を信じて、指示された通りに進むと。青い光が赤に変わった。それっきり、パネル全体が光ることもなくしばらく形態を維持する。

「やったの?」

ヘリオドールが怖々と下の燃え盛る溶岩の海を覗く。次の瞬間、周りのパネルが突如前触れもなく崩れ落ちていった。「落ちない正解のパネル」は皆がいる地点を含め落ちることはなかった。最終的に残ったのが縦、横、斜めの端から端までの直線状。何かに似ている形をしている。と、アリスが思った矢先のこと。パネルが一際眩い光を灯し、更には枝分かれして伸びていきそれぞれから放たれた光へと繋がる。道ができて、向こうの扉へとつながった。

「まるで雪の結晶みたいね。」

溶岩が一瞬にして雪崩の如く速さで凍り、あっという間に全面を銀盤へと姿を変えていったのだ。無くなった扉も最初見た通りに戻っている。

「なにが起こったのでしょうか・・・。」

急に冷たい風が露出した肌を撫で寒さゆえに身を震わせながらエヴェリンは扉を茫然と見つめている。彼に対して身動きも表情も変えないアレグロはもはや石像のごとし。

「へっぶくしゅん!!これ、チェスでいうクイーンの進み方だね。」

溶岩の海だったものをいまだ覗きこむヘリオドール。派手なくしゃみにもっていかれて誰も聞いちゃいなかった。

「なにがシルクロードよ。クソ簡単じゃないの。」

とカルセドニーは言ってくれるが、ほぼ彼女の独断専行により万事解決したといっても過言ではない。

『ケケケケケ、コングラッチュレーション!!』

例の声が今度は空中から聞こえた。赤いビー玉に柊の葉っぱに似た羽がついており、宙をふわふわと浮いている。おそらく、声の主はそいつだが運悪く側にいたアレグロに片手で捕まえられてしまった。

「なんだこいつ、虫か?」

『虫!虫トイワレタラ虫!オマエラハ虫ケラ!!ケケケ・・・ギエッ!』

羽をつままれ宙ぶらりんの奇妙な虫をカルセドニーは真顔で奪い取り、そして顔を全く変えずに口が減らない虫の羽をむしり取って、氷の地面めがけて叩きつけるよいに勢いよく落とした。

『ンギャハアアアアアア!!!』

小さな体に合わず壮大な絶叫と共に落下していったがやはり虫は虫程度の軽さしかなく、地面に身を打ってもこの距離ではおおよそ聞こえない。哀れな最期だ。

「あーすっきり。寒い寒い。早く進むわよ。」

手をはたき清々しい笑顔で扉を開けるカルセドニーを、皆がどんな視線で見ていたかなど本人は知らないし知ろうとも思わなかった。


第二関門「genius」

扉の反対側に書かれていた。最初に気付いたのはアリス。「genius」とは英語で天才の意味だが、今度はアレグロただ一人読むことが出来なかった。

「ジーニアス。頭を使うんでしょうか。」

「私はなぞなぞのほうが面白くて好きよ。それに得意なの。」

自慢気に話すアリス。

「じゃあ僕にひとつなぞなぞ出してみてよ。」

突然間に入るヘリオドール。

「パンはパンでも食べられないパンは?」

エヴェリンは脳内でフライパンを真っ先に思い浮べたが、わざと悩むふりでもしてたヘリオドールも結局答えは同じ。

「んーとフライ・・・。」

「腐ってカビの生えたパンに決まってるでしょ。」

カルセドニーがヘリオドールの答えを遮った。これにはアリスも意外としかいいようがない。

「言われてみたらそうだわ、でも。」

その時カルセドニーは口角を上げて余裕の笑みを浮かべた。

「(fry)フライって揚げてるじゃない。あげパンは食べれるわよぅ。」

ヘリオドールは首をかしげる。アリスとエヴェリンは顔を見合わせ「そういうことか!」と声をあげた。これはアリスもしてやられたもんだ。

<ですわよ!!>

「きゅ・・・急になんですか?」

ビックリしたのはエヴェリンだけではない。

「今のは私じゃなくてよ。」

いくらなんでも突拍子過ぎる、そもそも少女の声だがアリスのものとは違う。聞いたこともないキンキンとした声、それはカルセドニーの目の前に現れた蝙蝠が発していた。

<をーほっほっほ!ご機嫌麗しゅう。>

先程のとはうってかわって礼儀はちゃんとなっていた。

<私の名前はアドゥールCと申しますの。貴方達のお名前は結構ですのよ。じきに死んでしまう者の名前など覚えるだけ無駄ですもの。>

蝙蝠の名前を覚えても仕方がないのだが。

「アドゥールC、ならAやBもいるのかな?」

とヘリオドール。

「蝙蝠じゃ見分けがつかないわ。」

続けてアリス。

<AもBもいませんわ。私は私だけですことよ。>

ご親切に二人のジョークにも返してくれる。そんなカルセドニーはこのまますんなりと通してくれるわけにはいかないのだろうと落胆していた。

「ただで死なせてくれやしないんでしょーが。」

その通りと言いたいのか蝙蝠が円を描いて飛び回る。

<せいかーい!あの向こうの方、行き止まりになっているでしょう?>

確かに、壁で塞がっているのがわかる。

「そうねぇ。で?まさかそれだけではないでしょう?」

扉の文字を思い出しながらカルセドニーが問い詰めた。

<当たり前ですわ~。私が出題するなぞなぞやクイズに見事正解したら次の道へ進むことが出来ましてよ。た・だ・し。誰かさんみたいにそう甘くはいきませんことよ。>

どこか不吉にも聞こえる言葉。お約束のように、良くない事が起こる前兆として、地震が空間を縦に揺さぶった。

「な、何よぅ・・・もう。」

「地震?つ、机の下、大変だセドニー、隠れるところがないよ!」

いつか習ったノウハウは条件を満たす物がなければ役立たず。

狼狽えきょろきょろし始めるエヴェリンは見てしまった。

「大変だあああああぁぁ!!!」

遥か後ろを指差して喚き散らす。皆も一斉に振り向いたら吃驚仰天。なんと、道いっぱいの大きさの真ん丸い岩の塊がアリス達の方へ向かって転がってくるのだ。何処から現れたかわからない、下り坂じゃあない、なのに迫り来るにつれ速さも増している気がする。皆が皆、身の毛もよだち顔から血の気が引いた。そうこうしている間にも岩は至近距離にまで近付いてくる!


揃って一目散に逃げ出した。


「うわあああああああ!!!」

腕をへし折られる怪我を折っていても逃走本能はずば抜けて高いエヴェリンと、見た目によらず異様に足が速いアレグロの後に必死にアリスはついていった。彼女も速い方だとはいえ身体能力は少女の平均並だから追い付くのが精一杯である。そんな彼女の腕を引いて走るのはヘリオドール。一行を差し置いてカルセドニーは杖を箒にかえてそれに跨がり飛んでいる。

「セドニー、はっ、お前、魔法であの岩どうにかできないのかよ、ッ!」

穏やかじゃないのは呼吸だけではないようだ。

「飛んでるから無理☆」

とふざけたように舌を出しながら茶目っ気を醸し出してみるも実際は本当に無理なのである。まず炎でどうにかしようと試みても失敗したら火だるまとなり倍の危険度を増す。砕いたら破片が転がり、吹き飛ばそうにも対象の勢いと重さによる。いずれにせよ詠唱に集中できないため成功率にも期待できない。

<第一問ですわ~。ぺしゃんこになるまでに正解してくださいな。>

蝙蝠の姿はなかった。楽しそうな声だけが聞こえる。

<バラとユリが競いあいました。果たして負けたのはどっち?>

「はぁあ!?・・・パス!私こーゆーの苦手!」

カルセドニーはどうやらなぞなぞは「範囲外」らしい。考える時間も惜しいがパスといったルールはない。

<誰が答えてもよろしいですわ。ほらほら早くしないとぺっちゃんこになってしまいましてよ、をーほっほっほ!>

急かし、煽られ思考がとっちらかる。壁はもう目の前だ。

「バラ!バラだわ!負けはloseでバラもroseだもん!」

そこでアリスが声を張り上げて答えると、壁は真上に上がり道へ続いた。

「さすがですアリス!」

仲間の称賛にいちいち返す余裕はない。今ので更に息が苦しくなる。

<第二問ですわ~。ほくろがついている動物はなーんだ。>

「豹よ、豹しかいないじゃない!」

しかし、アリス。それはほくろではない。

「シマウマだよシマウマ!」

それも違う。ヘリオドールは完全に混乱していた。

「あぁもうわからないよおおお!」

「あっ、僕わかったかもしれません。自信ないけど・・・。」

泣き言とを喚く兵士の後で一人呟くエヴェリンに「関係あるか!!」や「早く言ってよ!!などといった怒号が沸いた。

「ひっ!ほくろもモグラもmoleなので、モグラではないでしょうか!?」

二回目も壁が開かれる。正解だった。

<をーほっほっほ。ではお次はクイズでいきますわよ。第三問、常温で唯一液体の金属・・・。>

この程度ならエヴェリンはお手のものだ。

「水銀です!」

だが扉は開かない。

<・・・の沸点と融点は何度でしょう!>

予想外すぎた。名前は一般的に知っていたとしても誰がそんなところまで常時覚えてるというのだ。

「えええぇ、そんなあ、おしまいだあああ!!」

お手のものどころかお手上げである。他の面々に至っては世界が違うレベルの問題だ。

「融点はマイナス38.9、沸点は356.7!」

まさかのヘリオドールがあっさりと答えてくれたおかげでギリギリだがゲームオーバーを免れた。

「なんでそんなことしってんの?。」

カルセドニーは若干引いていたがヘリオドールはもう慣れだした。

<まだまだいきますわよ~。>

岩との距離はかろうじてやや離れたものの、皆の体力は徐々に限界に達してきている。終始全力疾走なのだもの。特に、一人の少女には大変堪えていた。

<第四問ですわ~。不死鳥は実は死んだことがあるのになんで不死鳥って呼ばれているんでっしょ~か!>

「え?死んだことがある?」

さっきは何も言わなかったのにエヴェリンは思ったことをつい口から漏らした。

「簡単だべ、死んでは生まれ変わりの繰り返し。そうやって永遠の時を生きてきた。」

活躍なしかと思われたアレグロがさりげなく解答を述べる。

<微妙なとこですが間違ってはないので正解にしますわよ。>

怪壁は上がったため正解を当てたのは間違いない。エヴェリンは内心、穏やかではなかったが。何も彼のことだなんて一言も言っていないのに。

<あらやだ、ずっとそばにいるのに案外知らないんで、おっと。それでは第五問ですわ~。大昔、ジャバウォックを倒したのは一人の勇者ですが、彼に加わった仲間のうち、今も生きているのは何人?>

「いないよそんな大昔の!僕のご先祖がそうだって言われてるけど・・・。

<・・・。>

音沙汰無し。壁は開きそうにない。

「バカねえ!一人いるわよ!魔女が!そうよね?」

カルセドニーの答えもやけくそかと思われたが、道を隔てるものは消えてなくなった。正解だ。真実が明らかになるたびに新たな疑問が増える一方だが。

<うふふ、そうですわね。では、第六問!>

一体いつまで続くのかと、途方に暮れそうだった。

<卵はなんて言って泣くでしょう。>

ここで急になぞなぞに切り替わった。出題者ことアドゥールCは質問により時々こちらをからかっているみたいで、耳を済ませばクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。

「卵が泣くわけないわ、なめてんの?」

「それ・・・ひっ・・・たら元も子もないよ・・・っ。」

ヘリオドールは酸欠に近い状態になっていた。まだマシな方だ。アリスもエヴェリンもただ走り続ける機械のようになりつつある。アレグロだけは延々と走っていられそうだったが。

「卵は・・・egg・・・卵はegg・・・。」

アリスは譫言を呟く。もう誰も彼も限界なのだ。嗚呼、ここで迫り来る恐怖と、耐えがたい苦痛により死んでしまうのか。ひょんなことで迷いこんだ異世界で未練を残したまま死んでしまうのか。だが、諦めたくない。この一言で生涯を終えたくないが、一割でも可能性があるのならそこに奇跡を信じたい。ありったけの祈りと希望を賭けて半泣きだがやけくそにアリスは叫んだ。

「た・・・た・・・卵が泣いたわ!エッグエグーなんつって~~~!!!」

その瞬間、壁に歯車の形をあしらった複雑な紋様の魔方陣が現れた。そして、シャッターみたいにガラリと開かれる。なのに、道はない。

「うわああああ!?」

急に宙に浮いた不思議な違和感を覚えた束の間、重力に忠実な身体はそのまま勢いよく地面へと投げ出され折り重なるように落下した。






――――――………







所変わって此処は地下帝国。


「ただいま帰りました、ジャバウォック様。」

燃え盛る炎の羽を背中から広げ火の粉を舞い上がらせながら地に降り立ったのはジャバウォックの忠実なる下僕であるビバーチェだった。ジャバウォックが居た場所は墓地。長き間己の身を納めていた棺がそのままの位置で置いてある。他にも、ビバーチェを含む同志、家族、友人と地下帝国の多くの住民の棺もあった。蓋が閉まって十字の杭が刺さっているものは二度と生き返ることのない者が眠る棺。この棺の蓋が再び開くこともない。

「随分と早い帰還だな、ビバーチェ。ということはつまり、答えを聞いてきてくれたのだろう?」

ジャバウォックは彼女に背を向けたまま低く通る声で訊ねるとビバーチェは羽をしまいその場で静かに跪いた。

「はい。我等を封印から解き放った類い稀なる力を持つ少女は、ジャバウォック様の望みを拒否なされました。」

そこに普段の面影は全くない。胡散臭い口調と常に落ち着きのないのビバーチェも主の前ではこうも変貌してしまう。別に取り繕ったわけではなく、本心だ。

「ご苦労。貴様は実に優秀な部下だ、毎回私の期待通りに動いてくれる。しかし、だ。言われたことをするだけならガキでも出来る。そうだろう?」

ビバーチェはただ傅くのみ。

「・・・私は一体、どこから間違えたというのだ?」

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