ⅩⅣ 真の「世界」(3)
「……チーフが負けるだなんて……そんなこと……そんなことあってたまるかあぁぁっ!」
突然、悲鳴にも似た少女の叫び声が静かな夜の体育館に木霊する。
「…!? ……おまえ……」
一瞬、零かと思う久郎だったが、その声のした方向を宍戸や疑われた零ともども振り返って見ると、それはなぜだか硬直の暗示の解けている、今はもう〝赤ずきん〟を被ってはいない当麻亜乃だった。
「まさか、メデューサの石化を自力で解いたというのか!?」
久郎としても想定外のことであったようだが、自分の信じていた強き者のありえない敗北に、言い表せないほどの大きな衝撃と強い憤りを覚えた彼女は、その尋常ならざる感情のエネルギーによって石化の暗示を解いたのかもしれない。
「……あなたは、強くなくてはいけない……でないと、わたしは……わたしは……」
先程までは犬の仮面を着けていたため、普段と違ってメガネをかけていない顔を蒼い月明かりよりもさらに蒼褪めさせ、ふらふらと前に歩み出しながら亜乃は宍戸との出会いを思い出す――。
「――ならば、もっと強くなることだ。所詮、この世は弱肉強食……強い者が生き、弱い者は死ぬ。もしも勝者となりたければ我に従え。そして、強くなるがよい」
それは、高校一年の夏休みのこと……成績優秀ながらも暗く内気なその性格から、一部女子グループによるイジメの対象となっていた当時の亜乃は、藁をもすがる思いで大噛神社を訪れ、そこにウワサ通り現れた魔犬――黒い犬の面を着けた宍戸と出会い、彼にそう諭された。
「……強く……強くなれば、もうイジメられなくなるんですね! わたし、もうイジメられたくなんかない! こんな……こんな弱い自分を変えたい!」
「ああ。我が魔術の力を授け、おまえを弱き負け犬から強き勝ち犬へと生まれ変わらせてやろう――」
――そして、勝ち犬倶楽部最初のメンバーとなった彼女は宍戸に魔術の手ほどきを受け、自分をイジメていた者達に次々と報復していったのだった。
ある者は幻覚植物を使って交通事故に遭わせ、ある者は酩酊状態で夜の繁華街の路地裏に放置して集団強姦の餌食にし、また情緒不安定にして人間不信に陥らせ、鬱で不登校にさせた者も少なからずいる。
おかげで、いつしか亜乃をイジメる者は誰一人いなくなり、強くなったことで自信のついた彼女は、前よりも幾分か明るく、また社交的な性格にもなっていった……
そんな亜乃にとって模範とすべき絶対の〝強者〟の信じ難き敗北……それは、
「……この世は弱肉強食……強さこそがすべて……あなたは強いから、わたし達の…わたしのチーフだった……弱いあなたはもうチーフなんかじゃない。弱いあなたなんかもういらない……弱い者は死に、強い者が生き残る……わたしは違う。わたしは弱くなんかない。わたしは強い者だ。わたしは、わたしは弱いあなたを殺して、強い者になるんだぁぁぁぁーっ!」
突然そう叫んだかと思うと、亜乃は宍戸へ向かって弾かれた球のように突進して行く……いつの間にかその手には、あの
「……!?」
「……ぐっ…」
一瞬のことに、零が息を飲み込んだその時にはもう、亜乃の両手に握られた刃は宍戸の左胸深くに突き刺さっていた。
「……せ、先輩っ!」
「……ぶはっ!」
慌てて叫ぶ零の目の前で、宍戸はその口から大量の血を吐き出し、月明かりにぼんやりと浮かんだ蒼白い木の床を一瞬にして深紅の色に染める。
「……ひっ! ……わ、わたし……わ、わたしは……」
凶行に及んでから我に返り、
「………………」
「……ゴホ…ゴホ……なる…ほど……ぐふっ…こ、これが……因果…応報ということ……か……」
その惨状を独り黙して見下ろす久郎に、瀕死の宍戸は彼の方へ目だけを動かして視線を向けると、途切れ途切れになりながらも苦しそうに語りかける。
「……だが、忘れるな…ゴホっ……〝因果応報〟の
胸に
「無論。承知の上だ……」
そんな宍戸をどこか淋しげな色の瞳で見つめ、久郎はそれに答えるかのようにぼそりとそう呟いた。
「はっ! ……い、いやあぁぁぁぁーっ!」
一方、自分の犯してしまった罪にパニックを引き起した亜乃は、事切れる宍戸を目にして狂ったように耳障りな悲鳴を上げる。
「……あなたが……あなたがいないと……わたし、生きていけない……そっか。やっぱりわたし、弱い人間だったんだ……はい、チーフ……弱い者は死ななきゃいけません……弱いわたしも、すぐに死んでおともいたします……」
そして、精神の瓦解した亜乃はブツブツと唱えごとのように狂気じみた呟きを口にすると、宍戸の胸に突き立った
「当麻さんっ…!」
「ぐうっ……」
一拍遅れてその意味に気づき、零が思わず彼女の名を叫ぶのと同時に、引き抜かれたその凶刃を自らの首に押し当て、亜乃は〝赤ずきん〟のように真っ赤な鮮血を蒼白い月夜の夜気に勢いよく噴き上げていた。
「…………はっ! ま、まだ、助かるかも……」
刺された憧れの先輩と自殺を図る新しくできた友達……そのあまりにも非現実的で、あまりにも衝撃的な光景に呆然と立ち尽くす零であったが、すぐに気を取り直すと、救急車を呼ぶために急いでポケットからスマホを取り出す。
「手遅れだ。この出血量ではもう助からん」
だが、その手を不意に久郎が掴んで止める。
「それに万が一助かったとしても、その後には死よりも辛い生き地獄がこの二人を待っている……それは、因果による報い以上に酷な罰だ。俺は〝因果応報〟を奉じる者として、それほどの過酷な運命をこいつらに負わせたくはない。静かに逝かせてやれ」
「そんな……」
手首を強く掴んだまま、いつになく力の籠った声でそう諭す久郎の言葉に、零はタップしようとしていたその指を止め、真っ赤に目を腫らした顔を再びくしゃくしゃにすることしかできなかった。
「俺はまだやることがある。こんなもの見せられてはおまえの心もそろそろ限界だろう。精神崩壊しない内に少し眠ってもらおうか……」
そんな零の顔を覗き込むと久郎は彼女の目を見つめ、唐突にパチンと指を弾き鳴らす。
「眠るって……いったい……なに……を…………」
すると、零は不意に強烈な眠気に襲われ、久郎の言うがままに意識を失うと、そのまま彼の腕の中へその身を委ねてしまう。
「こんな時のために後催眠をかけておいて正解だったな……さてと。こいつらにもこれまで因果を逃れてきた分、きっちりと帳尻を合わせてもらわないとな……だが、こうなると、さすがに記憶を消しとかねば後々厄介か。まったく、手間の折れることだ……」
胸元ですやすやと穏やかな寝息を立てる零をとりあえず床に寝かし、その上に羽織っていた黒のロングパーカーをそっとかけてやると、何かぶつくさ文句を言いながら、石像のように立ち並ぶ
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