第6章 ニュージーランド四方山話 第5話

 松山のマルのトレーニング開始は、ニュージーランドに渡ってから9か月後に始まった。マルが一歳を過ぎるころには、現場へと連れだせるまでに訓練が進み、現場での単独での行動も許可されるまでになっていた。

 

 単独での最初の捕獲はシカであった。ヘリコプターでマルと一緒に山頂まで運んでもらったところがスタート地点で、山麓まで下りながらシカを捕獲する作戦である。


 マルはヘリコプターへの搭乗の際には、機外に取り付けたケージに入れて運ぶ。銃を持った松山は、パイロットの隣の座席だ。


 山頂では、着陸せずに1mくらいの高さから飛び降りることになる。松山が飛び降りた後で、機外のケージを開くとマルも飛び降りてくる。


 初日からヘリコプターを使った規模での捕獲に投入できるのは、マルの訓練成果を認めたニコルからのお墨付きがあればこそだった。


 山頂から下り始めると、マルは松山の後ろをついて歩いていたが、鞍部を渡ったところでシカの匂いを拾い、追跡を開始した。そこから約150m沢を下ったところで、対岸にシカを発見した。


 距離は、約200mだろう。松山は、マルに「待て」と指示し、ライフルを構えてシカを狙い始めた。


 シカは、成獣オスでアカシカと思われた。苦しめずに、一発で仕留めるために、ネックショット を狙ってスコープのレチクルの中心をシカの首元に重ねた、慎重に引き金を絞ると銃口からは5.56mmのライフルの弾頭が緩やかな弾道をたどり、狙った場所に着弾したことが見えた。オスジカは、前脚を数歩動かすと沢底の方へと転がり落ちていった。


 発砲音を聞いても、マルは動じることもなく 、「待て」の指示どおり動かずに待機していた。


 沢底まで移動しながら、マルに探せと指示をすると、シカの匂いを直ぐに突き止めて、倒れている場所へと誘導してくれた。証拠品となる尾を切断して、ザックに入れて再び尾根筋まで戻り、そこから下るという動きを繰り返した。

 

 その日は、合計3回山頂から山麓までの忍び猟をマルと行い、合計4頭を捕獲した。


  マルのデビュー戦は、上々の出来だったろう。一方で、松山は、2回目の作業で250m先のシカを撃って失中してしまった。


 それでもサプレッサーの効果だろうか、シカは逃げずにその位置から動かなかった。改めて、200mまで接近してから撃ち直すことで仕留めることができた。


 ライフル銃の性能やサプレッサーの効果など、実体験として経験できたことが大きな成果となった。

 

 サプレッサーで発射音の減衰効果は、映画で見るほどのもではない。一方で、射手の耳の保護という説明がジムからはあったが、これは納得できるものだった。


 また、沢底で作業している時に、頭上をライフル弾が通過したことがあった。


 頭上といっても、かなりの上方空間であり、危険を感じるようなものではなかったが、「ピューン」という飛翔音は、サプレッサーの有無には関係なく消し去ることはできない。

 

 シカは、よほど近くに着弾しない限り、遠くの発砲音で逃げることはなかった。


 サプレッサーがあることで、発射方向を特定されない効果は確かに期待できるものであったが、日本ではここでも法律の壁があって、使用どころか所持すらすることができないのは、残念な限りであった。

 

 犬訓練の指導者ニコル、ライフル射撃の指導者オリバー、調理と工作の指導者ウィリアム、ヘリコプターハンティングの指導者ジョージ、そして総括指導者としてのジムによって、松山は一年間で捕獲現場の一部を任されるまでに成長した。


 そこに至るまでには、日本で経験したことのない毎日の積み重ねがあったことは言うまでもない。


 しかしながら、その基礎を日本の専門学校で学んでいたことが大きかった。

 

 学校で言われていた、ひとつひとつのテクニックを覚えることは重要であるが、そこから派生するテクニックまでを考えながら進めていくという基本的な学ぶ姿勢が大いに役立ったと思える一年だったろう。

 

 一応の区切りとなる段階まで学ぶことができたとジムが判断したことで、一度松山は日本へ帰国することとなった。


 今後は、専門学校との連携を図り、幅広い知識と経験を有する捕獲従事者を育成する方法を検討するという段階に入ることになる。約一か月間日本での打合せ等を行ったうえで、さらにニュージーランドでの仕事を継続することになった。

 

 松山が帰国中、マルはニコルが預かることになり、兄弟犬のムギと一緒に訓練を継続して貰えることとなっていた。


 ニコルと一緒に空港まで見送りに来たマルは、置いて行かれることに気づいて、後を追うような仕草も見せたが、ニコルからの「マテ」の指示に素直にしたがって、機内へと進む松山を見送っていた。

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