かしまし花の園


「大変です!ご主人様!」

メイドの少女、ルージュがだだっ広い空間を小走りで駆け回る。床はめずらしく、模様が全部うかがえるほど綺麗に片付いていた。

「ご主人様!!聞こえていますかー!?」

「煩わしい。聞こえている。」

この空間の全てを統べる主、ジョーカーは脚が回る椅子の上で膝を立てて座り好物のシュークリームを無表情で頬張っている。ルージュが慌てて側へ駆け寄って机に手をついた。

「ご主人様・・・先程、世界と世界の境目で次元の歪みが生じましたわ!」

たいそう狼狽しているがジョーカーは平然としていた。

「面倒だな。どれ。」

渋々とゆっくり腰を上げ走馬鏡に手を触れる。すると、ただの巨大な鏡だけのものが靄のように、徐々に見知らぬ風景を映し出していく。



「嘘だろう?そんなはずは・・・!!」

映し出された光景を目の当たりに信じられないと言わんばかりに張り付いて凝視する。後ろで心配そうにルージュがこちらを見つめていた。

「ご主人様・・・。」

「素晴らしい!!」

その声は歓喜に満ちていた。ルージュは驚きに思わず体を跳ね上がらせた。

「どうなされましたの!?」

おどおどしながら訊ねる。振り向いたジョーカーの顔は新しい発見に心を躍らせる子供みたいに嬉しそうに、恍惚として満足げに笑っていた。

「偶然は必然・・・いや、これを奇跡・・・運命と言わずしてなんと呼ぼう!!」

机に力強く両手をついて、身を乗り出す。

「これはいい見物だと思わないかね?どうだい?私と一緒に見届けようではないか!」

「干渉はしません。」

ルージュはひきつりつつきっぱり断った。でもジョーカーは随分一人喜んでまたまた走馬鏡に張り付いた。

「アリス・・・シュトーレン・・・もう二度と此処を訪れることはないと思っていた。逢えて嬉しいよ・・・ふふふ・・・あは、あははははゲホッ、ゲホッ・・・。」

「何あれ。」

「いつも通りのご主人様ですわ。」

後からやってきたもう一人のメイドのノワールに笑顔でそう言った。




一方、アリス達はというと。





「うわああああぁ!!!」

アリスとシュトーレンは折り重なるようにして芝生の上に倒れた。アリスは運悪く下敷状態。自分より大柄な体がのし掛かっている重みに圧迫され痛みと苦しみが同時にアリスを襲う。

「うぅ・・・痛い。散々よ、もう!」

草にまみれ早くも薄汚れてしまった少女の顔はたいそう不愉快きわまりないといった感じだった。

「あれ?痛くないな。」

シュトーレンが不思議そうに辺りを見渡す。上、真っ青な空に白い雲が気持ち良さそうに風に乗って流れている。綿菓子にも見えてきた。そして、下にはアリスがいた。

「わあ!?アリス、潰れてないか?」

驚いて耳と背中がわずかに跳ねる。当の本人は潰れそうなぐらい苦しい。心配してくれるのは嬉しいが本当に心配してくれるならば、まずどいてほしいとアリスは切に思った。

「潰れてるわけないじゃない。でもこのままじゃ動けないわ。」

余計な心配はさせたくなかったがさりげなく催促する 。

「・・・。」

「・・・・・・。」

しばし謎の沈黙が続いた。

「なあ、しばらくこのままでいてもいい?」

何を思ったかシュトーレンがアリスのブロンドの髪に顔を埋める。だがびくともしない。

「ゔッ・・・内臓が潰れたかも・・・ッ!!」

突然アリスが脇腹を庇い冷や汗を滲ませこれほどない苦痛に顔を歪ませた。これには慌ててシュトーレンが立ち退く。

「え・・・な、内臓!!?」

飛び退いたシュトーレンはどうしていいかわからず困惑の色を浮かべる。一方、命の危機にまで達するかもしれない程、重症なはずのアリスは知らん顔で立ち上がった。

「んなわけないでしょ。」

そう言って服についた砂埃や土などを払った。まんまと真に受けたシュトーレンはぽかんとしたまま彼女のあとをついていった。





ここは見る限りこの屋敷の庭といった所だろう。後ろを振り向く。白亜の壁に煉瓦が埋め込まれてある箇所もあり、先程アリス達がすり抜けた等身大の窓がいくつも並んでいる。重厚そうなカーテンが閉められた所はまだ他にも部屋が存在するということだ。それも沢山。そして庭の方へ視線を戻す。青々と繁った葉っぱの壁がひとつの道を作っていた。

「まあ、なんてこと!これこそまさにデジャヴだわ!!」

憮然とたる表情で声をあげる。

「デジャヴって、なんだ?」

シュトーレンがアリスの後ろ一歩の距離を置いて彼女の頭上から先を見通しながら聞いた。

「こんなこと前にもあった!みたいなものよ。例えば「私前にも居残り掃除させられたような・・・てこと、貴方にもあるでしょ?」

シュトーレンはしばらく思考を手繰り寄せて言った。

「ないな!」

そらそうだ。居残りの概念すら彼には無いのだから。

「アリスはあるのか?」

「私はないわ。クラスで意地悪ばかりする男の子がよくさせられていたの。」

普段からそれなりに優等生だったアリスの話ではなかったようだ。

「優しいところもあるのよ。私が嫌いなにんじん食べられなくて困ってた時・・・。」

「ところで居残りって、なんだ?」

二人の会話が見事に逸れ始めた時だった。


「ひえええええぇ!!」

「「!!?」」

葉の壁の奥から声がした。アリスとシュトーレンは驚き固まる。

「今、声が・・・。」

「したよな・・・。」

更に、草と草を掻き分けるガサガサといった音まで耳に聞こえた。

「どうしましょう・・・?」

途端に声をひそめた。シュトーレンも小声になる。

「でも、ここを抜けるしかねェと思う。・・・姿勢を低くしてこっそり進もうぜ。」

これほどまでの妙案はなければ、二人に「進む」以外の選択肢もない。アリスは無言で頷いた。二人はまずどちらが先頭になるかを話し合った。やはり途中で話がずれて収拾がつかず、アリスの提案で最終的にジャンケンで決めることになり、勝った方が先頭だと言い出したアリスがパーで負けた。腑に落ちないが渋々シュトーレンの後をついていく。偉い人に謝るぐらい腰を折って静かに葉の壁が織り成す迷路の中へと入っていった。

「見つかったらどうする?」

シュトーレンが早速出くわした分かれ道を左右確認している。アリスはできればそうならないことを祈りながら答えた。

「その時はその時よ。」

彼は右へ曲がる。アリスも右へ曲がる。ただただ、黙々と、迷路を進む。五感を澄ませた二人は真剣そのもの。動物的な勘が働いているのか割りとシュトーレンは迷いなく道を選んでいく。そんな中でアリスはまたもや懐かしい気分に駈られた。あまりいい思い出ではないが、彼が三月兎と名乗る者ならば尚更重ね合わせてしまう。


目の前の背中は随分大きく、しっかりしていた。


とはいえ、今目の前にあるものはほぼ真ん丸い毛の塊であり、随分小さく、毛並みは良さそうで・・・。

「駄目よ!だめだめ!あとからいくらでも触れるから。」

と、心の中で言い聞かせながら衝動をおさえた。

「アリス。」

シュトーレンが曲がり角に差し掛かる手前で立ち止まる。

「どうしたの?」

「そばに人がいる。」

アリスでは到底聞き取れない僅な息づかいを聞き取ったのだ。シュトーレンを先頭にして正解だ。

「じゃあ引き返して別の道を行きましょう?」

できるだけ人の気配から遠ざかりたいアリスは提案した。お互いにとっても大変都合のいい提案なはずだと。

「誰だろう。」

しかしシュトーレンは提案を呑み込むより壁から顔をのぞかせ堂々と向こう側の様子をうかがうといった自殺行為に及んだのだ。

「ばか!誰に見つかったところで終わりなのよ!?」

小声で止めるもそういう時に限って耳に届いてくれない。半ば諦めの気持ちが沸いてきたアリスを無視して首から上を覗かせた。長く立った耳はさぞ目立つ。そういえばここの迷路から聞こえたのは屋敷の中で聞いたものとは違い少年の悲鳴にも似た声だった。運が良ければ、それは自分達と同じく迷路に迷っただけの人かもしれない。わずかな可能性に賭けた。

「・・・エリン?」

シュトーレンがアリスにとっても聞き覚えのある名前を口にした。

「ああ、あな・・・あなたはなんで、こんなところに・・・!」

「それはこっちの台詞だぞ!!」

警戒心をすっかり解いたシュトーレンは嬉々として、怯える相手の肩を掴む。

「ひいっ!!」

逆にこっちがなにやら悪いことをしたのかというぐらい強張った顔と感情による涙で潤んだ目をしていた。後からアリスも登場。

「お久しぶりねエヴィリンさん。まさかこんなところで会えるなんて。」

なるべく相手の緊張を解すよう、穏やかな笑顔で会釈をする。

「違うぞ!アリス、こいつはエリンだぞ!」

肩から手を離し、腕をくんでシュトーレンが言い張る。気の弱そうな少年はそんな二人のやり取りを見ていつもの本調子を取り戻したようだ。

「どっちも違います・・・エヴェリン・・・です。よく間違われますが決してエリンなどではなくてですね・・・。」

白と黒の目が泳いでいる。

「だってエリンの方が可愛いぞ。」

「僕の名前に可愛さを求めないでください!ただでさえこの名前好きじゃないんですから!知ってますか・・・バラの名前なんですよ・・・。」

しゃべっていくにつれ段々声のトーンが下がっていく。シュトーレンはもちろん知らないわけで別に興味もなかった。

「ところで、エリンさん。あなたはここで一体何をしているの?」

アリスが本題に切り出した。大きなリュックは相変わらずで、服装はラフである。

「エリ・・・!?ああはい・・・実は、フィッソンがこれを落としていきまして。」

そういって服のポケットから取り出したのは、フィッソンが身に付けていた鍵にも似たペンダントだった。反射した太陽の光が幾分眩しく感じる。

「これは?」

「ええ。実はアリスが元の世界に戻ってすぐに気付きまして、あいつも故郷に帰ったっていうからわざわざ届けに行ったのですが色々ありまして、なかなか会えなくて、とほほ・・・。」

今度はハンカチを取り出し涙を拭う仕種をした。

「ですがもう限界です!これのせいで僕はもう散々な目に遭ってきたんです!現在進行形で!」

濡れてないハンカチを振り訴える。

「この庭に咲く花はみんな人間の言葉を話せるみたいで、「その鍵を見せてほしい」と仰られたから見せたら!急に光って!!花は人に化けて僕を追いかけ回すんです!」

それを聞いたアリスはペンダントを凝視する。畑からはめちゃくちゃなことを言っているエヴェリンだが、彼がここまで必死になってふざけた嘘をつくとも思えなかった。

「これが不思議なものなの?それとも、お花達が不思議なの?」

話にいつの間にか置いていかれたシュトーレンは一人、人間の言葉を話している花がどんなものかを想像していた。

「水が欲しいときは「喉が渇いた」って言うと思うか?アリス。」

どう返していいかわからないアリスは無視した。その時だった。

「あそこです!あそこにいます!」

可愛らしい少女の声が近くから聞こえた。きっとアリス達がいる所を指している違いない。エヴェリンが素っ頓狂な悲鳴を上げながらアリスの後ろに隠れた。

「エリンさん?」

突然盾にされアリスは戸惑った。自分より身丈のある男が身を縮こまらせているのだ。変わった光景である。

「き・・・来ます!!」

とただただエヴェリンは近付いてくる誰かに対し物凄く怯えていた。現れたのは。

「人数が増えてるじゃないさ。アレを持っていた坊やは・・・いない?」

「はっ、そんなはずは有りません!私はちゃんと見たのです!」

姿を露にしたのは二人の女性だった。一人は見た目が華やかで特徴的だ。赤い髪に所々黒い斑点が浮かんでおり、ミディアムぐらいあるものは外側にカールを巻いている。服や帽子もまるで鬼百合の花弁を模しているようだ。もう一人は露出の多い衣装から覗く褐色の肌に一つに束ねた青い長髪と深紅の瞳が映える。所々に青いバラで飾ってありこちらも隣の女性とはまた違う華かさを放っていた。

「見たと言われてもねえ・・・。」

褐色の女性がアリス達を一通り目で見渡した後隣の赤い髪の女性を軽く睨む。

「ん?あの金髪の女の子の後ろにいるよ。ひっぱりだしな。」

「はっ!」

「待ってください!」

慌ててアリスが間に入り相手が行動に出ようとするのを止めた。

「貴女方は誰ですか?なぜ、その人を追っているの?」

その問いに二人は目をあわせ、赤い髪の女性は深いため息を、褐色の女性は屈託なく笑った。

「あっははは、こりゃ失礼。あたいはサンタマリア。こいつは連れのリグレットだよ。簡単に言えば、この家を守る番人みたいなもんを任されてんのさ。」

リグレットは深々と頭を下げた。アリスも礼儀よくスカートの端を摘んで深々とお辞儀をした。

「私の名前はアリス・プレザンス・リデルと申します。あちらにいるのはシュトーレン、そしてこちらにいるのはエリ・・・エヴェリンという者です。」

エヴェリンは後ろに隠れたまま、シュトーレンは他人事のようにぼーっと突っ立っていた。

「ほお、中々出来る子じゃないか。なあ?」

育ちの良さが窺える態度に瞠目したサンタマリアがリグレットに投げ掛ける。

「これぐらいのことは出来て当然ですわ、青薔薇の君。最近は不粋な方が多いのです。」

最後の方は愚痴になりかけつつもどちらも感心した様子だった。とりあえずはアリスのおかげで好印象には持っていくことができそうだ。

「サンタマリアって・・・お、お前、まっ黒こげなんだな!」

シュトーレンが不粋な事を言いかけた所をアリスがおもいっきり脛を蹴って阻止した。少女の力とはいえ大体の者はそこを狙われたら強烈な痛みに襲われるわけでシュトーレンも同じく蹲って震えている。

「バカ!デリケートなのよ!」

小声で咎めたあと精一杯の笑顔を繕った。

「おほほ、連れが大変失礼なことを・・・なにしろ世間知らずなところがありまして、悪気はないのです。」

ちなみにこれは自分の母の真似たものである。妹が何かするたびこうして謝っていた。

「あ、ああ・・・。」

サンタマリアが若干引いていた。なぜ急に謝られたかわからないからだ。一方リグレットは誇らしげな笑顔でアリスを見据えている。

「まあ、このアリスって子。若くしてここまで配慮の出来る慎み深い子はそうそう見ません!見たところまだ「蕾」なのに・・・。」

そしてこっちもまさか誉められるとは思ってなかったのでどう返していいかわからなかった。

「蕾とは?」

ぼそぼそとエヴェリンが呟く。それにはっとしたリグレットが咳払いをした。

「そうです!貴方!逃がしません!早くその鍵をこちらへ渡しなさい!」

「ひいっ!!」

弱々しい声がアリスの背中から聞こえる。往生際が悪く、まだ出てこようとしない。シュトーレンがそっと近づき剥き出しの耳に息を吹きかけた。

「ふわあああ!?」

エヴェリンはびっくりして仰け反った。シュトーレンとさっきから様子を伺っていたサンタマリアは笑いを堪え、アリスも巻き添えを喰らい、たいそう驚いていた。そんななかで我慢の限界だったリグレッ姿をあらわにしたエヴェリンの右手からペンダントを奪い取った。

「あっ!」

黄金に輝く鍵型のペンダントの紐を指に通し、細めた目で睨む。

「やはりこれは「自由の鍵」だわ。あの方が御来賓になる際いつもこれを持ってらっしゃるけれど。」

「あの・・・それは一体どのようなものなのですか?」

アリスが訊ねると真剣な彼女に変わってサンタマリアが答えた。

「こいつぁこの世のどんな頑丈な封印も解いてしまう恐ろしい鍵だよ。普段は地にへばりついてるあたい達もそいつのおかげで歩けんのさ。」

目をきらきら輝かせて聞き入るシュトーレンを除いた二人は肩を取り合って顔をあわせまた鍵を凝視した。

「貴方・・・ちょっ、やっぱりあれ!」

「恐ろしいって言ってます・・・!そう、あれをポケットから出したら花が、ああなって・・・。」

鍵をサンタマリアに渡し厳しい顔つきで腕を組んで言った。

「本当にそれは恐ろしい物です。下手したらそれひとつで世界を滅ぼしかねませんからね!」

エヴェリンは生気を失った顔でいまにも倒れそうだ。リグレットは続けた。

「だからこそ、「その鍵」を持つに相応しい方にしか持つことを許されないはずなのですが 。」

落ち着きを取り戻したアリスが聞く。

「もしかして、その人はフィッソンさんですか?」

「はい。なぜ貴方があの方の名前を?」

明らかにこちらを不振人物だという目で見ている。しかし、アリスは今の立場上どう説明すれば納得してもらえるかわからなかった。

「えー・・・僕は淘汰の国からきたんです。」

エヴェリンが怖々と口を割る。

「そこにやってきた彼とは親しくさせていただいておりまして。あっ、こちらのお二人も何度か会ったことがありました・・・。」

「御友人でしたか!!」

リグレットが嬉しそうに手を合わせる。

「友人ではないんですが・・・。」

即座に否定したが聞く耳を持たない。

「だけどお友だちだから・・・持ち主が認めた人物でも使えるってこと?」

「それは有り得ません!」

アリスの疑問に間髪入れず返した。

「仮にそうだとしたらこの世界全ての者が使えることになりますから!いずれにせよこれはフィッソン様がお持ちでないとダメなのです!誰だろうと他の方が持ってはいけないのです!」

「フィッソンが落としたんです。だから僕は返しにここに来たんです。あと、別に親しくもな。」

「いいんじゃないか?別に。」

サンタマリアのさりげない提案に一同固まる。あーあ。エヴェリンは厄介払いをしたかったのに。代わりに彼のところに届けてくれないかな、だとか。彼のところに届けてくれないかな、だとか。

「第一あたい達は女王がここを動かない限り出られないだろう。だからどうすることもできないのさ。」

「・・・・・・。」

眉間いっぱいにしわを寄せて、口をへの字に曲げて唸るリグレット。その顔を見るだけでなんだか申し訳ない気持ちになる。少し経った後、緊張がほぐれたかのようなため息と共に、奪ったそれをエヴェリンの手に握らせた。

「貴方に託しましたよ!」

「ひえぇ・・・。」

信望の目でこちらを見つめる。慣れない視線にただただキョドった。

「あーそうそう。その鍵は必要な時以外絶対外に出しちゃダメだよ。」

先程からリグレットの多弁に黙って傍観していたサンタマリアが厳しく口告げした。

「どこにどんなもんが閉じ込められてるか、わかったもんじゃないからね!特にこの先にいるアレ・・・。」

真面目な顔かと見せかけて、目には軽蔑の色が窺えた。

「名前は忘れちまったけどとにかくでっかい花だよ。あのキ××イが花粉のいらない花を開発したんだけど手に負えないつって埋めちまったんだよ。そいつを出さなきゃなんともない。いいね?」

さりげなく暴言を交えつつ、腰に手を当て睨む。エヴェリンもだが、アリスもすっかり竦んでしまい二回頷いた。それ以上は何も聞けなかった。

「青薔薇の君。そろそろお時間ですわ。」

すると急にリグレットが慌ててサンタマリアを急かし出す。

「ああ、そうだねぇ。せっかく久々に戻れたからもう少しこのままでいたかったけど。あたいらにはやらなきゃなんないことがあってねえ。道中気をつけるんだよ。」

サンタマリアもこれといって慌てる様子はないが、様子を汲み取って一緒になって自分達の持ち場へと去っていった。


「・・・。」

しばらく立ち尽くすアリスとエヴェリン。そして。

「なあ、アリス。花粉ってなんだ?」

やはりいつも通り誰も気にしないところに疑問を抱くシュトーレンだった。そろそろ彼の空気の読めなさにはアリスも一言申したかった。

「あなた、少しは空気を読んで発言をしたらどうなのよ。」

「空気なんて読めないぞ?」

案の定素で返してくる。アリスもお手上げだった。

「アリス・・・。」

エヴェリンがか細い声で呼びかけてきた。

「どうしたの?」

随分と弱々しく下手したらそのまま霞んで消えていきそうなほどで少しアリスも驚いた。

「ぼぼ、僕はと、とんでもないものを!!」

とんでもないもの、この世界を滅ぼしかねない力を秘めた返してくる鍵。彼にはあまりにも責任が重い。エヴェリンはまるで初めて凶器を握らされた臆病者のよう。いや、元から臆病だけど。アリスはエヴェリンの手を両手で包み力強く握った。

「大丈夫よ!出さなきゃいいんだから、早くこんなもの返して厄介払いしましょ!」

彼女の気迫にたじろいで一歩後ずさる。まさかアリスから「厄介払い」という言葉を聞くとは思わずそれにも若干驚いた。

「え、えぇ!はい、そうですね・・・!」

アリスもそれでよしと納得し手を離す。

「そうと決まれば早速ここを出なきゃ。」

先手を切って進もうとしたがすぐに足を止めた。

「まあ!なんてこと!」

「どうかされましたか・・・?」

エヴェリンの問いにアリスが振り向く。

「あの人達に出口を聞けばよかったわ!!」

同じく、今言われて漸く気付いたエヴェリンが「そうだった!!」とまたまた頭を抱える。一方シュトーレンは何故か小首を傾げ。

「アリスならいつか聞くんじゃないかなーて思ってたンだけどな。」

アリスはきょとんとした。

「え、思ってたって。なら言ってよおぉ。」

がくんと肩を落とす。そう思いながらも口にしなかったのは知らずに空気を読んでいたからである。あまり嬉しくなかった。

「ごめんて。」

感情のこもってない形だけの謝罪。しゅんと垂れ下がった耳の方がまだ素直だ。アリスもこれ以上責めるつもりもなく、仕方ないとやるせなさを溜め息として外に吐き出し、まだ奥に続く道を見つめた。

「とりあえず行きましょうよ。私が先に歩くわ。」

そう判断したのは、ここにいる二人があまり頼りがいがないと今の一連のやり取りでわかったからだ。話ができないエヴェリンと話にならないシュトーレンはタイプが両極端すぎて結果話になりやしない。諦めて、アリス達は進んだ。


「でも、同じような景色ばっかりでやんなっちゃう!あーいつになったら出られるのかしら!」

投げやりな少女の声は静かな空間ではさぞ遠くまで行き届いただろう。結局は警戒心もへったくれもないのだ。確かに三人は身の丈程ある緑色の壁しか見ていない。下も芝生でなんとも目にも足にも優しすぎる。

「出口は必ずあるんだろ?」

「もちろん!ただそこに行くまでよ。何も無さすぎるわ。」

入る前から期待はしてなかったものの、やはり入ってみたら思ったよりなにもない。シュトーレンは単に飽き、エヴェリンは酷く落胆している。追っ手がどうのとかいまやどうでもよかった。

「退屈は嫌いだわ。」

そう、ぼやいた時だった。

「はーーーはっはっはっは!!!!」


「アリス、とうとう頭おかしくなったか?急に笑うなよ。」

「私じゃないわ!」

アリスがすっかり機嫌を損ねて頬を膨らます。

「ひかえおろー!ひかえおろー!!ふははははー・・・げほっ、げっほ!」

何処からか少女の甲高い笑い声が聞こえ、勝手にむせていた。疑ったシュトーレンも耳をよく澄ます。アリスの声ではなく、もっと幼い。現にアリスも謎の声に動揺している。

「じゃ、じゃあ誰なの!?」

「誰か他にいるってのかよ!」

「ポルターガイストですいやああああぁ!!!」

辺りをきょろきょろと見渡すアリスとひとつの方向に絞ってにらめっこするシュトーレン、エヴェリンはアリスにしがみつき絶叫している。各々がそれぞれ不確かな何かに怯えていた。

「どこにいるの?出てきてよ!!」

アリスが懇願するように叫んだ。それに応じたみたいにかすかに地響きが唸り出す。いや、壁も震えている、そんな気がした。

「何なのよ・・・」

「なにか来るぞ・・・。」

アリスとシュトーレンが背中を合わせ神経を尖らせる。その時だ。壁が突然ドアのように開いたのだ!

「じゃんじゃじゃーーーーん!!!」

「「「わああああああ!!!!!」」」

三人は手を合わせて腹から最大限の悲鳴を出した。

「わははは!愉快なのだー!」

現れたのは小柄な少女だった。茶髪を二つに束ねた髪型が幼さを際立たせているが、頭には王冠。赤い上品なドレスを身にまとい、手には黄金の杖を持っている。そんな女の子が仁王立ちしている。びくびく震えている三人を見下ろして。

「余の考えた迷路で迷い、油断しきったとこを驚かせる。最高なのだ。でも安心するのだ・・・。余もこの迷路には飽き飽きなのだ!!」

ドアを全身の力をこめて閉めながら独り言を呟き、ただの壁となったら少女はこの上ない自信げな笑顔で言い放った。

「え・・・あの・・・。」

何もかもが唐突すぎてアリスもいつもの調子が出てこない。

「てめぇ誰だ!!?」

いつもの調子でシュトーレンが相手に指を差した。これにはアリスは助かったとは言いたくても言えずに思わず「あっちゃー・・・。」と小さくぼやき頭をおさえた。

「随分口幅ったい奴よ。よかろう!気に入ったぞ!!余はこの国の赤の女王、エカテリーナなのだ!リナ様と呼ぶがいい!」

リナ様ことエカテリーナと名乗った少女は腕を組み誇らしげに微笑む。

「アリス、シュトーレン、エヴェリンとやらか。実は先ほどの会話、盗み聞きしておったのだ。あやつらに見つかると面倒だから隠れていたのだ。」

そんなことはお構いなし、シュトーレンは早速親しみをこめて愛称で呼んでみた。

「テリー様!!」

度肝を抜かれたアリスがあんぐりと口を開ける。さすがにテリー様も気難しい顔で首を捻った。

「うむ、その発想は新しい。だが些かそれだけはいただけぬのう。リナ様と呼ぶのだ。」

どうやら好みの食い違いの問題だった。本気で気に入ってたのか否定されたシュトーレンは耳と頭を下げた。

「あの、女王様とは露知らずとんだご無礼を・・・。」

アリスが皆より一歩前に出た。

「ここは何処ですか?信じてもらえないかもしれませんが、私達はよそからやってきたのです。」

あくまで丁寧に、なるべくすんなりわかってもらえるようにと心掛けて事情を話した。淘汰の国、即ち中間点も何もかも飛ばして違う世界からまんま飛ばされてきたのがアリスとシュトーレン。しかし、異世界から来たなんてまかり通るなんて思っちゃいない。

「なあに、余はお見通しなのだ!」

まさかの答えが返ってきた。エカテリーナは続ける。

「実はお前達をここに呼ぶよう仕掛けたのはリナ様なのだー!あの鏡にはちょいと魔法をかけてあってな?そこを通してこちらに来たのなら大成功なのだ!」

アリスは記憶を巡らした。最近の出来事だから覚えている。にしても変だ。彼女が必要として呼んだのなら。あの時アリスに鏡へと呼んだのは少年の声だったが・・・。だけど、見ず知らずの少女をなぜ呼ぼうとしたのか。聞く前にエカテリーナは教えてくれた。

「ちょうど「隣国を支配から解放した少女」で話題が持ちきりでな、興味が沸いたから呼んだのだ!」

誰も話がすぐに掴めず混乱した。

「りんこく・・・かいほう・・・お前、そんな凄い奴だったのか?」

シュトーレンが耳打ちしてくる。

「そんな話になってるの!?」

アリスが耳打ちしてくる。

「は!?はい・・・アリスはもはや英雄扱いですぅ。」

エヴェリンが流れで耳打ちしようとしたが隣に誰もいなかった。アリスは紅潮した頬を隠すように手でおさえた。

「やっ、やだ・・・すごい話になってるじゃない・・・!」

「そーなのだ!隣国の解放により交流も可能。新たな貿易回路がひらかれる、余にもメリットがありまくりなのだ!アリスには感謝しかないのだ!」

淘汰の国がまだあの女王の支配下にあった時はほぼ独立の鎖国状態だったらしい。

「ところでここは何処だっての。」

話についていけなくなったシュトーレンが不機嫌そうに訊ねる。

「ここは相対の国だ。外国の者は「鏡の国」とも呼ぶがな。そして今いる場所は余の別荘なのだ!わははは!豪華だろー!」

相変わらず見た目にあわぬ豪快な笑いをかます。これぞ女王の風格なのかもしれない。

「この国はばかでかい。余はそんな相対の国の南の領域を統括しておる。普段は持ち場・・・お城に住んでおるがの、息抜きでここに戻ることもあるのだ。」

ふと物思いに耽る顔を見せる。

「そう・・・大変なのね。」

アリスよりも幼い少女が背負うにはとても大きすぎるものではなかろうか。アリスはごく普通の少女の視点でそう感じた。

「何が大変か!むしろ余は楽しくて仕方ないし!!」

突然エカテリーナは清々しそうな笑顔で手を広げる。

「国を自分の思い通りに動かせる!最高とは思わないか!?」

「えーっ・・・そ、そうですね。」

アリスはひきつった笑みで答えた。一方でエカテリーナは気にもとめてない。話を勝手に続けた。

「そして北は白の女王が治めているのだ。勿論、ひとつの国を二人で管理するにはお互い仲良しでなくてはならぬ。喧嘩する程仲が良いではダメなのだ。」

意外にもしっかりした考えを持っていると発言から汲み取れた。女王は伊達ではないのかも?

「でもそれではつまらぬから余は勝負をしているのだ!」

先程の話の流れから急な展開を迎えた。

「しょ、勝負?」

「そうなのだ!」

エヴェリンが口を開く。彼女は待ってましたと言わんばかりに、にっと笑う。


「お前たちはチェスを知ってるか?」

「なんだそれ!」

シュトーレンはもはやお約束だ。

「そのようなゲームがあるのは僕も存じておりますが。」

気まずそうに目を逸らすエヴェリンはどうやら存在自体は知っているようだ。

「人がやってるのを傍らで見たことがあるだけで詳しいルールなどはさっぱりでございます。」

丁重に返すも結局は知らないのと同じだ。

「ふん、つまらん。心優しき女王リナ様が一から説明してやるのだ。ただし、余らがやっているチェスを模したゲームについてだ。」

エカテリーナは杖を上に掲げて勢いよく振り下ろすと地面にはスケッチブックと赤いクレヨンが現れた。まるで手品だ。シュトーレンが人一倍興味を示した。

「よいか?この国がチェス盤そのものなのだ。森など地面が草や土など自然のものである陣地は赤、アスファルトや作られた陣地が白。どこかにその色の旗があるからわかるのだ。」

片手でおさえ、白いキャンバスにガリガリと、赤と白の市松模様が描かれる。

「そこでまあ、最初はこう並ぶだろ?お互い鏡みたいにこう、並ぶのだ。」

端の方にチェスの駒を表したものをちまちま描いていく。ただし赤で塗りつぶした正方形の上に描かれたものはわかりにくい。アリスとエヴェリンは大体把握しつつもシュトーレンはただ難しい顔を見せるだけだった。

「あとはチェスと同じなのだ。ルーク、ビショップなど決められた動きしかできぬ。でもマスが広いと誰がいつどこに移動したかわからぬだろ?移動した場合は各マスに必ず配置してある大砲をぶちかまして皆に必ず知らせるのだ。」

ふと気になったことを、おそるおそるアリスは尋ねた。

「移動範囲内にの味方、反対に敵がいた場合はどうなるの?」

「移動した先に味方がいたらその先には行けぬ。面倒ではあるが、一歩前のマスに戻るのだ。敵がいたらそのマスに侵入できる。侵入された敵は強制退場なのだ。敵のマスに移動した場合は大砲を二回ぶちかます。あとはキング目指してチェックメイトのみなのだ!」

キングの駒の絵を丸で囲んだ。アリスは説明の最後を聞いてようやく心の底からほっとする。ほっとできないのはエヴェリンだった。

「た、大砲・・・ですか。」

あちらこちらで爆音が鳴り続けたら間違いなく騒音被害をどこかで受けそうだ、とアリスも半ば同情する。

「大砲だけじゃ、正確な位置や、遠くにいる人にはわからないのでは?」

「さすがエヴェリンとやらは目の付け所が違う。最初は放送塔でお知らせする予定だったがやめたのだ。敵がいつ来るからわからぬスリリングもまた味わって欲しいところってな。ちなみに放送棟は白く高い塔なのだ。色々なところにある。」

「大砲に放送・・・。」

不安げなエヴェリンの方をシュトーレンが力強く叩いた。

「まー慣れる慣れる!」

と励ます彼が一番被害をくらうだろう思うとエヴェリンもアリスも同情した。

「習うより慣れろ。まさしくその通りなのだ!面白いぞ。この国がゲームの舞台なのだ!!これはお前たちにくれてやるのだ。」

アリスにスケッチブックを渡したエカテリーナはまたもや屈託なく笑う。それにしても、驚くのは規模の大きさであり、以前に経験した「迷路を伴ったゲーム」とはまるで比べ物にならなかった。エカテリーナはこれほどにない自信に満ちた笑みを満面に浮かべた。

「そうだ、お前たち、赤のポーンとして余の軍に入ってみぬか?ポーンは沢山いるから、少しぐらい増えても大丈夫なのだ。」

突然の誘いにアリスやエヴェリンは戸惑うも乗り気ではないのは二人ともそうだった。いかにも「やりたい」というオーラを放っているシュトーレンは別として。

「すいません。白の女王ともお話をさせていただきたいですわ。」

「そうか。まあよい。あいつもお前に会いたがっておるのだ!ゲームが終わるまでにさっさと行くのだ!」

案外すんなりと話をわかってくれた。ここの女王は寛大なようだ。早速、どこかで大砲の音が轟いた。咄嗟にエヴェリンは耳を塞いでしゃがみこんだ。アリスもシュトーレンも耳を庇おうとしたところで動きが止まる。

「一手が終わったのだ。早くナイトに会わねば。」

余韻がしばらく続いたが消え入るようにやがて無くなり、また元の静けさを取り戻した。

「さて、余も出陣なのだー!」

張り切って拳を高らかに掲げる。そうと決まればエカテリーナは先程開いた今や壁と同化している箇所に手を触れた。軋む音と葉と葉が擦れる音とともに扉の如く開きかけていた。

「あ、そうそう。この迷路はいくつか分かれ道がある。曲がりたいと決めた方向とは反対の方向を進むのだ。そうすれば「出口へ行ける」ぞ!はーはっはっは!健闘を祈るのだ!!」

そう言い残しエカテリーナは迷路の中枢にへと姿を消した。


「どうする?」

聞いてくるシュトーレンはゲームに参加したいばかりなんだろうけど。声が弾んでいるもの。

「僕は早くこいつを返したいです。」

「じゃあお前一人で行けば?」

シュトーレンに悪気はない。エヴェリンは泣きそうな顔だ。

「仲間は一人でも多い方が安心するわ。よかったら一緒に行動しましょうよ。」

「俺はどっちでもいいぞ。」

さっきは落ち込んでたのに顔が嬉しそうに綻ぶ。シュトーレンとは違い感情がすぐに表に出る上にコロコロと世話しないほどに変わる。

「あ、ありがとうございます!!」

こうして、少年少女の冒険が幕を開けた。









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