第4話 めぐり合い4

「後ろだっ」


 肌を切りつけられたと錯覚を覚える程の緊迫感。

 ゼネカの張り上げた声に反応したアストラが、とっさに身をひるがえす。

 背後から狙っていたき手がその右脇腹をかすめ、隊服を切り裂いた。

 アストラはすぐさまゼネカの許へと飛び退いたが、顔は苦痛に歪み、脇腹を押さえる手の下では白い隊服が赤く染まっている。

 

「傷は?」

「問題ない、かすり傷だ」


 アストラは手に付いた血を服で拭うと、ゼネカを背後に庇う形で剣を構えた。

 首の無い死体は襲い掛かって来る気配は無い。

 しかし、その異形の敵を凝視するアストラの顔には、少なくない動揺の色が浮かんでいる。

 

 首をねたウイズが起き上がる。

 そんなもの見た事がないどころか聞いた事もない上に、明確な意思を持って攻撃までしてきたのだ。

 さすがに動揺するなと言う方が酷だろう。

 アストラの首すじに滲んだ汗が、寄り添っては大粒の玉となって流れ落ちていく。

 

 剣呑さをはらんだ静寂が場を支配していたのも束の間、それもさらなる衝撃への幕間まくあいに過ぎなかった。

 前触れもなく、切断された首の断面からズルリと、肉の芽とでも言うべきものが伸びたかと思いきや、たちまち人の頭部をかたどったのだ。


 一見、切り落とされる前のものと同じに見えるそれだが、濁りようのない真っ黒な眼球だけが異なっていた。

 白目が無く、瞳孔の動きで視線を読み取れないはずなのに、二人を捉えている事が不気味なまでにはっきりと伝わってくる。


 アストラは瞬きを忘れたかのように、目を見張ったまま動かない。

 常軌を逸した現象の連続に思考が追い付かないのだ。

 その心中を察するに、悪い夢なら覚めてくれ、といったところだろうか。


「あの濃密な存在感、明らかに最初の奴とは別物だな。一つの体にウイズが二体? そういう事か、どおりで気配が不鮮明だった訳だ。やってくれる」


 余りにも軽い、場に満ちた重く圧し掛かる空気をまるで感じていないかのような、ゼネカの軽い口調だった。


「……申し訳ないが、何がそういう事なのか、ボクにもご教授頂けるとありがたい」


 おかげで気を持ち直したアストラが、ゼネカに視線を向ける事なく説明を求めた。

 その口調が実に丁寧なものであったのは、必死に動揺を包み隠そうとしているからだろう。


「簡単な話だ。あの男が追っていたウイズも致命傷を受けていたんだろ。それで一か八か、あの男の体を乗っ取ったのさ」

「乗っ取った? そんな馬鹿な事が、……」

「ある訳ない、なんて言えないよな。今、目の当たりにしたものでさえ、十分に馬鹿げてる。なんならお釣りが出るくらいだ」


 アストラが飲み込んだ言葉と思いを、覗き見たかのようにゼネカが続けた。

 それでも素直に受け入れる事が出来ず、アストラは苦々しげに眉根を寄せている。


「まぁ、聞け。あの体は背中を負傷していた。そこから感染した毒素が原因でウイズへと変質したんだ。それは、普通に起こりうる事だろ? だがその過程でそれとは別に、あいつは自身を構成していたその毒素を基に、自我を再構築しやがったのさ。これは、【転移】って呼ばれる現象だ。そしてそれを可能にしたのは、あいつの際限なき生への執着心、強烈な生存本能だ」

「転移……だと? やはり馬鹿げている。なんにせよ、あの再生能力は今までに見てきた二級種とは別次元だ」


 アストラは言いながら剣の切っ先をウイズに向けて構えなおした。朱色の瞳が険しさを増す。


「転移をきっかけに進化したんだろ。長い年月を生きたウイズは、その過程で取り込んだものをかてに進化する事がある。そもそも今のあれを、一般階級のハンターが追い詰める事が出来ると思うか?」

「難しい、と思う」

「つまりは、そういう事だ。討伐レートは一級、あるいはその上の特級もありえる。戦うのは初めてか? 見た通り、首を刎ねても倒せない化け物だぞ?」

「問題ない、誰でも最初は初めてだ。再生出来なくなるまで切り刻む」


 ここで必ず討伐する――そう続けたアストラは、肺の空気を吐き尽くすかのように細く長く息を吐き、神経を研ぎ澄ませていく。

 その横顔を斜め後ろから眺めていたゼネカは、「頼もしいな」、と呟くと、アストラの脇腹へと視線を流す。

 白い布地を侵食する赤い染みは、一段と広がっていた。


 アストラは機先を制し、一足飛びに間合いを詰めた。

 矢継ぎ早に繰り出す斬撃は致命傷とまではいかずとも、幾度もウイズの体を斬りつけ、はたから見ている分には圧倒しているように映る。

 だが実際には、


「だめだな、攻撃が通っていない」


 戦況を見つめるゼネカの言う通り、傷を負ったウイズは瞬時にそれを回復させていた。

 さらには、押し込まれる原因となっていたアストラのスピードにも徐々に対応しつつあった。


 当然、その事実を一番認識しているのは他でもないアストラだ。

 より一層の斬撃を浴びせんと、歯を食い縛る顔には色濃く焦りが滲んでいる。いつ綻びが生じてもおかしくない、そんな危うさが漂っていた。

 やはりと言うべきか、強引とも言える連撃の切り返しのさなか、攻撃に注力するあまりアストラの顔面が一瞬無防備に晒される。

 その僅かな隙を突いて、ウイズの放った一撃が貫いた。

 

 鮮やかな朱色の毛が、ぱっと宙に舞った。


 まさに間一髪。

 気付けば眼前に迫っていた貫き手を、アストラは顔だけを振って、辛うじて回避していた。但し、完全にとはいかず、かすめた頬には痛々しい傷が刻まれている。

 引き攣った顔からして、今のはかなり肝を冷やしたに違いない。


 それを契機に形勢は逆転した。

 アストラは初めこそウイズの攻撃を躱していたが、剣でいなし、受け止め、次第にその身に傷を増やしていく。

 防戦一方に追い込まれた中、捨て身で放ったカウンターをウイズが下がって躱したタイミングで、再びゼネカの許へと飛び退いた。

 頬の傷からは鮮血が滴り、白い隊服もあちこちに血が滲んでしまっていた。

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