第30話 旅立ちの時
個展の前日のアリモトの社屋ではヒロヤが母と話していた。
「ヒロヤ、チリエージャのデザイナーとのことは、まさか、本気じゃないわよね」
「結婚する気はありません」
「まあ、良かった。正解ね。恋なんてすぐ冷めるものよ。アリモトは永遠ですものね」
「僕はアリモトを新しいやり方で守っていきます。だけど、ルビさんのことは、遊びだったわけではありません。おやじとお袋を見ていて、こんな家族は作りたくない。彼女みたいな、明るくで元気でまっすぐな子と暮らせたらどんなに幸せだろうと、本気で思ってました。だけどアリモトを捨てられない以上、この組織と両親とたくさんの苦労のなかに、彼女を引き込むのはあまりに可愛そうだと。僕は僕の愛し方で結論を出したつもりです。」
ヒロヤの母は無言のまま彼を見つめた。
一方ルビは、再び幼い頃過ごした七曲り坂を歩いていた。
「ルビちゃんだね。」
見知らぬ老人から声をかけられた。
「覚えてないだろうけどね。昔この辺に住んでいた下坂医院の院長だよ。」
「えっじゃあ、下坂先生」
「ルビちゃんのお父さんの事件があって、最初に駆けつけたのは私だったんだよ。
どういうわけか、あの日虫が知らせてね。届け物を預かった家内が、お宅を訪ねると明かりがついているのに返事がなかったから。私と家内とが中に入ったら、3人がぐったりしていて。ルビちゃんにはすぐに吐き出させたんだけど、お父さんとお母さん残念ながらは助けられなかった。でも、お父さんの無理心中じゃなかったんだよ。
薬を買ったのはお母さんだったんだ。3人で死のうと思ったんだろうね。ルビちゃんのことは可愛そうで連れて行けなかったんだろうね。ほんの少ししか薬は入ってなかった。そのあとずっと、気になってルビちゃんを探していたんだけど、行方がわからなくなって。
「先生、じゃあ、父は無理に母を殺したわけじゃなかったんですね。それで、すこし心が晴れました。」
「あのころ仕事がどうしても上手くいかなくてお父さんもお母さんもノイローゼになっていたんだよ。だからお父さんを攻めちゃいけない。こうして、ルビちゃんは助かって幸せになれたんだから。ご両親はルビちゃんを心から愛していた。だからきっと今頃、ルビちゃんの幸せを空から見守っていると思うよ」
ルビは、其の言葉を聴き、心にわだかまっていたものがすっきりした気持ちがした。
その足で、下落合の薬王院にある両親の墓を見舞った。久しぶりだったのに、どうしたものか墓には花が沿えてあった。
「すみません。だれか、お墓にお花を上げた人がいましたか」
「ああ、先日、ビッコをを引いた若い男の子がバイクで来て、お参りしてったな。
髪の毛がこう、金髪で立ってるコでね。いまどきの子なのに珍しいなと思って、覚えてたんだよ」
ペニンシュラのアリモトのコレクション会場には日本のハイソサエテイが集まりひろやに娘を売り込もうとセレブの母たちは大騒ぎだ。
「ヒロヤさん、うちの娘じゃなぜ駄目ですの」
宗家橘の夫人だ。
「あら、ヒロヤさん。私の娘をご紹介しますわ。1週間前にパリから帰国しましたの。バイオリニストなんですの。」
「瀬田川晶子と申します」
吸い込まれるように美しい瞳の令嬢が微笑んでいた。
「ヒロヤです。はじめまして」
一方チリエージャのコレクションは四谷の小さなレストランを借りて開催した。
「取材にきましたよ」
「あっあなたは・・」
ルビが乗り込んだ雑誌社の記者だった。
「約束したからね!」
「有難うございます!」
「おめでとう」
スーツ姿のどこかで見たようながっちりした男が立っている。
「あっガードマンの!」
「活躍ぶり、見てたよ!なんだか嬉しくてね」
振り返ると、森キャストのおばちゃんも、エイタの修理工場の叔父さんも、パン屋のお姉さんもルビの元勤めていたバーガーインの仲間たちも、みんながいる。みんな来てくれたのだ。
「わア、綺麗!アタシこれ欲しい!でもちょっと良く見てごらんよ。20万円だよ!!!?」
「分割も出来ますよ!それに、ちょっとおまけしときますし」
「そおお?じゃあ3000円ずつの分割払いでいいかしら」
「もちろん!」
展示会も夕方に近づき、賑わいが一段楽してきた。呼ばれて振り返ると翠が立っている
「おめでとう!」
初めて会ったときと同じように穏やかで美しい翠だった。
「ありがとう、来てくれたんですね。翠さん」
「いいコレクションね。気どりが無くて。綺麗ねって素直に言える。子供の時、初めてジュエリーを見て、わア、綺麗って思ったときのことを思い出したわ。・・・私ね、本当はあなたが羨ましかったの。まっすぐで素直で、才能があって。私なんかにはとっても追いつかないってそう思えて。」
「そんな・・私こそ翠さんがうらやましかったんです。美人で何もかも恵まれていて・・。翠さんがいなかったら、私はここまで出来なかったんです。・・」
「本当?」
「だから、今は翠さんに感謝してるんです。ありがとうございました。イジワルしてくれて!」
ぺこりと頭を下げるルビを見て、翠は噴き出した。
「ふふふ」
二人は微笑み会う。
「わたしね、イタリアに行くのよ。ブルガリでデザイナーを募集してるの。自分の力をもう一度試して見たいの。それと、ルビちゃん、ヒロヤさんとはなんでもないのよ。
これからも私たち、頑張っていきましょうね」
清清しい足取りで、去っていく翠。
目で送りながら見上げると、サクラの花が風に舞い、そのひとらが掌に留まる。ルビはその花びらの海の中にいる。
「それではチリエージャの新作個展の成功を祝って。」
「カンパーイ!」
みんなの大きな歓声が沸きあがる。皆大騒ぎだ。
「私、今まで、私自分の夢のためだけにデザインしてました。でも今が一番幸せな気分。みんながこんなに喜んでくれてるのを見て・・。はじめて人の為にデザインした気がする。」
モデルの近藤美和も花房りえももうご機嫌だ。入口に飾られた大きなスタンド花のヒロヤアリモトの文字を見つめた。
「さすがヒロヤさんのお花、豪華だわねえ」
「そうえば、エイちゃんこなかったわね。」
みほが呟く。この数日は顔を見せていなかった。
「あら、エイタ君だったら、さっき来て、これを置いていったわよ。こんな晴れがましい場所は苦手だって。」
とテツ。
コンビニの袋の中を覗き込むとメロンパンがひとつはいっているだけだ。
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