私が守りたかったもの

最果ての舘。これはあくまで名称のうちの一つにしか過ぎないが、きっとこの名前が数ある中で最も妥当だろうと館の主は扉に「最果ての舘、主居る、ノック必須」と書いた札をかけていた、が。そこを訪れた来訪者はノックをすることなく堂々と扉を開けた。


「おい、そこの人でなし。」

開口一番の罵倒を奥で縮こまっている小柄な背中に向かって挨拶をした。後ろからアリスも様子をうかがうが数えるほどもあっていないからかやはり「自分と瓜二つの別人」には慣れない。

「・・・ノックしない者に話す言葉などない。」

椅子の上に体育座りをしている。まだ彼は背をこちらに向けたまま見向きもしないた対するシフォンは悪びれることなく陽気に話しかけた。

「今話しかけたじゃないか、ジョーカー。」

さすがに機嫌を損ねたのではないかとアリスが間に入ろうとすると、ジョーカーは椅子ごとくるりと半回転してこちらを向いてくれた。彼らしい、気取った笑顔で。

「やあやあ久し振りだねぇお二人方達!特に百番目!まさかわざわざ君から顔を見せてくれるとは!何する?ババ抜き?」

相変わらずのマシンガントーク。同じ時間を設けた上で普通の人と比べると口から出る言葉は倍はありそう。

「ほう。自虐ネタときたか。確かに君なんかもらってもちっとも嬉しくないもの。」

アリスが喋ろうとしていた「ジョーカーだけにババ抜きなの?」などの冗談はシフォンのせいで言わずじまいに終わった。

「ははは、まあそう言わないでおくれよ。本の栞ぐらいにはなるだろう?」

「普通に普通の栞を使うから結構。」

悉く笑い飛ばすジョーカーと適当にあしらうシフォンはまるで古くからの長い付き合いのように見えなくもない。他人も同然のアリスが入る隙はなかった。

「あ!そうだわ!」

アリスは此処へ誰かを巻き添えにしてまで遊びに来たわけではない。二人のペースに乗せられて肝心要のことをうっかり忘れかけていた。

「私、ジョーカーさんにお願いがあってここに来たんだわ!」

本題に切り替えた時、ジョーカーの顔から笑みが消えた。最初から目的があって訪れたことはこの場所を訪れた時点で把握していた。

「私に頼みがあるのか。お家へ帰りたくなったかね?」

アリスはおもいきり首を横に振った。

「違う、違うわ!大変なの!お隣の相対の国が淘汰の国を奪い合おうとしているの!」

両拳を胸の前に握り声を張り上げて訴える。残念ながら焦る余り一番重要なところを言い間違えたためジョーカーに鼻で笑われた。

「フッ・・・そうかい。それで?」

「それで・・・って?」

机に頬杖を突いてこっちを無表情で見つめる。アリスは答えに吃り右往左往と目を泳がせた。一大事をどうやって食い止めたらいいか、具体的な案も特に無く、こちらが提示を求めたいぐらいだ。

「そ・・・それでって言われても・・・。」

「君はどうしたらいいと思う?」

どうにかしてほしいの一点張りしか出来そうにない。先生にあてられ皆の前で立たされた時に似た緊張感と妙な息苦しさに襲われる。助言を貰いたかっただけなのに。

「すみません。全く思い浮かびません。」

溜め息つきながら、とうとう白旗を上げるアリス。

「ならしょうがない。私にもどうすることは出来ない、まことに残念だ。」

ジョーカーは彼女に助け船を出すどころか椅子を足で回して背中を向けてしまった。そして、子に手を伸ばし片手で中をまさぐると一個のシュークリームを取り出して早速口へと運ぶなど、人の話に真剣に耳を傾ける様子ではなかった。

「ならばこんなところに最初から来ないだろう。答えは解くものだけではない、求める答えだってある。」

アリスの一歩前へ出て彼を説得しようと試みるシフォンも、気障ったらしい言動や澄まし顔とは裏腹に内心彼も穏やかではなかった。

「・・・君達は勘違いしているね?」

あらゆる事象全てを達観した瞳が二人を見下ろす。

「勘違い?」

二人は、何をどう拗れたまま脳に叩き込んだか見当も付かない。彼は饒舌に語りだした。

「確かに私は世界を作った主である。かといってそれだけである。私が動くのは基本的に「世界そのもの」の異変が起こった時。世界の中、基盤の上、脇役を含めた登場人物もとい人間共が勝手に起こした事にいちいち干渉してたまるものか。貴様ら、私をなんだと思っている?私は神のような都合の良い存在ではない。」

彼はさほど早口ではないのに、息継ぎすらしていない。

「つまりアリス。自業自得だから私は知らない。と言っているのさ。」

若干嫌味を込めた言い方だがジョーカーからの異論はなかった。

「私は何でもない。世界の創造者を神と呼ぶならまた私もそう呼ばれているのみ。ジョーカーというのも仮の名の一つ、私には名前などない。おっと、話が逸れてしまったね?なんの話をしていたんだったかな?」

本当に忘れてしまったのかわざとなのか、いつのまにかこっち側が忘れてしまいそうだ。これだけ聞いて、なんとなく良い返事は貰えないと思い知らされる、それでもアリスは駄目押しでもう一度強く意思を主張した。

「あの・・・お願いします。私、あの国から色々なことを教わったり友達も出来たの!私が必ず守る、だから、どうしたら・・・きゃあああぁ!!?」

突然、アリスの足元に真っ黒な穴が現れ、そのまま彼女は無防備に落下していった。

「アリス!?」

吃驚するも当然、傍にいた人影が一瞬で姿を消したのだから。だがシフォンが気付いたときには穴は収縮し、ただの綺麗に磨かれた床に自分の影が伸びていた。落ちていく悲鳴すら聞こえない。ジョーカーのことだ、穴に落としたと言うよりは其処を通して外の世界に飛ばしたのだろう。だが、これもまた彼らしく何処へ彼女を向かわせたのか、或いは何かしら余計なことをしでかしたのではないか。気まぐれで掴み所の無い彼の行動は誰も読めやしない。

「考えない奴は嫌いだ。」

自分でまず考えることをしなかったのが気に入らなかったようだ。

「・・・・・・。」

シフォンは顔にはあらわれぬ苛立ちを募らせていた。悩んで、迷った末、救いを求めて来た者に対しての仕打ちとしてはあまりにも冷酷極まりない。

「危ない場所に落としたりはしないさ。おそらくね。さあて。」

今度は椅子を勢いよく回し、面と向かっては机の上に足を乗せて更に組んだ。わざとらしく音を立てる。何故か、今の話を語っていたとは思えない、思いたくないぐらいの笑顔だった。

「君はまだ私に聞きたいことがあるのではないかな?」

疲れきった様子で下を俯いていた所を思わぬ意表を突かれ、顔をあげたシフォンの表情は例えるなら鳩が豆鉄砲喰らったよう。

「僕はアリスの付き添いに来ただけで・・・。」

「そのアリスともう一人が何故再びやってきたか。」

途中で割り込む。しらばっくれるつもりはない。だってその通りのだから。だが、いつかは聞かなくてはいけない大事なことでもあった。有り難いことにアリスも「もう一人」もこの場にはいない。

「・・・なぜ、アリスとシュトーレンは再びこの世界にやって来た?消したはずの記憶も蘇っている。」

シフォンの問いにジョーカーは足を下ろすと同時にそのまま席を離れ、時代に問わずあらゆる世界を映し出すことのできるアイテム、走馬鏡の前に立った。

「これについては私は一切干渉していない。本当さ。記憶が戻ったことだって驚きだ。あー、ほんとにびっくり。なにがおこったかさっぱりだ。ま、これを見てくれ。」

どこか棒読みに聞こえるのは気のせいだろうか。そんな彼が手を触れると、大きな液晶に極彩色が混ざり合う。するとジョーカーは何を唐突に、懐から一本のナイフを取り出し、わざとらしくちらつかせる。

「そのナイフは?」

それさ随分と鋭利な刃だった。

「とある殺人鬼のものさ。ガナッシュ・ジェノワーズ、男性、年齢は不詳だがおそらく10代後半。出身も現住所も不明。幸せそうな者ばかりを獲物にし、彼はアリスも殺そうとした。」

まるで昔話を語るよう。シフォンにしてみればとんだクズ野郎の出生が、一体なんの関係のあるのだろう。更に聞き捨てならないのが、最後。彼はアリスとは無関係ではないということ。会話の途中、走馬鏡が映像を映し出した。広い庭、白い壁の家。うろついているのはフードを深くかぶるいかにも怪しく浮いた男性。

「こいつが例の殺人鬼だ。不要な部分はカットしよう。」

突然の砂嵐。次に流れたのは建物の中。慌ただしく駆けて玄関の扉を開けるアリス。そして・・・。


男と揉み合っているアリスと男は鏡の中に吸い込まれて、二人して違う場所に飛び込んでしまったのだ。ただ、アリスを襲っていたはずの男はいない。代わりに現れたのがシュトーレンだった。シフォンは数々の非現実的現象を目の当たりにしてきたが、そのどれよりも衝撃的だった。なにより、心臓に直接食らうような感覚だった。

「混乱してるのかい?君が厄介払いしたアイツは別の世界で別の存在として過ごしていたのに、何かの問題が生じて再びこの世界に戻ってきたというだけのことなのに。」

「・・・。」

丁寧親切に説明してもらってもわからないことだってある。頭と心のキャパシティは必ずしも同じではないのだ。

「戻ってほしくなかったか?」

そういうことを聞いてほしいわけではないのに。でも、いずれは来るだろうと思っていた。もう少し時間が欲しかったなんて、きっと言い訳にはならない。ジョーカーがもう一度画面に手を触れるとカラーノイズが荒ぶる砂嵐に変化した。

「別に構わんよ。事が終われば彼も元の世界に戻そう。シュトーレンは消えることになるが。」

「・・・ああ。」

沈んだ目、口以上に、震える程力を込めた拳に気持ちが表れていた。気持ちが表れていた。

「シュトーレンをこの世界に残すこともできるのに、「あってはならないこと」のためにあんなクズを選ぶのかい。君はおそらく「相手が誰であれ存在を消した事」に耐えられないから、せめて正しい方を選びたいのかもしれないねぇ。」

甲高い足音を鳴らして、一歩、また一歩。机に腰をかけて、足を組んで座る。いちいち落ち着いて話せないものか。

「君は何を言いたいんだ?」

ジョーカーは笑ってこう言った。

「選択肢の前に苦しんでいるのは君だけではないのだよ。」

ナイフを一振りすると万年筆に変わって、ペン先で机を三回叩く。


しかし何の音沙汰もない。


「・・・出てこい。お前の言葉も聞かせておくれ。」

誰に向かって話しかけているのか疑問を抱くのもほんの刹那。机の下から姿を現したのは、シュトーレンだった。怯えた目だ。


そんな目で見られると、改めて自分が彼に対してどれほど罪深い行いをして苦しめてきたか。だって、シュトーレンはこっちの都合に振り回され続けて挙げ句の果てには存在がとか刺されてしまうかもしれないのに。彼はそうされるまでの過ちを犯したというのだろう。綺麗事を並べたこともあったが、ジョーカーの「厄介払い」は間違っていない。


「・・・俺は、どっちでもいいよ。」

ぼそぼそとしか答えてくれないが、他に物音がしない空間ではよく聞こえた。でも、無理やり口の端を持ち上げて目の泳ぐぎこちない笑顔では本音には聞こえない。

「じゃあシフォンに任せるか。」

時間もなければ彼に情はない。いざ決めれば、すぐにでも実行に移すのがジョーカーだ。迷いが増すとしても、せめてまだ隠しているはずの本音を聞き出さないと、

「シュトーレン!それがお前の本音ではないだろう!」

「俺の意見なんか関係あるのかよ!!」

本当に腹から出したような、なのにどこか掠れてザラついた声だ、震えてさえいる。なぜなら、まともに話すのさえやっとだからだ。いま、感情的になったら、箍が外れたみたいに泣き出してしまいそうだった。なのに。


「・・・なんとなく気付いてたんだ、お前にとって俺は邪魔なんだって。久々に会ったとき、忘れてるフリしたんだ。お前にとっても他人になってしまえば、会わなくなれば、なんとかなるかなって・・・でもそれも無駄なんだろ?なら、二度と会えなくなる前に謝るよ。」

でも、なぜかひどく落ち着いていた。話し方はどこか他人事だった。対してシフォンは冷静でいられなかった。相手は自分が思っている以上に理解していたのだ。

「あっちに戻ったら、俺じゃなくなって、アリスを殺してしまうかもしれないのか?」

振り向いた先にある液晶はざーっとした音と見るものを不安にさせる不気味な砂嵐が流れたまま。シフォンは当然望まない、彼女がそうなる結末だなんて。シュトーレンも同じ。誰だろうと殺したくない。

「俺さ、前より少し良い子になれた気がするんだ。ほっといてもきっと大丈夫だから。他人でいるから、もう会わないから・・・。それでも、ダメなのか?」

優しい彼はそこまでして誰も手にかけたくないし、本当はここにいたいんだ。もう傷付いてほしくないという自分勝手な優しさは、相手を嘘をつかなくてはいけなくなるほど追い込ませて、心を擦り減らせていた。


さあ、シフォンの選択は・・・。


その時、シフォンの足元に大きな穴が出現した。

「う、うわっ・・・。」

悲鳴を上げる間も無く、足場を失ったシフォンはそのまま落下して、やはり穴は一瞬で閉じた。シュトーレンが慌てて駆け寄るけど時はすでに遅し、なんにもない床に膝をついて茫然としている。

「もうそろそろ避難が始まったようだから戻したぞ。場所は城だ。あんなとこに穴作って落とせるか。べつにできるけど。」

これも彼は対する配慮なのだろうか?「話が長くなりそうだからさっさとどっか行って欲しい」が半分の本音だったことは秘密である。

「お前だけに用はない。ついでに落ちとけ。」

さっきより少し小さな穴に、座ったままの体勢で穴に吸い込まれて消えていった


やれやれ、せっかくの雰囲気とやらも一人の道化にかかれば一瞬にして台無しである。

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