気まぐれ850列車
三人は相対の国を繋ぐ要である中央駅に辿り着いた。レンガ造りの大きな建物は一見すると駅とはわからない程しっかりしているもいざ中に入れば、それぞれの行き先を示す看板がかけられた柱と扉が奥へ奥へと並び、荷物を持った人々が沢山行き交っている。途中で喫茶店やお土産屋、ベンチもあるので気軽に休むことも出来る。
「わぁー・・・すごい!」
アリスが感嘆の声を上げる。
「僕もこのような大きな所は初めて来ました・・・。」
しかしエヴェリンはまた後ろのリュックが通行人の邪魔にならないかとばかり気にしてそれどころではなかった。
「お土産屋かぁ~。でも買ったって、どうお話すればいいかしらね。あっ、レンさん、あそこに「にんじんフラペチーノ」があるわよ。」
隣にいたはずのシュトーレンの姿が見当たらない。焦って人混みの中から探す。はぐれたりしたら大変だ。
「すっげえええええ!!」
そこから動くほどもない距離にいた。人を掻き分けてようやく見つける。たいそう喜びに満ちた表情だ、いったいそんな嬉しいことでもあったのだろうか。
「どうしたの?」
「こいつらタダで飲み放題だぞ!」
洋風の喫茶店の前で困った顔をしている店員が持っていたのは白く新しいプラスチックのプレート。その上には茶色い液体が入った小さなコップが数個並んでおり、「私をもっと飲んで!ウコンコーラ登場(こちらはサンプルです)」と書かれた紙が貼ってあった。
「ここにサンプルって書いてあるじゃない。」
アリスが紙を指差すがシュトーレンは「?」と言わんばかりに首を傾げる。
「それよりアリスも飲んでみろよ!なんかよくわかんねー味だったぞ、コレ・・・えっと、う、ウン・・・。」
「失礼しましたっ!!!」
顔を真っ赤にしたアリスに手を引かれ、人だかりからなんとか抜けた。振り返ったら、おしまいな気がしながら。
「バカ!信じられない!私もうあの喫茶店の前通れないじゃない!」
巻き添えを食らった哀れな彼女の怒りも彼の鉄壁の無知はそれぐらいで動きはしない。
「なんでだ?」
「はぁ、もう、いいわ。」
やるせない気持ちが込み上げ溜め息となって外へ吐き出された。
「あら?そう言えばエリンさんは?」
気づいたら今度はエヴェリンの姿が消えていた。まさか彼とはぐれるとは思ってもいなかった。
「あいつ、空気みたいな奴だからな。」
本当に空気となってしまったのか。
「んっなわけないでしょ!もう、次から次へと!」
苛立ちを露にしながら、忙しく首を回す。あの大きなリュックはすぐに見つけられる自信がある。
「ダメだわ!人がいっぱいでわからない!駅員さんに相談してみましょう。」
それに抗議を立てる。
「呼んだら気付くかもしれないぞ!」
でも、あまり目立つことはしたくなかった。提案したシュトーレンのおかげで散々注目を浴びてしまったからだ。見た目の特徴を言えばなんとかなるだろう。さあ、そのためには駅員をまず探すことからだ。
「どこかにはいるわ。手伝ってよ。」
「あ、あのオッサン金髪のアフロだぜ!すっげえええ。」
シュトーレンは完璧にあてにならない。まだ自分の妹の方が・・・とどうでもいい事に気をとられつつ彼の腕を掴んで歩き出す。
「駅員さん・・・駅員・・・さん。さんさん。」
引かれるままついていくシュトーレンも早足になる。
「アリース!!レンさーん!!!」
駅員を探すことに必死になっていたところだが、本来探さなければいけない人物からこっちに向かって歩いてきた。願ったり叶ったりだ。
「どこ行ってたの!?探したんだから!」
息を切らしてアリスが駆け寄る。
「すいません!お二人が喫茶店でゆっくりしている間に切符を・・・。」
エヴェリンの手に握られているのは三人分の切符だ。行き先は書いておらず、星の絵と850という数字が印刷されている。
「心配しなくても二度とあそこへは寄れないから・・・ちょっと、エリンさん。私達まだ行先決めてないわよ?」
問い詰められ少し怖じ気づく。
「あっ、いえ、さっきぶつかった人に貰いまして。駅員の方に聞いてみたらこれは850Gで、ど、どこまででも乗り放題なんです。」
ぶつかっただけで素晴らしい代物を手にいれたのだった。
「私もわざとぶつかってみようかしら?」
アリスの冗談にいたって真面目な顔でシュトーレンがつっこんだ。
「こっちの持ってる物を落とすかもしれねーぞ。」
「その時は貴方がまた拾ってくれるんでしょ?」
シュトーレンはにっこり笑った。
「拾うだけに決まってンだろ!」
「でしょうね・・・。」
「それよりほんとにいいんでしょうか・・・。」
実質タダで手にいれたのと同じで普通に良心のある人ならこれを使っていいのかと悩むところだ。
「いいのかって、貰ったのでしょう?貰ったものはありがたく使うべきだわ。」
「そーだそーだ!勿体ねーだろ!」
アリスとシュトーレンが催促をかける。拾ったのではない、貰ったものなのだから。
「そうですね。しかしまあこんな物を人にあげちゃうなんて。」
まだ踏み切りそうにない彼にアリスは例え話を持ち出した。
「たとえば、ハワイ旅行券が当たってもハワイに興味がなかったら嬉しくないじゃない。」
とてもわかりづらい例えに二人は頭に疑問符を浮かべる。
「ハワイ?どういった所なんでしょうか。」
「リョコウケンってなんだか健康によさそーな名前だな。」
後者は話すら噛み合ってなかった。アリスは諦める。今のところエヴェリンは、なんとか説き伏せられたようだ。
「さっきのは忘れてちょうだい。とにかく、でかしたわエリンさん。私、少しのユーロしか持ってないの。ここに来たはいいけど切符が買えないって後で気づいたのよね。」
「バカだな!!」
といったシュトーレンはとうとう尻尾を掴まれてしまった。
「いでででで!!!」
「ちなみに、淘汰の国と通貨が違うんです・・・。」
深々とエヴェリンは溜め息をつく。隣国なのに不便なことこの上ない。
「えー間も無く夜行列車が四番乗り場に到着いたしますー・・・間も無く夜行列車が・・・。」
駅内にアナウンスが流れる。
「この列車専用の切符だそうです。・・・あ!るほど。だから850なんだ。」
時計の針は15時を差していた。人がひとつの方向へ流れ出す。
「え?一日またぐの!?大丈夫かしら、色々と。」
アリスの心配をよそに、到着間近を知らせる鐘が鳴り響いた。
「アリス!これに乗るんなら急ごうぜ!」
シュトーレンと止まない鐘の音に急かされ、アリスは乗車することを決意する。
「そうね。これも無駄にしたくないし、進むしかないもの。行き先は乗ってから決めましょう!」
渡された
駅のホームで待っているとすぐに夜行列車は到着した。目の前を速度を徐々に緩めながら走る列車はアリス達の並ぶ列のとこにドアがぴったり来るように止まった。列車自体は特に変わった特徴もない、アリスのいた世界でもよく見るような普通の列車だがあくまで形の話で、色は落ち着いた茶色や黒じゃなく鮮やかな紫に黄色の星模様と奇抜ながらも綺麗だった。
「夜行列車だからといってすごい色づかいね。」
軽く引き気味のアリスに対しエヴェリンはなぜか目だけ恍惚としていた。
「補色をお惜しみ無く使い、トーンで統一している。すごいです。」
何をいってるか理解できなかった。
「俺、列車に乗るの初めて。」
シュトーレンに至っては列車そのものに表情を恍惚とさせていた。各々違うことを考えてると前方でガタンと音がした。
「わっ、わっ。」
ドアが開いたのだ。人が前へ前へ吸い込まれていく。有りがたいことにドアとホームの間に板が置いてあり、乗り降りする時の安全がしっかりと確保されていた。アリス達もその上を通り、いよいよ列車の中に入った。厚いカーテンのついた窓、向い合わせの客席、そして吊り革。カーペットのような靴越しにでも伝わるふかふかとした床に、小さな電灯。お洒落なリビングがそのまま列車になったみたいだ。
「中まであんな色だったら、みんなに安らぎの時間を提供するどころか落ち着いて気が気じゃないわ。」
アリスが適当な席を探すとすぐ近く、奇跡的にも一番前の席が開いていた。
「そこ座りましょう!早い者勝ちよ!」
すかさずアリスは窓際を陣取った。シュトーレンがその隣に腰を下ろす。
「エリンさん・・・あら。」
エヴェリンは通路を挟んだ隣の席に、行儀よく足にリュックを乗せて座っていた。そう、アリスの向かい側にはすでに先客がいたのだ。エヴェリンの前の席はかろうじて空いているが、どうせすぐ違う客が座るだろう。
「あっちに座ればよかったわね。」
後悔しても、もう遅い。
「そういやアリス、普通の列車と夜行列車てのは名前が違うだけなのか?」
なんとなく来るのではないかと思ってた質問にアリスは冷静に返した。
「真夜中の間だけ走る列車を夜行列車っていうのよ。乗ってる人が寝ている間もずっと走ってるの。私も夜は乗ったことないからちょっとわくわくしちゃう。」
「働き者だな。いつ寝てるんだろ。」
それに比べ、列車に乗ることが初体験のシュトーレンは彼女の倍は新鮮な気持ちで、足がそわそわとしている。
「夜しか走らないんだから昼間に睡眠をとってるんじゃない?あと、動きたそうにしてるけど動き回る所じゃないからね?」
とさりげなく注意すれば割りと素直に落ち着かない足を止めた。
「そうよ。寝るところ、ベッドがないわ!」
ふとエヴェリンの方を振り向いてみる。ペットボトルの水を半分まで飲んだところで視線で気付いた。
「そうですね。というか、これは本当に「夜行列車」なのでしょうか。」
言われてみれば確かに、中もいたって普通の、よく見る列車だ。
「あら!まだ空いてるわよ!」
後ろの方から二人の人物が隣の席の向かい側に座った。一人は頭がヤギで、体は人のようだが毛に覆われていて、女性用の服を着ている。もう一人は頭が
ランタンでできていた服装はスーツ。
「よかったな!席が埋まって!」
そんなシュトーレンの隣でアリスは苦笑する。風変わりなお客さんにしばらくは目が釘付けだった。
「すごい人達ね・・・人?」
「えー・・・発車までもうしばらくお待ち下さい。」
「わっ!?」
シュトーレンが驚くのも無理はない。いつのにか隣の通路になんの気配もなく見知らぬ人が立っていたのだから。
「いきなり現れんじゃねーよ。びっくりすンだろ。」
声を尖らせて批難する彼にゆっくりとお辞儀をした。
「おやおやそれは申し訳ございません。」
口調も態度も丁寧でとても礼儀が良い。服装からしたらこの列車の車掌だとわかった。よく見れば近似色が交互にわかれたような中途半端な制服に細身の青年。ただ、ひとつの箇所がとてつもない異彩さを放っていたのだ。
「あの、すみません。なんで「そんなもの」をつけているんですか?」
聞いてはいけないことのように感じたがアリスは尋ねた。彼女が言うそんなもの、ごつい黒色のガスマスク。それをさも当たり前のごとく顔面につけており、時々息遣いが聞こえる。明らかにそこだけが第一印象を「不審者」にさせているが、乗客は誰一人彼を変な目で見ることはない。
「色々事情がありまして。怪しい者ではございません。ただの車掌でございます。」
ついつい気持ちが素直に顔に出てしまったアリスはひきつった笑みを浮かべた。
「すごい仮面だな!」
シュトーレンはちっとも話を聞いてないどころか、ガスマスクを知らないのか仮面をつけているのだと思い込んでいる。そして彼はアリスが止める間もなく勝手にガスマスクを取り外した。
「ちょっ、レンさん!」
時は遅し。だが全く気にならないといえば嘘で、止めたふりをしつつ彼の露になった顔をしっかりとその目で確認した。
「・・・!」
車掌は何が起こったかしばし理解できず真の抜けた顔で口を開けている。一方、近くに座っていた乗客がざわめき始めた。アリスも思わず口元を手で覆う。垂れ目気味の紫と金色のオッドアイが優しそう且つ不思議な印象の、端整な顔付きをした青年。顔の半分が火傷の痕のように赤くなっており、髪も瞳と全く同じ色で左と右
二色にわかれている。服と合わせたらどこまでも左右対称となっていた。
「しまっ、しまった!!顔を隠すものが無い!」
車掌が慌てて帽子で顔を隠すが、しばらく気まずい空気が流れた。無理もない。あのような痛々しい痕を見たら、とアリスは同情した。
「いつもそうなんだ・・・僕の顔を見る目がいつもおかしいんだ・・・この視線を浴びるのが嫌だから隠していたのに!!」
ぼそぼそと泣き言を呟いている。仲間がしたことなので余計に申し訳なく感じたアリスはシュトーレンから無理矢理ガスマスクをぶんどって車掌に返した。
「ごめんなさい、私の連れが・・・。」
取り戻そうと手を伸ばすシュトーレンの顔を座席に押し付けながら彼の手元に渡そうとすると、車掌はすかさず受け取る。しかし、装着はせずに帽子で隠したままなのはつけるわずかな間でさえ見られたくないためなのか。
「うわあああああああん!!!!!」
あろうことか、とうとう限界であった車掌は業務を投げ、泣きわめきながら奥の車両へと走っていった。
「見たか・・・車掌の顔。」
「あんなの初めて見るわ・・・。」
ガスマスクをつけている時とは逆に顔を晒した時の方が話題になっている。嫌でも耳に届くため、そのたびにアリスはちょっとした罪悪感に駈られる。この出来事が後に心にも痕を残さなければよいのだが・・・。
「あんな美しい顔初めて・・・もっとずっと見ていたい。まるで人形のような・・・。」
「剥製にして書斎に飾りたい・・・。」
「綺麗だった・・・。」
どうやら、火傷の事を言っているようではなかった。・・・しかし、声を聞くあたり、男の人が剥製だの綺麗だの恍惚としたように呟くのは果たしていかがなものなのだろうか。
一騒動の後、運転席からさっき聞いたばかりの声が不適な笑い声とともに話しかけてくる。
「もう一人の「私」がお恥ずかしい所をお見せしてしまい誠に申し訳ございません・・・恥ずかしいのはこちらもですが・・・ククク・・・。」
「もう一人の私って?」
アリスが声に漏らすとひょっこり顔を覗かせる。同じ制服に、頭には紙袋をかぶっていた。
「ええ。夜行列車は沢山の私が運行しております。顔を見ていただけたら納得してもらえるとは思いますが、そしたらこの列車は止まりっぱなし・・・ククク・・・。」
笑うたびに紙袋がかさかさと動く。
「あなたが沢山いるってことかしら?いまいち、言っている意味がわからないの。」
ため息混じりに彼女が聞いた。
「マトリョーシカみたいなものと思っていただけたら・・・ブフォッ。」
車掌は一人で勝手にツボにはまっている。言われた通り入れ子人形に当てはめながら想像してみるも、その原理だと増えるにつれて段々小さくなっていってしまう。想像以上に面白い絵が浮かびアリスも声に出して笑ってしまった。
「あはは!やだ、ちっちゃくなっていくじゃないの!」
マトリョーシカ自体知らないシュトーレンは二人のやり取りをそばで眺めるしかなかった。
「大人は皆心に小さき頃の自分を宿している者!」
と声を大にして言い張りながらこちらへ向かって通路を優雅に歩いてくるのは先程、仕事放棄したはずの車掌だった。頭にはウサギの着ぐるみの頭部をかぶっていた。ガスマスクとはまた違う不気味さを醸し出していたが乗客は誰も知らん顔だ。
「おやおや。その頭はどうしたんだい?」
紙袋をかぶった車掌の問いに嬉々として受け答えた。
「大人の事情と称して奪ってきました!」
こんな大人げない大人の事情があるのだろうか。
「あとマトリョーシカは違いますよ。我々はさながら合わせ鏡のようなものだとお考え下さいませ。」
着ぐる頭の車掌がそう説明してもアリスでさえ、「合わせ鏡」の意味がわからなかった。 着ぐるみ頭の車掌がすっと間に入る。
「 そうそう、忘れておりました。私の名前はシャルルリヒターと申します。こちらは八番、私は二番とお呼び下さい。」
両者が同じ会釈をする。
「名前までみんな同じなのね!でもそれじゃあ意味がないんじゃない?」
八番が右足を軸にくるりと回って、右手を前に丁寧なお辞儀をする。なにかと期待をしてみたが、向こうに行ってしまった。
「お嬢ちゃん!」
目の前から声がする。いつの間にか向かいに座っていたお客達。これまた変わった面々が揃いぶみ。右から新聞紙柄のスーツを着た中年男性。真ん中はとびっきり小柄な老人で全身を覆ったマントからシワでいっぱいの顔と長く白い髪と髭が覗く。見ると足が下まで届いていない。通路側には洋館に飾ってありそうな銀に輝く甲冑を身に纏っている青年。改めて見たらすごく奇抜だ。新聞紙柄のスーツの紳士がまた声をかける。
「お嬢ちゃん達はよその国から来たのだろう?」
シュトーレンがうんうんと頷く。アリスはどちらかといえば異世界から来たと説明した方が正しい。だが深入りされるとそれこそ説明のしようがないため、淘汰の国の住人の括りに入れるしかなかった
「お隣の国から来ました。ここを訪れるのは初めてです。」
紳士が「そうかそうか!」と一人相槌をした後、やや身を乗り出して訊ねた。
「ならよその者から見て私の服はどう見える!?」
アリスの丸い目が右へ上へ泳ぐ。この場合はいかに相手の機嫌を損ねずに切り抜けられる感想を考えるべきと悩んだ。他人とは言えど、何時間かを共に過ごすかもしれないのに下手なことで溝を作り、気まずい列車旅にしたくはない。
「文字ばっかで目がチカむぐっ!?」
そのためにはまず隣のバカを黙らせることだ。シュトーレンの口を手で塞ぎ愛想笑いをした。
「文字の並んだ物を身につけている。知的さと高尚なセンスが滲み出た素敵なお洋服だと思うわ。」
ダメ元でおだててみると、紳士は真に受けたいそう顔を綻ばせて喜んでいた。
「やはりわかる人にはわかるのだ! 」
残念ながら彼のセンスはアリスにもさっぱり理解できなかった。手を離す。シュトーレンがふてくされてそっぽを向いた。
「隣の国とはどこだね。」
有頂天に浸ってる紳士を無視して甲冑の青年が話しかけてきた。
「淘汰の国です。」
すると兜の中からくぐもった溜め息が聞こえた。
「そっちか。僕はてっきり酩酊の国のことかと。」
聞いたことのない名前に二人の興味が一気に沸いた。
「酩酊の国?」
「めいていって何だ!?」
真ん中の老人が嗄れた声でボソボソ呟く。
「酩酊とは・・・酒に酔うことじゃ・・・。」
丁寧に説明してくれたのだ。対してシュトーレンは
「お酒なんか飲んだことねーぞ。」
と、耳と一緒にしょぼくれた。
「酒の湧く泉があるんだよ。だから酩酊の国。僕は色々あって「名前を失った」からここで新しい名前を貰いに来てたわけさ。」
自嘲気味に話す青年。紳士は鼻で笑った。
「ふん。名前がなにより大事なこの国でよく無事でいられたな。ここではお縄ものだぞ。」
老人も口をはさんだ。
「名前は・・・金にも替えがたいものじゃ・・・。余所者なら・・・命名税はかからんじゃろうて。」
会話にいつしか置いていかれた二人はただ知らない単語の並ぶたわいのない話を聞くしかなかった。
「あ、あの!」
もどかしい気持ちはもう限界。アリスが割り込む。三人が皆彼女に視線を向けた。
「夜行列車なのになんでベッドがないんですか・・・?」
「おかしなことを言う!」
青年が笑い声含んだ声で言った。兜の中だと声も響くだろうに。
「どういうこと?」
普通に聞いただけを明らかにバカにされたような気がしたアリスは頬を膨らませる。それに紳士は紳士らしくフォローをするどころか畳み掛けて彼女を笑った。
「列車にベッドなど必要あるのかね?」
「あったに越したことはないがのう・・・。」
老人だけが味方をしてくれた。しかし、答えにはなっていない。だがここまでバカにされるとは思ってなかったのでこれ以上聞く気が起こらなくなった。
「それでは長らくお待たせしました。夜行列車R8215まもなく発車いたします。」
二番が必死にきぐるみの頭部の隙間に何かを握ってる手を入れると、ホイッスルの音がかぶりもの越しに車内にうるさく響き渡った。運転席から更に高らかなホイッスルの音が鳴る。
「出発進行!」
これこそやっと列車旅が始まるのだと思うと二人の胸が期待に躍る。一番聞きたかったことが聞けず仕舞いで終わったのが心残りではあるが。
「・・・もう・・・ぐすっ、入りません・・・お腹一杯です・・・。」
横から一名、泣き言を呟いている連れがいたが気に止めることはなかった。車掌が邪魔でよく見えなかったし。
ガコンと車体は一旦揺れ、少しずつ、少しずつ、ゆっくりと前へ進んでいく。ありふれた駅の景色が流れていく。
「おお!すげえ、ホームだっけ?ホームが動いてるぞ!」
発車した途端、アリスの頭にあごを乗せて小さな体に寄りかかり窓に張り付いたシュトーレンの顔は無邪気な幼子のように輝いていた。
「人がすげえ速さで後ろに歩いて・・・ないな?止まったまま動いてるぞ・・・ん!?」
違う。しかし、異性に体を密着されることに慣れてない少女にとっては精神的にも拷問をかけられているに等しいものだった。
「・・・列車が走ってるんだよ。あと、女の子が見えないじゃないか。」
甲冑の青年が助けてくれたみたいだ。シュトーレンも素直に席に大人しく座る。
「女の子が見たいのか?」
紳士が横目で青年を睨む。どうやら語弊が生じたようだがアリスにとっては感謝の一言に過ぎなかった。まだ頬に紅潮を残したまま窓の向こうの景色に視線をうつす。
「まもなく、夜が来るな。」
紳士はなにやら意味深なことを一人呟いて背中と座席の後ろに隠していた新聞紙を開いた。見出しには英語で「一国を懸けた壮絶ゲーム!」と書いてある。
「電気はつくんだろうな?」
「そらつくでしょう。」
青年は自分の甲冑をハンカチで拭き始めた。老人の頭は列車と一緒に揺れている。夜になる前に寝てしまったのだろうか。
いよいよ列車は本格的に走り出し、景色は目に止まらぬ速さで過ぎていく。じっと近くの木々を見ていると酔いそうだ。
「なあ、アリス。ずっと同じ景色か?」
シュトーレンの問いに苦笑いを浮かべた。
「すこしぐらいは続くわよ。」
少しも続くことはなかった。トンネルに入ったのだ。外は一気に真っ暗になった。
「びっくりしたあ!!」
「ひゃ!あ、あなたの声でびっくりしたじゃない!近い!」
また彼の体がのし掛かる。窓側を陣取った自分に後悔をした。
「アリス!列車も真っ暗になるのか?だったら怖いから手を繋いでくれ!」
若干不安そうな表情を浮かべている彼が可笑しくてつい口元に笑みが零れる。しかし、電車の明かりはすぐについたので彼から手を離してしまった。
「おお!ついた!」
「あぁ・・・もうすぐ夜だ・・・。」
紳士はおおいに喜び、青年は感慨深く頷いた。
「あっ、明るくなったわ。見て、まるで夜の町を走ってるみたい!・・・えっ?」
アリスは窓の外の景色に目を凝らした。驚きを満面と露にした顔がガラスに映る。
「トンネルの外よね?というか、なんで夜なの?」
レンガ造りの三角屋根の建物や背の高い街灯が並ぶ洒落た街並みの中を変わらぬ速さで走っていた。なのにトンネルから抜けたという実感がわからなかったのは、外もほとんど真っ暗だったからだ。
「信じられないこと。」
街の空は、トンネルに負けじと真っ暗だった。月明かりが眩しく星も沢山散らばってそれぞれが瞬いていた。
「いつのまに夜になっちゃったの!?」
「トンネル通ってる間?」
茫然とシュトーレンが外を眺めながら返すも「はい、そうですか」の一言で飲み込めるような状況ではない。トンネルを通過する時間なんてわずか数秒。その間に日が沈み暗くなるまでの数時間が経過したなんてそのような不条理、少なくともアリスには理解できなかった。
「窓を開けてみたらどうだい?」
甲冑の青年に唆されるまま、窓を全開した。予想通り、大量の風が一気に吹き込んでくる。新聞紙のバタバタという音と紳士の悲鳴も聞こえる。
「こうなることはわかっていただろう。」
「読めぬ!読めぬぞぉ!!」
青年の冷ややかな声も聞こえるはずもない。ブロンドをの髪とマフラーが忙しく靡く。顔面に風を受け止め中々目があかないのに、それを邪魔して明かりが射し込むのに随分嫌な予感がした。なんとか瞼を半開きした。
「どうなってるの!?」
シュトーレンも、エヴェリン御一行も目を疑うよりほかなかった。窓を開けたら、夜の街並みが真っ昼間の風景に早変わりしたのだ。
「お客様!今すぐ窓をお閉め下さいませ!」
車掌の注意を喚起する声が聞こえる。アリスが慌てて窓を閉めた。閉めたら先程と同じ、夜の風景に戻った。アリス達は、余計に原理そのものがわからなくなった。段々と加速していく列車も今は一定の速度で走っている。謎は残るままだが、せっかくの列車旅。揺れに揺られながら、体を休ませるために時間を潰すことにした。
「俺も夜に街へ出かけたことがあるんだぜ。フランと二人だったな。」
唐突にシュトーレンが話を切り出した。どこを見て話していいのかわからず足元をじっと見つめている。
「二人?シフォンさんは?」
「帽子作ってたから置いてった。」
そういえば彼は仮にも帽子屋だったことを思い出す。
「私は家族みんなでお買い物か外食に行くぐらいだわ。誰かと二人きりだなんて。行ってみたい気もするけど。」
女友達がいても夜に一緒に出掛けることがなかったのだ。その点彼等にはそういった機会はいくらでもあったのだろう。
「俺達も買い物に行ってた。なあ、男と女と二人並んで歩いたらカップルなのか?」
横の方からふと視線を感じたがアリスも下を俯く。
「それは違うと思うわ。ん?なんかこんな会話、誰かとしたような・・・。」
しかし、記憶に靄がかかったようにあともう少しのところで思い出せなかった。
「アリスって好きな人や嫌いな人とかいるのか?」
アリスは唖然とした。
「今の流れでなんでそうなるの?」
「なんとなく。」
そろそろ彼になにかしらの意図があるのではないかと疑いたくなる。だが見る辺りいかにも何も考えてない顔をしていた。
「一人の男の子に片思いをしていたの。でもね、その子にはもう彼女がいたの。しばらくは嫌いになった。好きから嫌いになることもあるのよ。」
喋っていくにつれて声色が弱くなる。気遣いからか空気を読んだのか前の客はだんまりを決めている。更に続けた。
「ほんと、ひどく身勝手だわ。そんな自分も嫌いになっちゃった。今は気にしていないから、好きでも嫌いでもな。」
「ぶえっくしゅん!!」
紳士の豪快なくしゃみで途中から掻き消されてしまった。
「へえー、ようはふられたんだな。」
シュトーレンの心にもない一言が思ったより突き刺さった上に図星なのでぐうの音も出ない。
「でもなんでそんなこと、俺に話してくれたんだ?」
さすがにそれにはアリスも物申さざるをえなかった。
「あ、貴方が聞いてきたんでしょ!?あの庭に入った時といい、嫌なことばっか思い出させて・・・。」
横で二人のやり取りを小耳に挟んだエヴェリンがアリスを宥めようと立ち上がる。
「アリス落ちついて・・・!」
そんな彼の足を止めるかの如く、列車が突然縦に大きく揺れた。列車特有の揺れではない。縦に横に激しく大きく、まるで地震だ。
「な、ななななんですか!?」
エヴェリンは自分の座席にしがみついているがこれ以上は下手に動けない。
「地震です!列車の中なのに!?」
「地面から離れてない限りはそりゃ揺れるだろう!」
向かいの席に座っている客も当然取り乱し、座席の周りには新聞紙がばらまかれていた。よく見れば真ん中の老人はびくともしていない。椅子に根でも生やしているのだろうか。
「列車ってこんなに揺れるのかよ!?」
さっきの揺れで窓に頭を打ったシュトーレンは目にうっすら涙を浮かべながらカーテンにしがみついている。一方でアリスはまともにその場を離れることもできずに座ったまま体はあっちこっちに揺れていた。
「きゃあああ!!何なのよ!!」
泣き言を喚こうが、怒鳴り散らかそうが、神に祈ろうが助けを乞おうが、煩いだけでどうにも収まらない。乗客は皆、混乱していた。
「皆さん!冷静に!」
メガホン片手にもう一人の車掌が慌てて駆けつけた。
「八番!一旦列車を止めてください!」
すぐさま応答してきた。
「わかってる!」
しかし、列車の速度が緩やかになっていく感覚がない。揺れが静まる気配もなかった。その時、アリスの頭に何かが落下した。
「痛い!!」
床に転がったのは、ウサギのきぐるみの頭。二番がかぶっていたものだ。だが今や羞恥に気をとられている場合ではないことぐらい重々承知。
「大丈夫ですか!?」
その場にしゃがみこんで彼女の後頭部に手を添える。アリスは黙って頷く。
「あれは?」
ふと顔をあげた。カーテンから半身だけ覗くのはシュトーレン。 カーテンを透けて小さな蝋燭の火みたいなものが光がふわふわと浮かんでいた。
――――――――――…
「ふぅ・・・やっと収まった・・・。」
八番がハンドルの前、げっそりした顔で項垂れる。数分後、列車は途中で緊急停止をかけ、その頃に丁度地震も止まった。あれだけ賑やかだった車内もしんと静まりかえり、床には乗客の持ち物が至るところに散らかっていた。
「さーて、これからどうしよっかな。頭が真っ白だよ。」
運転の際は外していた紙袋を再びかぶり思考を整理させようとした時だった。
「運転手さん!大変です!!」
乗客の一人であるエヴェリンが顔を真っ青にして運転席のドアを必死に叩く。ただごとではないと、ギアを動かして列車を完全に止めて車内に踏み出す。
「どうしました?」
そこには口をあんぐりと開けたまま立ち尽くす紳士がいた。甲冑の青年は震える指で向かいの席を差した。
「突然、突然だ。光って・・・車掌巻き込んで・・・消えた・・・消えた!!」
確かにそこにいたという証の切符二枚を座席に、きぐるみの頭を床に残し、客二人と従業員一人が姿を消したのだった。
信じられなかった。何が起こったのかを理解するにもできるはずがない。アリスは力が入らない足をそばにある「木」を支えにゆっくり立ち上がって「空」を見上げる。
「おかしなことばかり!なんだか笑えてきちゃう!」
そういうアリスの顔は強ばっていた。ついさっきまで列車の中にいたはずだったではないか。
「ん・・・まぶし・・・。」
後ろで茂みが揺れる。振り向くとシュトーレンが葉っぱにまみれて仰向けになっていた。駆け寄って体を揺さぶる。
「レンさん起きて!!大変よ!」
すると彼は渋々瞼を開く。アリスの顔も見えにくいほどの逆光に違和感を覚え重い腰を上げた。
「アリス、お前、後光が眩しいな。じゃねえ!ここは何処だ!?」
少し周りに視線を動かせばすぐに異変に気づいた。
「ゴボウが眩しい・・・?嫌だわ、なにそれ。」
軽々と身を起こし、不思議そうな顔で唸るアリスの隣できょろきょろと小さい目を動かす。
「森よ。どこからどう見ても。森だわ。」
そうだと言われて納得できるわけはないのだが、ここは列車の中ではない。森どころか、樹海だ。真っ白な分厚い雲の上から陽の光が射し込んでくる為か見張らしはずいぶん良く、地面も乾いている。そして苔がこびりついた幹の太い木が所々に聳え立ち、いかにも目に優しい色が空間を占めていた。
「俺達列車の中にいたよな!」
シュトーレンの言う通りだ。ここが森だろうが砂漠だろうがそういったことはどうでもいい。もしこの不条理を「ワープ」と言うのならばあの地震がなんらかの前兆だったのかもしれない。
「ん?んん!?わけわかんねェ~・・・。」
「さあ、どうしたらいいのかしら。あら、エリンさんがいない。」
エヴェリンは列車に残ったようだ。またはぐれてしまい、アリスは落胆した。
「エリンさん何処で降りるのかしら?はぁ、じっとしていても仕方がないわね。」
誰も助けに来てくれそうにないから、前に進むしかない。野生の動物なんかとはできるだけ遭遇しないよう気を付けながら。
「うわああああぁ!?」
早速出くわしたか、シュトーレンの悲鳴が聞こえた。
「レンさん、騒いだら余計襲ってくるわよ。そのままじっとして。」
アリスのいった通り、両手を上げて降参のポースで固まる。またまた振り向くとそこには警戒心剥き出しのシュトーレンと、石になった車掌がいた。
「・・・」
幸い熊でも狼でも無かったが、ツルツルとした肌触りと綺麗な輝きを放つ見事な車掌の石像が方膝を立てて座っていた。
「石は襲う意思がないから大丈夫よ、レンさん。なんちゃってね。」
ためしに足で背中を蹴ったら簡単に転がった。
「飾りたいとか言ってた人がいたけど剥製よりこっちの方がインテリアにはなるんじゃないかしら?」
ふと列車内での事を思い出す。シュトーレンが石像を爪先でつつきながら訊ねた。
「剥製ってなんだ?」
一度、彼には自分に答えを求めすぎた事を後悔させてやろうとアリスは不適な笑みを浮かべた。
「生き物を無理矢理殺して皮膚を剥ぎ取って飾ることよ。」
案の定、シュトーレンは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。効果は抜群だ。調子に乗ったアリスが更に続ける。
「お金持ちの家には大体一個は飾ってあるわよ。よく見るのは鹿の頭ね。」
彼の表情が段々恐怖におののいていくのがわかる。
「趣味悪ィ。ウサギはどうなんだ?」
アリスもウサギの剥製はお目にかかったことはなかった。
「見たことはないけど、鹿があるならウサギもあるでしょう。」
何気無しに言った言葉がとどめを刺したようだ。防御態勢なのか耳をおさえ下を向いて震えるシュトーレンの姿に多少悪い気がした。
「人間はあるのか?あったら俺、両方・・・。」
シュトーレンがウサギの部類にはいるかどうかはさておき、人間の剥製など聞いたこともない。
「なんで人の剥製を人が飾るのよ。悪趣味どころの話じゃないわ。」
呆れて返すアリスにシュトーレンは少し安堵の色を取り戻した。
「そ、そうだよな。」
だが二人の顔は笑っていない。どこからか視線を感じる。
「・・・あそこに何かいると思う。」
アリスが彼の袖を引っ張り一本の木を指差す。だが、いると思うだけの予測に過ぎない。
「おう、そっか。」
シュトーレンは迷わず石ころを拾って木へ 向かって投げつけた。
「バカ! もし熊とかだったらどうするのよ!」
小声でしかりつける彼女に対しシュトーレンの危機感は皆無に等しかった。
「熊なら俺が倒すぞ!」
と自信満々に言われてもいまいち心許ない。
「そ、そういう問題じゃなくてぇ・・・。」
どう頑張ってもわかってもらえそうに無く涙と共に感情が込み上げそうになった。
「び、び・・・びっくりしたぁ。」
二人の揉み合いがぴたりと止まる。
「ねえ、今。」
「・・・・・・。」
お互いの目を合わせ、そーっと木の方を見つめた。しばし、静寂が続く。
「人間かあ。よかったあ。でも僕の気配によく気づくなんてすごいや。いやいやいや気づいたらダメじゃん。」
木の後ろから声がする。自分達と同じ人間で、襲うために相手を待ち構えていたとかいう素振りはないと判断した。
「ずいぶん可愛い声ね。女の子かしら。」
警戒を解いたアリスの呑気な呟きに「えっ?可愛い?」て反応してきたものだからシュトーレンは更に大きめの石ころを木にぶつけた。
「きゃんっ!?」
可愛い声が悲鳴をあげた。手応えはありだ。黙って様子見をすると、こちらが望んだ通り向こうからお出ましになった。
「ヴぁぁぁカじゃねーの!!?居るってわかってんのに二度もしてくるかよ普通!!お前らの耳は節穴か!!」
全身がビビッドカラーで彩られたピエロ風の少年が涙目で威勢のいい暴言を吐いてきた。声が上ずっているので実は相当怯えているのだろう。虚勢を張っているんだ。手は木に添えたままで足は内股気味だ。
「ごめんなさい。」
アリスが謝るも、木のそばから離れようとはしない。
「わ、わかったらいいんだよ・・・わかったら・・・。」
少年はまだ不服そうだか案外早く許してくれた。
「お前は誰だ?」
シュトーレンの問いに少年が不服そうに答える。
「さあ、そんなものここに来たら忘れちゃったね。君達だってきっとそうなってるに違いないさ。」
自分のことなのに他人事のような言い方の彼に、そんなはずはないと、アリスが胸を張って名乗り出た。
「何をおかしなことを言ってるの?私の名前は・・・。」
まだ後に何か言いたそうにしたまま、困惑を露にした表情で固まった。少年はそんな様を横目で傍観している。
「あら?私・・・私の名前はなんだったかしら?」
「お前の名前は・・・ん!?まさか、俺は・・・あれ!!?」
ふたりとも、なんと自分の名前をすっかり忘れて口に出せないのだ。
「あっはははははははははは!!!!!!」
腹を抱えて少年が笑い出す。
「ほーら、忘れちゃったんだろ!?忘れちゃったんだーっ!あは、あははは、超ウケるんですけど!いでっ!」
シュトーレンの投げた小石が少年の額に直撃すると彼の笑い声はぴたりと止まった。アリスはシュトーレンに向かって指をバツにして示した。にしても、信じられるだろうか。産まれたときからずっと親しみ慣れてきた自分の名前をここにやってきた瞬間に忘れてしまったというのだからこれほど滑稽な話はない。
「んで、お前はなんだ?」
「えっ、いや。だから忘れたんだって。」
赤くなった額を両手で擦りふてぶてしく少年が答える。
「名前じゃねーよ。お前が何者かって・・・。」
「こんな陰気なとこでえらい賑やかやな。」
突如、全くの第三者の声が「空」から聞こえた。しかしにわかに誰もが顔を上げたりしない。首を横に捻るなりしてまず森の中を見渡す。勿論、声の主はそこらへんにいない。
「と、鳥が喋ってるのかしら?」
まさかと思いアリスが最初に空中に視線を向けた。彼女は実際、喋る鳥を目の当たりにした事があるのでそれぐらいたいしたことはなかった。でも違った。
「空を飛ぶんは鳥だけちゃうで、お嬢ちゃん。」
二人もようやく声の主の姿をとらえた。鳥でもない、空中に浮かんでいたのは、人間だった。
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